第二章 37 あらゆる縁は帰結する。
チクっとした痛みが腕に走ったかと思えば、たちまち体が軽くなっていき数分としない内に起き上がれるほどに回復した。
どうやらクロエが解毒剤を打ってくれたようだ。
最初にやられた傷もいつの間にか治療してくれていたようで、俺の体には傷一つなくなっていた。
さすがクロエ、手際が良いにも程があるぜ。
そのクロエだが、今は一緒に連れてきた3馬鹿トリオにも解毒剤を打ってやってくれているようだ。
よかった、せっかく助けたのに毒で死なれたら寝覚めが悪いもんな。
「にしても、良く解毒剤なんて持ってたな。用意周到というかなんというか、ここまできたら予知能力でもあるんじゃないかと思っちまうぜ。」
「いえ、さすがに解毒剤は持ち歩いておりません。毒にも種類がありますし、それらすべてを打ち消すだけの万能薬はこの世界には存在しませんので。ですのでこれは、そこの男が所持していたものを使わせてもらったのです。私はせいぜい一人分の回復薬くらいしか持ち合わせておりませんでしたので、その男がこれを持っていなければ危ない所でした。」
「そこの男…?」
誰の事かとクロエの目線を遡ってみると、奥の方で黒い縄のようなものに縛られている毒薬野郎が横たわっていた。
え、こいつって俺らに毒を盛った張本人だよね?
こいつもクロエが捕まえたの?あの一瞬で?
マジか…戦闘特化型メイドってハンパねぇ。
「よし。これでこの人たちも大丈夫だと思います。火傷の方はどうにもなりませんが、命に係わるほどのものではなさそうなので放っておいて問題ないかと。」
「そっか、よかったー。ありがとうなクロエ。ええっと、それで…どうしてここに居るんだっけ?」
「あ、うっかりしていました。少々お待ちください。…姫様、姫様。無事ナユタ様を保護いたしました。えぇ、無事でいらっしゃいます。犯人の一味と思しき男も確保いたしましたので、お手数ですか一度このままこちらへおいで下さいますでしょうか?」
地面に膝をつき自分の影に向かって話しかけ始めたクロエに俺は思わず言葉を失った。
ど、どうしたんだクロエ!もしかして何か幻覚でも見せられているのか!?やはり何か敵の攻撃を受けていたんじゃないだろうか!?
しかし次の瞬間、クロエの影から女神のように現れたノエルを目にして、俺の脳内は一気に冷静さを取り戻した。
おいおい、ファンタジーかよ。美しいにもほどがあるわ!
いくら剣と魔法の世界だからって影から人が出てくるなんて、誰が予想できるんだっての。
しかも出てきたのが絶世の美女ですよ?あまりに神秘的すぎて失神するかと思ったわ!!
「ナユタ!よかった、無事だったのね!心臓はある?どこも痛くない!?」
「ずいぶん怖い事言うなぁ。大丈夫、クロエのお蔭で何ともないよ。」
「そう、良かった…。クロエも、本当にありがとう。あなたが協力してくれなかったら今頃どうなっていたか、考えるのも恐ろしいわ。」
「いいえ、姫様。私はむしろ嬉しく思っています。このような非常時に頼って頂けて、クロエは幸せ者です。」
そう言って少しだけ笑ったクロエは本当に幸せそうで、その言葉に一片の嘘も無い事を窺わせた。
それはノエルにも伝わったようで、クロエの手を優しく握るともう一度ありがとうと伝えたのだった。
うんうん、仲良きことは美しきかなってね。
二人が嬉しそうで俺も嬉しいよ。
それはそれとしてなんだがな?
「これはいったいどういう状況なんだ?」
「あぁ、そうね。ナユタにもきちんと説明しなくちゃ。まずは場所を移しましょうか。騎士団にこの人たちを受け渡さなくちゃいけないし、色んな人にナユタの無事を知らせなきゃ、ね?」
「いろんな人?」
「それは行けばわかるわ。どうかしらクロエ、ここに居る全員を運べそう?」
「そう、ですね。…はい、大丈夫そうです。ではこのまま城まで戻ります。」
「えぇ、お願い。」
何かを確認するように目を閉じていたクロエが大きく息を吐いたかと思えば、それぞれの足元から黒い何かが飛び出してきて包むように俺たちに覆いかぶさっていく。
そうか、さっきは分からなかったけどこの黒いものは影だったのか。
重さも息苦しさも感じないまま視界だけが閉ざされたかと思えば、瞬き一つする間にまるでカーテンが開けられたかのように景色が戻ってきた。
これが以前クロエが言ってた特殊な属性の魔法ってやつなんだろうか?
いうなればこれは影魔法…、おお、めちゃくちゃかっこいい響きだ。
「どうやら無事に見つかったようだな。」
「王様!?あれ、ここ城の中か!」
気が付くとそこは見覚えのある城の中、それも初めて王様に謁見した部屋であるようだった。
驚いている俺を余所に、ノエルとクロエは待機していた騎士に犯人連中を引き渡し、騎士たちといくつか言葉を交わしている。
すると一人の騎士が慌ただしく退出していったので、恐らく火事が起こっている小屋に向かったんだと思う。消火しないで出て来ちゃったからね、俺たち。
それにしてもいきなり城の中というのにも十分驚いたんだが、それ以上に周りに居るメンバーの異色さに目を疑ってしまった。
リュカは分かる、身内だし縁もゆかりもありまくる兄貴分なわけだし。だからその隣にアンリさんが立っているっていうのにも納得がいく。
しかし…。しかし、だ。
なぜこの場にシルド・ユノ率いるエルフ族数人と、ツバキ姐さん率いる鬼神族数人、そして思えば名前を聞いてすらいない一緒にダンスを踊った獣人族の司令官…もとい、お姉さまと他数人が揃っていらっしゃるのかしら!?
というか獣人族のお姉さまが一番わかんないんだけど、そんなに絡みもなかったし。
みなさんお揃いでいかがなさいましたか!?
「ナユタ、大事なくてよかった。見たところ大きな怪我もないようだし、安心したよ。」
「あはは、心配かけてごめんなリュカ。おかげさまで何とか生還で来たよ。」
「まったく、お前が居ないと聞いてどんなに心配した…」
「なーにーがっ!あはは、ですか!貴方は自分が死んでたかもしれないって分かってるんですか?分かってないんでしょうね!能天気な貴方はそれで良いのかもしれないですけどね!待たされていた私たちがどんな気持ちでいたのかくらい考えてみてもいいんじゃないですか!?」
「…なんか男の方のアンリに怒られてるみたいだ、もしかして血縁だったりします?」
「………。」
「あ、ごめんなさい。深く反省しておりますのでそう睨まないでぇ!みんなに心配かけちゃったことは申し訳なく思ってます、いや本当に!…それに、ありがとう。こんな風に集まってくれるなんて思って無かったから、不謹慎かもしれないけどすっげぇ嬉しいですっ!」
「…ちっ、もういいです。貴方はそういう人だって事をすっかり忘れていました。それに、それはあなたの性分ですし、私が口を挟むことでもありませんものね。」
「い、いま舌打ちしませんでした!?アンリさぁん…。」
「そんな顔しないで下さい!別に怒っているわけではありませんから。いえ、怒ってはいるんですけど…。」
「どっちなんですか!?」
「あーもう!怒っていません!この話はこれで終わりです!以上、終了!!」
「えー、でもぉ。」
「しゅ う りょ う です!!」
「…はい。」
なんというデジャヴ。
これはもしかしたら本当にアンリとアンリさんは血縁かもしれないと思うんだけど、どうだろうか?
うーん、そう思い始めるとなぜか声や顔まで似ているような気がしてくるから不思議だよなぁ。
はは、さすがに同じ名前で血縁って事はないんだろうし、他人のそら似って奴なんだろうけどさ。
…ん?なんか裾を引っ張られてるみたいなこの感じは何だろう?
ふと後ろを振り返ってみると、そこには俺の裾の端を握っているシルドの姿があった。
ちなみにパジャマ姿である。
「どうした、シルド?」
「ナユタ、武士で良かった。心配したよ、むにゃむにゃ。」
「いや、俺は侍じゃないし。それに、心配したって言う割にはむにゃむにゃしてるじゃねーか。もちもちほっぺを突いたろか、うりうり。」
「むー。」
「いえいえ、ナユタ君。お嬢様がこの時間に起きてるって事はなかなかの奇跡なんですよ?普段からこんな風に素直に起きてくれるとありがたいんですけど…。まあつまり、ちゃんと心配してたってことです。お嬢様も、私もね。」
「ユノ…。そっか、ありがとうな、シルド。」
「ん。」
「いやぁ、ほんまに無事で良かったなぁ。ナユ坊が死んでるかもしれんて聞いた時は肝冷やしたもんやけど、せやよねぇ、そない簡単にはくたばらんよねぇ。うんうん、うちはちゃぁんと信じとりましたえ?」
「おうよ!もちろんだぜ、ツバキ姐さん。ま、正直危なかった所もあったんだけど、結果的に生きてるから問題ないよな!」
「何ゆうてはるの、ぜぇんぶ助けてもろたからやて知ってるよ?はぁ、ほんまにこん子はしょうがない子やわぁ。こないな事になるんやったら、ほんまにうちが飼ってしもてもええかもしれへんなぁ?」
「うへぇ、それは勘弁してくれよツバキ姐。次からはちゃんと気を付けるからさー。」
「次も攫われる予定があるとは驚いたな。まったく…隙があるから卑劣な輩に狙われるのだ、もっと鍛錬を積んで己を磨け。自分に牙を向けることが相手にとって如何に不毛で無意味であるかを知らしめれば、おのずと付け狙う奴らも減るというものだぞ。」
「いや、もうおっしゃる通りですよ…。今回の件で如何に自分が力不足なのかを痛感しました。これからはもう少し実践向けの修行が必要になるだろうなぁ…。」
「ふむ、お前が望むなら稽古を着けてやらんこともないぞ?そのかわり、お前は私の話し相手をすることになるだろうけどな。」
「あはは、それは願ったり叶ったりですよ。ちょうど俺も、あなたともう一度話がしたいって思っていたところなんです。ぜひ機会が在ればお願いしたい。」
「…ふ、本当にお前は変わっているな。」
少し呆れたように笑うその人にこちらもニヤリと笑ってみせると、どこからともなくくぐもった笑い声が聞こえてきた。
おうおう、誰でい、今笑った奴は。怒らないから前へでな!
そんな気持ちで声の主を探してみると、今も絶賛爆笑中の王様が目に入った。
…どうか見なかったことに出来ないだろうか、めんどくさい香りがぷんぷんする。
「くくく…この状況は余も考え及ばなかったぞ?ナユタ、そなたは余を笑い死にさせるつもりか?」
「いや、そんなこと言われましても…。俺はこの状況どころか、その前の段階から何も把握できてないんですけど。それで結局のところ、何がどうなってるですか?」
俺がそう言うと今まで笑っていた王様の雰囲気が、がらりと変わった。
空気は一瞬にして重く冷え切り、息ひとつするにも肩に力が入ってしまうほど辺りに緊張が広がっている。
王様はどこか憂いを含むように目を細めると、固く閉ざしていた口を開いて呟くようにこう言った。
「…ラプラント公爵が死んだ。」
「え…」
「寝室で倒れている所を臣下の者が発見した。死体の状況からまず間違いなく他殺、それも最近噂になっている殺人鬼の仕業である可能性が非常に高いということが分かった。」
「粛清者…。」
「ほう、知っているか。ならば話は早い。この手口による殺人は被害者が1人とは限らない、一夜にして何人も殺されていたという事例もあったのだ。故にラプラント公爵の他にも被害者が居る可能性を考慮し、城内に居る全ての者の安否確認を命じた。するとナユタ、そなたの所在だけが確認できずにいたのだ。そこで…」
「そこで私と騎士団の方々でナユタの捜索を開始したの。ちょうど不審人物の捜索をしていたらしくって、すぐに動ける人達が集まってくれたのは嬉しい誤算だったわ。…それでも結局は見つけ出すことが出来ずに、徒労に終わってしまったのだけれど。」
「その騒ぎを聞きつけたうちらは、各々事情を把握した上で力貸したろ思てここに集まったって感じやね。しかしまぁ、こない不思議な顔ぶれが揃うとは思わへんかったから、そらぁ驚いたわぁ。ふふ、ナユ坊は意外とモテるんやねぇ?」
「おい、変な言いがかりはよしてもらおうか。私はただ、捜索が難航しているのなら手を貸してやろうと思っただけだ。この者の匂いは記憶していたし、顔見知りが行方知れずと言うのもあまり気分のいい話ではないからな。よって情ではない、義理だ。そこは履き違えないで貰いたい。」
「ふふ、こわいこわい。そないぎょうさん理由付けんでも、助けてあげたかったからでええんやないの?なんや頭の固いお人やねぇ。」
「なんだと!?」
「きゃー、たすけてナユ坊。うち食われてまうー。」
「…ツバキ姐、あんまりからかわないの。」
「ふふ、はぁーい。」
俺の後ろで隠れるように小さくなっているツバキが可愛く返事をしたは良いんだが、そこから動く気はさらさらないようでいまだに俺の手を握ったまま座り込んでいる。
当たってるんだが…角が。
さっきから微妙に刺さっては離れてを繰り返していて地味に痛い。
しかし、たぶんこれはわざとだし、ここで指摘するとまた話が脱線しそうなのでグッと堪えることにした。決して角の感触が癖になってるだとか、そういう事では断じてないので勘違いしないで頂きたい。
それにしても、みんなで俺の事を探してくれてたんだなぁ。
今の正確な時間は分からないが、かなり深い時間であるのは確かだろう。
そんな遅くまで、今日知り合ったばかりの俺の為にみんなで力を合わせてくれていたなんて…!
特にシルドはまだ子供なのに、俺の為に頑張って眠気を我慢してくれたんだな。
くっ、泣かせにくるじゃねーか!こんなに優しくされちゃったら誰だって胸がいっぱいになるってもんだろうよ!
「みんな、俺の為にありがとう…!」
「あ、いえ、私たちはただ集まっただけで何もしていないんですよ。」
「な、なにぃー!?この話の流れでそんな事ってある!?それに、俺の匂いがどうのって話をしてたじゃないですか…ねぇ?」
「あー…そうなんだが、私がここに着いた時には既にこのメイドがここに居てな。この能力ならば下手に動かずここで待機していた方がいいだろうと判断したのだ。」
「メイドって、クロエの事ですか?そう言えばそれが一番気になってたんだった。なぁ、クロエはいつ王都に着いたんだ?」
「はい、私が王都に着いたのは先ほど…時間にして30分くらい前でしょうか。姫様の要請を受け、主様のお許しを頂いたのちこちらに参りました。」
「それはその、クロエの魔法で?」
「…はい、そうです。あらかじめ姫様とは結びを施してありましたので、許可さえ頂ければいつでも馳せ参じることが出来るのです。」
「へぇ…。ってことは、もしかして俺を見つけ出せたのもその魔法の…」
「その辺りの話は後にせよ。今はお前の知っていることを全て話すがよい、ナユタ。そなたが生きている以上、例の殺人鬼とは別件なのであろう?」
そうだ。クロエの話も気になるが、まずはこちらの情報を伝えて事態の確認をしなくてはいけないよな。
たまたまラプラント公爵が殺されたから俺は今も生きられてる訳だが、果たしてこれが偶然なのか必然なのか…まずはそれを見極めたい。
俺はパーティーの途中に邪竜の前でラプラント公爵に絡まれた事、そして部屋に帰る途中で伯爵とその手下と思しき数人に攫われたことを話した。
これだけ聞くと、どこのヒロインの話だろうと頭を抱えたくなるのだが、そんな俺とはおそらく別の理由で苦虫を噛み潰したような顔をしている王様の姿がそこにはあった。
俺が言うのも変な話だが、すごく珍しいものを見ている気になる。
王様といえばもっぱらこういう顔をさせる側の人間であり、こんな風に予想外の事態が起こって困惑させられているみたいな振る舞いをされると、とても違和感を感じてしまう。
しかし、現実的にこの王様を困惑させるだけの事態が起こってしまったという事なんだよな。
だがそれも当然だろう、信頼していたはずの人間が裏切っていた上に、罰する事も出来ず殺されてしまったのだ。
こんな事実、いくら王様でもショックが大きいだろうさ。
こんな時、俺はなんて声を掛けたらいいんだろうか…
「王様、あの…」
「一度、坂を転がりまじめた石は容易には止まれん。」
「え?」
「しかしそれは、困難と言うだけであって断じて不可能ではないのだ。余はそれを気づかせねばならんかったのだが…、これほどまでに強固であったか。」
「なんの、話ですか?」
「…ナユタ、そなたに命ずる。余のひざ元で不貞を働く歪んだ殺人鬼を捕え、我が前に連れて参れ。」
「は、はいぃ!?いやいや、なんで俺!?この件に関しては本当に何にも知らないし、第一俺は一般人なんですけど!!」
「いいや、この件はそなたが適任だ。そなたにしかできない…とは言わぬが、そなたならば正しくその者を見出すことが出来るだろう。」
「えぇ…いや、そんな事言われましても。あー、ちなみに拒否権などは…?」
「ない。勅命である。そなたには導使節の名を与え、あらゆる場所への入室を許可する。これより解決に向け励むがよい。」
「………………はい。」
こうして俺は再び王様の無茶ぶりを受け、王都を騒がす粛清者の捜索をすることになった。
とは言っても手がかりなんてまったくないし、どこをどう探せばいいのか皆目見当もつかないんだけど。
ま、今回は期限が付いていないだけ前回よりはマシだと思って、出来うる限りの事はしましょうかね。




