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第三章 アグマ ―神の力―

 放課後、粋と瑞音は下校を共にしていた。怪物が蔓延っているとは思えない平穏な住宅街を歩いている。

 まだ日はあり、暑い。瑞音の額には汗が浮いているが、粋は涼しげな顔をしている。暑さに強いらしい。

「へへーっ」

「どったの、嬉しそうな顔して」

「だってサイバー型をタダでもらえたんだよ?」

 瑞音は霊珠を取り付けた付属の指輪をウットリと眺めている。

「そんなもん石器より使えないでしょ」

「なっ、なんてこと言うんだよっ!」

「……ほら、これ」

 粋は自分の霊珠を瑞音に見せつける。「あっ」という小さい声が上がった。銀の珠にはヒビが入っていたのだ。

「次に使おうとしたら間違いなく壊れる。瑞音が気づかないなら、そっちのはまだヒビとか無いんだろうけど、もう次あたりから予告なく壊れる可能性があるよ。僕達が使うには、このサイバー型は弱すぎる」

「そっ、そんなぁ」

「まぁ綺麗なうちに部屋にでも飾っておけば?」

「……そうする」

 笑顔から一転、すっかり瑞音はしょげてしまった。傷つけるつもりはなかったが、予想以上に元気がなくなってしまい、粋は少しだけ罪悪感を覚えた。

「そんなにサイバー型が欲しいなら、技術担当にでも頼んでみる?」

「……いい。遊びでやってるんじゃないから、役に立たないことは頼めないよ」

 正論だ。

「しかしユニオン型を使えるのにサイバー型を欲しがるなんて、変わってんね」

「だって見た目が戦士みたいだし、機械とかカッコよくない?」

「それ少年の思考だからね」

「違うよ、みんな一度は憧れるはずでしょ? なんだよ、自分だって笹巻さんから借りたって言ってたくせに、人を変わり者よばわりして」

 瑞音は頬を膨らませる。

「べつに好きで借りたわけじゃないし」

「あーっ、そうやって言い訳するーっ」

「言い訳じゃないって。霊珠を家に忘れて登校して、帰りに偶然ヤツらに遭遇したの。そんでたまたま近くに住んでいた笹巻さんの家の窓を叩き割って侵入、夜勤に備えてもの凄い爆睡をきめこんでいる間に借りたってわけ」

「……霊珠を忘れるなんて、自覚が足りないんじゃない?」

「今は反省して持ち歩いてるよ」

「窓を叩き割って盗むなんて……」

「次からは扉をぶち破って書き置きを残すよ。修理代は払わないけど」

 そんな会話を続けて辿り着いた、とある十字路。視力が良い粋は、対角線のスーパーにのほほん面で入っていく青年を見た。

「僕はここで」

「粋、今日も仕事だよ。本部には行かないの?」

「後で行くよ。ちょっと知り合いを見かけたから、声をかけようと思ってさ」

「さっきの平和そうな顔した人?」

 瑞音の方も眼帯で片目しか利かないとはいえ、視力は人並み外れて良い。表情までバッチリ捉えていた。

「そう」

「一人で先に行っても暇だから、待っててもいい?」

 粋も瑞音も昼間は学校があるため、仕事は夜が多い。今から職場に行っても仲がいい連中とは会えないだろう。

「んー……だったら一緒に行く?」

「えっ、いいの?」

「いいんじゃない?」

 というわけで、二人は青年を追ってスーパーに入った。

 店内には軽快な音楽と冷風が流れており、汗で濡れた肌には心地いいを通り越して寒さすら感じさせる。

 目標の人物は入口付近の果物コーナーで、すぐに見つかった。整った顔をしまりのない表情で崩し、試食を摘まみ回っている男がそれだ。

「久遠寺さん……」

 粋の目頭が熱くなった。

「おお、粋か。どうした?」

「……金、持ってないの?」

 一口分にカットされたオレンジを見つめながらの言葉に、夕凪は意味を悟る。

「バッ、違う違う。これは純粋な試食だ。むしろ金を持っていて買う意志のある試食だ!」

 夕凪は粋の目先でサイフ持ってますアピールを必死で行う。

「ところで粋、そちらは?」

「ああ、うん」

 粋の陰から瑞音がひょっこりと顔を出す――といっても粋の低身長では隠れてなどいなかったが。

「粋のクラスメイトで、立上瑞音です。よろしくお願いします」

「これはご丁寧にどうも。俺は久遠寺夕凪、よろしく。えっと……」

「好きに呼んでくださって構いませんよ」

「そっか。よろしく瑞音ちゃん」

 どこか抜けてはいるが、夕凪は爽やかな好青年だ。この微笑みは瑞音に良い印象を与えただろう。

「しっかし久々に帰ってくると時代の流れを感じるなぁ」

「ほう、例えばどのへんで?」

「だって、あの粋が彼女とデートをしているんだからな」

 夕凪は今朝、喫茶店で踏みつけられたところを再度、ピンポイントで踏み抜かれた。あやうく出かけた悲鳴を必死で飲みこむ。

「粋お前っ、痛いじゃないか!」

「ふざけたこと抜かすからだよ。彼女じゃないしデートでもないっての」

「おいおい、照れるのはいいけど、彼女の目の前でその発言は良くないぞ」

 悪意が無ければ良い人とは限らない。この思い込みが激しい夕凪を見て、

 ――コイツめんどくせぇ。

 粋と瑞音は素直にそう思った。

「まぁ、誤解はそのうち解ける……かもしれないかな?」

「そだね」

 一人で盛り上がっている夕凪を傍目に、二人は半ば諦めた。

「で、粋。俺は買い物があるんだけど、続けていいかな。なんせ帰ってきたばかりだから家に何もなくてさ、買わなきゃいけないものが多いんだ」

「ふーん。僕、夜まで予定ないから、よければ荷物を運ぶの手伝おうか?」

「いいのか?」

「あたしも手伝います、暇ですから」

 三人は雑談しながらスーパーを回る。話題は幼い頃いっしょに遊んだ話や、ついこの間まであちこち旅していた海外の土産話などが主だった。二人は昔話に花を咲かせ、瑞音が楽しそうに聞き手に回っている。

 友人であり戦友でもある粋の過去は、彼女も興味があるらしい。

 一〇年前に久遠寺兄弟と粋が公園で出会ったことや、八年前に両親と兄を亡くした夕凪が引き籠った経緯も明るく話し、四年前から残された莫大な財産を使って海外を回っていたことなども明らかにされた。

 財産は、そこそこ裕福だった両親の遺産に加えて保険金などが加わり、それなりに遊んで一生を過ごしても余るほどだ。幸い親族も余裕のある家庭で遺産に群がることはせず、一人で気ままに暮らしたいという夕凪の意志を尊重して書類だけの保護者となった。

 家族が生きていたならそれ以上の幸せはない。しかし失ってしまったのなら、例え元に及ばずとも別の幸せを探さなければもったいない。

 語り口調の端々から、そんな決意じみたものを感じる。

「――てわけで、二人も海外に行く時は気をつけた方がいいよ。言葉が通じない国でサイフを忘れたら大変なことになるからな」

「どんだけリラックスしてれば四年で十五回も忘れるのさ」

「あ、あはは……無事で良かったですね」

 言われるまでもない、何の役にも立たないアドバイスで海外の話は締められた。その頃にはカートの上下の籠に零れそうな山ができあがっていた。主に日用品とお菓子で。

「おっ、これ美味しそう」

 ヒョイっと醤油せんべいの袋を追加。

「なんだか体に悪そうな生活が透けて見えるんだけど」

「そうかな。いや、仮にそうだとしても、心には良いと思うよ」

「あっそ。まぁ、せめて野菜ジュースくらいは飲んでおきなよ」

 粋の腕には、いつの間にかペットボトルが抱えられていた。

「お前、なんだかんだで優しいよな」

「うっさい。買うもん詰めて、さっさとレジ行くよ」


 大量の袋を引っ提げて、三人は歩道を歩く。瑞音と、カバンの他に長物を持った粋は一つずつで、夕凪は左右を合わせて三つ。もう一つ持とうという粋の申し出を断り、瑞音には最も軽い袋を持たせている。

 会話混じりの買い物をしている間に、日はずいぶんと傾いた。空は、哀愁を誘うような茜色をしている。三つ並んだ影が長く伸びている。

「買い物って重くて大変だよな。しばらくは日本にいるし、車でも買おうかな」

「免許もってんの?」

 八年前に引き篭もり、四年前から海外を放浪していた二〇歳の人間が、そんなものを持っているはずはない。

「……免許も買わないとな」

「売ってねーよ」

 普段が普段だけに、初対面の瑞音には夕凪の言葉一つ一つがボケなのか真面目なのかわかりにくい。その点しばらく会っていなかったとはいえ、粋はさすがだ。車の件は素で免許はボケだと見切り、そこだけツッコミ口調で訂正した。

「あ、俺の家ここなんだ」

「そうなんですか。本当に粋の家と近いんですね」

 現在の久遠寺家はかつての美しさなど見る影もない、荒れ放題の庭と汚れた邸宅である。粋の家は肉眼で屋根が確認できるほどに近い。

「さっき買ったお菓子をご馳走するからさ、上がっていけよ」

「時間は……どうでもいいか」

「もう、適当なんだから。でも――うん、少しなら大丈夫そうだね」

「粋には今朝の金も返さないとな」

 感情が読みにくい粋にしては珍しく、しまった、という顔をした。この一連の流れを瑞音は見逃さない。

「久遠寺さん、今朝って何のことですか?」

「たまたま喫茶店で会ってさ、サイフを忘れた俺の代わりに支払ってくれたんだよ」

 純白な笑顔の夕凪の横で、瑞音の笑顔がどんどんドス黒くなっていく。

「今日は寝坊したんじゃなかったのかな、志桜くん?」

「寝坊はした、だけど寄り道もした。それでいいじゃない」

「あのねぇ……学校、行きたいから行ってるんだよね?」

「そしてサボりたいからサボってる。それも醍醐味。なにか問題でも?」

 夕凪の前ということもあり、瑞音は込み上げる衝動を抑える。動きかけた手はブルブルと震えたまま、行き場をなくして困っている。

「なんかよくわかんないけど、荷物を持ったままじゃ重いだろ? 話は中に入ってからにしようぜ。なっ?」

 袋を地面に置き、夕凪はカギを取り出した。弾みでポケットから携帯電話のストラップも表に出る。瑞音の左目は素早くそれを追った。

「粋、あれって……もしかして霊珠なんじゃない?」

 瑞音が声を潜めて問う。

「あ、やっぱり瑞音もそう思う? 普通の霊珠とは似ているようで明らかに違う輝きだけど、疑う余地はあるよね」

「もしも私達が知らない霊珠だったら――」

「まだ判断はできないけど、敵の可能性もあるってこと」

「そっか。ただサボってたわけじゃないんだね」

「…………まぁ、うん、それで」

 扉の開く音が聞こえた。

「どうしたんだ、二人とも。そんなに見つめられると照れるじゃないか」

「――こんなのが敵には思えないけどね」

 招かれるまま扉を潜ろうとして、粋はピタッと足を止めた。

「粋?」

 扉を押さえたまま夕凪は困惑する。見ると、二人は耳に手を当てて身を固めていた。

「ごめん。ちょっと用事ができたっぽい」

「すみません、失礼します!」

 二人は電光石火の勢いで荷物を玄関に置き、走り去る。

「えっ、ちょっ――お菓子は食べないのか?」

「また今度っ」

 開け放たれた扉から、無情にも風ばかりが久遠寺邸に吹き入る。風を招き入れる姿はシュールで、せつなさを誘った。

「一緒に食べようと思って、せっかく多めに買ったのにな……」

 寂しそうに呟くと、どこからか声が返ってくる。

『嫌がってたわけじゃなし、用事があるなら仕方ない』

「そうなんだけど……まあ、近くにアレが出たみたいだし丁度いいか」

『そのようで。行くのかい?』

「当然」


 風を切って先頭を走る粋は、長物を握る手に力を込めた。後ろには瑞音が続いている。耳に入れたイヤホンからは、二人を誘導する声。

「で、敵はどの辺?」

『そちらから南西へ五〇〇メートルほど、青葉児童公園の近くです』

「りょーかい」

 何の因果か、粋は苦笑いする。夕凪と再会した日に、粋と久遠寺兄弟が初めて出会った場所で敵が出たらしい。あの頃は純粋な少年だったと、少しだけ過去を振り返った。

 今では、すっかり変わってしまったものだ。

 紐を解いて出した日本刀には、鞘の部分に霊珠が収められている。神秘的な白の輝きは真珠のようで、サイバー型とも違い、夕凪のストラップとも違う。

「憑装」

 粋は刀を鞘ごと腰に収めながら霊珠に念じる。

 霊珠と体が光り、重力から解き放たれたみたいに体が軽くなる。ただの一蹴りで、空を飛ぶような感覚。五〇〇メートルなどあっという間だった。

 ふわっと目的地に降り立つと、目の前には異形の人間が立っていた。

「来タカ、天馬ノ刃」

 片言と肉体の変化――霊素体からの支配が強いものの、反応からして意外と自我は残っている。霊素の支配率は三:七程度だろう。

 取るに足らない相手だ。自我が邪魔をしてくれる。

「僕が狙い?」

「ソウ、オマエハ我ラニトッテ障害ダ」

 空からもう一人が飛来する。粋とは違った力強い着地だ。

「あたしも居るんだけど?」

「オマエモ、マトメテ消シテヤル」

「あたし達を相手に、二対一で勝てると思ってるの?」

 相手はパッと見る限り、よくある竜のユニオン型だ。特別に強そうな個体にも見えず、これまで一人で倒してきた相手と何ら変わりない。対してこちらは二人、それもサイバー型を与えられないエース格のタッグ。現状、負ける要素が見当たらない。

 瑞音は周りに注意を呼び掛ける。

「みなさん、これより戦闘に入ります。危険ですので速やかに避難してください!」

 だが、知らぬ間に集まっていた野次馬はニヤつくだけでその場から動かなかった。

 それどころか、

「憑装!」

 十二人の群衆が一斉に光を放ち、その肉体を変化させる。

「オマエ達ハ強イ。ソレナリノ備エガ無クテハナ」

「コレデモ余裕デイラレルカ?」

 普通、怪物を見た一般人は逃げるもので、集まってくるはずがない。囲まれる前に気づくべきで、すぐに察するくらいの頭脳は二人とも持ち合わせている。それでもまんまと罠に嵌ってしまったのは慢心ゆえか、あるいは強力なパートナーへの信頼ゆえか。

 どちらにしろ、冷や汗が滲む程度には動揺させられた。

 粋と瑞音は素早く背を合わせる。

「瑞音、面倒だけど一体ずつ狙っていくよ」

「オッケー」

 複数の憑装者を相手にする場合、一人ずつ仕留めていくのが定石だ。再発現――つまり憑装者という器を壊された後に再び発現する霊素体を警戒しているのだ。理性を失った凶暴な竜が一度に何頭も現れては堪ったものではない。

「……そういえば」

 相手は見物人を装っていた十二人と最初の一人で計十三人。これほど多くのユニオン型を相手にしたことは一度もない。それでも瑞音は笑みを絶やさない。

「一緒に戦うのは初めてだね」

「僕に至っては瑞音の戦いを見るのも初めてだよ」

 そもそも粋は瑞音が何の霊素体を使うのかも知らない。

「期待は裏切らないよ、天馬の刃。だけど見惚れないでね」

「はいはい。ま、信頼してるよ、紫電の魔槍さん」

「もう、その可愛くない呼び方やめてよね」

 瑞音は頬を膨らませる。強さを示して味方に安心感を与えるためか、エース格にはそれぞれに合った二つ名が与えられる。ところが瑞音は、自分に付けられた「紫電の魔槍」という名前が気に入らないらしい。

「……さぁ、始めようか」

 粋は腰を落とし、刀の柄に手を掛ける。学生の身ながら発する達人の風格は、背後の瑞音でさえ威圧を感じるほどだ。

 こうして熾烈な戦いは始まる――はずだった。

「粋っ、瑞音ちゃんっ! 安心しろ、今助ける!」

 ……妙な闖入者がいなければ。

 憑装者の間を恐れもせずに駆け抜けた青年は、呆気にとられた粋から日本刀をもぎ取って敵の軍勢に単身で突っ込む。

「うおおおおおおっ」

 などという陳腐な叫びを上げて、

「そりゃっ、そりゃーっ!」

 メチャクチャな刃筋で斬りかかる……いや、殴打するといった方が正確だ。せっかくの名刀も使い手がこれでは、なまくら同然。硬い鱗を持つ竜の憑装者には、何のダメージも与えられない。

「ナンダ、貴様ハ」

 涼しい顔で攻撃を浴びながら、憑装者が問う。

「俺の名前は久遠寺夕凪。この俺が来たからには、粋と瑞音ちゃんは傷つけさせない!」

 輝かしい顔で刀を振り続ける夕凪を見て、粋は深い溜息を吐いた。ついでに文句も吐き出される。

「なんで今、来ちゃうかな……ていうか僕の刀、あれじゃ切れ味が……」

「言ってる場合? 久遠寺さんが危ないよ!」

 敵も呆れ気味に腕を軽く振る。

「うおわっ!」

 その一撃で、夕凪は十メートルも叩き飛ばされた。

「次ハ殺スゾ」

「……ぐっ、二人とも、今のうちに逃げるんだ!」

 アスファルトを転がってなお、夕凪は二人の身を最優先で案じていた。

「どうするの粋? この数を相手に久遠寺さんを守りながら戦う余裕はないし――」

 正体を明かすような戦いも避けたい。

 夕凪の命か任務、どちらを選ぶか。考える暇などなく、その必要もなかった。

「アトエーーーーーーーーッ!」

 再び立ち向かう夕凪を見て、粋は叫ぶ。呼応するように、粋の身体が輝きを放った。

 その小さな背中から制服を突き破って具現化するのは、眩いばかりに光り輝く純白の翼。片翼一メートルはあり、小柄な粋にはかなり巨大なものだ。

 粋と憑装したペガサスの霊素体、アトエの力だ。

 霊素体を完全に支配できながら、その一部をあえて解放する。そうすることで霊素体の力をより強く、自由に使うことが可能となるのだ。

 ただし、それは誰にでもできるような簡単なことではない。霊素体が反発すれば抵抗となるため、使役の関係ではなく、共に戦う相棒のような間柄でなければならない。しかも気を抜けば支配の比率が崩れ、霊素体に意識を飲まれてしまうというリスクまである。

 この状態における使役の比率は七:三から六:四あたり。抵抗をなくすために、霊素体がどこまで無心でいられるか、それも重要なファクターだ。

「これが粋とアトエの――」

 ここまで見事に霊素体と共闘できるのは、彼らの組織でも珍しい。粋と同等に扱われる瑞音ですら目を奪われるほど貴重な光景だ。

 天馬の刃は閃光のように飛び立ち、神秘的な光を引いて宙を舞う。そして刀を持って走る夕凪と、敵の憑装者の前に降り立った。

「そこまでだよ、久遠寺さん」

「……粋、お前、その姿は……?」

「一般人はコイツらに関わるべきじゃない。刀、返してくれる?」

 粋は手を伸ばす。

「背中ヲ見セルトハ余裕ダナ、天馬ノ刃ッ!」

 背後から突然の強襲。だが――、

「そんなんじゃ遅いよ」

 敵の攻撃よりも、夕凪から刀を奪って振り向き、斬りつけた粋の方が遥かに速かった。

 腹部で真っ二つに斬り分けられ、脳から染み出る竜の霊素体。サイズは竜としては小ぶりな方で、およそ五メートル。

 再発現した直後、その竜を紫色の閃光が貫いた。

「我ながらナイスアシスト、かな」

「……何の霊素体と憑装すれば雷の槍なんて撃てるんだか。電気ウナギでも使ってんの?」

「内緒だよ。でもウナギは可愛くないから、そう思われるのはちょっと嫌だな」

 悶える竜を粋が滅多斬り……崩れ落ちる巨体は光の粒となり、天に昇って消えていく。

 いつも以上に華麗で無駄のない戦い。二人の息はぴったりと合っている。

 二対十三という図だが、彼らにとっては二対一を十三回繰り返すだけだ。むしろ普段よりも戦いやすい。

「というわけで、久遠寺さん、逃げるのはそっちの方」

「え、いや……でも」

「でもじゃないって。それとも……」

 仲間があまりにも容易くやられたことで怯む敵軍の中、一人だけが果敢に飛び出して粋に狙いを定める。

 粋は飛んでくる爪に対し、体を捻ってかわし、その勢いで回し蹴りを首に当てた。天馬の力を合わせた強靭な脚力の一撃は、憑装者が相手でも威力に不足がない。仕留めるとまではいかないまでも、悶絶必死の衝撃は与えた。

 この攻防の後に粋が目を向けたのは、倒した相手でも他の敵でもない、呆然と立ち尽くす夕凪だった。細かく言えば、ズボンのポケットからはみ出したストラップだが。

「それとも久遠寺さん、戦えんの?」

「俺は……」

 珍しく夕凪は答えに詰まる。そこを粋は更に押す。

「どうなの?」

「今の俺には……無理だ」

「……そう。だったら――」

「でもな」

 ポケットから取り出された携帯のストラップが揺れる。神々しい白金の輝きを放つ霊珠らしき球だ。そこから声が聞こえてくる。

『夕凪、その子達なら放っておいても大丈夫だよ』

「そんなのは関係ない。俺には何もできないけど、『この手』で皆を守るって決めたんだ。もう目の前で大切なものが傷つくのは見たくないんだよ。だから――頼むアグマ、俺に力を貸してくれ!」

『君らしいな。まぁいいさ、この程度なら何の苦労にもならないし、なにより君には大きな借りがある』

 風が渦を巻き、夕凪を取り巻く空気が揺れる。粋も、瑞音も、竜の憑装者たちも、その場にいる全員が動きを止めて見入っている。

 見ているだけで胸の奥がざわつく。存在を足元から揺さぶられるような、不安を煽る奇妙な感覚が一同を襲う。

「――憑装」

 神聖な光が夕凪を包む。身体の形は変わらない。しかし感じ取られる気配、雰囲気は一転して、まるで別人のものとなっていた。

 霊珠の色が淡い茜色へと変化し、纏っていた光が収束する。煌々とした輝きは、瞳孔のない銀の眼にだけ残されていた。

「さぁ、二人とも、ここからは大人の時間だ。少し離れていてくれないか」

 聞こえてきたのは、夕凪とは別の凛とした声。

「久遠寺さん……?」

「違うね。僕の名前はアグマだ」

 そう言った体がゆっくりと宙に浮き、純白の翼を持つ粋と瑞音に影を作る。

「残り十二人か……動くなッ!」

 圧倒的な存在を相手に先制しようとした勇敢な小物が、言葉一つで身を固くした。従いたくて従ったのではない。本能で臆し、従うしかなかったのだ。

「まったく、余裕は持っても油断はできないな。さて、手早く片づけるとしようか」

 アグマは夕凪の体で小気味よく指を鳴らした。一回、二回、三回と。

 音に応じて光の柱が出現する。一回目はアグマと粋、瑞音を敵陣から隔離するような、天まで伸びる円形の壁だ。内部にいる粋たちは台風の目にいるように感じる。

 二回目は敵陣の向こうに光の壁、三回目は更に向こう。これでアグマを中心とした三重の円が描かれたことになる。一重目と二重目の間に閉じ込められた憑装者たちは焦り、光の壁を必死に叩くのだがビクともせず、アグマ達には音すら伝わらない。

 円の中心は風の音すら聞こえない、実に静かな空間だった。壮大で圧倒的な力量を前に、さすがの粋と瑞音も声が出ない。目を丸くし、ひたすら周囲を観察している。

「圧殺……っと」

 一度、アグマが軽やかに人差し指を振ると、二重目の壁が高速で収束し、一重目と激しく衝突、重なった。厳かな光の外で醜い姿の憑装者たちの肉体が弾ける。行き場を失くした大量の血液が円柱の中をカーテンのように染め、赤の円を道路に描いた。

 その音すらも聞こえない。

「これで終わりだ」

 再発現したかしないかの間に再度、指が振られた。三重目の壁が先と同様に迫り、現れたばかりの巨大な竜を惨たらしく一掃……あまりに呆気ない終戦だった。いや、戦いとも言えない一方的な虐殺だ。

 フッと聖なる光が消えた。

「それじゃ夕凪、体を返そう」

 青年の体がゆっくりと降下し、地に足がつくと、眼が夕凪のものに戻る。

 粋も翼を収めて憑装を解き、真顔で黙っている夕凪に向かい合った。

「……やっぱり久遠寺さんだったんだ。昨日の夜、竜を討ったのは」

「今朝も言っただろ、俺じゃない。全部アグマの力だ」

 機能しない携帯電話を見せつける。電池の入っていない機械を持つ理由は、つまりアグマと会話する時のカモフラージュだったのだ。

 霊珠が得意げに揺れる。

『全部というのは違うだろう? 実際に使ったのは君の体で、君が憑装しなければ僕は戦わない。手柄は半々ってところじゃないか』

「それでも戦ったのはアグマだし、あの力が使えるのもアグマだけだ」

 青年は普段の垢ぬけた顔ではなく、切ない表情を浮かべていた。引き籠っていたという過去を彷彿とさせる。それは粋にとって覚えのある悲しいものであり、瑞音にとっては思い出話の真実を確信するものだった。

「まぁ贅沢は言わないさ。なにもできないのは残念だけど、それでも誰かを守ることができるのなら、充分すぎるほどだ。これからもよろしくな、アグマ」

『……ああ』

 携帯電話はポケットへと丁重にしまわれ、二人の会話は終わった。

「ところで粋、用事ってアイツらの討伐だったのか?」

「ん……まぁ」

「だったら片付いたことだし、お菓子を食べに戻らないか?」

 パンッと掌を合わせて提案する夕凪は、まるで子供のように無邪気だ。反対に、高校生二人は色々と思考を巡らせている。

「そうしたいのは山々なんだけど……立場上、このまま久遠寺さんを放ってはおけないんだよね。色々と聞きたいこともあるわけだし」

 お菓子パーティしながらでいいじゃん、という言葉は、さすがに空気に圧されたのか、口から飛び出る直前で飲みこまれた。

 瑞音が正面から夕凪を見つめる。

「久遠寺さん、あたし達に同行してもらえませんか?」

「は、はい……」

 すっかり委縮した夕凪は、両手を前に差し出した。

「いやいや、逮捕とかじゃないから」

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