第二章 46 報告
以前、この事件を調べ始めた頃の話だ。
この壁に描かれた絵の扱いに困っていた時、とある人が助言をくれたことがある。
…あれを助言と取るには些か以上に抵抗があるのだが、それでも結果的にはそうなったのだから変に意地を張るべきではないだろう。
もしかしたら彼女が居なくとも案外何とかなってたかもしれないが…
いや、止そう。
それはあくまで結果論だ。
彼女は俺たちが見抜けなかったあれの根幹をものの数秒で読み解き、無害であると断言した。
それによって得られた時間は、俺たちだけでは到底手に入らなかったものだ。
だからいいのだ。
彼女のそれは、例え本人がそう意図していなかったとしても俺たちとって助けになった。
それは紛れもない事実で、それが現実だ。
見ず知らずの人間の話を素直に受け入れるのは俺としても抵抗はあったが、それでも彼女の表情から読み取れる感情に嘘はなく、まして俺たちを陥れようというような思惑もないように思えた。
加えて俺に対しての興味は塵ほどもなく、あるのは未知なる物への単純な興味と好奇心だけ。
そしてあれに向けられた侮蔑にも似た嫌悪感、それは間違いなく過不足ない彼女からの評価だ。
”不快な駄作”と、彼女は言った。
それがどういう意味を含むのか、俺は知らない。
あるいはこの事件を解決すれば理解できるのかもしれないが…
いや、おそらく無理だろう。
あの不潔で不健康で気味の悪い天才の考えなんて凡人の俺には一生掛かっても理解できない。
したくない。
俺はただこの事件の犯人を捕まえて冷たい地下牢にぶち込むのが仕事だ。
その犯人が何を思ってどうしてこんな事をしたのかなんて理解する必要もない。
ただ確実に、処刑台へと導いてやればいいんだ。
細かい動機や…それこそあの絵の真相なんて、分かるやつだけ分かってればいい。
そう、例えば一瞬ですべてを理解する天才だとかが。
…これはそんな変人と出会ったというだけの、ただの記録だ。
報告書に書くまでもない余分な情報、蛇足というよりは言いたい放題言われた事へのささやかな仕返し。
俺の独り言のような、そんな話。
その場に居たのは俺の他に騎士が二人。
一人は俺の教育係をしていた先輩で、面倒見はいいんだがどこか頼りない…よく言えば穏やかな、争い事を苦手とする優しい人だ。
なぜ騎士団に入ったのか甚だ疑問だが、俺も人の事をとやかく言えるような大層な理由があった訳でもないので深くは追及しないでいる。
生意気な後輩とも嫌な顔せず一緒に仕事してくれる人の良い先輩だ。
そしてもう一人は、その先輩の先輩の先輩のそのまた先輩の…、数年前に一新された騎士団の中でも珍しい居残り組の大先輩だ。
わけあって比較的若い層で構築されている現騎士団だが、その中できっちりまとめてくれている年長者の内の一人で団長の相談相手にもなっている騎士団になくてはならない大事に知恵者。
騎士団の平均年齢をぐんっと上げている層の一人だ。
…こんな事うっかりでも口に出したら殺されるな。
閑話休題。
この事件の調査を任された俺だったが、生憎と魔法の知識に関しては誇れるほどの物がなかった。
そこで騎士団の中でも比較的魔法に詳しく、且つ協力的なこの二人に白羽の矢を立てたのだ。
本来ならこの二人の判断で慎重に調査し証拠を書き写したのち、しかるべき手段を以って現物を消し去るのだが常なのだが…
今回のこれに関してはその最初の段階で行き詰った。
これが何でどういう用途に使用されたものなののか、そもそもその効力は何なのか、その全てが不明…面倒な事にまったく分からなかったのだ。
分からないとどうなるのか?
どうにも出来ない。
発動条件が分からない以上下手に近づけない。
呪いである可能性がある以上下手に書き写せない。
調査において、現場の維持というものは初歩的かつ重要な条件であると思う俺ではあるが、この状況は問題だ。
維持ではなく停滞、慎重ではあると言えば聞こえはいいが、ただそうせざるを得ないだけの言わば犯人の手の平の上で踊らされている状態だ。
このままでは犯人が逃げる時間を与えてしまいかねない。
かと言って下手に手を出し俺たち全員が行動不能になれば結果は同じ。
どちらに転んでも犯人に有利な方向に進む事になるだろう。
…ならば選ぶのは前者だ。
慎重にしかし迅速に、そうして事を進められれば何の問題もない。
どちらがより有能であるのか、証明すればいいだけの話だ。
「こうなっては仕方ないです、早急に教会に連絡して魔法に詳しい人物を借りてきてください。詳細は伏せ、呪いあるいは転移…いや、召喚の魔法を使用した事件であるとだけ伝えてください。下手に口にするのも危険ですから、渋るようなら団長の名前でも出しておけばいいでしょう。」
「うん。…うん?あれ、そんな勝手なことして大丈夫?…あ、いや、でも仕方ないよね。うん、了解。すぐに行ってくるよ。」
「そんじゃ俺は一回本部に戻るかな。どうも俺じゃ役には立たないみたいだし、ここは参謀に任せて他の奴らに聞き込みしてみんよ。」
「お願いします。あと、参謀はやめてください。」
ひらひらと手を振りながら適当な返事をすると、二人は部屋を出て行った。
ひとまずこの絵に関しては保留にして、俺はもう一度現状を確認しておこう。
まず発見者であるところの執事によれば、この部屋は扉にも窓にも鍵がかけられていて家主以外に鍵を持つ者はいなかった。
その屋敷唯一の鍵も亡くなった家主の懐から見つかったのであれば、やはりここは完全なる密室であったと言っていいだろう。
そしてその家主がアスター男爵、民とも親密に接する温厚で柔和な貴族にしては珍しい人物だ。
いや、だった。
その人当たりの良さとは裏腹に、彼は裏で子供を攫い奴隷として競りを行っていたのだ。
この国では奴隷の売買はもちろん、所持すること自体を禁じられている。
だというのに競売を開き、あまつさえ彼自身も何人かの子供を奴隷として飼っていたというのだ。
表の顔が善良であった分、裏の顔のおぞましさに寒気がする。
それらが判明したのが騎士団が到着する前、自警団の人間が屋敷を調べた時だったという。
檻に入れられ鎖で繋がれた子供たちはひどく怯えた様子で縮こまり、連れ出すのにだいぶ苦労したそうだ。
定期的に乱暴されていたようで体中に傷があり、食事も十分に与えられていなかったのかかなりやせ細っていた。
今は揃って医者に診せているところだ。
それはいい。
子供たちは無事に保護し、見つかった顧客表から関わりのある人物も洗い出せるだろう。
しかし問題は別にある。
一体誰がどうやってアスター男爵を殺したか、だ。
密室状態にあったこの部屋でアスター男爵は殺されていた。
部屋は荒れていたが盗まれたものはない。
アスター男爵の体にも争ったような傷はみられなかった。
あったのはたった一つ。
ちょうど心臓のあたりに、まるで焼けた鉄の棒でも刺されたかのような穴が開いていた。
恐らくそれが直接の死因であるのだろうが…どうにも腑に落ちない。
何故わざわざそんな手間を掛ける必要があったのか?
アスター男爵は商業に関してはやり手だが、武術においてはその限りではないと聞いている。
であるのなら、そんな殺しづらい物など使わず単純に刃物でもよかったはずだ。
だが実際に使用されたと思われるのはそれではない。
そしてこの部屋の暖炉に使われた形跡がない以上、犯人はわざわざその凶器を選び用意したという事になる。
謎だ。
何故犯人はそんな殺し方を選んだ?
そもそも犯人は男爵の所業を知っていたのか?
「捜査を錯乱させる為か…たまたま手元にあったのか…。あるいは」
そう口にしてあの薄気味悪い絵をみる。
もしあれが何かしらの召喚魔法であったのなら、その手間のかかる殺し方にも説明が付きそうなものだが。
現段階で未知の物である以上、断定してしまうのは早計だろう。
しかしそうか。
やはりこの絵を解明しない事にはこの事件を解くことはできないんだろう。
もし教会の人間でも解明することが出来なければ、何人かの術者を呼び細心の注意を払いつつ作業するしかないな。
これ以上時間を掛けるのも意味がないだろう。
それでも何かあって最悪の状況になったその時は…
そんなことにはなりたくないが、もしもの時の為に今まで調べたことは細部まで記しておこう。
俺は俺にできる最大限の事をすればいい。
「って貴女!いつの間に入ってきたんだ、ここは立ち入り禁止だぞ!」
「見たことのない陣だな…。だが成立はしている、か。対になったものへ循環しているのか?………ふん、面白い。」
「何をぶつぶつと…。まさか、貴女にはこれが何だか分かるのか?」
「いや、まったく。」
「はぁ?」
偉そうに断言したその人は、描かれた絵の正面で腕を組みこちらの事など気に留めずまたぶつぶつと呟きはじめた。
なんなんだ、この女。
汚れの目立つ白衣に手入れをされていないボサボサの髪、初対面でも思わず心配してしまうような細い体と真っ白な顔。
どこかの研究員…と言ったところだろうか。
白衣に施された紋章から王に仕える者であるのは間違いないのだろうが…それにしてもやけに汚い。
一体何日洗っていないんだ?
それに、こんな身なりの研究員がなぜこの屋敷に居る?
研究員なんてものは上司もろとも城に引きこもって机に噛り付いているものではないのか?
…まさか、男爵は奴隷売買以外にも何かの研究を行っていた?
「貴女は…ってちょっと!何を勝手に触っている!危険な物かもしれないんだぞ、軽率に触れては…」
「安心しろ、これにはもう何の効力もない。」
「なに…?しかし貴女は先ほど分からないと」
「血…か。出るのではなく入るのか…ずいぶんな偏食だな。」
「変色?確かに乾いていて少し黒っぽいが…」
「不気味な魔法だ、アタシの趣味じゃない。」
「何か分かったのか?貴女はいったい」
「もう興味はない。アタシの美学からはまるで遠い、見るのも不快な駄作だ。消してしまえ、水で簡単に落ちるだろう。」
「おい、っ!」
声を掛けるもなぜか不機嫌になったその人は、本当に興味を失ったように足早に部屋から去って行ってしまう。
突然現れたかと思えば会話らしい会話も成立せず、ただ吐き捨てるように言いたいだけ言って…
なんだったんだ?
興味云々であそこまで目まぐるしく感情が切り替わるものか?
…いや、そう言えば前にもこんな事を思ったな。
あれはそう…運命の人が見つかったとはしゃいでいたテレスさんが、後日その相手に二股かけられていたことを知ってゴミを見るような目で制裁を加えていた時の…。
思い出しただけで寒気がする。
しかしあの人のあの目は、テレスさんの時と同じで確かに興味を失っているようだった。
つまり、あの人にとってこの絵はその程度の取るに足らない物だったって事か?
…不思議だ。
そう思うとあんなに得体が知れなくて不気味だったこれが、急に恐れるほどの物ではないように思えてくる。
「…しかしそれはそれ、だ。一応教会の人間にも鑑定してもらってから判断した方がいいだろう。」
どこの誰とも知らない女の話だ、はいそうですかと鵜呑みにするわけにはいかない。
――――…
だが結局この後も誰一人として解明することはできず、多少の不安を抱えながらも注意しつつ作業する事となったのだ。
だが俺たちの警戒も虚しく、あの人の言った通り何かが起こるような事はなかった。
あの絵もそうだ。
水で擦っただけで簡単に消すことができ、安心したような、かえって不気味さが増したような…。
ひとまずは安堵し引き続き捜査を続ける事となった。
…のだが。
その後の捜査も進展らしい進展はなかった。
犯人の目星はおろか侵入経路や殺害方法さえ特定することもかなわず、あまつさえ第二・第三と次々に犯行を重ねられてしまった。
それにより団長やほかの騎士の名誉を傷つける事となり、とうとう団長直々に捜査に加わる事になったのが今朝の話だ。
これに関しては本当に落ち込んだ。
結果を出せないだけでなく団長の手を煩わせることになるなんて今までにない失態だ。
せめてこれ以上迷惑をかけないためにも何でもないかのように捜査を続けてはいるが、その実今回の件は俺の自尊心をひどく傷つけた。
俺は決して熱血漢ではなし、騎士団にだってただ何となく金に困らなそうだから入っただけで特別思い入れがあった訳ではない。
だが、それでも何もしないで分かったような口を利く貴族を黙らせてやりたいと思うくらいの自尊心は持ち合わせていたんだ。
騎士団の為だとか死んでいった人の為だとかそんな格好いい事は言わない。
そういうのはもっと輝かしい華のある騎士に任せればいい。
だから俺は、ただ俺の為だけにこの事件を終わらせたい。
必ずこの手で犯人を捕まえてこの不名誉な借りを返してやるんだ。
その為に必要なら団長の力を借りることも受け入れよう。
いや、もうこうなったら恥も外聞も気にせずありとあらゆる人の力を借りて一刻も早く終わらせてやろう。
………。
例えばだが。
もし、あの時のあの人が力を貸してくれたら…
「…どこの誰とも知れないのに何言ってんだ、俺は。」
淡い期待にあり得ない、とため息をつきながら俺は地下へと続く階段を降りる。
先日亡くなったラプラント卿が裏で行っていたという誘拐事件。
その犯人らが城の地下牢に収容されているという話しを耳にし足を運んだ、のだが…おそらく粛清者との関係はないだろう。
どうやら雇われただけの貧民街の野良どもらしく、用済みとして処分されかけていた所を運よく助けられたのだという話だ。
助けるよう指示したのが攫われていた張本人だったとも言っていたが…果たしてどこまで本当なんだろうか。
殺されかけた人間が加害者を助けたいなんて、おとぎ話にしても出来過ぎだ。
恐らくこれは話を面白くするために誰かが着け足したのだろう。
そうなってくると、いよいよ無駄足な気配がしてくる。
まぁ始めから大して期待はしていないが、それでも”もしも”という事はあるかもしれない。
今はどんな小さな手がかりでも欲しいんだ、たとえ無駄足でも一つ一つ潰しておこう。
とは言ったものの、空振りに終わる可能性が濃厚だし一人で来たのは正解だったな。
これで団長やテレスさんが一緒だったら何を言われるかわからない。
「こんばんわ。僕は近衛騎士団のアルフレッド・デイズという者です。先日の誘拐事件に関与していた者との面会をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「あぁ、騎士団の方ですか。えぇ、えぇ、もちろん構いませんよ。ご苦労様です。」
見張りは軽く挨拶をすると地下牢に続く扉の鍵を開ける。
扉の向こうは薄暗く手前側の牢屋以外は殆ど見ることが出来ない。
人がいるはずなのだがひどく静かで、地下独特のひんやりとした空気が頬を掠めていった。
「一番奥、左手の部屋です。薄暗いのでランタンをどうぞ。」
「ありがとうございます。」
「いえいえ。では自分はここにおりますので、何かございましたらお声掛けください。」
軽く頷き歩みを進める。
分かってはいたが本当に暗い。
決して見えないほどではないにしても、ここまで暗いと薄気味悪い。
団長ではないが、幽霊でも出るんじゃないかと変に力が入る。
それにしても本当に静かだ。
眠っているのか消沈しているのか、いくら牢に近づいても話し声一つしない。
困ったな、もし話もできないくらい落ち込んでいたら面倒だぞ。
俺は人の気持ちを察して慰めたり励ましたりするのが苦手なんだ。
ましてや犯罪者を慰めるなんてどうすればいいのか分からない。
…やはり一人で来るべきではなかったかもしれない。
せめてテレスさんが居れば上手く事を運べたんだろうが。
…いや待て、男四人か。
下手したら食いかねないし、やっぱり居なくて良かったな。
仕方ない、なんとか自分で言いくるめてみよう。
それでダメだったら最悪テレスさんを連れて来ればいいんだ。
…不安でしかないが。
いや待てよ?
四人そろって寝ているという可能性もあるじゃないか。
そうだ、それなら俺でも何とかなる。
ただ起こして話を聞けばいいだけだ。
よし、それに掛けよう。
牢の中には横たわって寝ている男が四人、それで間違いない。
頼むと念じながら見えてきた牢に向かってランタンを掲げる。
暗い牢屋の奥を照らして件の人影を探した。
しかしそこで俺が見たのは、黒くて赤くて深く冷たい影だった。
あぁ、胸が熱い。
そうだ報告、しなければ




