第二章 42 新しい命に
俺が連れて来られたのは騎士団本部の入り口にあった受付の奥、小さなイスが置かれた給湯室のような場所だった。
イスに座るよう言われ恐る恐る腰掛けると、女騎士―――アリスは品定めするかのようにまじまじと俺を観察してくる。
反射的にひゅんとしてしまうのは先ほど植え付けられた恐怖心のせいなので仕方ないだろう。
まったく、冗談でも女性があんなこと言うもんじゃありませんよ。
そんなことで笑いをとっても悲しいだけですよ。
え、冗談じゃない?本気?死んじゃう。
「…うん、どこをどう見ても不審者。仮面だし呪い付きだし雰囲気もおかしい。だから初見でその判断を下したのはどう考えても不可抗力よね?私の判断はおかしくない。むしろ妥当すぎるくらい。ね、そう思うでしょう?」
「うん…、うん?」
「頷いたわね?肯定したわね?よし、言質はとった。ではあなたがもし本当に万が一団長の友人だったとしても、私を無礼だなんて咎める輩はいないわよね、ね?だって今、同意したものね?私の判断に同調したものね?はい、じゃぁこの話は解決って事で。」
「あ、え?ちょっと待て、何が何やら…」
「いいのよ、考えなくて。男なんてみんな考えるより感じる方が得意でしょう?上よりも下に従順じゃない。」
ん?なんか微妙にセクハラめいた発言だったような気がするが…、考えすぎか。
そうだよな、こんな緊迫した状況で妙な発言するバカは居ないよな。
やれやれ。
去勢されるされないの瀬戸際にいたせいか、どうも頭のベクトルがおかしくなってるなぁ。
気を付けないと逆にセクハラで訴えられちまうからな、発言には十分注意しよう。
「あぁ、そう…だな。じゃあ和解って事で良いんだな?」
「もちろんよ。ようこそ騎士団本部へ、歓迎します。というか、初めからここで受付してくれてればこんな事にはならなかったのよ?」
「いや、俺もそれは考えたんだけど、なにせ誰も居ないんじゃどうにもならなくてな。あー、ここはいつもそうなのか?」
「え?あぁそうか、私がキレたから。そう言えばドワイトのやつ、大げさに応援を呼んでたっけ…」
「ん?すまん聞こえなかった。なんだって?」
「いいえ、何でも。それよりも、ここへは何しに来たのかしら?団長ならいないけれど。」
おかしいな、確かに小声で何か言っていたんだけど?
まぁ、何でもないと言うからには関係ない話だったんだろう。
せっかくだし本題に入らせてもらうか。
「あぁ、実は…」
俺が粛清者について調べているという話をすると、アリスは一瞬驚いたような顔をした。
どうやら俺の話はきちんと通っていたようだ。
導使節、という名前は騎士団はもちろん使用人たちにも周知されていて、何かあれば協力体制をとるようにと言われているらしい。
まったく仕事の早い事で…
まぁ、知ってくれているのなら話は早い。
捜査の一環として騎士団の持っている資料の開示を求めると、アリスはすぐにそれらを持ってきてくれた。
詳しく話を聞きつつ目を通していると、ふと奇妙な視線を感じる。
いやまぁ、目の前にアリスが居るのだから当たり前ではあるんだが、どうもこう…俺を見る目がおかしい。
先ほどじろじろ見られた時のようないわゆる品定めしているようにも思えるんだが、それよりはもっとこうなんと言うか…ハンターのような鋭さがあると言うか…。
まったく落ち着かない。
「な、何か?」
「いや…、悪くないなって。」
「は?」
「うーん、でもちょっと面倒くさそうかしら…。まぁそれを差し引いても良物件ではあるけど。」
「なんの話だよ…。」
「とりあえず保留、かな?いつもなら味見するところだけど、後で何かあっても困るし。」
「…。」
会話が成り立たない。
しかし碌な話ではない雰囲気がビッシビシ伝わってきたので早々に資料に視線を戻す。
こういう手合に会話の主導権を渡すのはとても危険だ。
聞きたい事はある程度聞いたし、さっさとあの彼女の下へ行こうか。
「あー、お話どうもな。とりあえずこの辺で十分だ。えぇっと、さっきの子へ挨拶に行こうかなと思うんだが。」
「あらそ?なら、こっちよ。」
そう言うとアリスは俺を先導するように歩きはじめる。
場所は分かってるから一人で行けるんだが、まぁアリスがいた方があの子も安心するだろうし良いか。
ただし、道中の会話だけは気を付けておこう。
主導権さえ渡さなければ概ね大丈夫だと言えるだろうが。
そんなことを考えつつ大人しくアリスの後を着いて行きながら、ふと先ほどの状況が気になった。
修羅場…だったよな?
「なぁ、あの子と…彼氏?はどうしてあんなことになってたんだ?」
「彼氏?あぁ、あの盛のついたおサルさんのことね。アイツあの子を妊娠させたのにずっと逃げまくってて。騎士見習いだったんだけど、『自分は騎士団の幹部になる男だ』って見栄張ってあちこちで他の女の子にちょっかい出してたみたいなのよ。それをあの子が何度咎めても止めなくて、それどころか父親は自分じゃないとか言い始めて…。あぁ、それにはあの子も相当落ち込んでいたわ。あんなに愛し合っていたのにどうしてって。だから私があの子をここに呼んできっちり落とし前をつけさせようと思ったの。そう、思ってたのに…。」
アリスはおもむろに立ち止まると拳を強く握り肩を震わせ始める。
背中から伝わるオーラは、完全に怒り心頭って感じの激しさを放っている。
え、キレるの?まさかここで斧振り回したりしないよね?
「あー、アリスさん?」
「あの男ったら!!自分はまだ若いから自由でいたいだの、もっと他の子とも遊んでみたいだの!自分はたくさんの女の子を満足させられるだ・の・と!!あーもう!思い出しただけでイライラするわ!どうせそういうお店の女の子にちやほやされて、調子に乗ってるだけなのよ!そりゃ商売だもの、女の子たちは客を褒めるしお世辞も言うわ。でも!それは!あくまでお世辞よ!!普通分かるでしょ!?というか、それが分からないお子様はそういう店に行くんじゃないわよ。迷惑以外の何物でもないわ!まったく、どこまで果てのない大馬鹿なのかしら!!」
憤慨するアリスに苦笑いを浮かべながら相槌を返す。
が、まったく他人事とは思えず内心バックバクである。
そう…あれは俺が就職したての頃、職場の先輩に歓迎会という名目でキャバクラに連れて行ってもらった時の話だ。
その時の俺の舞上がりようはもう本当にひどくってな。
酒が入っていたのもあるんだが、のちに歓迎会でキャバクラの使用を禁止されることになる程度にはやらかしたんだよ。
はは、あの時の事を思うと耳が痛いどころの話じゃないぜ。
さすがに妊娠云々って所までは仕出かさなかったけど、背中に嫌な汗を掻く程度には動揺している。
あれ以来そういう場には行ってないが、アリスの話を聞く限り今の俺でもまだ早いような気がするかな。
「まぁ?この後の事はあの子が決める事だから、私はあまり口を挟まないつもりだけど。それでも、どうしても我慢ならなかったらもう一発くらい打ち込むかもしれないわね。」
「はは…、ほどほどに、な?マジで。」
「そういえば、私も疑問に思ってたことがあるんだけど。あなたはどうしてあの時…あの子が破水した時ね?あんなに冷静に、しかも的確に指示できたの?地味そうにみえて実は子持ちなの?それにしたって男があんな…ねぇ?」
「別に子持ちじゃねぇよ。ちょっと立ち会った経験があったってだけの話だ。偶々だよ、偶々。」
「たまたま…ね。いえ、それにしたって動け過ぎよ。一度立ち会ったくらいで、あんな緊急事態に対応できるとは思えないわ。別に話したくないのなら構わないけど、もしそういう特殊な癖を持っているのなら注意しておかなくちゃいけないから。」
「なんだよ、特殊な癖って…。いや、まて。何も言うな聞きたくない。…あー、俺が6歳の頃だったか、母親が出産に備えて実家に戻ってた時に急に産気づいちまってさ。予定日よりも全然早いわ、他の家族は買い物に行ってて誰も居ないわでどうしていいのか分からなくってなぁ。それこそさっきのお前らみたいにオロオロしながら何もできずにいたんだ。」
「ぐ、なんだか腹の立つ言い方ね。事実だけど…。それで?6歳のあなたはどうしたの?」
「激しい痛みで意識が朦朧としているはずの母親に頬を叩かれた。『これからお兄ちゃんになるんだからしっかりしなさい!この子たちにはあなたが必要なのよ!』ってな。その後はおふくろに言われるがまま、医者と祖母に連絡して、お湯を沸かしたり布団を敷いたり…。ま、お前らに言った事は全部、俺がおふくろから言われた事だったってわけだ。」
その後の事は正直あんまり覚えていない。
祖母が帰ってきて救急車が到着して、いつの間にか家族全員で病院に居たんだ。
生まれたばかりの赤ん坊を抱くおふくろと親父を何となくぼーっと眺めていたような気がする。
「なるほどね、それなら納得できるわ。それにしても、人生で二度もお産に立ち会っていて、それがどちらも不意の出産だなんてね。あんたもしかして、妊婦に出産を促す何かでも出てるんじゃないの?」
「んなわけあるか!てかなんだよ出産を促す男って!どうせ授かるならもっと格好いい特殊能力がいいわ!!」
「あははは、それもそうね。んー、でもあながち否定できないんじゃないかしら?あの子だって出産までまだ日はあったはずだもの。」
「それはだいたいあんたのせいだろーが。」
「え、なんでよ。」
「やれやれ、気づいてないとは。妊婦も赤ん坊も繊細で敏感なんだ、周りの奴らが注意してやらなくてどうすんだよ。」
「………?……………あ。」
どうやら自分でも気が付いたようだ。
仕事熱心なのはいいけど、もう少し周りの状況も気にかけてもらいたいものだな。
そんなやり取りをしている内に先ほどの部屋へと到着する。
ドアをノックしようと思ったんだが、中から聞こえる凄まじい泣き声にかき消されるだろうからそのまま開くことにした。
「失礼するぞー?」
「あ、あわわ、どどどどうすれば!ほーら、泣き止んでおくれー!」
「もっとちゃんと抱いてあげて、頭もしっかり支えなくちゃダメよ。あっ揺すり過ぎよ、もう!」
中に入ると赤ん坊のけたたましい泣き声と父親の戸惑う声が聞こえてくる。
どうやら無事に抱かせてもらえたようだな。
…だいぶ心許無いが。
あらら、あまりに下手だから赤ん坊を取り上げられちゃったな。
赤ん坊も赤ん坊で、母親に抱かれるなり途端に泣き止むもんだから父親君が拗ねてるわ。
ま、あんな雑な抱き方してれば当然だな。
「はぁー、可愛いなぁ小さいなぁ。ははっ、目元なんて俺にそっくりじゃないか。あっ!今、俺の事見て笑ったんじゃないか!?」
「もう、まだ見えてないわよ。まったく…。あら、あなたは先ほどの。」
「よぉ、仲睦まじいようで何よりだ。体調はどうだ、大丈夫か?」
「はい。おかげさまで母子ともに健康です。それもあなたのお蔭です、本当にありがとうございました。」
「いやぁ、大した事はしてないんだけど…、どういたしまして。赤ん坊、抱いてもいいか?」
「なっ、ダメに決まって…!」
「貴方は黙ってて。」
「…はい。」
「どうぞ、抱いてあげてください。」
「では遠慮なく。」
母親から赤ん坊を受け取り優しく抱き上げる。
えぇっと、確かこんな感じだったよな?
赤ん坊を抱きあげるなんてかなり久しぶりだったし緊張したが、どうにか泣かれない程度にはきちんと抱けているようだ。
父親の方は泣きださない赤ん坊と俺を交互に見ては言葉も出ないくらい驚いている。
あー、こういうのは慣れだから。そう焦らないでしっかりやってくれ。
項垂れる父親に心の中でエールを送ると、何かを察したように赤ん坊が笑ったような気がした。
あらやだ、めっちゃ可愛いわ。
「あの、良ければこの子に名前を付けてくださいませんか?」
「え、俺が!?」
「はい、ぜひに。」
「何言ってんだスクルド!こんなどこの誰とも知れない男に、大事な我が子の名前を付けさせるなんて…!」
「この方が居なかったら私もこの子も無事だったか分からない。もしかしたらどちらか、あるいはどちらも命を落としていたかもしれないのよ?そんな大恩人に名前を頂くことの、何が不満だっていうの?」
「そ、それは…」
「それにね、ジェイス。貴方は大事な事を忘れているわ。」
「大事な、事…?」
「えぇ。だってこの子にとったらあなたの方がどこの誰とも知れない、”知らない人”だもの。」
「え…。」
「さ、わかったら出て行ってくれるかしら?ここは私たち母子と友人だけで話がしたいから、ね。」
「ま、待ってくれスクルド!俺が悪かった!悪かったから、そんな酷い事言わないでくれ!頼むよ!!」
にっこりと拒絶するスクルドに縋りつこうとするジェイスだったが、寸での所でアリスに掴まれ引きずられるようにして追い出されていった。
残念だけどやってきたことのツケが回ってきたと思ってしばらくは反省してもらおう。
それにしても容赦ない。
最初は気弱そうな女の子ってイメージだったけど、今、目の前で父親の存在を一刀両断したこの少女にその面影は感じられない。
これが母になった女性の強さってやつか。
女弱し、されど母強し…なんて言葉を思い出すなぁ。
「お見苦しい所をお見せしました。それで…どうでしょうか?その子に名前を付けて頂けますか?」
おっと、そうだった。
この生まれたばかりの赤ん坊に名前を付けて欲しいって話だったよな。
いかんな。
父親があまりに哀れ過ぎて呆気にとられていた。
しっかし…名前、ねぇ。
それってそんな簡単に引き受けていいものなのかな?
名前って、いわば最初の楽しみじゃん?
それをぽっと出の俺が奪っていいもんなのかな…?
「…本当にいいの?名前って親の最初の仕事っていうか、赤ん坊に向けての愛の形っていうか…。そういうものなんじゃないのか?」
「だから尚更、です。私の、親としての最初の仕事はもうしましたから。無事に生んであげれて、本当に良かった。だから…。だから名前という愛の形を、親ではない他の誰かからもらえたら。きっとこの子は誰からも愛されるような子に育つ…、そんな気がするんです。」
「…なるほど。良く、分かりました。では僭越ながら、俺からこの子へ名を送らせて頂きます。この子が健やかに育ってくれることを祈って。…実をいうとあなたの名前を聞いた時から思い浮かんではいたんです。」
「まぁ、素敵!それは、いったいどんな?」
「”ノルン”という名です。俺のいた世界…、故郷にスクルドという未来を司る女神が居るんです。その女神には二人の姉が居て、それぞれが過去と現在を司ります。その過去、現在、未来を司る運命の三女神をノルン三姉妹というんです。この子の運命を良きものに導いてもらえるように、願いを込めてその名を送らせてください。…異教の話なんで、もし不快に思われるんなら撤回しますが…。」
「いいえ、いいえ!とても素敵な名前だと思います!ねぇ、ノルン。あなたも気に入ったでしょう?」
俺から赤ん坊を受け取り、愛おしげに抱きながら名前を呼ぶ。
当の赤ん坊はいつの間にか寝てしまっていたが、その安らかな寝顔はどことなく微笑んでいるように見えた。
きっと気に入ってくれてると信じよう。
「よかった。さすがに異教の女神の話だし、いろいろまずいかと思ったから変に緊張しちゃって。」
「まさかそんな、恩人から頂いたこんなに素敵な名前を無下になんてしませんよ。それに、とても嬉しいお話でした。私の名前、未来という意味もあるんですね。名前でもこの子と繋がりが出来てとても嬉しいんです。」
「…。実を言うともう一つ、俺の友人の名前に似てるっていうのもあるんだ。その子はとても努力家で優しくて、ちょっとお転婆な所もあるんだけどそういう所も含めてみんなに愛されてる。だからこの子もそんな風になってくれたらいいなって思ったんだ。」
「…それは、あなたの恋人ですか?」
「うぇ!?ち、違う違う!いや、そりゃ好きだけど、付き合ってるとかじゃなくて。本当に友人っていうか何ていうか、そりゃ付き合えたら嬉しいけど!って何言ってんだ俺、アホか。と、とにかく、恋人とかではっ、ほんと!…畏れ多いと言うか烏滸がましいというか、俺は…お呼びでないからなぁ。」
「なんだかごめんなさい、込み入った話を聞いてしまったみたいで…。」
なんだか俺が実らない恋をしているみたいな雰囲気になってしまったが、とりあえずもうこのままでいいや。
ジェイスを引きずっていったアリスが戻ってきたので丁度いいし、ここらでお暇させてもらう事にしよう。
スクルドとノルンに別れを告げ、近いうちにまた会う約束をした。
不思議な高揚感にふわふわしながら部屋を後にすると物陰にうずくまる人影が視界に入る。
これはかなりびっくりしたので思わず息を飲んで後ずさったのだが、なんてことはない、追い出されて泣いているただのジェイスだった。
あー、まぁ、何というか…こいつはこれからが大変だよな。
なんとか名誉挽回していい父親になってもらいたいものだ。
奥さんも子供も、大事に大事に守っていって欲しい。
そういった旨の言葉をいくつか掛け鼓舞すると、縋る様な潤んだ目を向けられたので早々に去らせていただいた。
懐かれても敵わん。
「さぁて、この後はどうしようか。うーん、少し情報を整理したいな。資料の写しを貰えたし、どこかで考えながら読みたいな。」
主にアリスの視線が気になってさっきは集中できなかったし。
そうでなくても結構な量の情報だ、一度しっかり読み込んでおくべきだろうな。
どこか集中できる人の少ない所にでも行こうか。
まだ昼を少し過ぎたくらいだし、街の方に降りてみるのもいいかもな。
となると少しお金を持って来た方がいいかな?
「あ!そういえば、すっかり忘れてたけどマントを垣根に掛けたままだ。あちゃー、最初に行っておくべきだったな。庭師が見たら怒るぞぉ、たぶん。」
よし、そんじゃこの後の方針としては…
マントを回収して部屋に戻る、お金をいくらか持って街へ行く。
街に降りたら適当な場所で茶を飲みつつこの資料を熟読する。
うん、完璧。
読んでからは…あー、読んだら考えよう。
情報を整理すればおのずと次の作業が分かるってもんだしな!
決して手抜きだとか思いつかないとか、そういう話ではないので勘違いしないでほしい。
これは俺の対応力があってこその立派な作戦である!




