第四章 聖霊騎士団
連れて来られたのは、オフィス街の一角、なんてことはない高層ビルだ。特に珍しいものなどは何もなく、周りの風景と同化した普通の建物。今にもスーツを着たサラリーマンが忙しそうに営業へ出かけそうな雰囲気を醸し出している。
というか、現にそんな人物が出入りしていた。
看板には「(株)真藤コーポレーション」とある。夕凪の知るところではないが、色々な事業を全国規模で手掛けている会社だ。
「あれ? 警察じゃないのか?」
「だから違うって」
自動ドアを潜ると警備員の姿があった。が、顔パスで通されたばかりか深いお辞儀で以って迎えられた。
受け付けまで歩く間に、同じような礼をいくつも浴びる。夕凪は会社というものが珍しいらしく、首や目を忙しく動かしていた。
「お疲れ様です、天馬の刃、紫電の魔槍」
カウンターに着くと、若い女性が対応に当たった。
「おつー」
「お疲れ様です」
にこやかな挨拶の後、怪訝な視線が夕凪に注がれる。
「そちらの方は?」
「んー、なんて言うか……不審者?」
「えっ?」
夕凪と受付嬢は同時に声を上げた。
「違うでしょ。天馬の刃の知り合いの方で、かなりの力を持った所属不明の憑装者です。詳しい事情はこれから伺うつもりです」
「所属不明……危険はありませんか?」
「天馬の刃が慕っている人物ですし、先ほど敵対勢力を一掃してくれましたので、ひとまずは安全と判断しました」
キリキリと話す瑞音の傍ら、夕凪はニヤニヤと笑う。
「よくわかんないけど天馬の刃って粋のことだろ? 慕っているって、照れるなぁそんな」
「…………」
粋は無言で夕凪の足を踏みつけた。その後、咳払いを一つして彼女達の会話に混ざる。
「所属不明っていうか野生だよ。何の霊素体かは知らないけど核を持ってないみたいだし、野良だね、野良」
「俺を猫みたいに言うなよ」
夕凪は片足を押さえてピョンピョン跳ねながら抗議する。
「この反応でわかる通り久遠寺さんはアホだから、危険はないと思うよ」
「ですが、機密などもありますし」
「ま、仮になにか問題を起こせば、憑装する前にコイツで一刀両断するから」
粋は布に包まれた日本刀をカシャリと鳴らす。
「……わかりました。ではどうぞ、お通りください」
「わかっちゃうのかよ!」
「うっさいよ、久遠寺さん」
体を支えている方の足まで踏まれ、夕凪は地面を転がった。
「だ、大丈夫ですか、久遠寺さん」
「ああ。……ところで瑞音ちゃん、俺って初対面でわかるくらいアホなの?」
「…………」
「えっと、瑞音ちゃん?」
「……残念ながら、割と」
「そっか――」
夕凪の目尻がきらりと光った。
そんなことはさておき、三人はカウンターの中に招かれる。慣れた足取りで奥へ進んでいく高校生二人に、夕凪は相変わらずキョロキョロしながらついていく。
「アグマ、会社の中ってこうなってるんだな」
『外観とは随分と違うんだね』
いつの間にか通路は石造りとなっており、蝋燭が頼りの薄暗いところを歩いている。どう見ても一般的な会社ではない。
「なんか古城見学した時を思い出すなぁ」
『ああ、あのパスポートを落として探し回った――』
「ちょっ、それは言うなよ。俺にも大人の威厳ってものが……」
そんなものは残っていない。
「久遠寺さん、遊びに来たわけじゃないんだけど」
「わ、わかってるよ。なんかアレだろ? たぶん大事な話があるんだろ?」
「そうそう、だからちょいと静まっといて」
「……ごめん」
金属製の扉を潜り、古風なエレベーターで階下へ降りていく。目的地は高層ビルの地下にあるらしい。それも、結構な距離を下っている。
夕凪は声を潜めて瑞音に問う。
「ビルなんだから上に伸ばせばいいのに、なんでこんなに深い地下があるんだ?」
「あたし達の組織は一応、公には秘密なんですよ。存在が知られる程度なら構わないんですけど、内情を明かすとなると色々と不都合が生じるので。だから地下に隠してあるんです」
「なるほど、木を隠すなら森の中ってやつか」
普通の会社、高層ビルに紛れることで隠れているらしい。これなら人の出入りが激しくても怪しまれることはない。
「着いたよ」
エレベーターの重々しい扉が開く。その先には、モニターを筆頭に機械がひしめく大部屋があった。白衣や黒服、私服など様々な格好の人達は、忙しく立ち回ったり駄弁ったりと、行動も様々だ。
エントランスで見た会社の雰囲気とも、隠し通路の古城みたいな雰囲気とも違う。現代から過去を通り、未来に辿り着いたような、そんな感覚。
「ようこそ、聖霊騎士団へ」
「歓迎しますよ、久遠寺さん」
粋と瑞音の雰囲気が一転して、強者の風格が漂い始める。自信と余裕が入り混じっており、ここでの立ち位置が一瞬で理解できる。
夕凪は珍しい光景に、また目を奪われていた。
「聖霊、騎士団……?」
「悪意ある憑装者と戦うため、言いかえれば人々を守るために作られた組織だよ」
「人々を守るため……それって、ここの全員が?」
「そう。研究、開発、指揮、調査、実戦とか、それぞれ仕事は違うけどね」
見れば、数は少ないが粋達と同様、まだ学生の少年少女もいる。
夕凪は感心して息を吐き切った後に、大きく空気を吸い込んだ。
「いいな、それ! みんなでみんなを守る、素晴らしいことじゃないか!」
感激で顔をツヤツヤさせながら歓喜している。
『なるほど。こうして人類は助け合ってきたわけだ』
「そうなんだよ、アグマ。だから言っただろ、世の中、スラムで他人の財布を狙うような奴ばかりじゃないって!」
旅先で狙われたそうだ。
「でもな――」
夕凪の顔から笑みが消えた。
「どうして二人も戦ってるんだ?」
「さっき言ったでしょ。ここの全員、志は同じはずだよ」
「そういう事を言っているんじゃない! なんで子供のお前達まで戦っているのかって訊いてるんだ!」
激しく厳しい口調で問い詰める。怒りで握りしめた拳が震えていた。
「そりゃ単純に強いからでしょ。体力もある年頃だし」
「仮にそうでも、そんなの違うだろ。怪物と戦うなんて、子供がするべきことじゃない、大人の仕事だ!」
喜怒哀楽という人間の感情を表す言葉。その中で夕凪は、喜哀楽に富んでいる。欠落しているほどにも思えた夕凪の怒を目にしたのは、粋も初めてだ。それゆえに少々面食らう。
「ちょっと、急にどうしたのさ。誰が戦おうと危ないのは一緒、そこに子供も大人も関係ないでしょ」
「関係ある、精神が幼すぎるんだ。二人が守りたい『みんな』には、ちゃんと『自分』が入っているのか?」
粋と瑞音は顔を見合わせる。
「入ってると思うけど」
「だったら――ッ!」
夕凪は戸惑う粋の右腕をグイッと掴み、袖をまくり上げた。現れた細い腕には、白い包帯が巻かれている。
「この怪我はなんだよ!」
それは昨日、笹巻たちの援護に急行するため、荒い戦闘を展開した結果の負傷だった。
「……なんでコレのこと知ってんの?」
『悪いね。夕凪が君の動きに違和感があって気になると言うから、こっそりアトエくんから教えてもらったよ』
『すみません、粋。ここに来る途中、つい話してしまいました』
霊素体は生物に聞こえない声で話すことも可能らしい。と言っても、理性を持ち、さらに言語を解する霊素体はそう多くないが。
「わっ、アトエって喋れるんだ」
「基本的に無口だけどね。任務以外で話すことなんて滅多にないのに、なんで怪我のことなんかを喋っちゃったんだか……」
『久々の同胞との会話でしたので、少し浮ついてしまったようです』
事務的な口調の裏には、落ち込みの色が滲んでいた。
「粋、話を逸らすな」
「はいはい。要するに自分を守らない戦いの先で万が一、死ぬことになったら、残される方が辛いって言うんでしょ? そんな事はわかってんの」
「それもある。だけどな、残す方だって思っている以上に辛いんだよ。あんな気持ち、お前達には味わって欲しくないんだ」
「そういう久遠寺さんはどうなのさ。自分で戦わなくたって、戦場に身を置いているんだから僕たちと同じでしょ?」
「俺は残すことと残されること、その両方の苦しさをもう味わってる。だからこそハッキリと言えるんだよ。お前達にあんな思いはさせたくない」
かつて家族に残され、少女を残した夕凪の言葉には重みがあった。
「……それに、俺にはアグマがいるから負けることはないし」
「確かにさっきの戦いぶりは凄かったけどさぁ、それって自信過剰……いや、自信とは言わないか。他信過剰じゃないの?」
つまりは盲信であるという指摘だ。そして、それはあながち間違いではない。
「過剰じゃないと思うけど、まぁそれでもいいよ。とにかく、俺はお前達に戦って欲しくないんだ」
ここは譲れないらしい。夕凪のかたくなな態度を見て、粋と瑞音は困惑した。
少年少女が顔を見合わせていると、男が一人、彼らに近付いてきた。
「まだ若いのに周囲へ気を掛けられる余裕があるとは、いやはや、なかなか立派な青年じゃないか。天馬の刃、キミは素晴らしい友人を持っているようだね」
「あ、本部長」
やや渋みが出てきた四〇代の男性だ。白髪交じりの短い髪をオールバックで決め、ビシッとスーツを着こなしている。
「キミの考えはよくわかる。私達としても、学生という身分の彼らを命の危険に晒している現状が良いことだとは思わない。無論、可能ならば誰も危ない目にはあって欲しくはないが。しかしだ、彼らが人類を守るために必要な、代替の利かない貴重な戦力であることも理解してくれないか」
「……そんなに重役なのか?」
「本部のツートップだ。戦闘員の数が足りない地方の支部にいくらか優秀な者を送っているとはいえ、それでも聖霊騎士団の五指には間違いなく収まるだろう。他の者ではなく、彼らが戦場に立ったことで救われた命が確かにある」
夕凪は口を閉ざした。
男が言ったことは単なる結果論に過ぎない。たまたま救うことができて、たまたま無事に切り抜けてきただけなのかもしれない。だが、たとえそうであっても結果として功績が現実にある以上、反論することはできない。
男は毅然とした表情で続ける。
「だが、キミが私達に協力してくれるのなら、彼らの負担は減らせるだろう」
「えっ?」
夕凪だけではなく、粋も一緒になって驚きの声を上げた。
「ん? 天馬の刃、キミもそのつもりで連れてきたんだろう?」
「いや……僕は情報を集めるだけのつもりで」
「しかし、彼は非常に強力な憑装者だと聞いたが? それが本当ならば勧誘しない手はないだろう」
「うん、まぁそうなんだけど……」
前線に知人を送り出したくないのは、何も夕凪に限った話ではない。粋も同じで、夕凪が戦場に赴くことは避けたいところなのだ。
戦力だけで言えば申し分ない。だが、この夕凪はいかんせん危なっかしい。先程も憑装していない状態で敵に突っ走っていったばかりだ。いくら強い霊素体を所持していようとも、素が隙だらけで弱ければ命を落とす可能性は充分にある。
「どうかね?」
夕凪は答えない。
「ふむ、さすがに慎重だな。キミにとっては、まだまだ私達の組織について知らないことも多いことだし、私達もキミに尋ねたいことが多くある。どうだろう、奥で少し話させてはくれないか」
夕凪、粋と本部長は人のいない会議室に入り、腰を落ち着けた。近未来的な部屋で、必要なもの以外は一切おかれていないという、お堅い部屋だ。円形に設けられた机は、三〇人が掛けられるほどの大きさだ。そこに夕凪と粋が隣同士で着き、本部長が正面に椅子をひとつ運んで座る。
瑞音は一人外れて本部で待機。先ほど本部長から直々に、本来の仕事に戻るようにとの命令が下った。残念そうに肩を落としたが、ちょうど親交の深い仲間が帰還したところで、笑顔を浮かべながら去って行った。
「久遠寺さんも、あたし達と一緒に戦ってくれたら嬉しいな」
二カッと爽やかに歯を見せ、一言そう残して。
「さて、そう言えば自己紹介がまだだったね。私は本部長の真藤満久、ここの責任者だ」
夕凪は隣の粋にこっそり話しかける。
「なんちゃら騎士団で一番エライ人?」
「微妙だね。たしかに聖霊騎士団の中では最高の立場にあるけど、騎士団の上に非戦闘の機関が一つあるから」
「へえ」
「そんなことより」
粋はわき腹を肘でつついた。
「久遠寺さんも名乗っておいた方がいいんじゃない?」
「あ、そうか」
そこで咳払いを一つ。
「久遠寺夕凪です。で、こっちがアグマ」
『どうも』
傷だらけの携帯についたストラップが揺らされる。
「えっと、えーと……よろしくおねがいします?」
「こちらこそ、よろしく。久遠寺くん」
引き籠った後、海外旅行生活に浸かっていた夕凪は目上の者との会話に慣れていない。態度もそうだが、敬語を上手く使いこなす自信がない。相手の空気にすっかり呑まれ、緊張で胃が痛くなるほどだ。
「挨拶も済んだところで、キミのことから先に伺っても良いだろうか」
「はぁ、どうぞ」
夕凪は首あたりを居心地が悪そうに撫でた。
「まずは、そう……立場をハッキリさせておこう。キミは我々の敵ではない、そういう認識で良いのかな? つまり、一般人や聖霊騎士団に危害を加えない、ということだが」
「そりゃもう、当然。そんな悪者に見えます?」
「いや、ただの確認だ。ところで戦闘にはかなり慣れているようだと、紫電の魔槍から事前報告を受けているが、なにか明確な目的があるのかね?」
事前報告は、連行中に瑞音がメールを飛ばしたものだ。
この問いに対して、夕凪はすばやく答える。
「人を探しているんです」
「ほう。差し支えがなければ、それが誰なのか教えてくれないか? 私達が知っている人物かもしれないし、調べることができるかもしれない」
「えっと、じゃあ一応は話してみますけど……相手の身元どころか名前すらも知らないんですよね。早い話、ほとんど何もわからないんですよ。生きているのか、そんなことすらも……」
溌剌としていた青年の目に影が落ちる。
「……どういう関係なのか、詳しく教えてもらえないだろうか」
少し迷って、夕凪はゆっくりと語り出した。
それは現在でも謎に包まれた事件の詳細でもあり、親しい間柄であった粋ですら初めて聞かされるものだ。
「彼女と出会ったのは八年前です。俺は当時十二歳で、母に連れられて双子の兄と一緒に父の忘れものを届けに行ったんですよ。父の仕事の見学も兼ねて、遊びに行くくらいの軽い気持ちで」
なにせ研究所だ。好奇心が強い思春期の少年達には、さぞ魅力的に映ったことだろう。
「当時の父の仕事場は千石研究所って言うんですけど、知ってますかね」
本部長は目を大きく見開く。
「八年前、千石研究所――まさかキミは、あの事件の生き残りなのか……?」
「そうなりますかね、一応」
かの惨劇は当時、報道規制をかける間もなく広まった。発生地である研究所では死者四六名に行方不明十二名、意識不明九名、重軽症者三名……後の調査ではそういうことらしい。
その中での生き残りが、目の前にいる。
「研究所内は色んな装置が並んでいて、俺と兄はなにが何だがサッパリだったけど、好奇心だけで施設を見回っていました。三〇分くらい経った頃ですかね、突然、警報が鳴り出したんですよ。それで俺達はパニックになりながら走り回って、それでも一応は無事に両親と合流できたんですけどね……」
いつもアホ面をしている夕凪でも、さすがに辛そうな顔をしている。
「出会っちゃったんですよ、竜の怪物に」
「それは憑装者か?」
「いや、霊素体の方です」
憑装者ではなく霊素体――おそらくは核を持った。言わずとも三人は同じ推論を立てているはずだ。霊素体が自然に核を持つことはあり得ない。憑装者でない以上、何者かが襲撃目的で放ったという線も薄い。おまけに舞台が研究所ときた。
つまり千石研究所では霊素体を研究していた。それも生者への干渉を可能とするための核を埋め込む実験まで行っていたということだ。
だが、あえて誰も口にはしない。その推測が正しいのならば亡き夕凪の父には、ある疑惑がかけられることになるからだ。霊素体に関する騒動の根源に与していたという、不名誉な疑惑が。
「それで逃げようとしたんですけど、父がどうしても無事に逃がさなくてはならない子がいるとか言いだしましてね」
「それが……」
「ええ、俺が探している女の子です。出口までの途中にある部屋に寄って、無表情で椅子に座っている彼女を連れ出したまでは良かったんですけど、ヤツの一歩が大きいせいか意外と移動が速くて追い付かれまして、俺たち家族や女の子を守るために父が無茶して、こう……ガブッと……」
あまり思い出したくない記憶を説明するというのは、結構な苦行だ。ところどころ省略してさえ、精神への負担は激しい。それは額に浮かんだ脂汗を見ても伝わる。
「次に母がやられて、兄も俺を助けるために――ね。そんな犠牲もあって俺はどうにか女の子を連れて一度は窮地から逃げられたんですけど、出入口が閉まっていて、もう袋のねずみってヤツだったわけで。最後は俺が囮になって女の子を逃がして――彼女とはそんな関係です」
聖霊騎士団の二人は、しばらく黙っていた。
「あんまり詳しい説明じゃなくて申し訳ないけど、言いたくないこともあるし、覚えていないとか知らないことも多いんですよね」
「待ってくれ。キミは囮になったあと、どうやって助かったんだ?」
携帯のストラップがブンブン振り回される。
「助かったというか……まあ、ここに俺がいられるのは、コレのお陰です」
『コレとは随分な言い草じゃないか、夕凪』
「おっと悪い。……いやでも、俺とお前の仲なんだし、細かいことは気にするなよ」
夕凪はクスッと笑った。
「たしかアグマと言ったか。彼は何者なんだ?」
「コイツの言うことを信じるなら、神様ってとこかな。と言っても全知全能じゃなくて、この世界を創り出した存在ってだけなんですけど」
「世界を創った神だと?」
真藤は眉間にしわを寄せて、神秘の輝きを放つ霊珠を見つめる。信じられないのも無理はない、というよりそれが普通だ。
「……天馬の刃、キミは実際に彼の力を目にしたそうだが、どう思う」
「さあね。たしかに普通の霊素体とは別格の超常的な能力を持っていたけど、世界を創るなんて大規模なことは難しいんじゃないかと思うよ」
稀に、憑装者には魔法のような力を扱える者がいる。紫電の魔槍――立上瑞音も二つ名が表すとおり、その一人である。アグマは明らかに彼ら以上の力ではあったが、神様と呼べるほどのものとは思えない。
『当然さ、世界の創造ってのはかなりの重労働だからね。二つ目を創る余力はないし、そんな気力もないよ。今の僕は全盛期と比べれば塵にも等しい、色々とね』
辻褄が合っていないわけじゃない。そういう事もあり得るだろう。しかしこれで納得できないのも事実。
「神様ねぇ……んじゃ単純な疑問なんだけど、その神様を生んだのは一体なんなのさ。始まりを辿ればどこに行きつくのか気になるし、納得のいく答えをもらえれば信じなくもないよ」
『知らないな。キミ達が僕を認識していなかったように、僕も自分より上位の存在に関しては知り得ない』
これも一応、筋は通っているだろうか。
「ふむ。信じるには根拠が足りないが……」
真剣に話し合っている騎士団組とアグマの間に、夕凪が割って入る。
「ままま、真偽はどうでもいいでしょう。アグマの言うことが本当でも所詮はこの世界を創ったってだけ。事実はどうあれ、自分で言っていたように今のコイツにそんな力はない。ちょっと特殊で強くてナイスガイな霊素体とでも思ってくれればいいんですよ」
「う、うむ……」
アホのまとめに押され、真藤が納得しかける。
「ちょっと待ってよ本部長。なんで世界を創ったか、とか現在の目的は、とか聞いておくことがあるでしょ。他にも霊素に関しての知識とかを吐かせれば今後の研究にも役立つし」
「吐かせるってお前……まぁいいや。アグマ、答えてやれよ」
『物事はいつだってシンプルなものさ。この世界を創ったことに大仰な意味なんてないし、夕凪と共にいるのもそれと同じ。霊素だって僕にとっては使うためだけのもので、研究をしていない分、きっとキミ達よりも無知だ』
夕凪は呆れ顔をする。
「答えになってないって」
『そんなことはない。複雑なものも単純が折り重なってできているのさ』
適当というか、この二人には似た部分がある。ペットは飼い主に似る、あるいは類は友を呼ぶ。どちらにしても、霊素体と所有者は似た者同士ということだ。
『まあ僕を信頼できないなら、それで構わないよ。だからどうなるというわけでもない』
「――だそうです。信頼してもらえるなら、今度はなんちゃら騎士団について話してもらおうかな」
本部長は困った風に口を開く。
「すまないが、少し時間をくれないか」
夕凪とアグマを会議室に残し、真藤と粋は退室した。真藤はスーツを着た女性にお茶を淹れさせ、受け取ってから夕凪の所にも運ばせる。それから壁に寄りかかり茶を一口、喉に通してから長い息を吐く。
「ふーっ。神……か。天馬の刃、キミも随分と大きな拾いものをしてきたな」
粋は別に淹れてもらったインスタントコーヒーを飲みながら答える。
「自称だけどね。でも、あの力を見るとまるっきりのホラ話とも思えないから、不思議なもんだよ」
神の力とは思えない。だが、力を失った神ということならば、粋の中では合点がいく。他の霊素体を圧倒する光の柱には、口では言い得ない神聖な感じがあった。
「さて、どうしたものか。久遠寺くんにしても、なんかこう……能ある鷹が爪を隠している感があるからな」
「いや、ないよ。アレはあの通り、ただのアホだから」
粋の明るい顔を真藤はじっと見つめる。こんなに年相応の幼い表情を見せたことが今までに何度あっただろう。
「信頼しているのか、彼を」
「ん……まあ」
「そうか」
フッと笑みを浮かべ、真藤は大きく頷いた。
「よし、キミがそう言うのなら私も彼を信頼しよう」
「ちょっと、そんな簡単に決めていいの?」
真藤は聖霊騎士団の責任者だ。謀反や情報漏洩が起きないよう、人選には最大の注意を払わなければならない。ここの責任者は団員の命も背負っているのだから。
「アグマくんも言っていただろう。物事はいつだってシンプルなものだ。私が信頼するキミが慕っている人物だ、疑う余地など本来はない」
それに、と真藤は付け加える。
「久遠寺夕凪――彼ほどまっすぐで綺麗な瞳をした人間は、そういない。聖霊騎士団でも紫電の魔槍くらいのものだよ」
「ああ、うん。僕なんかは濁ってるからね」
粋の言葉は自虐だが、皮肉ではない。立上瑞音の瞳は神秘的に綺麗で、見る者を引きつける魅力を持っている。片目が眼帯で見えないことが、周囲の人間にとっては残念でならない。
「呼んだ?」
待機中の瑞音がひょっこりと現れた。すかさず粋が返答する。
「いや、呼んでないけど」
「すこし話していただけだ、キミや久遠寺くんの瞳について」
「ああー、久遠寺さんの眼って綺麗だよね。本部長は知らないかもしれないけど、憑装すると眼が銀色に光って、また違った美しさがあるんだよ」
「ほう」
夕凪の眼が憑装によって変わるのは、アグマの強い支配に影響されたものだ。粋もアトエの比を高めれば翼が生えるように、霊素体が強ければ体に変化をもたらす。
「それより、久遠寺さんはあたし達の仲間になってくれるの?」
「まだ話の途中だ。これから聖霊騎士団のことを説明し、理解を得られれば共に戦ってくれるだろう」
「失礼いたします」
夕凪が近未来的な会議室を好奇の目で見渡していると、若いスーツの女性がトレイにお茶と菓子を乗せて会議室に入ってきた。
「こちらをどうぞ」
「ああ、わざわざすみません。いただきます」
夕凪の目の前に置かれたのは、湯気が踊る緑茶と醤油せんべいだ。コーヒーよりも苦味が少ない緑茶は夕凪にとって飲みやすい。
勿論なんの遠慮もなく手をつけた。
「……あの」
パリパリ食っている夕凪に、女性は控えめに話しかけた。
「はい?」
ズズズと図々しくお茶も飲みこむ。
「先日はどうもありがとうございました」
「は?」
急に頭を下げられ、夕凪は困惑する。礼を言われるようなことをした覚えはない。
「申し遅れました、私は聖霊騎士団戦闘部の沢峰弘恵と申します」
「えっ? あ、はぁ……久遠寺夕凪です。どうも」
「あの、先日あなたに助けていただいたと思うのですが……」
夕凪は女性を注視して首を傾げる。
「えっと――昨夜、竜のユニオン型を倒してくださいましたよね? その時にランスを持っていた方が私なんですけど」
「ああっ! え、うそっ、本当に?」
昨夜はサングラスをかけていた上にお堅い真っ黒なスーツで、化粧も濃かった。しかし今日の彼女はグレーのお洒落なスーツで、化粧も薄くサングラスもない。怖い方向だった風貌が爽やかなOLへと脅威の変化を遂げていたのだ。
「全然わからなかった。昨日とかSPみたいだったけど、うん、今日みたいな方が絶対かわいいですよ」
「戦闘任務の時は士気に影響しますし、エース格と違って一般戦闘員は顔を覚えられると奇襲に対応できませんので。今日は事務仕事なのでこのような格好ですけど」
「ふーん、なんだかもったいないですね」
「いえ、そんな。ありがとうございます」
沢峰は赤らめた顔を下げる。
「あ、ちなみに俺に礼を言うのは間違ってるよ。手柄は全部こっちのアグマって奴ね」
『だからさっきも言っただろう。手柄は半々さ』
机上に置かれた携帯のストラップにも、沢峰は頭を下げた。
「あなた方が聖霊騎士団に入ってくだされば心強いです」
「そっか。でも所属するっていうのは難しいな。もうお気づきかもしれないけど、俺って堅苦しいの苦手なんですよね」
「そうですか。けれどあなた程の力があれば、そういったことに縛られない特別待遇にしてもらえると思いますよ。本部長にもその旨を伝えておきます」
「そりゃありがたい話だ。よろしくお願いします」
沢峰は一礼を残して去って行った。
再び夕凪と粋、真藤の三人が会議室で顔を合わせた。その時にはもう、せんべいとお茶は夕凪の腹の中に消えていた。
「さて、久遠寺くん。我が聖霊騎士団について説明するよ。まずは主な業務内容だが、基本的には人間を守るために悪意ある憑装者と戦うことだ。そのために敵対勢力の情報収集、霊素体や霊珠の研究、開発も行っている」
夕凪の顔が青ざめる。
「情報収集と研究開発……? 俺ちょっとそっちの方は……」
「誰も期待してねーよ」
ほっと胸を撫で下ろす。
「キミに頼むとすれば戦闘が主になるから、他の細かい仕事については大雑把な内容を把握しておいてくれればいい。あとは戦闘を円滑に行うためのオペレーション部や、事務仕事なんかもある。表の会社を動かす、騎士団とはあまり関係のない人員もいるな」
「へーえ、色んな人の頑張りで成り立っているんだな」
聖霊騎士団は全国各地にある。本部だけではなく、支部もあって初めて正常に機能する。それらの人員の総数ともなれば、相当なものだ。その数多の人が同じ志を持って人類を守護するために奮闘している。
夕凪の目に熱いものが込み上げる。
「すごくいい話じゃないですか。……だというのに、まったくもう。霊素体を使って暴れ回っているバカ共は何なんですかね」
「彼らは鬼羅という名の組織らしい。以前は世界を股にかけて活動していたようだが、最近は日本国内での動きが活発化している」
「そうみたいですね」
彼らの動きについては夕凪も把握している。海外を飛び回っていた憑装者の夕凪だ、彼らの変化を知っていても不思議はない。
「どうも奴らは何かを探しているようだ。そして奴らは日本に的を絞ってきた。つまり――」
「なるほど……」
夕凪は大きく頷き、
「つまり、そいつらは一か所ずつに総力をつぎ込んで、地道に探していく手法に切り替えたわけか」
などと言いだした。その可能性もあるため、真藤や粋は強くつっこめない。
「え、いや……たぶん違う」
真藤は弱々しく否定した。
「そうなの?」
「多分だけど、日本に奴らの探し物がある。もしくは、奴らはそう思っているって可能性が高いわけ。まあ久遠寺さんが言ったことも思いっきり的外れではないけど、さすがに効率が悪過ぎるよ」
ある程度の目星がついていなければ、世界中をしらみつぶしに探して回るなど無謀もいいところだ。
真藤は話を続ける。
「奴らが何を探しているのか、それを見つけて何をするつもりなのかはわかっていない。しかし実際に鬼羅の憑装者が一般人にも危害を加えている以上、たとえ高尚な目的があったとしても、見過ごすわけにはいかない。無論、悪しき目的ならば、我らはそれを阻止しなければならない」
「要するに、聖霊騎士団は鬼羅に対抗するために立ち上げられた組織なんだよ」
粋がそう締めくくる。
「私達から語れることは現状これだけだ。私としては是非キミとアグマ君に協力を願いたいのだが、どうだろう。力を貸してはくれないだろうか」
真藤は真剣な顔で頼んだ後、ふっと口を緩める。
「そうそう、沢峰くんから話は聞いている。騎士団の正式な一員としてではなく、協力者ということで構わない。勤務時間はキミの都合に合わせ、時給換算の報酬――アルバイトのような感じでどうかね」
「うーん、悪くはないんですけど……」
まだ納得しきれないことがあるらしく、夕凪の眉が寄る。
「それと、そのぎこちない敬語は止めてくれても構わない。天馬の刃も紫電の魔槍も私に敬語など使わないからね、慣れたものだよ。もっとも主戦力としての威厳を保つ意味で、それが役立ってもいるのだがね」
「あっ、そりゃ助かる。けど――いいのかな、そんな特別扱いをしてもらっても。なんか周りの雰囲気とか悪くなったり……」
個人への特別待遇は、ときに嫉妬心を煽り、組織力に影響を与えることもある。だからこそ命のかかった組織ほど厳しい規律があるものだ、普通は。
「そこらは気にしないでいいよ。ここのみんなは、そういうのに寛容だから」
実際、粋もエースとして優遇されている。学生という身分で融通してもらっている部分もある。しかしそのことが人間関係の悪化に繋がったことはない。粋の言う通り寛容だということもあるが、明確な敵が外部にいるという背景も大きな要因だろう。
「というわけだ。どうかな、久遠寺くん」
「僕個人としては危ないから断って欲しいんだけど、組織の一人としては、やっぱり久遠寺さんには協力して欲しい――かもしれない」
夕凪は照れくさそうに頭を掻いた。
「粋にそこまで言われたらな……いいよ。俺達が戦うことで助けられる命があるのなら、やるしかないだろ。なっ、アグマ」
『誰かと組むのは合理的だ。僕も一人で戦うよりは楽をできそうだし、君の探し人を見つけるにも情報網が広くなっていいだろう。異論はない』
真藤は安堵する。聖霊騎士団に心強い味方ができた。
「さて、面倒な契約はできるだけ省くが、一応、上の方に連絡を入れなければならない。書類を持ってくるから、サインを一筆もらえるだろうか」
真藤が椅子から腰を浮かす。だが、それよりも速く夕凪が弾けるように立ち上がった。
「その前に、初仕事といきますか」
遅れて会議室に警報が鳴り響く。その頃にはもう、夕凪は部屋から飛び出していた。
「奴らが現れたのか! 天馬の刃、彼を追うんだ!」
「わかってるよ」
続いて粋も飛び出す。
やがて警報が鳴り止み、会議室には真藤と静寂が取り残された。
「久遠寺夕凪……」
小さな声が静かな空間に吸い込まれていく。
「アラート前に敵の存在を察知した。それも憑装していない時に。特別なのは、果たして霊素体だけなのだろうか……」
思考に耽ろうとしたところで、現状を思い出す。
「おっと、私も自分の仕事をしなくては」