第二章 13 表の顔
聞き覚えのある単語な気がして記憶を遡っていると、頭を上げたヴィーが申し訳なさそうに再度口を開く。
「あの、き、傷を治療してくれたんです、よね?その、ごめんなさい。私、あの、お金…持ってなくて。」
「あぁ、そんな事か。それなら気にしなくていいよ、俺が出すし。」
「いやいや、いらないよ。というか、僕も君も立場はそう変わらないだろう?だからお代は貰えない、これは僕が勝手にしていることだからね。それにもし君と僕の立場が逆だったとしても、君は同じことを言ったんじゃないのかい?」
「…ん、確かに。んじゃ遠慮なくそうさせてもらうぜ?」
「あぁ、もちろん構わないよ。」
「だってさ。だからヴィー、お金の事は気にしなくていいよ。」
「え、でも。薬とか包帯とか…タダでもらえるなんて、おかしいです。わ、私にこんな事してもお兄さんたちに何も良い事、ないですよね?私は…な、何も返せないけど、私にできる事なら何でもしますから、だ、だから何かお礼、させてください。」
え、今何でもするって言った?え、今何でもするって言った!?
うわーマジか!どうしよう、何してもらっちゃおう!なんてったって何でも、だからなぁ。
マジで悩むー、うー、どうしよう。いざ何でも言うこと聞きますって言われると、結構何も出て来ないもんなんだぁ…。いや待てよ?何も一つだなんて言ってないんだから、好きなだけ好きな事お願いしてもいいってことじゃね!?
ひゃっほーい!好きなだけ何でもしてもらえるぞぉ!まずはどうするぅ?やっぱお着替えかなぁ?可愛い服をいろいろ着て見せてほしいよなぁ。フリフリのドレスを着て歌って踊ってもらうのもいいよなぁ。
はぁー、夢が広がるなぁ。まるで天国に遊びに来たみたいな気分だぜぇ…。
はっ!…いけねぇ、つい反応してしまったぜ。
リアルじゃ滅多に聞かない悩殺ワードだったもんだから、ついあんなことやこんなことを想像してしまったじゃないか。
危ない危ない、もし俺がロリコン変態野郎だったら下品な妄想を全力でに撒き散らしていたところだぜ。
良かった、ロリコンじゃなくて。
「ん?何かなレーヴ君。」
「いや…なんでもないよ。」
んー?気のせいかなぁ?
レーヴの目は閉じたままなのに、なぜか冷ややかな目線を送られたような気がしたぞぉ?
まったく被害妄想も甚だしいよな、そんなわけないのにさ。ははっ。
「いいか、ヴィー。そんな軽率に何でもするなんて言ってはダメだぞ?世の中には色んな性癖を持った人が居て、その中にはヴィーのような子に悪戯をしようとする人もいるんだ。だからちゃんと気を付けなくちゃーいかん。肝心なのは言質を取らせないことだ。わかるか?」
「は、はい。わかり、ます。」
「いや…何の話をしているんだい、ナユタさん?」
「…情操教育?」
「えっ…」
「それとな、ヴィー。俺たちにもちゃーんと良い事あったんだぜ?」
「え?で、でも私、何もしてない…です。」
「俺たちはヴィーを助けることが出来て良かったって思ってるし、ヴィーの名前を教えて貰えてうれしいとも思ってる。ほらな?俺たちだってちゃんとヴィーから貰ってるだろ?だから、何かを返さなくちゃいけないなんて思う必要ないんだよ。俺たちの間で、そういう貸し借りはとっくにゼロになってるんだから、な?」
俺はそう言ってヴィーの頭を優しく撫でる。
ヴィーは初めこそびくびくしていたけど、しばらくすると慣れてくれたのか少し笑顔を見せてくれるようになった。
よかった、納得してくれたみたいだな。
こんな子供が大人に気遣いなんてしなくていいのに、変なところでしっかりしてるんだなぁ。
ま、何にしても意識はちゃんとしてるし顔色も悪くなさそうだし、これなら今日は帰しても大丈夫そうだな。
「…あの、ありがとう、ございました。私、こんなに人に優しくしてもらったの初めてです。」
「…そっか。ま、世界は広いからな、色んな人が居るだろうよ。でも俺なんかよりも優しい奴はたくさんいるからさ、安心して大きくなれな。そんで大きくなったら、ヴィーも誰かを助けられるような優しい奴になるんだぞ?」
「…はい。」
「…僕からも一つ聞いていいかな?君のその火傷だけど、いったい誰に付けられたんだい?僕の見立てが正しければ、それは魔法によってつけられた傷のようだ。しかしどうも普通の魔法とは、何かが違うような気がする…。そう、例えるならまるで次元を超越した…いや、まさかね。それで、どうだろう?何か覚えていることはないかい?どんな魔法だったとか、どんな相手だったとか…」
あの火傷が魔法の傷…?
すごいな、そんなことも分かるのか。
うーん、もしかしたらレーヴはノエルみたいに何か特別な力を持ってたりするのかもしれないな。
さっきヴィーに手をかざして何かを見ていたようだし、あの火傷が魔法によってできたものだと分かるのもその力が関係してるのかも。
「…それが、覚えていないんです。気が付いた時にはもう火傷だらけで、頭もぼうっとしちゃってて…。」
「うーん。何か事件に巻き込まれて、その衝撃で記憶の混乱が起こっている…みたいな事かな?」
「詳しいんだね、ナユタさん。うん、もしかしたらそうかもしれないね。さっき見た時は呪いの感じはなかったし、心の問題なのかもしれない。」
「心…ですか?」
「うん、時々そういう人が居るんだよ。でも、大丈夫。時間が経てばよくなることもあるから。そうだな…、もし不安で眠れなかったらこれを飲むと良い。心が落ち着いてぐっすり眠れるよ。あと、これも。こっちは火傷の薬だ。明日の朝になったら患部を軽く拭いて、もう一度この薬を塗るんだ。そうすればほとんど治るはずだから。」
「こ、こんなに貰えないです。私、何も…」
「いいんだよ、さっきナユタさんが言っていただろう?大丈夫、お返しは何もいらないよ。僕が好きでやってることだからね。」
戸惑うヴィーにレーヴは優しく微笑んで、薬の入った袋を手渡した。
ヴィーはそれでも遠慮しようとしていたけど、レーヴの「子供を守るのが大人のお仕事なんだよ」という言葉におずおずと礼を言って受け取ってくれた。
これでヴィーは大丈夫だろう。
火傷の原因が分からないのは気がかりだけど、ひとまず怪我が治るならそれで良しとしよう。
「あの、私…そろそろ帰らないと。」
「おぉ、そうか…ってその格好はまずいよな。素肌に包帯巻いただけって…どこのレイヤーだよ。ほら、俺の上着着て行け。変な奴に目を付けられたら大変だからな。なんなら送って行こうか?」
「あ、ありがとうございます…でも大丈夫です。一人で、帰れます。」
「そっか…。んじゃ、そこまででいいから一緒に行こうぜ。俺もこれから行くところあるし。」
「…はい。」
渡した上着を着せてヴィーが頷くのを確認すると、俺はレーヴに向き直った。
短い間とはいえだいぶ世話になったなぁ。
つーか、こんなに迷惑かけたのに嫌な顔一つしないなんて、どこまでいい奴なんだよ。
ほんと、出会えたのかレーヴでよかったなぁ。
でなきゃ俺もヴィーもこんな風に笑ったり出来なかったかもしれないもんな。
「ありがとな、レーヴ。俺一人だったら慌てるばっかりで何もできなかったと思うよ。」
「そんなことないさ。ナユタさんなら僕が居なくても、ちゃんとこの子を助けられたはずだよ。」
「ははっ、あんたって本当にいい奴だよな!そんじゃ、もしまた近くに来たら寄らせてもらうよ。今度はちゃんと客としてさ。」
「…それは、楽しみだね。その時はどうぞ、ご贔屓に。」
胸に手を当てて仰々しく頭を下げるレーヴに、俺は思わず声を出して笑ってしまった。
何ともユーモアのある面白い奴である。
背の高さとなかなかの強面に一目見た時はちょっと萎縮してしまったけど、なんてことはない。蓋を開ければ気のいい面白い奴なのだ。
人は見かけに寄らないというか…見た目で損するタイプだよな、レーヴの場合。
こんないい奴なんだから、一目でわかるように小鳥でも肩に乗せておけばいいんじゃねーかな?
雨の中、捨て犬に傘を貸してやる不良的な雰囲気が出てモテるんじゃないかと思うんだけど。
ま、現状何も困ってないなら無理に雰囲気作る必要もないか。
「それじゃ、俺たちはもう行くな。またな、レーヴ。」
「あぁ。またね、ナユタさん。」
「し、失礼します。」
ヴィーと一緒にレーヴの店を出ると、レーヴが外まで見送ってくれた。いや、見えてはいないんだけど。
それでもその気持ちが嬉しくて、つい顔がにやけてしまう。
まずいな…。ヴィーを隣に笑っていると、結構な不審者感が出てしまうぞぉ?
これで狐面も着けてたら完全にアウトだったな。外しておいてよかったぁ…
心の中でヴィーに感謝していると、不意に視界の端を緑の何かが通り過ぎたような気がした。
俺は吸い寄せられるようにそれを目で追うと、どうやら緑のリボンを付けた女の子とすれ違っただけだったみたいだ。
ってあれ?あの子確か、馬車から街を覗いていた時に見かけた子だったような…
少し気になったのでそのまま振り返ってみると、その子は店の前に立っていたレーヴに楽しげに駆け寄って行ったのだった。
「せんせっ!お店の前に居るなんてめずらしいね!何やってたの?」
「エルさん、柄じゃないから僕を先生と呼ぶのはやめてくれって言っただろう?」
「えー、だって先生は先生でしょ?私に魔法を教えてくれてるんだから”先生”、ねっ?それとも先生は師匠って呼ばれる方が好き?それならそう呼ぶのも吝かじゃないけれど…。」
「はぁ…、わかった。好きにしていいよ。それで、今日も店に入り浸るつもりなのかい?」
「入り浸るなんて失敬だなぁ。勉強しに来てるんだよ?そ・れ・に…じゃーん!今日はお菓子も作ってきたのだー!!一緒に食べようね、せんせ?」
「はいはい、お茶を淹れるから少し待ってて…」
そう言って二人は仲良さそうに店の中へと入って行った。
な、なんですとー!?
レーヴの奴、いい年してあんなに可愛い年下の彼女が居るのかよ!?
いや、先生って呼ばれてるからには弟子…なのか?
あーもう、どっちだって同じだ!なんてけしからん!
あんなに可愛い女の子に「せんせっ(はぁと)」なんて呼ばれてるなんて…
なんて…なんて羨ましい!羨ましいぞぉ!!
おのれ、レーヴ…次に会った時は覚悟しておけよ。あの子との馴れ初めから最近行ったデートスポットまできっちり全部吐かせてやるんだからなぁ!!
「あ、あの、どうしたんですか?泣いてるんですか?」
「いや、泣いてはないよ。ちょっと黄昏てるだけ。…なぁ、ヴィー。何か美味しいものでも食べに行こうか。奢るからさ、付き合ってよ。」
「え、でも…、はい。」
そうして俺は大通りに出た後、ヴィーと一緒にタオブを一つずつ買って食べることにした。
さっきはあんなに美味しかったタオブが、ちょっと塩辛く感じたのはきっとお店のせいではないだろう。
タオブを食べ終えて少し元気になった俺は、ヴィーと一緒に街の東側に来ていた。
ここは大通りから少し外れた街の端の方で、食品類を扱っているお店が多く並んでいるようだ。
食品類と言ってもさっき立ち寄ったような出店感のある店ではなく、ちょっとお高そうなレストランや贈答用の品を取り扱う店が立ち並んでいる。
…だというのに、ここは城門に近いせいなのか旅人らしき人が多く居るように見える。
巨大なハンマーを持った屈強な男、黒いローブを被った黒魔導師風な女。
日本だったら職質待ったなしの怪しげな連中も、この街では普通に闊歩しているようだ。
この街…治安はいいのか悪いのか、判断が難しいところだな。
「うーん、この辺りだと思うんだけどなぁ?」
俺は地図を見ながら首をひねる。
セバスちゃんがおすすめしてくれた店は確かにこの辺りのはずなんだが、どこを見てもそれらしき店は見当たらない。
んん?もしかして俺って地図読めない系男子になっちゃったのか?
「なぁ、ヴィー。この店に行きたいんだけど分かるか?」
「え、えっと、うんと…。こ、これは一本下の道だと思います。さっきの道から下に行けます。」
「そっか、下なのかこれ。えっと、こっちか?」
「い、いえ。こっちです。」
そう言ってヴィーは俺の手を引いて道案内をしてくれる。
おぉ、ちょっと気を許してくれたのかな?これは嬉しい。
小さい手で俺の手をぎゅっと握って先導するヴィーの姿に、何とも言えない庇護欲のようなものが駆り立てられる。
特に俺の上着をワンピースのように着ているのがたまらない。
絶対守ろう、この天使を…!
そうしてしばらくヴィーの後について歩いていくと、何ともおしゃれな外観の洋菓子を扱っているような店の前に着いた。
おおー、ここがセバスちゃんのおすすめの店…ずいぶん可愛いな。
「あ、あの。私はここで、失礼します。もう、すぐそこが、家…なので。」
「え、そっか…。ここまで案内してくれてありがとうな!すげぇ助かったぜ。」
「え、あ、いえ…。私こそ、いろいろありがとう、ございました。あと、その…タオブ、おいしかったです。」
「あー、あれ美味いよな!俺も気に入ってんだ。ヴィーさえよければさ、また食いに行こうぜ!俺はしばらくこの街に居るし。」
「え!?あ、あの…。じゃ、ご縁が、あれば…ぜひ。」
「おぉ!んじゃ気を付けて帰れよ。あと薬、ちゃんと塗るんだぞ?」
「は、はい。それじゃ…」
「またな!」
何度も振り返りながら頭を下げるヴィーが路地を曲がるところまで見送ると、俺は目の前の店へと足を踏み入れた。
カランカラン、とドアに着けられたベルが鳴ると、即座に店員が現れて俺を連れて店内の説明をしだす。
ぐ、この店員さんとマンツーマンな感じ…苦手だ。
日本でも服屋に入った時にお店の人に声を掛けられるのが嫌で、何も聴いてないのにイヤホン着けたりするほどなのだ。
だというのに、この「何をお探しですかー?ご贈答用でしょうかー?ご予算はいかほどですかー?こちら新商品でーす!」と根掘り葉掘り聞いてきては最終的に新商品をおススメしてくる感じ…もうやだ、タスケテ。
「あ、あの、すみません。実は俺、知り合いに紹介されて来ただけで、特に何か欲しいものがあって来たわけじゃなくて。」
「左様でございましたか。わざわざ当店までお越しくださりまして、誠にありがとうございます。差支えなければ、ご紹介いただいた方のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「え、あ、セバスツァンという城で執事をしている人なんですけど…」
「セバスツァン様!?さ、左様でございましたか!それはそれは…。ではこちらなどいかがでしょうか?セバスツァン様はいつもこちらをお求めになられるのですよ。」
そう言って店員が出してきたのはチョコレートの入った小さな箱だった。
一つ一つの形が違って、ナッツが付いていたりジャムのようなものが入っていたりするようだ。
何とも可愛らしい…まるでヴァレンタインが近づくと現れるチョコレートの詰め合わせのようだ。貰ったことはないけど。
セバスちゃんはいつもこんな可愛いもの買って行ってるのか…
「えっと、じゃそれを下さい。」
「はい、ありがとうございます。今回セバスツァン様のご紹介という事でしたので、特別に銅貨1枚でお譲りいたします。」
「あ、ありがとうございます。」
果たしてどのくらい値引きされたんだか分からないけど、とりあえず帰ったらセバスちゃんにお礼を言っておかないとな。
そしてこれは、夜ノエルが来た時にでも一緒に食べるとしよう。
ノエルもこのチョコ好きだといいけど…。
そのままチョコは丁寧にラッピングされて礼を言いつつ会計を済ませると、店員がドアを開けて仰々しく送り出してくれた。
こんなにVIP待遇されるとか、セバスちゃんはいったい何者なんだろうなぁ。
正直かなり恥ずかしかったんだが、他にも気になる商品がいっぱいあったのでまた近いうちに来てみるとしよう。
「あ、どうせならヴィーにも何か買ってやればよかったかもな。」
女の子が好きそうなお菓子がいっぱい並んでいたし、きっとヴィーも楽しんでくれたと思う。
よし、次会った時は誘ってみよう。そんで快気祝いとか言って、好きなものを一つ買ってやるとしよう。




