第二章 7 和解
食器を片づけた俺は精神を落ち着かせるために一度馬車の方に戻った。
あの空間に居たらテンションが高まりすぎて何をしでかすか分かったもんじゃないからな。
窓にかかったカーテンを退けて外の様子を見てみると、御者の二人がたき火を囲んで何やら話し合いをしているような雰囲気だった。
あれは地図…だろうか?大き目の紙を広げ、指を差しながら話をしているように見える。
とは言っても、この距離では声が聞こえるわけないし依然として仮面を着けたままなのでどんな表情で何について話しているのかはまったく分からないんだけどね。
しっかしアイツ等は飯食う時も寝る時もあの仮面を外さない気なんだろうか?
仕事上の決まりなのか個人的な趣味なのかは知らないけど、あれって着けてて蒸れないのかね?
俺がガキの頃に縁日で買った某戦隊もののお面なんかは、遊んでるとすぐ蒸れてきて長時間着けるなんて苦行でしかなかったもんだったけどなぁ。
その辺も魔法で何とかしてたりすんのかな?
結構万能だからなぁ、この世界の魔法は。
「お?おぉ、あれってもしかして結界か?すげ、目視できんだな。」
この馬車を中心とした半径…5mはあるだろうか?ぐるりと覆うような半球型のうっすら赤い色をした透明な膜が、ゆらゆらとまるで風に揺蕩う水面のようにその表情を変えながらその存在を主張していた。
これが結界…。
触れたものを有無を言わさず消滅させる謎の多い危険な魔法。
落ちれば二度と取り戻すことはできない次元の狭間…のはずなのに!
「何あれ、木とか岩とか微妙に結界に入っちゃってんじゃん!なんで無くなったり切り取られたりしてないんだ?」
例えばあの木なんかは幹と枝葉の一部が結界内にあるのに傷ついたり消滅している様子はなく、普通に風に揺らいている。
なんだなんだ、どういう事だ?
影響を受けない対象が存在するのか?それとも実は制御できてたりするのか?
いや、でもノエルの口ぶりからするにそういう感じではなさそうな…ん?いや待てよ?
俺が勝手に敵味方関係なしのブラックホール的なものだと思ってただけで、ノエルは別にそんな事言ってなかったような…
うーん、どうだったかしら…?
てか、そもそもこの結界を張っているのはイグニスなんだから、本人に直接説明してもらえばいいじゃねーか。
はは、そんな簡単な事に気づけないなんてアホだなぁ俺は。
おーい、イグニ…
「ここに居たのですね。」
「うお!?」
「…その、後片付けしてくれてありがとうなのです。それが言いたくて…あと、その…」
イグニスに声を掛けようとしたタイミングでリアが上にあがってきたようで、思わず変な声を上げてしまった。
風呂上り特有の上気したような赤い頬とまだ乾いていない髪をそのままに、リアは俺に礼を伝えにわざわざ上がって来てくれたようだ。
なんてことはないと返事をするが、どうもリアはまだ話があるようで何やらもじもじしながら言い淀んでいる。
…あぁ、なるほど。
「あのさ、さっきは悪かったな。しつこくし過ぎた、反省してるよ。これからはちゃんと気を付けるからさ、ごめんな。」
「は!?な、なんで先に謝るのです!リアが、謝ろうと思っていたのに…。」
「うん、だと思って先を越した。やっぱり悪いのは俺の方だと思ってるし、それに…何よりお前に先を越されるのは悔しいからな!」
「大人げないのです!悔しいと言うなら、リアだってあなたに先を越されてお腹がよじれるほど悔しいのです!」
「腹がよじれる?それ、使い方間違ってるぞ?」
腹がよじれるのは笑った時とかに使う表現だろ、そんなに楽しんでくれてたとは知らなかった。
もし悔しいって意味で同じよじらせ系を使いたいなら、腸日ごとに九廻す…とか使っとけばだーいぶ賢く聞こえるんじゃねーか?
よく知らないんだけど。
「キーッ!生意気なのです!リアはお腹がぐーるぐるするほど悔しかったから、これでいいのです!だいたい何なのですあなたは!あなたの何が悪かったっていうのですか!?…いきなり怒ったのはリアなのに。理由も分からず怒られて、あなたはの方こそリアに怒っていいはずなのに…。どうして謝ったりするのですか!」
「へ?うーん、確かにリアが怒った理由を俺は正確に理解してるわけじゃないけどさ。なんつーか、それでも俺が言った言葉で確かにリアを傷つけちまったんだよな。ならその結果リアが怒るのは至極当然の感情だと思う。そんでもちろん傷つけた俺は謝るのが筋ってもんだろ?お前が怒った理由はわからなくても、お前が傷ついたって事実が目の前にあるんだから俺はお前に謝るべきだ。だから…ごめんな、リア?」
「…不公平なのです。これじゃ、あなただけ悪いみたいになるのです。だから…リアにも謝らせろなのです。………リ、リアは、誰にも言いたくない、知られたくないことがあるのです。でも、リアがそれを隠したいと思う事にあなたは関係がなくて、八つ当たりだってわかっていたのです。でもだってそれはあなたたちにとっては当たり前の事だから仕方がなくて、知られたくないのに理解してほしくてでも言えなくて。ちゃんと分かってるつもりなのですがどうにも抑えられなくなる時があってそれでっ…」
「リア、別に全部話さなくてもいいんだぜ?お前が苦しくなるなら、俺はそれを知りたいとは思わない。だから、ゆっくり話したい事だけ話してくれ。な?」
話せば話すほどリアの目から光が失われていくような気がして、見ているこっちが苦しくなった。
そんなに追い詰められるなら、全部話す必要なんて全然ない。
俺はリアの事を知りたいとは思っているけど、それでリアがさらに傷つくっていうのなら何も知らないままでいい。
俺はコイツを苦しめたいんじゃない、ただ仲良くなりたいだけなんだ。
だから今にも泣きだしそうなリアをこのまましゃべらせておくわけにはいかなかった。
「…むぅ。リアとしたことが、少し取り乱してしまったのです。えっと、じゃあ単純にしますです。…急に怒ったりしてごめんなさいなのです。リアは、あなたの事気に入らないですが別に嫌いってわけではないのです。明日までの短い付き合いとはいえ、ここで禍根を残してしまっても嫌ですからちゃんと謝罪するのです。」
「ふ、お前それ…後半はちゃんとした謝罪だったか?うん、まぁいいや。その謝罪確かに受け取りましたよっと。んじゃ、これで仲直り…でいいんだよな?」
「な、全っ然違うのです!リアはあなたと仲良くなったつもりは一瞬だって無かったのですよ!まったく図々しいにも程があるです!…まぁ、姫様の前だけなら仲の良いフリしてあげてもいいですけど。」
「ぷぷっ!」
「なっ!何を笑っているのです!むむむ~!もう、知らないのですっ!」
ぷりぷりと音が聞こえてきそうなほど怒ったリアは、そのまま俺に背を向けて下の部屋に続く階段を下りていく。
しまったな、つい笑っちまったぜ。
あの感じだと本気で怒ってるような感じではないけど、あとでもう一回謝っといたほうがいいかなー?
「…それと、お風呂の準備は出来てますのでとっとと入るのですよ。」
リアが一度立ち止まったかと思ったら、こちらに振り向くことなくそう言った。
なんだかんだで優しい奴だよな、コイツ。
「おう、ありがとな。」
「…ふんっ!」
そしてリアはそのまま下へおりていった。
可愛いじゃねーの、まったく困ったことに。
さて、それじゃお言葉に甘えて風呂に入らせてもらいますかね。
下の部屋と違ってここはずいぶん冷えるようで、だいぶ体が冷えてしまった。
ゆっくり…とまではいかないにしても、暖かいお湯でしっかり温まらせてもらうとしよう。
この時の俺は想像もしていなかったのだ、二人の女子が入った後の風呂がとてもいい匂いのする場所だという事に…!
「はー、興奮しすぎてのぼせるかと思ったぜ。」
風呂から上がって水を一杯飲みながら俺はそんなことを漏らした。
いや、比喩じゃなくて本当に死ぬかと思った。
自分の妄想力にここまで苦しめられる日がこようとは夢にも思ってなかったぜ。
ガキの頃からよく漫画読みながら妄想を膨らませてたんだが、ちょっと妄想力鍛えすぎちまったかな?
なまじノエルと風呂に入ったことがるから余計…はっ!いかんいかん。
頭をぶんぶんと振って、頭の中の煩悩を振り払う。
これ以上は本当にいかんです。
「それにしても、二人ともどこ行ったんだ?寝室か?」
風呂に入る直前、リアに「寝室にはベッドが一つしかないのであなたは上のイスで眠ってください。」と言われていたのでおそらく二人は寝室で寝るのだろう。
いや、さすがに同じ寝室で寝れるとは思ってなかったし二つ返事で了承したんだけど、まさかお休みも言えずに寝室に行ってしまうとは思わなかったからちょっと寂しい。
まぁ思わぬ戦闘もあったし、疲れているだろうから仕方ないとは思うんだけど…
「寂しいねぇ…」
「何がです?」
「うわっしょーい!…ってなんだリアか、ビビらせんなよまったく。」
「うわっしょい…?何にしてもあなたが勝手に驚いただけなのです。まったく失礼極まりないのですよ。」
ぶつぶつと文句を言いながらリアは水差しに水を入れ始める。
あれ?コイツ今上から来なかったか?
「ん、ノエルも上に居るのか?」
「は?姫様なら寝室にいらっしゃるのです。言っておきますが覗いたりしたら…潰すのですよ?」
「ナニをだよ!?」
このガキ、意外と男の急所は理解してやがるのか!?
何て恐ろしい発想をする奴だ…
手の平をぎゅっとするモーションまでつける辺り確信犯だろ。
「姫様には先にお休みいただいたのです。あなたに挨拶も無しに眠ることを渋られていらっしゃいましたが、リアが伝えておくと説得してやっと眠って頂いたのです。だから起こしたりしたらただじゃおかないのですよ?…まったくここまで姫様の気遣いを頂けるなんて、とんだ贅沢者なのです。」
「さすがはノエル、律義で礼儀正しい最高の姫様だな。」
「あなたに言われるまでもない、分かりきってることなのです。そんな当然の事、分かったように言わないでほしいのですよ。それでは、リアは姫様の側に居ますので。何かあっても呼ばないでくださいなのです。」
「おいおい、そこは呼んでください…だろ?」
「ふんっ!」
リアは不機嫌そうな顔をしつつも俺に水差しを突きつける。
どうやらこれを持って上に行けを言う事らしい。
まったく、つくづく気の利く幼女だよ。
「ありがとうな。お休み、リア。」
「…おやすみなさいです。」
小さな声でそう言うと、リアは寝室へと入っていった。
そんじゃ俺も寝ますかね。
リアに貰った水差しを片手に馬車へと続く階段を上った。
「……………わお」
階段を上った先、本来座席があるだけの所に柔らかそうなクッション数個と厚手の毛布が用意されていた。
なるほど、さっきはこれを用意してくれてたってわけね。
リアの優しさに感謝しつつ、さっそくクッションを敷いて毛布に包まってみたが、これが思っていた以上に快適でかなりびっくりした。
上で寝るように言われた時は、会社の床に比べたらいくらかマシだろうくらいにしか思っていたんだがとんでもなかったな。
こんなに快適なら朝までぐっすり眠れそうだ。
まったく、これだからあの幼女を嫌いになれないのだ。
俺は貰った水を少し飲んでから、柔らかいクッションに身を預けることにした。




