第一章 13 気さくなお兄さん
ナユタが竜に捕まったとき、私はクロエと一緒にガゼボの傍に立ってたわ。
それは一瞬の出来事で、私はただその光景を呆然と眺めていることしかできなかった…ごめんね、ナユタ。
私が油断していたせいでナユタは捕まり、結果重傷を負わせてしまった。
…そうね、今そんなことを言っても仕方ないわ。
話しを続けましょう。
立ち尽くしていた私がようやく動けるようになったのは、悔しいけどナユタの叫び声が聞こえた時だった。
「っ、クロエ!すぐにこの事を皆に知らせて!メイドたちにはすぐに非難するように、シュヴァリエ辺境伯には近くの村人たちの避難を…」
「姫様!ご無事でございますかな?」
「姫さん、無事か!?」
「ノアヴィス様、ジークさん!私は大丈夫ですが突然竜が現れて、ナユタが…!」
「ちっ!」
ジークさんは素早く剣を抜くと竜の足元に目掛けて斬撃を放った。
それは確かな威力を以て竜の体を捉えていた。
そのはずなのに…
「あぁ!?なんだコイツ、まったく手ごたえがねぇぞ!?」
ジークさんの刃は空を切るように邪竜すり抜けた。
重ねて何度も剣を振るってみても、それが当たることはなかったわ。
「ふむ…」
ノアヴィス様が放った氷魔法も確かに邪竜の胸を貫いたはずなのに、実際抉れたのは地面だけ。
私の放った魔法も同じ結果に終わったわ。
やっぱり何をしても邪竜の体に傷をつける事は出来なかった。
そして、それと同時に邪竜からの反撃はなかった。
それが私たちをさらに悩ませたわ。
攻撃が当たっていないからと言って邪竜が人を積極的に襲わないなんて事はありえない。
今までならこちらが攻撃を仕掛けなくとも邪竜は人を襲っていたのだもの。
それなのに、これだけ人が居る状況でナユタだけを的確に襲うというのは…およそ考えられない事態だった。
「いったい、何が…」
「ふざけてんじゃねぇぞ、こらああああああ!!」
「ナユタ…!」
このままではナユタが死んでしまう。
そう思っても私たちの攻撃は邪竜の体を通り抜けてしまって、何も打つ手がない状態だった。
ナユタを掴んでいるあの腕ならあるいは…。そう思ってジークさんが切りかかったけれど結果は同じだった。
どうしたってこの邪竜には攻撃が当たらない、ではどうすればいいのかという答えの出ない問に頭を悩ませていた時だった…
「え?なん…っ、い、ぎぃ、あ、あああああ!!」
「シャルル!?くそっ、シャルルを離せ化け物!!」
使用人たちを避難させていたリュカさんが竜へと駆けだして雷の魔法を込めた剣で竜の腕に切りかった。
もちろんその攻撃も邪竜を捉えることはなかったのだけれど…今までナユタだけを見続けていた邪竜が、その時だけはリュカさんを見ていた。
「まずい…!おい、ユエルの坊ちゃん、今すぐ逃げろ!」
ジークさんの声でリュカさんが身構えたのと竜が動いたのはほぼ同時だったわ。
攻撃がくる…!そう思って私たちも対処しようと反撃の準備を始めたのだけれど…。
しかし私たちの予想とは反して、竜はナユタを静かに下ろした。
そうして身を翻すと何処へともなく飛び立っていったの。
私たちはその姿が見えなくなるまで、ただ立ち尽くすことしかできなかったわ。
「おいおい、こりゃ何事だ?なぜ奴は何もしてこない?」
「…………………。」
「っ…!ノアヴィス様、ナユタが!」
「…おぉ、これはまずいですな。どれ」
我に返った私がナユタに駆け寄った時、ナユタはとてもひどい状態で…私では到底治すことのできない傷だったわ。
だからすぐにノアヴィス様に診て頂いて、ナユタの傷を治療して頂いたの。
…実を言うとね、私はあまり治癒魔法が得意ではないの。
浅い傷や打撲程度なら治すこともできるのだけれど。
そうして傷跡も残らないくらい綺麗に治療が終わった時、周辺の村に避難を呼びかけるための使者を準備していたシュヴァリエ辺境伯がお戻りになったわ。
「皆様、ご無事ですか!?邪竜は…どこへ?」
そうして無傷な私たちと横たわるナユタを見てから、状況を理解したように続けたわ。
「襲われたのは彼だけ…だったのでしょうか?」
シュヴァリエ辺境伯は私たちの体はおろか服にさえ傷も汚れもない事を確認してそう言った。
私がそれに対して無言で頷くと、彼は私たちと同じように眉間に深く皺を寄せ悩んでいるようだった。
当然の反応よね、だって不気味なほど被害がなさすぎるんですもの。
一度邪竜が現れたら、どんなに被害が少なくてもこのお屋敷くらい消し飛んでいるはず。
それなのに今回は私たちが放った魔法で庭が少し荒れた程度で、負傷したナユタも含めて死者は一人も出ていない。
こんなことは今まで邪竜と戦ってきた歴史史上初だと思うわ。
あの邪竜は今までと何かが違う。
少なくとも今回の件で皆そう思っていたはずよ。
「…なぁ、長老。あんたら神殿で竜の死体は確認したんだよな?あれはちゃんと死んでたのか?」
「無論ですじゃ。確かにあれの肉体は活動を停止しており、レトワルも失っておった。そしてその肉体事態も大聖教会で厳重に封印してあるばずじゃ。もしあれに何かあれば、すぐさま儂に知らせが来るようになっておる。」
「んー…、じゃあ何か?あの竜は幻覚か何かだって事になるのか?」
「少なくともナユタ殿の傷は本物じゃった。そんなことができる幻術を儂は知らんのぉ。」
その回答を聞いて、ジークさんはガシガシと豪快に頭を掻いて悩んでいたわ。
それもそうよね、大賢者であらせられるノアヴィス様が知らないというのだもの、そんなもの存在しないと考えるのが妥当だわ。
ではあれは何だったのかって話になるんだけど…
その答えはいくら時間をかけても見つけることが出来なかった。
――――――
―――――
――――
……
「その後も屋敷の中に戻った私たちは話し合いを重ねていたのだけれど…結局堂々巡りに終わってしまったわ。どんなに話しをしてもあれが何で、本当に邪竜だったのかの答えは出なくて。だって!…だって、邪竜はシャルル様が……」
その後に言葉は続かず、ノエルはただ俯いて拳を強く握り絞めた。
泣いて…はいないようだが、それでも握られた拳からは悔しさのようなものが滲み出ているような気がする。
…まぁ、そうだよな。
シャルルが命がけで倒したはずの邪竜が目の前に現れたら、そりゃ受け入れられないよな。
それはすなわち、シャルルの無駄死にを意味するわけだし。
あの場に居合わせたノエルとしてもやるせない気持ちで胸が一杯だろう。
ま、俺の体の方に居る可能性もあるから、死んでるとは限らないんだけどな。
うーむ、それにしても…だ。
あの竜は本当になんだったんだろうな?
最初に見た時と違って、何て言うかこう…ゆらゆらしてたよな。
魂や怨念でしたっていうのならまだ納得いくんだが、俺ったら完璧に掴まれてたしなぁ。
あの押しつぶされて骨が軋む感覚、頭に心臓があるんじゃないかと思うくらいうるさい心音、それら全部がアイツの質量を物語ってるんだよなぁ。
そういう魔法ですって言われたらそれまでだけど、大賢者であるところのノアヴィスですらそんな魔法は知らないっていうし…。
「うーん、これはあれだな。考えても仕方がない、結論の出ない問って奴だ。」
「え…?」
「某有名探偵曰く、”具体的な証拠が揃わない内に結論を出そうとするのは大きな間違い”なんだそうだ。つまり、俺たちに足りないのは情報だ。あの邪竜が何者で、何を目的に現れたのかを知るためには圧倒的に情報が足りてない。パズルのピースが揃っていないのに、何が描かれている絵なのかを決めつけるのは些か以上に早計だろう?むしろ現段階で何か結論を出してしまう事こそ、正確な答えを導き出すための足枷になりかねない。だからな、ノエル。今は無為に悩まないで、一つずつ可能性を探っていくことが大事なんじゃないかな?」
サスペンスドラマみたいに、これまでの出来事の中にきちんと正解にたどり着けるようなヒントが出されているとは限らない。
むしろ現段階で無理に答えを出してしまう事の方が、リスクの高い行いのような気がする。
ここは広く構えて地道に模索するのがベストだろう。
「おーおー、良い事言うじゃねぇか坊主。その思考の柔軟さはなかなか強みだぜ?」
ノエルとクロエの可愛い声しか聞こえないはずのこの部屋に野郎の低い声が響く。
とっさに声の方を振り向くと、いつの間にか開かれていたドアにもたれ掛かる一人の男の姿があった。
誰だお前、ノックくらいしろよ。
もし俺が女の子とむにゃむにゃしてたらどうする気だったんだ。
え、そんな可能性はないって?知ってるよチクショウ…
つーか、そんな風に立ってていいのは因縁のライバルかイケメンだけなんだぞ…って何だよイケメンかよ。
なんかさ、ずっと思ってたんだけど、この世界の人間は基本的にみんな顔が整いすぎてやしませんか?
俺がこっちに来て出会った人の数なんて高が知れてるけどさ、それでも現段階での顔面偏差値がおかしなことになってるんだが。
「…あ、思い出した!あんたは確か、要観察って言われた時に剣チラつかせてニヤニヤ笑ってた危ない奴じゃねぇか!あん時はよくもビビらせてくれたなぁ、おい!!」
俺は黒いオーラ全開でぬるりとベッドから抜け出すと、出来るだけ怖い顔をして近距離で目の前に居る男を睨みつける。
メンタル弱ってる人間に追い打ち掛けてくれやがってコノヤロー。
あん時マジでチビりそうだったんだぞ!
いいか、俺はお前のそのお綺麗な顔絶を対に忘れないからな!
いつか立場が逆転した同じような場面があったら、お前に素敵な笑顔をお見舞いしてやっぞ!
「はっはっは、悪かったって。お前がどんな奴なのか反応を見たかったんだよ。しかし…くくっ、見事にビビってたよな。くくく…」
おうおうおーう、ずいぶんと素敵な笑顔を見せてくれるじゃねーのお兄さぁん。
喧嘩かぁ?喧嘩売ってんのかぁ?良いぜこいよ、分かってると思うが俺ぁすこぶる弱いからなぁ?手加減しないとすーぐ死ぬぜぇ?
「もう!ジークさん、あまりからかってはダメよ。ナユタもその…変な顔やめて。怖いから。」
ち、マジ天使なノエルたやに感謝するんだな兄ちゃん!あばよ!
と心の中で吐き捨てて、俺はそそくさとベッドに戻る。
ノエルの言う事は絶対だから。
決して怖気づいたとかそういうのではないから。
「お、なんだ?いつの間に姫さんと仲良くなったんだよ、お前。抜け目ない野郎だな、そういう事なら俺も混ぜろよなぁ?寂しいだろーが」
そう言うとそいつはズカズカと遠慮なく部屋に入ってきては気安く俺の頭を撫でる。
いや、撫でるなんて可愛いもんじゃねぇ。
頭に乗せられた手で頭を鷲掴みにし、このままもぐつもりなんじゃないかと思うほど乱暴に振られる。
つか痛い痛い痛い!
「痛いわボケェ!俺の頭はもぎもぎフルーツじゃねーんだぞ、もっと手加減しろよクソがっ!それとも馬鹿力自慢のつもりなんですかねぇ?余所でやってくださーい、迷惑でーす!あと野郎に撫でられても嬉しくねーから!俺にそういう趣味はねーからっ!」
捲し立てるようにそう言いながらコイツの手を払いのける。
肩で息をしながらぜーぜー言ってる俺に、この男は一瞬キョトンとしていたが、すぐに面白いものでも見たかのような笑顔を浮かべると豪快に笑いだした。
「がっははは、お前思った通りに面白いな。シャルルじゃこうはいかないからな、ずいぶん新鮮な気分だ。俺はジーク、ジーク・シークだ。お前はえーっと、姫さんが呼んでるからナユタの方が名前なのか?ふーん…変わってるんだな。まぁいい、とにかく俺の事は気軽にジークさんと呼んでくれていいぜ。」
「あぁそうかい。よろしくな、ジーク。先に言っておくが俺のコミュ力は小学生の10分の1以下だからな。気安くパーソナルスペースに入られてもオロオロするかキレるかしか反応できないから、過度な期待はするんじゃねーぞ!分かったなコラァ!!」
俺は格好よくビシッっと指をさしてかましてやる。(言わずもがな人を指さすのはマナー違反だぞ☆)
どうだ、俺の必殺先手必勝マシンガントーク。
捲し立てるようにあらかじめ壁を作っておくことによって有無を言わさず相手に気を使わせる戦術だ。
もちろん分かっている、皆まで言うな。
我ながら天才的機転だと惚れ惚れしているところだ。
コイツも見事に俺の手中に嵌ってしまい、ポカンと口をあいてマヌケ面を晒しているぜ。
フハハハハ、見たか!これがナユタ様の本気の戦術だ!!
「コミュ…?パーソナ何とかってのもよく分からんが、とにかく仲良くやろうぜ坊主。」
なん…だと…!?
俺の巧妙な戦術も虚しく、がっしりと肩を組まれてしまう。
通じていないのか…二つの意味で!!
クソ、これだからコミュ力お化けは…
つか名前聞いといて呼ばないんかい!地味に傷つくじゃねーか!
「はぁ…もう、ジークさんは…。何か用があってここに来たのじゃないんですか?」
「おおっと、そうだった。そろそろ飯の時間だからな、寝坊助坊主の様子を見にきてやったんだよ。まさか姫さん達までここに居るとは思わなかったが…逆に良かったな、探す手間が省けて。」
そう言うとジークは俺の服の首根っこを掴んで無理矢理立たせる。
ち、猫じゃねぇんだぞ。
気安くそんなところ触るにゃ!
「んじゃさっさと着替えて飯にするぞ。んで、さっきの話を長老たちにもしてやれ。」
ジークは子供っぽく笑ってみせると、おもむろに俺のパジャマを脱がせようとしてくる。
や、やめろ!女の子の前ではしたないマネさせんじゃねぇ!




