第二章 2 転換点
飛び出してしまったナユタは御者と何か話したあと、手を広げるようにして子供に近づいて行き腰を折った。
私たちと子供の間に割って入る様な形になったため、子供の様子はこちらからでは窺えない。
このまま何もしなくて大丈夫かしら?
気になることがないわけではない。
あの子のレトワル…、あんな風になっている物を私は今まで見たことがなかった。
一つの点から新芽のように左右に伸びてそれぞれ宿す色が異なる。
これまでいろいろなレトワル見て来たけれど、そのどれとも違う複雑な色彩。
あんな幼い子が、いったいどのような生き方をしてきたというのかしら…
「姫様、何か様子がおかしいのです。」
リアの声にハッとしてナユタの様子を窺うと、確かに様子がおかしいようだった。
子供の目線に合わせていたはずのナユタが片膝をついている。
どうしたのだろうか…
「っ!?ナユタ!!」
完全に膝をついたナユタの頭に子供が手を置いたかと思えば、そのまま髪を掴んで思い切り地面に打ち付けた。
地面に倒れたナユタはそのまま立ち上がる気配がなく、そのまま側に屈んだ子供はナユタのお腹辺りに手を伸ばし何かをやっているようだ。
次の瞬間ナユタの魔力が込もった腕が子供に向かって振りおろされた。
しかしそれが子供に当たることはなく、驚くべき速さで距離をとったかと思えばその手には真っ赤に染まったナイフが握られていた。
このままではいけないっ!
「リア、絶対にここから出てはダメよ。内側から結界を張って、誰も居れてはダメ。いいわね?」
「え、そんなダメです!ひめさまも、ここにいなくちゃ…ダメなのです!」
「リアも見たでしょう?ナユタが怪我をしたみたい。それに怪我を負わせた張本人はまだあの場に居るわ。すぐに行かないとナユタの命が危ない。」
「それはそう、ですが…。でも、わざわざひめさまがっ、いく必要はないことです!こういう事の為の御者なはずなのです!」
確かに相手の目的が分からない以上、姫である私が安易に出て行くことは褒められた行為じゃないだろう。
しかしこの御者たちがナユタを助けるために動いてくれるとは思えないのだ。
であるのなら、今ナユタを助けられる人間は私だけだ。
「リア、お願い。私の大切な友達を助けるために力を貸して。私は彼をどうしても助けたいの。」
「ひ、ひめさま………。分かりましたのです。でも、一個だけ、約束いいですか?」
「えぇ、何かしら?」
「すーはー…。姫様は怪我をしてはいけないのです。姫様が傷ついたその瞬間、リアは全身全霊を持って姫様を連れて逃げるのです。ですのであのお友達を助けるのなら、姫様は傷一つ負ってはダメなのです。」
リアは震える手をぎゅっと握りしめながら涙をこらえて私にそう言った。
何て優しい私の従者。
この子を安心させるために出来るだけしっかりと笑って頷いてみせてから、気を引き締めてドアの外に飛び出す。
外に出るといつの間に降り始めたのか、空を覆う厚い雲から激しい雨が打ちつけていた。
まずいわね…
この車を引いているのは火の精霊・イフリートの分霊だ。
この程度の雨で消失するようなことはないが、それでも発揮できる力は半減してしまうだろう。
そんな状況でこの人物から逃げ切れるかどうか…
御者二人の内、一人は剣を抜いて刺客と対峙しておりもう一人は魔法で援護しながら戦っている。
しかしその状況は決して優勢といったようには見えない。
むしろすべての攻撃を避けられていて、こちらの消耗の方が大きいように思える。
このまま持久戦に持ち込まれてはこちらが不利ね…
「そのまま攻撃を続けていてください。あの刺客、只者ではないでしょう。私が魔法であの者の動きを止めますので、その隙をついて更なる攻撃を加えてください。」
「…かしこまりました。ですが殿下はそのまま後方で隠れていてください。」
「そういうわけにはいきません。彼を、助けなくては。」
ナユタの周りにできた水溜りはすでに真っ赤に染まっている。
急がないとこのままでは本当に手遅れになってしまうかもしれない。
ここで彼を失ってしまったら、私はシャルル様に顔向けできない!
「…御身をお守りする為に我々がおります。あの男を守る為ではありません。」
「結構です。彼は私が助けます、あなた方はそんな私を守ればいい。」
魔力を練る。
属性は氷、凍てつく大地に彼の者を繋ぎ止めるっ!
「お?おぉー。足がくっついちゃったー。すげー氷だぁ、きししっ、つめてー。」
「今です!」
御者は地魔法で刺客の足元から無数の槍を出現させその体を貫いた。
滴る血にはわずかに肉片も混ざっているようで、いくつかは雨に流されることなくその足元に留まっている。
やりすぎだ…
確かに命を狙ってきた刺客だが、ここまで惨い死に方をさせる必要は有ったのだろうかと考えてしまう。
分かっている、ここで命を獲らなくてはこちらが奪われてしまうのだ。
いくら相手が年端もいかない子供であったとしても、それを飲み込まなければ生きてはいけないのだ。
「ナユタ、今手当をするからね。」
いまだに動く気配のないナユタに近づいて呼吸を確かめる。
良かった、まだ息はある。
傷が深すぎて私の魔法では完治させることは難しいかもしれないが、止血さえ出来れば何とかなるかもしれない。
まずは腹部の傷を塞がなければ…
「きひっ、きししし…。もしかしておねーさんがお姫様ぁ?足を凍らせるなんてひっどいことするなぁー。痛かったんだよぉ?」
「っ!!」
すんでのところで初撃は避けられたが、ナユタから離れる結果になってしまった。
まずい、早く傷を塞がないといけないのに…!
「へぇー噂通り、戦えるお姫様なんだぁ?すごいねぇ、えらいねぇ。そのお兄さんも助けたいの?やぁさしー!」
刺客は体に刺さった槍をゆっくりと引き抜きながら楽しげに話をしている。
この子、どうして生きていられるの?
刺さった槍は数多く、その内数本は急所を貫いていたのに…。
「ん…んあっ!はぁ…、これでさ・い・ご!あー、痛かったなぁ。こんなに串刺しにして僕の事食べるつもりだったのぉ?きっししし!」
「あなた…、何者?なぜその状態で生きていられるの!?」
「んー?なんでって…なんでだろうねっ!僕も妹のヴィーも生まれた時からこうだったから理由なんて知らないよぉ。ただ全然死なないってだけで、痛みは感じるんだよぉ?むしろ痛いのに死ねないって辛くねぇ?だからさ、やさしーおねぇさん。たくさん痛い思いをした僕の代わりにぃ、おねーさんが死んでくれる?」
「っ!!」
突然私の眼前に刺客が現れたかと思えば、霧のように姿を消しそのまま辺りが深い霧に包まれた。
このままでは分断されて一人ずつ殺されてしまう。
しかし何とか合流しようにも、ここで下手に声を上げてしまえば敵に居場所を知らせてしまうかもしれない。
どうするべきか…
「くっ!」
「わー!今のを避けられるなんてすごいねぇ!きしし…嬲りがいがあるなぁ…」
背後から現れた刺客の一撃をギリギリでかわすと、彼は再び霧の中に姿を消した。
なるほど、相手からはこちらの位置が分かるようになっているのね。
このままでは彼の言った通り、嬲られるだけ嬲られてから殺されてしまいかねない。
何とかしてこの霧を晴らすか、御者たちと合流しなくては後がない。
「私はここです!そちらは無事ですか!?」
…………、ダメだ返事がない。
この霧が声すら吸収してしまっているのか、それとも既に殺されてしまったのか…。
もし後者だったとしたら…
「リア…。」
「お返事ないねー、嫌われちゃったのかなぁ?」
「なっ!あ、あなた…何故こんなことをするのです!誰の差し金ですか!?」
「えー、どうしよっかなー?おしえてほしーい?どうしてもぉ?」
「………………。」
「きっししし!どうせ僕が答えても信じないでしょー?僕が本当の事言うとは限らないしぃ?何よりおねーさんはここで死んじゃうしっ!」
「!?」
突然足元の水溜りから鋭いつらら状の刃が無数に飛び出してきて私の足をかすめていった。
身を翻しかわしたのもつかの間、立て続けに同じ攻撃が私を襲う。
なるほど、無数にある水溜りの分だけ攻撃範囲も広がるという事なのね…
「よっとぉ!」
「っ!!」
「すごぉい、ぱちぱちー!これだけ攻撃してかすり傷だけなんて大したものだねぇー、これで僕は安心して苛立てるってものだよぉ。」
そう言った途端、周囲に強い殺気が立ち込めた。
こうして立っているだけでも膝が震えてしまいそうになるほどの恐怖。
この子供、やはり相当な手練れだ。
おそらくこの霧だけでなく降りしきる雨も彼が降らせているのだろう。
いや、妹が居ると言っていたからその子が…?
だとしたら彼だけを警戒するわけにはいかない、新たな攻撃が加えられることも想定して動かなくては。
「考え事ぉ?つれないなぁ、僕という者が目の前にいながらっ!」
そう言いつつ後ろから攻撃してくる辺り、逆に読みやすいと思っていいのだろうか?
体の動きを最小限に、足を一歩下げるようにしてその攻撃を避ける。
すると倒れこむようにして手をついた少年がこちらに向かって飛沫を飛ばしてくる。
案の定その飛沫はつららのように形を変えると、私目掛けて襲いかかってくる。
やはりこの水を使った攻撃はなかなか厄介ね。
地面全体を凍らせたところで雨のせいで意味がないし、何よりどこに誰が居るのか分からないこの状況では迂闊に凍らせることもできないわ。
飛んでくるつららだけに魔法を集中させ、凍らせ砕く。
あまり魔力を消耗しないためにも、出来るだけかわせるものはかわそう。
そう思って追撃を警戒して身構えていたが、どうにも様子がおかしい。
さっきまでは攻撃した後すぐに霧に紛れて姿を隠していたのに、今は私の目の前にたったままゆらゆらと揺れている。
「あー、これっも、よけーられちゃうんのぉねー。うーん、めんどーだー。」
「面倒なら妹さんと一緒にお帰りになっては如何ですか?私たちとしてもそれは歓迎できる提案なのですけれど。」
「んーん?いやいや、帰るのはないでしょぉ。ヴィーはともかく僕はまじめなしっかり者だからぁ、頼まれた仕事はちゃーんとこなすんだよー。」
「なら妹さんだけでもお帰り頂けないですかね?お兄さんとしても妹さんが怪我をするのは嫌でしょう?」
「き、きっししし。おねーさん、必死過ぎぃ。そんなに言うなら帰ってあげるよー。…………みーんな殺したあとで、ね?」
「!!」
突然周囲の霧が濃くなったかと思えば今までの比じゃないほどの殺気が私に向けられる。
いや、違う。
私の目の前にいる少年からではなくそのもっと奥、集まる霧の中からそれは出ているように思える。
あまりの恐怖に体が硬直してうまく息がすえないっ!
そんなはずがない、あり得ないと頭の中で繰り返しても、目の前にゆっくりと歩いてくる巨大なそれは紛れもなく真実であると知らしめるようにその姿を現した。
霧を纏い黄金の瞳を持つ神聖な獣…
「きっしし、驚いてるぅ?もーちろん本物じゃないよぉ、アイツら人に姿みられるの嫌いだからーね。でも偽物でもないんだなー、この意味分かる?ねーねー、わかるぅ?」
「は、っ。三神獣、の狼…?そ、んなはず…」
「きしし、それだけでいいのぉおねーさん?今から食べられちゃうわけだけどぉ、それが最期の言葉でいいのーん?」
なぜ、だって。
三神獣の中でも人前に姿を現すのは麒麟だけのはず…。
いや、本物ではないって…、でも偽物でもない?
あぁ息がうまく吸えない、頭が働かない。
逃げなくちゃ、何より先に逃げなくちゃいけないのに!
背を向けた瞬間食われてしまうのが、悔しいほどわかる…
「…そ。じゃあお休み、やさしーおねーさん。」
覚悟を決めて目を閉じたと同時に、暖かい風が私を包み込んだ。
あぁ、これは狼の息なのだと体に力を込める…
が、いつまで絶ってもこの体を痛みが襲う事はなかった。
遊ばれている?そう思って恐る恐る目を開けてみると、目の前に広がっていた霧は嘘みたいに晴れていてさっきまで少年の側に居た狼の姿もどこにもなかった。
これも何かの策略なのかと刺客である少年を見るが、その彼ですら驚いているように目を見開いてとある方向を凝視していた。
彼の策ではない…?
では、いったい何が起こっているのだろう?
そう思い少年が見つめている方へ視線を向ける。
するとそこには、燃え盛る炎をその身に宿し佇むナユタの姿があった。




