第一章 16 書庫deデート②
生まれてこの方ハーブティーなどという小洒落た物とは縁のない人生を送ってきた俺でしたので、多少の不安はあるにはあった。
そんなマダムが好んで飲んでそうな物を、果たして俺の貧乏舌は受け入れる事が出来るのだろうか?
…分かっている、俺はおそらく気負い過ぎなのだろう。
ハーブな上にティーなんてワードが繋がっているから敷居が高いように思ってしまうんだ。
しかしよく考えてみろ、ガキの頃からよく飲んでる夏のお供であるところの麦茶だって英語にしたらバーレイティーだ。
ほらオシャレ!めっちゃ敷居高そう!!
でも大丈夫、だって麦茶だから!
つまりそういう事だ。
人間とは兎角単純なものよのぉ…
なんて事を考えている内にクロエは慣れた手つきでお茶を淹れてくれている。
茶器を温めていたお湯を捨て、茶葉とアツアツのお湯を注ぐ。
「あれ、カップに移さないのか?」
「はい。お茶をおいしく淹れるためにはきちんと蒸らす時間が必要なのです」
「へぇ~」
そうしてクロエは蒸らしていたポットを何度か揺すると、それを片手に持ち高く掲げて…
おぉ!その高い位置からカップに注ぐの何かのテレビで見たことある気がする!
すごい、一滴も零れる事なくカップに注がれていくぞ!
まさかこんな所でこんな芸当にお目にかかれるなんて思わず、俺のテンションは目に見えて急上昇していた。
そんな俺を見てクロエは安心したように息を漏らしたが、残念ながらそれは、テンションの振り切れた俺には気づけないくらい小さなものだった。
どうぞ、とクロエは琥珀色の液体が注がれたカップを差し出した。
俺はそれを受け取ると確かめるように鼻先へ持っていった。
リンゴの様な甘い香り…、なんだかこれだけでも気持ちが落ち着くな。
たぶん今の俺、めっちゃα波出てる。
俺はお茶と一緒に用意された焼き菓子を一つ摘まむと口に放り込み、それを咀嚼しながらボーッと中庭の様子を眺める。
あ゛ー、普段使わない脳を使っていたせいか糖分が沁みるぅ。
中庭の美しい花を眺めながら美味しいお茶を口に含む。
それらの行為から、俺はどんどん癒しを吸収していく。
はぁ、なごむぜー…
「あ、見て見てクロエ。あんなところに猫ちゃんがいるよぉ。可愛いねぇ」
中庭の一角、ちょうど垣根を少し出たところに白地に茶色いトラ柄の猫が毛づくろいをしていた。
そこは日がよく当たる場所なのか、猫はそのままゴロリと横になると体をしならせ始める。
んもう、かーわーいーいー!
「…あぁ、ヌコさんですか。あの子は最近屋敷に出入りしているヌコさんの内の一匹です。」
「そっかぁ、ヌコかぁ…」
―――ヌコ…
え、ヌコ?
それって…何?
まさかとは思うんだけど、それって猫の事?
俺はがばっと立ち上がり窓に額を押しつけるようにして改めて毛玉の正体を確認するが、やはりそこに居たのは紛うことなく猫だった。
と、いう事は…?
この世界では猫の事をヌコって呼んでいるって事?
マジか、ちょっとそれは慣れるか怪しいなぁ。
まさかこんな所で異世界との微妙な違いが出てくるとは思わなかった。
何か…呼びづらい。
「あぁなんて素敵なヌコさん。もふもふ…」
!?
聞きましたかみなさん!
あの鉄仮面のクロエさんが頬を微妙に緩めてもふもふとか言いましたよ!
これはまさかの猫…改めヌコ好き説。
これは良い、クロエとはうまい酒が飲めそうだ。
「なぁ。クロエはネ…、ヌコが好きなのか?」
「はい。あのもふもふとした毛並みにもちもちなお腹、するりとしなやかな動きに愛らしい声。どれをとっても地上最高の生物です。ご存知ですか、ナユタ様?獣人族の中にはヌコのような見た目の御方がいらっしゃるそうなのです。残念ながら私は未だにお会いしたことが無いのですが、ジーク様のお話では騎士団の中にはそのような方がいらっしゃるそうなのです。もし私が王都に行くような事があったら、ぜひ騎士団本部に寄ってみたいと思っているんです。もちろんお邪魔にならないように影からそっと覗くだけのつもりですが…。」
わお、すっごいしゃべるやん。
どうやらクロエはヌコにメロメロなようだ。
先ほどから頬を少し赤らめたうっとり顔でヌコから視線を外しゃしねぇ。
日頃無表情なクロエの顔をここまで緩ませるとは、さすがはヌコ様やで。
だがわかる、わかるぞその気持ち。
猫に心を奪われた者の宿命、それはもう抜け出すことのできないエンドレスワールド!
そして俺はこう見えて猫検準一級を修める生粋のネコラーだ。
一流の猫師としては、ここで黙っているわけにはいかない。
クロエがどの程度の力を持っているのか、確かめさせてもらおうか…
「…なぁ、クロエはヌコの腹に顔を埋めたことはあるか?」
「え、ヌコさんのお腹に…顔を…!?そんな畏れ多いこと、私にはとても…!それに、人の身にそのような行為…許されるのでしょうか?」
「あぁ、許される。特別な訓練を受けていれば、な?例えば俺くらいになると、そのまま深呼吸だって出来ちまうんだぜ?クロエ、知っているか?ヌコを吸引すると精神がとても安定するんだ。まぁこれは、実家でヌコを飼っていたから出来た所業なのだが…。なぁクロエ、ヌコの毛並みは最高…だろ?」
「は、はい!最高、です。特に日に当たっている時に触るとふかふかで暖かくて…しかしそんなヌコさんに顔を埋めるだなんて、私にはとても…」
「自分の心に素直になれよ、クロエ。そうすれば世界はもっと自由に広げられるんだぜ?そうだな…、俺はあの耳を甘噛みしたことだってあるんだぜ?」
「まさかそんなっ!それを成し遂げられる人族が居るだなんて…耳を、甘噛み!?あぁなんて罪深い魅惑の響きなのでしょう…ですが、それはまだ人族には早い嗜好なのではないでしょうか?」
「あぁ。だが、それと同時に至高でもある。そして一度やったらやめられないほど魅力的だ。」
「ご、ごくり…」
「ほら、想像してみろ?あの可愛らしい顔についた二つの耳、そしてそれを甘噛みする自分!ひんやりしつつもモフッとしていて…。そして運が良ければちょっと嫌そうな鳴き声のサービスも…!うにゃん!!」
「う、うにゃん……はっ!わ、私はそんな、でも…」
「堪らないだろ?やってみたいよな?でもな、ここで残念なお知らせだ。実はそれをさせてくれるのは、しっかりと信頼関係を築き上げたヌコだけなんだ。たとえ野良ヌコと仲良くなれて、そしてそれをする事ができたとしても、それはたった一度だけの行為に過ぎない!己の欲は満たされても、せっかく築き上げたヌコさんとの信頼関係はガシャーン!だ。」
「あ…あぁ、そんな、せっかく最近触らせてもらえる日が増えて来たのに…。私は、夢を見ることもできないのでしょうか?」
「落ち込む気持ちもわかる。でもな、ここで諦めたら試合終了なんだぜ?夢ばかり見ずに現実を見るんだ。答えはもう、クロエの中にあるだろう?」
「答えは、私の中に…?」
「そう、今からでも遅くない。きっと俺たちなら成し遂げられるはずだ。さぁ、一緒にこの屋敷にヌコさんパラダイスを作ろう!」
「パラ…?いえ、ちょっと意味が分からないです。」
「ぐえ。」
急に戻ってくるローテンションクロエさん。
まさに一刀両断といった感じだ。
今までにないくらいの会話量だったというのに、随分あっさりと切られてしまったものだ。
ちぇー、もうちょっとクロエとふざけていたかったんだけどなぁ。
ぬこぬこパラダイス、やはり楽園への道は容易ではないな…
ストレス社会に生きる大人たちに、ぜひぬこぬこサービスを!
どうか導入して検討して頂きたい、国の偉い方!!
…それにしても、どうにも伝わらない言葉がいくつかあるようだなぁ。
ジークもこんな反応した時があったし。
何か法則性があるのだろうか?
んん………あぁ、そうか、横文字だ。
日本語じゃない部分…というか、俺が母国語と認識してないところが伝わっていないような気がするな。
俺の普段話す日本語はこっちの言葉として普通に出てくるけど、横文字は俺にとって母国語じゃないからうまいこと変換されてないって感じかね?
例えばハーブティーは英語だが、わざわざこれを日本語に直して使ったりはしないだろう。
というか、日本語にするとこれってなんていうんだ?香り草茶…?
…うん、まぁいいや。
何にしても、パラダイスとかコミュ力とか、スッと日本語が浮かぶようなものはそのまま言っても通じないって事なんだろう!…たぶん。
もしかしたら全然まったく違う理由かもしれないけど、とりあえず優先順位は高くないから、今後の会話で少しだけ気にしておく位にしておこう。
それにしても、さっきの高テンションとは打って変わって、またいつも通りのクロエに戻ってしまったなぁ。
今も目の前で無表情のまま淡々と茶器の片づけをしている。
ヌコの話をしているときはあんなにも輝いていたのに…!
…いや、無表情なのはあんまり変わってなかったけどね。
でも話題によってはクロエも結構ノリ良く答えてくれるみたいし、これは今後の楽しみが増えましたなぁ!
…おや?
そういえば、クロエとヌコのおかげで俺の心はだいぶ回復している気がする。
なんだか今なら何でもできそうだ!
あ、いや、嘘です。
お願いだから変なフラグは立たないでくださいね?お願いしましたからね!?
…よし、変な元気も出てきた事だし、とりあえず勉強を再開しましょうかね。
「なぁクロエ、またいくつか教えてくれるか?」
「はい、私で良ければ何なりと。」
こうしてまたクロエと俺との勉強会は再会されたのだった。
あ、違う。
デートだ、デート。
誰が何と言おうとそこは譲れないね!




