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第五章 とりあえず穏やかな

夕凪が聖霊騎士団と共に戦うようになってから、およそ一カ月半が過ぎた。圧倒的な戦闘力を持つ彼の介入で、ただでさえ聖霊騎士団に手を焼いていた鬼羅は完全に勢いを失い、ここ二週間は平穏な日々が続いている。

 無論、水面下での情報戦などは続いているが、少なくとも一般人に被害はなくなった。

 それだけでも大変な功績であり、夕凪はこの短期間で多大なる信頼を集めた。持ち前の人懐っこさも発揮し、今ではもう聖霊騎士団本部の中心人物と言っても過言ではないほど環境に馴染んでいる。

 学校を終えた粋と瑞音は、真藤コーポレーションの地下、聖霊騎士団本部に顔を出した。

「ちっす」

「お疲れさまでーす」

 外の暑さで、額には汗が浮いている。八月下旬、気温はまだまだ高い。本部には冷房があるものの、こうコンピュータに埋め尽くされていては満足には涼めない。

「おっ、粋に瑞音ちゃん。外は暑かっただろ。アイス買ってあるんだけど食べる?」

 シャツにジャージという本部内で唯一ラフな格好の夕凪が、雑談場と化していたモニター前の席から離れ、アイス二本を持って近づいてきた。

「わあっ、ありがとーございまーす」

 瑞音はニコニコと笑顔を浮かべて受け取る。対照的に粋は不機嫌そうな顔で、あたりを見渡している。

「…………」

「どしたの、粋」

「いや、なんかこう……」

 地下に降りてすぐの広いエントランスには憑装者の出現を見つけるための監視モニター、霊素体を感知する機械、戦闘部隊に指令を伝える通信装置があるのだが、日に日に緊張感がなくなっているようだ。

 今も半数は雑談している。

「だらけ過ぎじゃない?」

 とはいえ彼らに仕事がないのも事実で、仕事しろとは言いにくいが。

「ま、今まで気を張っていたんだろうし、すこしくらいは良いじゃないか。このまま平和ならありがたいけど、そうもいかないだろうし。息抜きは必要だ」

「いや、さすがにこれは、ちょっと……」

 粋もアイスを受け取り、包装を破って口に運ぶ。

「お前って真面目なのか不真面目なのかわからないな」

「強いて言うなら適当だよ」

 程良くやる、手抜きをする。どちらにも取れるが、粋は両方の意味を同時に込めた。そういう曖昧なところも人間性をよく表している。

「子供らしくない奴め」

 夕凪は粋の癖髪をくしゃっと撫で、横をすり抜ける。その先にあるのは出口だけだ。

「あれ、もう帰んの?」

「今日も仕事はなさそうだからな。ここの懐に悪いだろ?」

 夕凪の給料は時給制だ。待機も仕事の一つであり、本部にいる以上は何もせずとも給料が発生する。大変おいしい状況だが、遺産などで金に不自由のない夕凪には、あまり興味のないことだ。

 エース格の出勤を境に帰る……タイミングも悪くない。

『粋、少しよろしいですか?』

「どうかした?」

 やや残念そうな顔で夕凪を見送る粋に、アトエが話しかける。

『憑装者の反応や街に異常はありませんか?』

「いや、ないよ」

 雑談をしている人達の前にある装置から反応は何もなく、監視カメラの映像も至って平和なものだ。

『そうですか。霊素の感知は不得手なので自信はないのですが、どこかで憑装が行われたような気がしまして』

 通常、憑装する際には霊素の波動が発生する。霊素体はその構造上、霊素の波動を感知することができる。聖霊騎士団の感知装置も同様の原理で波動を捉えている。

ではなぜ霊素体が感知できるのに機械を必要とするのか。それはアトエの言う通り、不得手な霊素体がいるからに他ならない。ネズミが察知できる地震を人間ができないように、自我の強い霊素体は波動の感知能力が低い。つまり感知が得意な霊素体はほとんど、喋れないか持ち主に知らせようとする知能を持っていない。

「んー、気のせいじゃないの?」

 粋はアイスを食べながら機械前の席に座り、感知装置や監視モニターをいじる。

「粋、どうしたの?」

 同じくアイスを食べている瑞音もやってきた。

「いやさ、なんかアトエが憑装の波動を感じ取ったとか抜かすもんだから。そっちの霊素体は何か言ってない?」

「えっ? いやー、あたしの方のは喋ったりできないから」

「あ、そうなの」

 粋は食べ終えたアイスの棒をかじりながら機械の操作を続ける。瑞音も隣に腰掛けて手伝い始めた。

「でもさ、もし憑装があったら久遠寺さんが気づくんじゃないの? あの人なんでか霊素の波動がわかるらしいし」

「まぁ、そうなんだけどね」

 いくら装置を動かしても結果は同じだった。ここ数日間と同じく反応がない。

「アトエ、やっぱ勘違いじゃない?」

『そうですか、すみません』

「いやいや、まぁ今日も平和ってことで……」

 席を立った粋の服を、瑞音がつまんだ。

「ちょっと待って。なんかモニターの映像おかしくない?」

「えっ、どこが?」

 街中に仕掛けられた監視カメラの映像が映っている。オフィス街から住宅地、遠くの農地や更地までが映っている。しかし憑装者のように異常なものは映り込んでいない。至って普通の映像だ。

 なにも異常がない。なさすぎることが異常に思えるほどに。

「例えばここの葉っぱなんだけど」

 瑞音はとあるマンション前にある街路樹を指した。

「どれ?」

「よく見ればわかるから、ちょっと見てて」

 夏の熱い日差しを受けて、活き活きとした艶のある葉が風で揺れる。

「ほらっ!」

「いや、わかんないって」

 普通の光景に見える。だが、注視しているうちに違和感を覚えた。ほんの僅かなことだ、動いている葉に小さなブレが生じることがある。

「まさか……」

 粋はカメラの映像を止めて直接プログラムを調査する。黒い画面に並んだ白い文字が、粋の操作で流れていく。

「やられた!」

「どうしたの、粋」

 二人の異様な雰囲気を感じ取り、周囲の雑談もピタッと止まった。粋と瑞音に騎士団の注目が集まる。

「これ、何も起こらなかった日の映像をループして映し出されているんだ」

 本部内が一斉にザワつきだした。

「このブレはなんなの?」

「多分だけど、たとえば旅行者みたいな、毎日同じ所を通っていたら不審な人物を編集で消しているんだ。それからサラリーマンの通行をランダムで数分ずらしたりするようなプログラムも組まれている。土日用の映像も用意されているみたいだ」

 焦って他の機械を調べ始めた仲間からも声が上がる。

「感知装置の波動捕捉プログラムが凍結されています!」

「アラートに関する項目も書き換えられています!」

 蜂の巣を突いたように、一気に本部は騒がしくなった。その中で誰かが呟く。

「一体だれが……」

 答えは決まっている。

「……久遠寺さんだ」

「ちょっと待ってよ、粋。久遠寺さんがそんなことするはずないでしょ?」

 誰かがモニターの機能を修復した。

そこに映ったのは、鬼羅の憑装者と戦闘中の夕凪だった。比較するにも値しない戦闘力の差で敵を瞬時に制圧していた。銀眼の青年が異形の人間をうつ伏せに倒し、片腕を取りながら首を地面に押さえつけている。

誰かに告げるでもなく、一人で戦場に立っている。決定的だ。

「そう言えば久遠寺さん。先月、暇潰しにと資料室からプログラミングの本を借りて読んでいたような……」

「バカな。一カ月でこれほど上手く扱えるわけがない」

 と言ったのは沢峰と笹巻だ。今日は戦闘用の黒服を着ている。

「あの人はアホだけど、親が学者だっただけあって学術面の潜在能力は高いよ。しかも集中力も妙に高い……時がある。久遠寺さんなら、これくらい二週間もあれば余裕だよ」

「しかし、それならばいつ書き換えたんだ」

 笹巻の問いかけに、沢峰がおずおずと手を上げて答える。

「先日、彼に裏方の仕事も一応おぼえておきたいと頼まれましたので、私が教えて機材操作の方をお任せしました。おそらくその時に……申し訳ありません」

「まあ、過ぎたことはどうでもいいよ。それより、これから久遠寺さんと話してくるから、みんな適当にサポートよろしく」

 粋は改造した制服に日本刀を取りつける。

「粋、あたし達はどうする?」

「瑞音には一緒に来てもらおうかな。他の戦闘員は待機で」

 了解、と声が一斉にあがる。そこに沢峰の声はなかった。

「あの……天馬の刃。私の失敗ですので、私が彼と話してきます」

「だから、過ぎたことはどうでもいいんだって。責任っていうなら採用したくせに肝心なときに不在な本部長にもあるし、まあ僕にもあるし。そういうわけで、ちょっくら行ってくるから支援よろしく」

 粋は憑装し、人間離れした速度で飛び出していった。

「沢峰さん、心配しなくても大丈夫。鬼羅と戦っていたんだから、久遠寺さんは裏切ったわけじゃないと思う。きっと何か理由があるんだよ。でもどんな危険があるかわからないし、とりあえず前線はあたし達に任せてよ」

「紫電の魔槍……わかりました。よろしくおねがいします」

「うんっ」


 場所はマンションの多い住宅地だ。

 鬼羅の憑装者は悲痛な喘ぎ声を漏らし、咳き込んだ。背中を踏みつけられ、片腕は軽い関節技を極められている。首は掴まれ、ぐりぐりと地面に押し付けられていた。

 相手が憑装者でなければ力づくで打開できる状態だ。いや、サイバー型など並の憑装者でも長時間の拘束は難しいだろう。しかし、あいにく彼の敵は神の力を擁する久遠寺夕凪だ。振りほどくことはおろか、まともな抵抗すらままならない。

「すまないね、楽にさせてあげられなくて。この体の持ち主が、いくつか聞きたいことがあるらしい。場合によるけど命くらいは助けてもらえるそうだよ」

「オマエ、一体ナニ者……?」

「質問するのはこっちだ。まだ口を開く権利は与えていない」

 手首を捻り上げると、鋭い歯が並んだ大きい口から悲鳴が発せられる。竜のような人間、その容姿通り、人間らしからぬ声だ。

「ああ、そうか。自我の弱い霊素体とここまで意識が競合していると、理性が働きづらいか。これから話を聞こうっていうのに、それは効率的じゃないな」

 首を掴んでいる手に力がこもる。ミシミシと嫌な音を立て始めた時だ、マンションの屋上よりも高い宙から、天馬の刃と紫電の魔槍が降ってきた。

 手が緩み、銀の瞳が彼らを見つめる。

「やあ、二人とも。意外と早かったね。夕凪の小細工はもう見破られたのかな……おっと、小細工という言い方は不満かい、夕凪」

 どうやら会話しているらしい台詞だが、声はアグマのものしか聞こえない。

「ねえ、憑装している時って久遠寺さんは喋れないの?」

 瑞音はそんなことを言いだした。

「そうだよ。僕と夕凪の憑装は特殊だから」

「粋とアトエは?」

「こっちは喋らせないだけ。メリットがない上に意志の均衡が崩れるから」

 言霊という言葉があるように、言葉には強い意志が込められている。考えて話す――ただそれだけのことだが、意外と意識を使う。よほどの事情がなければ憑装中に話させることは、まずないだろう。

「さて、色々と聞きたいことはあるだろうけど、見てわかる通り少し立て込んでいるんだ」

 銀の眼が二人から逸らされ、地に伏せられた竜の憑装者へと向けられる。瞳が放つ神秘的な光には、熱というものが全くない。非情なまでの冷徹さを秘めながら、未だに息の根を止めていない。

 おそらく殺すのではない、なにか特別なことをするつもりなのだ。聖霊騎士団を欺いてでも行いたかった何かを。

「アグマさん、何をするつもり?」

「本体から憑装した霊素体を引きはがす」

 粋と瑞音は目を見開く。もがいていた憑装者もピタリと動きを止め、体を震わせた。

「マ、待テ……今、自分デ解ク」

「それだと、いつでもまた憑装できてしまう。それでは意味がない」

 再びアグマは手に力をこめ、憑装者は甲高い悲鳴をあげる。

「霊素体を引きはがす……そんなことができるの?」

「紫電の魔槍ちゃん。力を失ったとはいえ、僕は神だ。その程度はわけないさ」

 憑装者の首辺りに青白い光が発生すると、悲鳴が大きくなる。アグマは躊躇うことなく、まるで大根でも引き抜くかのように光を引っこ抜いた。

 それは流体のように軌跡を描く。数メートル離れた場所に投げられ、そこに巨大な体躯を構成した。

 憑装者は冴えない若者の姿に変わっており、白目をむいて倒れていた。

「ありゃ苦しそうだね」

「うん……息があるだけでもすごいと思うよ」

 憑装とは、すなわち意識の融合。それを外部から強引に解くということは、魂を引き千切られるような苦しみを味わうということだ。本来ならばショック死ものだが、そこに至らないのは神のなせる業か。

 もっとも強制解除自体、今の人間の技術ではかなわない神業だが。

 ところで、ここに立っている彼らは余裕たっぷりだが、まだ傍らには核を持ったユニオン型の霊素体が居たりする。興奮状態の巨大な竜は、恐れもしない三人を見下ろしながら唾液を垂らしている。

「おっと、まだ居たんだった」

 巨大な爪が頭上から振り下ろされる。アグマは片手で光の障壁を作りだし、なんの苦もなく防いでみせた。

「……待てよ?」

 アグマは脱力しきった若者を肩に担ぎ、立ち上がった。

「コイツは聖霊騎士団に任せるよ……夕凪、大丈夫だ。心配なんてしなくても、彼らなら負けはしないさ」

「本部、久遠寺さん達の追跡を!」

 粋が叫ぶのと、アグマが浮き上がったのはほぼ同時だった。天空から現れた光柱に包まれて彼らは姿を消した。

 舌打ちが一つ、粋の口から鳴らされる。

「粋、油断しないで!」

「わかってるよ」

 標的を見失った獰猛な竜は、身近な二人に注目を移した。普段から相手にしているよりもやや大きく、フォルムも違う。色すらも異なり、個性の範囲内に収めるのは強引過ぎる。それが意味するところは、

「新作ってとこかな」

 アトエほど丁寧に作られてはいない。量産型なのは十中八九まちがいないが、再発現した霊素体が相手だ、気は抜けない。

 粋はお得意の抜刀術で先制攻撃を試みる。これまで相手にした鬼羅の霊素体ならば、腕の一本は持っていける斬撃だ。

だが、弾かれた。それだけではなく蹴りの迎撃が粋を襲う。防御は間にあったものの、全身が後方に飛ばされた。

 竜の顎がだらんと開き、口内に濃い紫の光が収束する。

「粋、避けて!」

 マンションの壁に衝突した粋に、竜の口からレーザーが発射される。とても避けられるような速さではない。

 建物の一部が爆発し、土煙が舞った。

「粋っ!」

 竜は開いた口のまま瑞音を向く。もう一発、ということだろう。瑞音の手にもパリパリと淡い紫の雷が走る。濃淡の紫、光線と槍の激突だ。

 ちょうど相殺し、名残の衝撃波が発生する。体重が軽い瑞音は、突風に当てられて体勢を崩す。その隙に竜が駆け、瑞音の直前で身を捻りながらの急停止。竜の尾が巨大な鞭のように瑞音を目掛けて飛んでくる。

「調子に乗り過ぎだって」

 空から純白の翼と共に舞い降りた剣が、その尾を真っ二つに断ち斬る。バランスを失った竜はその場に転倒した。

「粋、ありがと。無事だったの?」

「無事っていうか……まぁ、かすり傷が多々。翼で防いだんだけど、完全にはね」

 粋にはいくつか傷が見られ、頬から微量の血も流れている。

「それにしても、かなり改造してきたみたいだね。あたし達の二人を相手に、一体でここまで戦えるなんて」

「ほんと、これから仕事が面倒くさくなりそうだよ。こいつを片付けたら瑞音は本部に戻ってこの件を報告、今後の対策について検討して。僕は久遠寺さんを追うから」

 粋は手の甲で頬の血を拭った。その背後で竜の口が光る。

「対策って、こういうこと?」

 レーザーが放たれるよりも早く、紫電の槍が収束した光と衝突して爆ぜる。口内を焼かれた竜は低い悲鳴を上げて悶えた。

「……相変わらず仕事がお早いこって。んじゃここの後始末も頼んでいいかな」

「まかされたっ!」

 と、それはいいとして。消えるように去ったアグマの行方は、粋にはわからない。本部のモニターも捉えきれなかったと無線連絡が入る。

 さて、どうしたものか――と頭を悩ませるかどうかの境に、瑞音が一言。

「粋、たぶん久遠寺さん家だと思うよ」

「……あ、そう」

 普段から視力のいい瑞音だが、戦闘時の彼女はそれ以上の能力を発揮する……らしい。誰一人として見えなかった光の中が、彼女には見えたのかもしれない。

 粋は翼を広げ、太陽が傾きかけた西の方へ飛び去った。


 久遠寺家の近くには粋の家もある。今しがた戦闘があった辺りよりも落ち着いた住宅地で、ほとんどが二階建て、それも一軒家が多い。街の様子が変わる様を見下ろしながら、慣れた景色に変わるまで粋は飛び続けた。

 荒れ放題の庭が目に入る。

「そりゃっ!」

 翼の生えた小柄な少年は空から急降下し、二階の窓に近付く。そして――。

「しゃあっ!」

 翼を消しながら窓ガラスを突き破って侵入する。豪快な破壊音が鳴り響いた。

「な、なんだぁ?」

 一階から夕凪の間抜けな声が聞こえてきた。

「チッ、一階か」

 粋はズカズカと声がしたところへ歩いて向かう。

 そこは和室だった。目を覚ました先ほどの若者が後ろ手に縛られ、畳に転がっている。夕凪は憑装を解いたいつもの様子で、ティッシュ製のこよりを男の鼻に突っ込んでいた。

「……なにやってんの?」

「拷問だ」

 夕凪は「さあ、吐け」などと言いながら若者にくしゃみを連発させている。

『生温すぎると思わないかい?』

 楽しそうにアグマは言った。

 あまりに呑気な光景に、粋の気が緩む。憑装を解除し、どかっと畳の上で胡坐をかいた。夕凪が家を開けていた間に放置されてボロボロだった畳は新調されたばかりで、やや硬いように思える。

「……んで、なにを聞こうとしてるわけ?」

「決まってるだろ。あの子の居場所だ」

「誰?」

 と口に出してからすぐに閃いた。

「なぁアンタ、緑髪の少女のこと知ってるだろ?」

 若者は夕凪から顔を背け、口を固く結ぶ。

「なんでソイツが知ってると思うのさ」

「粋、鬼羅の探し物ってのは、あの子のことだったんだよ」

「……その情報の発信源は?」

 粋の問いに対し、夕凪は無表情のままで答えなかった。代わりにアグマが霊珠から声を響かせる。おぞましいほどに冷え切った声色だ。

『鬼羅の人、素直に答えた方がいい。知っている情報を口にする、ただそれだけでキミの命が助かるんだ』

 男はビクッと体を震わせた。理由は言うまでもない、恐怖だ。

「ば、バカな。知りたいことがあるなら俺を殺せるはずがないだろう!」

『それはどうかな。例えばキミと同じ立場の人間がもう一人いたなら……』

 この和室には夕凪と粋、男だけが人間として存在している。この家には夕凪とアグマしか住んでいない。だというのに、廊下から足音が聞こえてきた。それはそのまま近づいて部屋の前でピタリと止まり、戸が開けられた。

「失礼しまッス、夕凪さん。茶を持ってきたッス」

 坊主頭の青年だった。転がっている若者や夕凪よりもさらに若く、粋より辛うじて年上という感じだろうか。顔にはいくつかアザや傷が見られる。

 青年はいかつい顔をしながら、実に明るく手に持っていた盆を夕凪に差し出した。湯気が立った湯のみ二つと急須、醤油せんべいが乗っている。緑茶の深くも柔らかい香りが畳の匂いと混ざり、「和」らしい空気に拍車がかかった。

「ありがとう。ごめんな、客人のキミに」

「いえいえ、俺が勝手にやってることッスから。それと、俺は客人じゃなくて捕虜じゃないッスか?」

「わかってるなら、さっさと知っていることを話してくれよ」

「それは……すんません。っと、新しいお客さんッスか? すぐに湯のみを持ってくるんで、少々お待ちくださいッス」

 粋にそう言い残し、青年は台所へと戻っていった。

「……誰あれ?」

『鬼羅の戦闘員だ。戦っているうちに憑装を解除できるとわかってね、二日前に捕まえておいたのさ。この男と同じように。つまりね……代わりはいるんだよ』

 若者は息を飲み込む。この後アグマが何を口にするのか、おおよそのことが予想できてしまうからだ。

それは夕凪や粋も同じ。夕凪はじっと畳を見つめている。

『どちらも答えなければ片方を殺す。答えるならば少なくとも片方は生きられる』

「そんな……でも、言っちまったら俺達は鬼羅に殺されちまう。俺は正規の戦闘員じゃなくて使い捨てなんだから尚更だ!」

『……まあ、ここで確実に殺されるか鬼羅に狙われるかもしれないか、どちらを望むもキミ達の自由ではあるが……悩む必要があるかい?』

 無造作に置かれた携帯電話――正しくはそのストラップから脅しを受けて委縮する成人男性の図。おまけに男は現在この家にいる人間では最年長だ。粋から見れば随分とまあシュールな光景だ。

「久遠寺さん、ちょっと」

 粋は夕凪の服を摘まんで注意を引く。

「こういうことなら僕たち聖霊騎士団を欺く必要はなかったんじゃないの?」

 あそこまでの仕掛けを打ち、裏切りとも言える行為の先にあったのがこの結果だ。敵に与したわけでもないのに隠す必要があるのだろうか。

 実はある、少なくとも夕凪にとっては。

「俺が聞きたいのは二つ三つくらいだけだ。それを聞いたら後は――アイツらを自由にするつもりだよ。でも聖霊騎士団に渡したらさ、それじゃ済まないだろ。組織の内情を洗いざらい話すまで許すわけがない。いや、吐いても許すかどうかわからない」

 夕凪は真剣な目でそう語る。そりゃそうだ――粋は思う。せっかくの捕虜を二つ三つの質問でみすみす解放するはずがない。情報源としても人質としても、使い道はいくらでもあるのだから。

 そして野放しにはできない存在でもある。

「鬼羅の戦闘員を自由にするって、本気?」

「ああ。前線で戦っている奴らの半分弱は、鬼羅の正規の人員じゃない……って、さっき茶を持ってきた竹中が言っていた。獄中から拾ってきた犯罪者だとか、借金を盾に脅された人だとか、そんなんだ」

「獄中のは放っておいたらダメじゃん」

「うん。でも竹中は病気の妹を助けるため、大金をくれるという鬼羅の卑劣な誘いに乗って泣く泣く……」

 うそくせぇ、そう思ったが口には出さないでおく。目の前でウルッときている人間がいるからだ。代わりに、ちょろいな、と感想を追加しておく。

「お待たせしたッス」

 話の張本人は鼻歌まじりに戻ってきて、湯のみに茶を注いだ。これから器に足されるだろう追加のせんべいも傍らにある。

「どうぞッス」

「どもっす」

 粋はズズズと茶をすする。明るい緑色、湯気に混じって鼻に入る青い香りと、苦味が薄い爽やかな味……近所のスーパーで手に入るものの中では一級品だろう。絶妙な淹れ具合のお茶は、粋の心を落ち着けた。

「これまで何人も憑装者を倒してきて今更なんだけどな。アグマが他人の憑装を解除できるとわかって、不本意で戦場に来ている人がいることもわかったんだ。拾える命まで切り捨てたくはないから……今からでも可能な限りは助けていきたいと思う」

「さすがッス、夕凪さん。俺、アンタについていくッスよ!」

 竹中は熱苦しく頷く。

「だったら早く情報をくれよ」

「…………」

 やれやれ、と粋は疲れたみたいに肩を揉む。

「竹中さんだっけ。その様子じゃまだ知らされていないみたいだから教えておくけど、さっさと吐かないとアグマさんに殺されるかもよ」

「はっ、えっ、なんで!」

「そこにいる人も鬼羅だから、どっちか死んでもいいんだってさ」

 竹中はポカンと口を開けた。

「ちょっ……夕凪さん?」

「言っているのは久遠寺さんじゃなくてアグマさんだから」

 ダラダラと竹中の顔から脂汗が流れる。濡れる顔とは真逆に、唇は見る見るうちに乾燥していく。

『……このままじゃ埒が明かないな。やっぱりどっちか殺そう、夕凪』

 尋問中のアグマが遂に痺れを切らした。

「待った、待ってくださいッス。俺、言いますから」

「いやいや、ここは年上の俺が!」

 我先にと鬼羅の二人が申し出る。

「別にどっちでもいいよ。さ、どうぞ」

 夕凪が言うと、二人は同時に黙った。先に片方を殺させれば自分の安全は確保できると考えたのだろう。

「なんなんだよ、お前ら!」

「いやぁ、その――」

「なあ……?」

 なんだかこの流れがループしそうな気になってくる。結局のところ二人は我が身可愛さのあまり話したくない、話すつもりがないのだ。

「ちょっといいかな」

 粋は咳払いを一つして発言権をもぎ取る。

「竹中さん、金が欲しいから鬼羅に協力してたんだよね?」

 理由の真偽は置いておくとして。

「はぁ、そうッスけど」

「だったら持っている情報、久遠寺さんなら言い値で買うよ、たぶん。なんせこの人、金なんて有り余ってるから」

「……でも、鬼羅を裏切って命を狙われたら金が入っても意味ないッスよ」

「それだって協力してくれるなら守ってくれるって。なんなら交渉相手を聖霊騎士団に変えてもいいよ。どっちにしろ金と安全は保障できると思うし。ただ、騎士団相手なら吐かなきゃいけないことは増えるし、護衛がいるなら自由も制限されるけどね」

 今まで平行線を辿っていた会話が収束した瞬間だった。彼らが抱えていた懸念などは綺麗に消え去り、おいしい条件だけが残っている。食いつかない理由がない極上のエサが目の前に舞い降りたのであった。

「俺、もうなんでも言っちまうッスよ夕凪さん」

「待て待て、俺が先だ!」

「だからどっちでもいいって」

 粋がまとめてくれたおかげで、ようやく話を聞くことができた。二人は臨時に補充された非正規の使い捨て。それほど多くのことを知っているわけではないが、やはり貴重な話も中にはあった。

「……やっぱりあの子は今、日本にいるんだな」

 夕凪が探している緑髪の少女。彼女は鬼羅の手から世界中を股にかけて逃げ回っていたらしい。夕凪が海外を回っていたのも、わずかな目撃情報を頼りに探していた結果だ。

「なるほど、どうりで物騒な憑装者によく出くわしていたわけだよ」

 アグマとの憑装がこなれていることから分かる通り、道中、怪しげな連中と戦う機会も多分にあった。同じものを探していたのだから、それは必然だったのだ。

「それで、日本のどこら辺にいるんだ?」

「さぁ、そいつは何とも……。ただ写真を見せられて、憑装して暴れれば止めに現れることがあると言われたくらいで、詳しくは……」

 竹中も頷く。

「ちなみに、なんであの子が狙われてるんだよ」

「知らん。俺達は命令されただけだ」

「そんじゃ、わかる人に聞きに行くしかないな。アジトの場所は?」

「それも知らん。奴らもそのあたりは慎重だったからな。極力接触は避けて、霊珠の受け渡し以外はメールでの指令が多かった」

 夕凪の顔が「面白くない」という感情をありありと表す。それはもう面白いほどわかりやすく、眉間には皺が寄って頬が膨らんでいる。鬼羅の二人は自らの命を握る人物の不満顔を見て大いに焦った。

「いや、でもその……探す範囲は命令されていた。奴らなりにある程度は候補を絞り込んでいるのかもしれん!」

「そッスよ、夕凪さん。これまでの鬼羅の出現位置を地図に書いていけば、なんか法則とかそういうのが見つかるかもしれないッス。俺も命令されていた地点は全部教えるんで……マジ殺さないでくださいッス、切に」

 なるほど、と夕凪は頷いた。さすがに命がかかった火事場、二人の頭は意外と回る。

「ま、そこらへんは後で詳しく聞くとして、次の質問」

「はいッス」

 威勢のいい竹中の声は、次の瞬間に間抜け声に変わる。

「俺の顔に見覚えはないかな?」

「……え?」


 情報収集が終わると、夕凪はかつてないほどの進歩に満足し、ホクホク顔でキッチンの食べ物を漁りにいった。

 金とできる限りの安全保障を約束された竹中と若い男は、重い荷物を下ろした直後のようにぐったりと、しかし安心した表情をしていた。ほどなくして竹中の目尻が光る。

「ううっ、これで妹を助けられそうッス」

 鼻水も涙の後を追って現れた。

「ちっこい人も、どうもありが――ぐふぅっ!」

「誰がちっこい人か!」

 竹中の腹に粋の拳がめり込んだ。

「ていうか、もうその設定いいから。どうせ嘘なんでしょ」

「……嘘じゃないッスよ。確かにベタなんで信じてもらえなくても仕方ないッスけど……むしろ信じてくれる夕凪さんが変だとも思うッスけど……でもホントなんスよ」

「……え、マジで?」

 竹中は泣きながら頷く。温かな涙と優しげな笑みは、とても演技には見えない。これが嘘ならば竹中は役者の世界で頂点を目指せるだろう。

「俺、よく考えたら妹のために大変なことをしようとしてたんスね。他の誰かを犠牲にしてでも、なんて。まして緑髪の女の子、妹と同じくらいの歳らしいじゃないッスか。すんでのところで止めてくれた夕凪さんと、助け舟を出してくれたアンタには感謝が尽きないッスよ、マジで!」

「いや、僕は何も……」

 ここまで感謝されては、さすがに罪悪感が湧いてくるというもの。なにせ粋は、端から竹中を疑っていたのだから。

「……んで、そっちの方はなんで鬼羅に? ていうか名前は?」

「吉田だ。俺はその……そいつの後だと言いにくいんだが……会社の金をちょっくら借りて競馬をな。増やしてから返そうと思ったんだがスッちまった結果クビ、その後も色々あって借金地獄よ。で、それを盾に脅されたってわけだ。笑っちまうだろ?」

「ああ、うん。笑っちまうくらいベタにクズだね」

 二人とも絵に書いたようにベタな原因だった。バッサリ切り捨てると、吉田は寂しそうな目をした。

「……俺の方は疑ってくれないのか」

「当り前でしょ。どうせ本当だろうし」

「まぁそうだが……」

 十数秒ほどシーンとした空気が流れた後、吉田はポツリと呟いた。

「そうだよな、普通は疑わないよな」

「うん」

「でも、あいつは……夕凪と言ったか……あいつは疑ってくれたんだ。ここに連れてこられた時に理由を聞かれて、今の通りクズな答えをした俺を、あいつは疑ってくれた」

 普通ならば竹中の良い話は疑い、吉田のクズ話は「ふーん、そう」と受けるだろう。粋がまさにそれで、別に特殊なわけではない。

しかし夕凪は全くの逆を行った。無論、アホ丸出しで賢い選択ではない。だが、このように人の善意を信じられる者が一体どれほどいるだろう。

「いつから俺達はこんな人間になっちまったんだろうな……」

 吉田は天井を仰ぎながら、感傷に浸った。

「いや、『達』って……僕らは吉田さんほどクズじゃないから。一緒にしないで」

「ちっこいの、お前ホント容赦な――ごふっ!」

「誰がちっこいのか!」

 竹中と同様に腹を殴られ、吉田はうずくまった。顔を畳に押し付けたまま、吉田は言葉を続ける。

「……こうして夕凪に会ったことで、俺はなんだかやり直せそうな気がするんだ」

「それ、今までの人生で何回言ったの?」

「うっ……知らん! だが、今回こそはって思う。あの真っ直ぐな目を見ていたら、こんな自分が恥ずかしくなったんだ」

 それも何回言ったのだろう、と粋は思ったが、そっと胸にしまった。ここで茶化すべきではないと思ったのだ。

「たしかにすぐには無理かもしれんが、少しずつでも、必ず……」

 言葉の端々に力強い意志を感じた。

「ここで会ったのも何かの縁ッス。俺は応援するッスよ、吉田さん!」

「た、竹中……っ!」

 元鬼羅の者同士である二人が手を取り合った、美しき友情の図だ。

「俺もお前の妹さんのこと、何か手伝えることがあったら言ってくれ」

「いや、そんな悪いッスよ」

「いいんだ。ベタなクズを直すにはベタな良い話のお前達に関わるのが一番の薬だしな。実際お前達の力になりたいとも本気で思っているんだ。頼む、協力させてくれ!」

「よ、吉田さん……っ!」

 キラキラと若干うさんくさい感動的な空間が形成された。

「アホらし……」

 粋は騎士団に報告するため、和室を離れて通信機を準備する。

「さて、なんて言い訳したものか」

 隠蔽には骨が折れそうだ。

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