第二章 57 子供たちの先生
「あ!ナユタおにいさんだ!」
「ナユタお兄さん、いらっしゃいなの。」
「わーい、今日もいっぱい遊ぼうねー!」
部屋に入った途端駆け寄ってくる子供たち。
わー、なんかこれいいなぁ。
青春っていうか、学園物の教師になった気分。
よしよし、お前らは腐ったみかんじゃないんだぞー?
「これ!何をしているのです、まだ勉強の途中でしょう!さぁ、席に戻って。読み書きの練習をしていなさい。」
「えー!だってせっかくナユタ兄ちゃんが来てくれたのに!」
「それと勉学とは別です。きちんと出来ないのなら、この方には帰って頂くほかありませんね。」
「「「「えー!!」」」」
「あー、俺は待ってるから。お前らちゃんと勉強しな?昨日も言ったろ、遊びは勉強が終わってから。ちゃんとできるよな?」
「「「「うん!」」」」
「よし、偉いな!じゃ、頑張ってるところちゃんと見てるからしっかりな?」
「すぐ終わらせるから!」
「わからないところはおしえてね?」
「読み書きは得意だからお待たせしないの、とイブ思う。」
「今日もさっさと終わらせて遊ぶぞー!」
各々気合を入れて机に向かうと黙々と筆を走らせている。
うんうん、素直ないい子だ。
こんな優秀な子たちなんだ、先生もそんなに手を焼くことはないんだろうな。
「…信じられない、こんなに集中しているなんて。」
「え?普段からこうじゃないんですか?」
「えぇ。いつもは集中するまでにもっと時間が掛かるのです。それがこんなに早く、しかも途切れる気配もないなんて…。たった一日でどうやって仕込んだのですか?」
「仕込むだなんて…、俺はただ勉強が終わったら一緒に遊ぼうって言っただけです。俺が特別何かをしたんじゃなくて、この子たちが自分でやろうと思って頑張っているだけなんですよ。いい子たちですよね。」
「…そうですね、私もそう思います。本当に、とてもいい子で…可愛い…っ!!」
「ど、どうしました!?」
「っ…、いえ、すみません突然。つい、息子がまだ小さかった時の事を思い出してしまって…。」
「息子さんの…?」
「えぇ、とてもいい子だったんです。勉強はもちろん武術にも才が有ったみたいで、一番にこそ成れませんでしたけど、とても優秀で優しい子だったんです。それが…あんなことになるなんて…」
「まさか息子さんはもう…?」
「はい。昨日、遺体で発見されたと聞かされて。私、居ても立ってもいられなくなって…。」
なるほど、それで昨日は居なかったのか。
それにしても自分の子供が亡くなったというのに、昨日の今日で仕事をしているだなんて…
この国には忌引きってものがないのか?
葬儀とか手続きとか、こういう時っていろいろ忙しくしているもんだと思ってたけど…宗教の違いなんだろうか?
なんにしても、こんな目元を腫らすような状態で仕事なんてしなくてもいいのに。
昨日の子供たちに合わせて作られたプリントを見た時から思ってたけど、この人はとても真面目なんだ。
「今日はもうお帰りになってはどうですか?この子たちは俺が見てますから、あなたは息子さんの側に居てあげてください。」
「…ありがとう、貴方はとてもお優しい方なのですね。でも、いいんです。私は親御さんたちから大切なお子さんを預けられているんです。おいそれとここを空けるわけにはいきません。」
「ですが…」
「それに、息子はいま私たち家族の元には居ないのです。」
「え?それは…どういう事ですか?」
「それは…」
「先生、終わったよー!!」
「イブも終わったの。先生、採点して欲しい、とイブ思う。」
「うぐぐ…もうちょっとなのに…」
「フィネルもおーわったー!ナユタおにいさん、おあそぼう!!」
「っ!…えぇ、では採点します。フィネル、遊びは間違えたところを復習してからですよ。」
「はーい。」
先生と呼ばれたその人は、慌てて涙を拭うと最初に会った時のような仏頂面になり子供たちの元へ戻っていった。
子供たちの前では威厳ある先生で在ろうとしているのがひしひしと伝わってきて、なんだか胸が締め付けられるようだった。
いかんな、あの人が必死で涙を堪えているのに赤の他人である俺が涙を見せて子供たちに不安や動揺を与えるわけにはいかない。
俺は下唇をぐっと噛んで何とか溢れそうになる涙を堪える。
「あらティム、今日はとても頑張りましたね。間違いは二つだけです、ここを直したら今日はおしまいですよ?イブは相変わらずですね、全問正解です。とてもよく頑張りました。一足先にお兄さんに遊んで頂きなさい、ただし、騒いではいけませんよ?」
「はいなの。」
「ちぇー、間違えちゃってたか。」
「さ、次はフィネルの番ですね?」
「フィネルもおにいさんとおあそぶんだー!」
「よーし、俺も終わったぞぉ!」
順番に採点してもらい、間違いがあったら解き直す。
そうやって丁寧に丁寧に教えてきたんだなぁ。
一人ひとりと向き合って、どうやったら分かってもらえるかを考えて。
今の先生を見ていると、どうしても息子ともこうだったのかな?なんて考えてしまう。
どうしてこの人の息子だったんだろう?
どうしてこんなに優しい人から大切なものを奪っていくんだろ。
どうしていつも”死”は突然にやってくるんだろう…
考えないようにすればするほど、なぜ?という疑問が泡のように浮かんでくる。
人はどうやったらこの理不尽な死と向き合う事ができるのか。
俺の中に埋もれていた疑問がスッと顔を覗かせる。
失った人の悲しみ、奪ったものへの憎しみ、怒り。
そういったものとの折り合いは、きっと千差万別だ。
そう…たとえば俺は
「ナユタお兄さん、どうしたの?とイブ思う。」
「お?あぁ悪い、今日の朝ごはんは美味しかったなぁって考えてたらぼーっとしちゃったぜ。」
「ふふ、お兄さんは食いしん坊なの。」
「そうだぞぉ、俺はなんでも食べちゃう怪獣なのだー!」
「かいじゅう?それってなぁに?とイブ思う。」
「んー?怪獣っていうのはなぁ、こうやって子供を食べちゃう奴の事だぞー!こちょこちょこちょー!!」
「きゃーくすぐったいの!あははは、たすけてーとイブ思う…んふふ。」
「こら、まだ勉強している人が居ますよ。静かになさい。」
「「はーい。」」
先生に怒られながらクスクスと笑うイブの頭を撫でる。
嬉しそうに目を細めるイブに可愛いなぁと漏らすと途端に顔を赤らめた。
イブは割とすぐ顔が赤くなるな。
そういう所もまた可愛いなと思っていると控えめに裾を引っ張られる。
「ん?なんだい?」
「あのね、ナユタお兄さんにお願いがあるの。聞いてくれる?」
「あぁもちろんだよ。またご本読むか?それともジェンガするか?」
「ん、それもいいんだけど…。あのね、その仮面…取って欲しい。とイブ思うの。」
「仮面?それは構わないけど…、もしかしてこれ怖かったか?」
ふと悲鳴を上げるほど怖がっていたヴィーの姿を思い出す。
歳の頃は同じくらいだし、もしかしたらヴィーに限らずこのくらいの子供には怖い代物だったんだろうか?
確かに俺も幼いころは無意味にひな人形とか怖がったりしたもんだ。
こういう無表情の面とかも子供に恐怖心を与えるには十分だったりするのかもしれない。
「んーん、怖いわけではないの。そのお面はお兄さんって感じがして…好き。でもやっぱり、仮面を着けてないナユタお兄さんと遊んだ方が、んとね、なんだか仲良しな感じがして好き…なの。………とイブ思う。」
「なるほど。頑張ってお話してくれてありがとうな。確かに仮面は無い方が仲良しな感じだよな?よし…っと。これでいいかい?」
「~~~~っ!うん…良い、です。」
なんだかイブから声にならない悲鳴のようなものが出ていた気がしたが、おそらく気のせいだろう。
それにしても、この仮面のを着けていると壁を感じるって事だよな?
確かに初対面ならまだしも、ある程度親密になってきたら距離を置かれているように感じられるのかもしれない。
よし、今度から仲良くなった人の前では極力仮面を外すようにしよう。
着脱を忘れることが増えそうだが、慣れれば大丈夫だろう…たぶん。
「まさか…!シャルル様でいらっしゃいますか!?」
そして仮面を外した途端に安定の勘違い。
いやー、最近はとんと言われなかったからなんか懐かしいわこの感じ。
やっぱりまだ俺なんかよりシャルルの方が知名度高いよね。
比べるまでもないけど。
「先生、お兄さんはナユタお兄さんだよ?そんなお名前と違うよ?とイブ思う。」
「そうだよ先生。シャルルってあれでしょ、最強の勇者様!ナユタ兄ちゃんは格好いいけどすっげー弱いから人違いだよ!な、兄ちゃん!!」
「うん、それに同意するのはものすごく不本意だけどな。先生お騒がせして申し訳ない、俺はナユタ。ナユタ・クジョウ・ユエルと申します。その勇者シャルルは、俺の双子の兄に当たりますので勘違いされるのは仕方ないかと。」
「え…」
「うん?」
「「「「「えー!?!?」」」」」
「先生までもが!?」
よく息の合った教師と生徒だ、立ち上がるタイミングまで完璧。
それにしても、やっぱり驚かれるよな。
どうやら子供たちもシャルルの存在は知っていたみたいだし、”勇者シャルル”の身内が目の前に居るなんておとぎ話の登場人物が目の前に居るのと同じようなもんだろうしな。
俺としては若干嘘を吐いているという罪悪感が生まれて居心地悪いんだけど。
「ナユタ兄ちゃんが…」
「シャルルさまの…」
「弟、なの。」
「すっげぇ…」
「あっははは、別に俺は何もすごくないんだけどねー。」
「…お噂は聞いておりましたが、まさかこのような場所でお会いするとは夢にも思いませんでしたわ。その…よろしいのですか?貴族の方がこのような所で子供たちの相手など…、ご迷惑では?」
「ナユタ兄ちゃんって貴族なの!?」
「あー…まぁ一応な。でもあんまり気にしないでください、俺はこんなだし…それに俺にとっても子供たちと遊んでる時間は楽しくて大切なものなので。」
「左様でございますか…。ですがやはり身分の違いはハッキリさせなくてはいけません、これは子供たちにとっても大切な事です。将来仕えるかもしれない方に無礼を働くなんて言語道断。いい機会ですので礼儀作法のお勉強もキッチリ致しましょう。」
「い、いやいやそんな。俺は貴族って言っても名ばかりなんで、ほんと普通にしていてください。なんならここに居るのはただのナユタなんで!こいつらの友達のナユタ兄ちゃんなんで、今まで通りにお願いします。ね、先生。」
「………はぁ、わかりました。では子供たちにはそのように。ですが、礼儀作法は覚えておいて損はありませんので、これからはそれもお勉強します!」
「「えー、そんなぁ!!」」
「わりぃティム、キペック。なんか俺、地雷踏んだっぽい。…イブもフィネルもごめんな?」
「貴族…」
「おうじさま…」
「…聞いてる?」
この一件で勉強することが増えてがっかりしている男児二人と、なぜか顔を赤らめてうわの空な女児二人。
対照的な反応を見せる子供たちに先生が一度喝を入れると、授業が再開された。
俺は先に終わっていたイブと本を読みながら全員が終わるのを待ち、揃ってからはジェンガをしたり木片を応用して積み木やドミノをして遊んだ。
ジェンガに関しては先生が興味深げに見ていたのでルールを説明して一緒に遊んでもらった。
この事で分かったのは、先生は意外とハマりやすく負けず嫌いであるということだった。
しばらく子供たちと遊んだり読み聞かせをした後、昨日よりも少し早い時間に解散させてもらった。
子供たちも昨日ほど渋りはしなかったが、それでも部屋の外まで見送ってくれる程度には名残惜しいと思ってくれていたようだ。
そして別れ際、先生に謝罪された。
知らなかったとはいえ貴族に対して失礼な事を言ってしまった事と、情けない所を見せてしまったということだった。
前者に関してはむしろ忘れてくださいと、後者に対してはあまり頑張りすぎないようにと伝えるにとどめておいた。
あまり他人が踏み込むことではないと思ったし、きっと彼女には支えてくれるひとが居るだろうと思ったからだ。
そう言うとまた少し瞳を潤ませたが、今度はぐっと堪えて笑顔で見送ってくれた。
最後に先生に名前を尋ねたところ、名乗らなかった事に対して謝罪されたのち「テレサ・デイズと申します」と深く頭を下げられた。
上品なその所作にきっと息子さんも礼儀正しい真っ直ぐな人だったのだろうと密かに思った。




