第一章 2 始まりの朝~初めてのメイド~
あれから起こったことを説明させて頂こう。
誰に?
もちろん俺に。
あまりに色んな事が起こりすぎてちょっと混乱してるので、頭の中の整理も兼ねてここで一度まとめておこう。
まずは俺の質問に対するあの子の答えなんだが…簡潔に結果から言ってしまえば”得られなかった”ってことになるな。
あの時俺の言葉を聞いた彼女は一瞬キョトンとした後、たちまち顔を真っ青にさせてオロオロとうろたえ始めたのだった。
「まさか、そんな…でも、やっぱり」と一人呟きながら目の前の俺を凝視し続け、しびれを切らした俺が再度話しかけようと声を上げると、ビクッと体を硬直させ目を合わせたまま動かなくなってしまった。
それがあまりに気まずかったんで、とりあえず笑って誤魔化そうとしてみたら…それが逆に良くなかったのだろうな。
彼女はその大きな目にいっぱいの涙を溜めると、まるで絶望の淵に足を掛けた瞬間の様な悲痛に満ちた表情を浮かべた。
俺の笑顔はどうやら彼女をひどく傷つけてしまったようだ。
とにかく、この凍りついたかのような空間に居続けるだなんて事は俺にはできないので、どうにか緩和する術はないものかと思考を巡らせる。
…やはりこの空気を作り上げているこの少女をどうにかするしか手はなさそうだ。
そもそもこんな美少女が涙を浮かべているだなんて状況がいかんのだ。
この場を和ませ、且つ美少女の涙を止めるために必要なものと言えば何か……そう、”笑い”だ。
俺は忘年会用に温めておいた一発芸をかましてみるかと決意を固め、未だ涙を流し続ける少女の前に立ち上がり服に手を掛けた。
しかし俺が渾身の芸を見せようと腹を括ったそのタイミングで、遠くの方からこちらに向かってくるガシャガシャというけたたましい音が聞こえてきた。
おいおい、まさかモンスター出現とかいわねぇだろうなぁと内心怯えていた俺だったが、そこに現れたのが仰々しい甲冑を着たいかにも騎士と言った風体の人間たちだったので、ひとまずホッと胸を撫で下ろしたのだった。
それでもまだ敵か味方かわからなかったのでとりあえず不意打ちに備えて身構えていると、目の前に居た少女が弾かれたように彼らに駆け寄って行った。
どうやら彼らとは面識があるようで、少女は縋るような面持ちで話しをし始めた。
残念ながら話の内容までは聞き取ることができなかったが、現れた彼らの俺に向ける驚愕と憐みの視線で何となく察しはついた。
やれやれ、そろそろ俺にもちゃんとした説明をして欲しいもんだとため息をついていると、いつの間にかあの美少女と一緒に一人の老人が俺の側までやってきていた。
老人は魔法使いというよりは僧侶を思わせるようなローブをまとっていて、そのローブには魔法を使う時に何かしらの役に立つのだと思われる立派な宝石が施されていた。
いかにも威厳ある、地位の高い人間だという感じだ。
そんな老人は俺を隅々まで窺うように観察すると、立派な髭を蓄えたその口を開いた。
「シャルル殿、この老いぼれの顔を覚えておいでですかな?」
いや、そもそも俺はシャルルなんて名前じゃないんで。
覚えてるも何も初対面ですし、人違いじゃないですか?
そんな風に捲し立ててやろうかとも一瞬考えたのだが、お互いこれ以上ないくらいに混乱しているのは火を見るよりも明らかだ。
ここは変に突っかかったりせず会話を進めるのが最善手だろうと思い、俺は軽く首を振ってそれに答える事にした。
すると遠巻きに見ていた甲冑たち(よく見ると老人と同じようなローブを着た者も何人かいる)が隠すことなくどよめきだした。
えぇー、そんなびっくりされてもこっちがびっくりなんですけどぉ…という視線を向けたが果たして通じただろうか。
通じてないですよね、知ってた。
「ふむ。ではシャルル殿、ひとまずはこの神殿から脱出いたしましょうか。陛下には儂から伝えておきますので、本日はこのままお休みになるのがよろしいでしょうな。…いかがですかな?」
老人は器用に片眉を上げて俺を気遣うようにそう打診してきた。
どう、と言われても俺にはこの状況がさっぱり分からないからなぁ。
素直に言う事を聞くべきなのか判断できず、なんとなく美少女に視線を向けると「そのようになさった方がよろしいのではないかと思います…。」と弱々しく促された。
そうか、美少女が言うんならそうしようかな。
しかしなんだろうなこの感じ。
何か少女が俺に対して怯えてるような素振りを見せるんだが…俺、なんかした?
…まぁいい。
聞きたいことは山ほどあるが、移動するというのなら話す時間も作れるだろう。
道すがらしっかり話を聞いて、出来るだけこの状況を把握できるよう努めようじゃないか。
そしてあわよくばこの美少女ちゃんの名前も聞いてみよう。
そんな風に画策していた矢先、何故か不意に強い睡魔に襲われる。
おいおい、さっきまで寝てたっていうのに俺はまだ寝たりないのか?
成長期はとっくに過ぎてるはずなんだが…あ、やばい。これは抗えないかもしれない…。
急速に遠のく意識の中で、少女と老人が何か話しをしているのを聞いた気がした。
そして目が覚めたら、ここ。
見覚えのない部屋のまったく自分の臭いがしない布団の中で目を覚ましたのだ。
ざっと周りを見回してみたが、どう考えても俺の部屋ではない。
ここは寝室にしてはかなり広く、そして高そうな壺や絵画などが飾られている。
すげぇ、まるっきり金持ちの部屋って感じだ。
シンプルではあるが決して貧相ではない調度品は、この部屋…延いてはこの家の持ち主の品格の高さを物語っているかのようだ。
…まいったな。
こんな豪華な部屋に居るのが俺って、あまりに不釣り合いな気がしてならないんだけど。
例えるなら…そう、フレンチフルコースで納豆ごはんが出て来たみたいな異物感だ。
ここに居ていいのかな、俺。
いいや、よくない!だから帰ろう、今すぐ帰ろうそうしよう!
「で、帰れれば苦労しないんだけどなぁ…」
俺がそれはそれはデカいため息をついたのとほぼ同時に、部屋のドアがノックされた。
次いで凛とした女の子の声がドアの向こうから聞こえてくる。
「失礼致します、お客様。お目覚めになられておいででしょうか?」
「あ、はい。起きてます。」
そう声を掛けられて思わず返事をしてからふと思ったんだけど、もしかしなくても入ってくるつもりですよね?
ど、どうしよう、俺ってば100%寝起きの格好なのに…!
そもそもこういう時ってベッドから出てた方がいいのか?
体も寝る前ほど重くないし、動けるっちゃ動けるけど…というかそもそも誰なんだ?
まるで俺が起きた事を察したかのような絶妙なタイミングで声をかけてくるだなんて…忍びの者か?
そうこう考えている内に改めて失礼いたしますと声がかかり、開けられたドアから一人のメイドが入ってきた。
そう、メイドだ。忍びじゃない。
現代のミニスカ・ニーハイの萌え萌えキュンなメイドではなく、由緒正しい露出控えめなThe仕事着といった風貌のメイドだ。
…初めて見た。
「おはようございます。ご気分の方は如何でしょうか?」
そのメイドのあまりに洗練されたお辞儀に一瞬目を奪われたが、返事を促すような彼女の視線に我に返ると心を落ち着かせるように大きく深呼吸をする。
あぶねぇ、心を持っていかれるかと思ったぜ。
俺がメイド萌えだったら一撃だっただろう、それくらい美しい所作であった。
だが俺はすっかり正気に戻ってしまったので、涼しい顔で悠々と返事を返すことが出来るのだ。
「あぁ、えっと…おかげさまで。気分はだいぶ良い、です。」
ちくしょう、吃るな俺!
大人の余裕はどこに置いて来たんだ!
え、初めから持ってない?そんなー…
「左様でございますか。それでは本日、当家の主とご面会頂きたく思いますが…よろしいでしょうか?」
主?
それってこの家、って言うか屋敷なんだろうな、メイドいるし。
その持ち主ってことだよな。
何で俺がここに居るのかは分かんないけど、とりあえず世話になってるのは事実だし断る理由もないな。
顔色一つ変えないメイドの視線に応えるように俺はひとつ頷いた。
「こちらからもお礼を言いたいし、よろしくお願いします」
「かしこまりました、ではそのようにお伝えします。」
メイドはまた深々とお辞儀をすると、”オ召替エヲオ手伝イ致シマス”と言う魅了魔法を唱えて俺の服を脱がそうとしてきた。
現代日本においてそんなサービスを受けているのはごく少数であるだろうと思うのだが、俺もその例に漏れず他人に…ましてや初対面の女の子に着替えを手伝ってもらうなどという経験がある訳もなく(言わずもがな幼少期は除く)、出来るだけ丁寧に且つ失礼にならないよう辞退させてもらった。
大体いい歳した男が女の子と二人でお着替えとか…何か間違いでもあったらどうするつもりなんだ。
ここの主にはもう少し危機管理を徹底して欲しいもんだ、こんなうら若い女性が働いているんだから…
そしてあえて加えさせてもらえれば健康な20代男子の寝起きなのだ、そこはそれ…いろいろと察してほしい。