第一章 8 3つの可能性
私の…いや、我々一同の疑問に対し、ノアヴィス様は少し考えるように顔をしかめた。
それから普段通りの柔和な表情を浮かべると、一人一人の目を見てから重い口を開く。
「彼の様子を見るに、嘘を吐いているという事はなさそうじゃ。少なくとも儂にはそう見えた。」
「では、彼は本当に無関係の人間であると?」
「それは断言できんのぉ。本人がそう自覚していないだけという話しやもしれぬわけじゃからな。そうじゃのぅ、3つじゃ。」
「3つ…?」
「そう、可能性は3つじゃ。一つ目は本当に無関係の場合…ただ偶発的に空になった肉体に、彷徨える魂が憑りついてしまったという場合じゃ。それならば話は早い、事態を治めることも容易じゃ。他者の体に別の魂が入れば、7日と持たずに体が拒絶し魂は消滅するはずじゃからのぉ。ただ時が経つのを待つだけで良い。」
彷徨える魂。
私はそれを目にしたことはないが、戦場やかつてたくさんの人が死んだ場所などには稀にそういったものが現れるという話は聞いたことがある。
彷徨うだけの無害なものから危害を加えてくる厄介なものまで居るというが、今回の件は果たして霊の仕業によるものなのか。
ふとジーク殿の顔色が悪いことに気が付いたが、何かトラウマでもおありになるのだろうか?
「そして二つ目は邪竜の罠だった場合じゃな。奴が自らの魂を肉体から引き裂きその一部を人の体に与え、時が来るまで人として振る舞うつもりでいる場合じゃ。時が来るとはつまり、我らが油断し無謀な姿をさらした時の事じゃ。この場合が一番厄介と言えような…何せ正体を現すまでそれを見分ける術が我らには無いからのぉ。ただ奴が本性を現すまでじっと耐えるより他にない。一思いに殺してしまえれば話も別じゃが、英雄の体を無為に傷つける結果になるとも限らん。できればそれは避けたいのぉ。」
肉体が破壊されてなお生きながらえているとしたら、やはり奴は我々よりも遥かに上位の存在なのだろう。
例え弱っていたとしても、決してボロなど出さずに人に成りすますに違いない。
そして奴がボロを出す瞬間こそが、忌まわしき邪竜の復活を意味するのだ。
「そして最後に三つ目じゃが…。最初に言っておくとの、これは一番可能性が低い。なにせ千年以上前の魔導所に書かれていた真かどうかも分からぬ魔法の話じゃからな。儂も目にしたのはここ数年じゃが、にわかには信じがたい内容であった。故に話す必要もないかとも思ったが…知っておくに越した事はなかろう。…それは、とある召喚魔法が書かれた書物じゃった。曰く、この世には儂らの居る世界とは異なる別の世界が無数に存在し、その中には稀に自らと同じ魂の形を持った者がおるという。その魔法はそんな別世界の同一存在の魂をこちらへ召喚する術式が記されておった。しかしそれはかなり複雑な術式な上に消費する魔力も計り知れんのじゃ。存在するかも分からぬ魂を召喚し、繋ぎ止め、肉体に固定するなど…とても人のなせる業ではない。不可能、と言ってしまっても差支えなかろう。然るに、この場合は考えなくても良いじゃろう。」
そういうとノアヴィス様はお茶を一口含まれ、考えるように髭に手を伸ばされる。
大賢者といわれる七長老の一人がここまで断定するのだ。
この可能性は本当にないのだろう。
しかし異世界に同一存在などと…、にわかには信じがたい話であった。
もしそんなものが存在し、そして召喚する術があったとしたら…。
いや、こんなもしもの話をしても仕方ないだろう。
問題はそこではないのだから。
「ではあと3日は彼を警戒しつつ監視したのち、魂が消滅するならばよし。もし生き続けるようであればその時は…」
「処分するってか?」
ここで今まで沈黙を保っていた近衛騎士団の団長、ジーク殿が口を開く。
彼は心底つまらないといった表情を隠しもせず、あくびを交えながら続ける。
「あーあ、一思いにここで暴れてくれるんならわざわざ来た甲斐もあったってもんなんだがな。とんだ無駄骨だぜ。」
そう言って彼は自身の剣を持つとそのまま立ち上がった。
自信に満ちた笑みを浮かべ我々に向き直ると、剣を腰に差し身支度を整え始める。
「悪いが俺はここで失礼させてもらうぜ?既に4日も足止め喰らってるってのにこれ以上待てねぇよ。これでも忙しい身なんでね。」
彼は近衛騎士団の団長だ。
通常の騎士とは違い訓練や指導はもちろん、執務や外交など様々な場面で必要とされている。
彼は口こそ悪いがなかなか弁の立つ男なため、陛下にも甚く気に入られているという。
そんな男が辺境の地に4日居たというだけでもかなり異例なのだ。
それだけこの問題は陛下も気に留めているという事でもあるが…。
だがしかし、いや、だからこそ、彼にはまだここに居てもらわなくてはならないのだ。
「それは困りますな、ジーク殿。もし最悪の場合だったとしたら、手負いとはいえあの邪竜と相対せねばならないのですよ?まだあなたのお力は必要です。」
「だが、ただの霊だって可能性も低くないんだろ?俺は嫌だぜ、死体のお守りなんざ。」
「話しの腰を折って申し訳ないが、一つ確認させてもらえないだろうか?」
そう言って静かに手を上げたのはリュカ・フォン・ユエルだった。
彼はシャルル殿の従弟に当たる人物で、本人の強い意志により当主に代わりシャルル殿の様子を見に来ていた。
話しを聞くところによると、シャルル殿とリュカ殿は本当の兄弟のように仲が良かったという話だ。
ならば先ほどのシャルル殿の体でナユタと名乗る姿はあまりにお辛かった事だろう。
彼はここ数日眠れていないかのような顔色の優れない様子で、しかしはっきりとした口調で話し始める。
「先ほどから聞いていれば、まるでシャルルはもう居ないかのような口ぶりばかりですね。確かに先ほどの人物はシャルルから程遠いように思えました。いや、彼は間違いなくシャルルではない、それは私が断言しましょう。しかし…だからと言って、シャルルの魂が完全に消滅したとは断言できないのではありませんか?まだあの体の中で眠っているだけという事も考えられるのでは?」
眉を顰めどこか縋る様に話すリュカ殿のお姿は、なるほど確かに彼らの信頼関係が強いことを窺わせた。
しかしそれに関しては既に答えを聞いているはずだ。
シャルル殿の体がこの屋敷に運び込まれた際、駆けつけたリュカ殿も含めここに居る全員がノアヴィス様より委細説明されたのだから。
「リュカ殿。お気持ちは痛いほどわかりますがのぉ、シャルル殿の魂が肉体から離れたことはお傍におられたノエル様が確かに確認されておられる。それは紛う事なき真実ですじゃ。」
「ですが!ノアヴィス様があの場に駆け付けた時にはすでに、彼はあの状態であったのでしょう?疑うわけではありませんが、勘違いであった可能性だって…」
「私も…そう思いました、シャルル様がもう一度目を覚まされた時に。あれは私の見間違いで、女神ツェリア様の加護を受けたシャルル様がお亡くなりになるはずがないんだって。でも様子がおかしくて、私の事もお分かりにならないようで…。それでもう一度、シャルル様を見た時に気が付いたんです。あの方の燃えるような真紅の”レトワル”がまったく別の、色のないものに変わっていることに。」
レトワルが別の物へと変貌していた…
稀代の姫巫女であるノエル様がそうおっしゃるのであれば、それは間違いないのだろう。
生命に宿る魂ともいえる結晶、力の源、生命の始まり…。
それが”レトワル”だ。
この世に生まれたすべての生き物は、生まれた時からそのレトワルを宿している。
それは初めこそ宝石の原石のように埋もれていたり眠っていたりするが、時を重ね修練を積むことにより磨かれ力を発揮するようになる。
一説によると魔力や生命力もレトワルによって生み出されているという話しだ。
こんな曖昧な言い方をするのも、このレトワルは通常人の目に見えないからである。
常人に見えざる力の源。
これを認知できる力を持つものを巫女といい、その捉え方は多種多様であるという。
色として見える者、はっきりと形が分かる者、稀に臭いで判断できる者もいるという。
そういった特別な力を持つ者は大聖教会にて洗礼を受け記録されると、力が必要になる時にその都度召集されるというようになっている。
そんな特別な力を有した者の中でも、我が国の姫君ノエル様は特に秀でた力をお持ちであった。
通常は安定していない赤子のレトワルでさえ正確に見ることのできる強力なその力は、我々の持つ既に確立したレトワルならば実際に存在する宝石のようにはっきりと見ることができるのだという。
他でもないそんなノエル様がおっしゃるのであれば、それは紛れもない事実なのであろう。
リュカ殿もそれは重々承知しているようで、固く口を閉ざすとそのまま黙りこんでしまう。
シャルル殿は亡くなった。
それはどうしようもなく真実なのだ。
例え受け入れられなくとも、それが揺らぐことは…ない。