第三章 10 ブリュムド領の秘密
あれからリュカが必死に宥めていたのだが、結局当主が泣き止むことはなく、ひとまず落ち着くまでは客室で待っているように言われたのだった。
俺たちもこの場に居たところで手伝えることはないだろうと判断し、メイドに部屋まで案内してもらう。
そうして用意してもらったお茶を口にしながらホッと一息ついた。
なんだかすごい嵐を経験した気分だ。
それにしても、本当にすごい泣きっぷりだったな。
こんな事を言っては失礼なのだろうが、リュカの腰に抱き着いて嗚咽を漏らしているミストラルはなんだか子供の様でちょっと可愛らしかったな。
まぁ第三者だからこその感想なんだろうけど、それでもあそこまで号泣されるといっそ清々しいというか…「お、泣いてんな!」といった親戚のおじさんのような気分になってくる。
…いや、親子の立場が逆だろとも思ったけど。
「いやぁ、すっごい泣きっぷりだったねぇ。殺す前の人間でもあそこまで豪快には泣かないよぉ?」
「物騒な話を引き合いに出すのは止めれ。…しかし参ったなぁ、これで本当に協力してもらえるのかね?」
「腐っても領主だと言うのなら、自分が口にした言葉の責任くらい果たしてくれるだろうさ。それよりも気になったのは彼女のあの反応だ。…ちなみに、ナユタさんたちに彼女はどう見えていたんだい?」
レーヴはカップをテーブルに置くと、訝しむように腕を組んだ。
どうでもいい話だが、レーヴが持つと同じカップでも小さく見えるから不思議だよな。
「あれなぁ…。俺には目を閉じただけに見えたけど、でも次の瞬間にはすべてを知ったような反応だったよな。ヴィヴィにはどう見えた?」
「僕も大体おんなじだよぉ。不思議だよねぇ、まるで今見てきたみたいにさぁ…?」
「……うん、見てきた、のではないのかな?」
「うん?」
「いや、正確には”見てきた”のではなく”見た”んだと思う。少なくとも僕にはそう思えた。もちろん実際にそういう能力を持つ人間と対峙した経験がある訳ではないから、確信は持てないのだけれど…それでも可能性としては十分高いだろうね。まぁ、可能性の話をするのなら、僕の考えが間違っているという可能性も無いわけではないけれど。」
「まどろっこしい野郎だな、結局お前には何がどういう風に見えたんだよ。」
「おいおい、僕は盲目だぜ?何も見えないに決まって…、分かった。からかいすぎたのは認めるからそう怒ってくれるなって、ちゃんと説明するさ。」
どうもこの男は、隙さえあれば毒を吐くか人を挑発する習性があるらしい。
今回もまた話が脱線しそうだったので、早々に咳払いで軌道修正を試みる。
別に怒っているわけではないんだが、この手の話に無駄話が挟まると、どうにも混同して混乱するのだ。
容量の少ない情報処理能力を効率よく使うためにも、この手のじゃれ合いはご遠慮いただこう。
「…僕には、彼女の目に魔力が集まっていくように感じられた。それも普通の魔法を使用する時の、例えば君のように身体強化を使用する時のような様子とも少し違っていて…あれは今までに感じたことのない感覚だったな。魔力の本質を変換しているような、それでいてどこか僕やヴィヴィさんの様な特殊性があるような…。ここまで言えば、君にも思い当る節があるんじゃないのかい?その場に居ながら遠方の様子を見る事の出来るものと言えば…?」
ちゃんと説明すると言っておいてこの遠回しな言い方…本当にコイツは性格が悪い。
こんなにしつこく焦らしてくるドS腹黒男がどうしてモテるんだか、まったく、世の中不思議な事だらけだ…
おっと、閑話休題。
俺まで脱線しては目も当てられないからな。
さて、ここまで言われればさしもの俺でも答えは分かる。
遠方を見ることのできる能力、それが目だというのなら有名なのがひとつあるだろう。
「千里眼、か。」
一説によると遠方を見るだけに留まらず、時には人の心や未来まで見る事の出来るというその力。
果たして当主にそこまでの力が備わっているのかは分からないが…おや、もしかしてこれも魔眼に入るのか?
「察しがいいんだな、さすがナユタとその仲間だ。」
「リュカ!」
いつからそこに居たのか、リュカは部屋の入り口に立って俺たちを見ていた。
その口調はどこか嬉しそう、なんだが…
人と言う生き物は、たった数十分でここまで疲弊するものなのか。
そう思わざるを得ないくらい、リュカの顔には疲労の色が濃く滲んでいた。
部屋の中へ入ってくるその足取りも、どこか重い。
どうやら当主を宥めるのに相当苦労したらしい…お疲れ様です兄貴。
「ノックもせずにすまない、話の内容が聞こえてきたから腰を折らない方がいいだろうと思ってな。それと…先ほどは当家の主が失礼をした。普段はあんな失態を犯すような人ではないのだが…今日はナユタが屋敷に来たからな。それが余程嬉しかったのか、どうも始終集中できていなかったようだ。加えて領地内の村一つが壊滅した事を知り、感情の抑えが利かなくなったようだ。…驚かせてしまっただろう?すまなかった。」
そう言ってリュカは深く頭を下げる。
確かに驚きはしたが、前準備というか…事前に本来の人柄を把握していたおかげもあって、正直そこまで面食らわなかった。
いや、さすがにギャン泣きし始めた時はびっくりしたけどね。
しかしリュカの憂いは100%杞憂なので、俺はその理由として聞き耳を立てて最初の二人の会話を聞いていたことを話し謝罪した。
だからそんなに深刻な顔をする必要はない、そして出来ればお互い取り繕わない形で話をしてみたいとも伝える。
リュカはそれに対しただ一言「そうか…」としか言わなかったが、その表情はとても穏やかなものだった。
なんとも…、むず痒い雰囲気になってしまったな。
心なしか空気がふわふわしている気がする。
青春の一ページにも似た気恥ずかしい気持ちが湧いてくるので、堪らず話題を元に戻す。
「その、当主の千里眼っていうのはどの位の事が分かるもんだ?さっきはリュカに言われて初めて気が付いたみたいだから、常時発動型ってわけではないみたいだけど。」
というか常時発動型の千里眼って何?それってもはや超絶視力の良い人なんじゃ?
某部族もびっくりな視力を駆使して狩りも統治もお手の物、みたいな。
あ、でも読心も使えるタイプの千里眼だったらそれはキッツイよな。
会う人すべての本音と建前が同時に聞こえてくるなんて…そんなの発狂してもおかしくない案件だろう。
ふむ…現状会話に支障がないということは、当主に読心の力はないのかな?
「うむ、ナユタの言った通り、当主の魔眼はそれを使おうと思った時にしか使用できない。幼少の頃は制御する事ができずに無意識に使用してしまっていたらしいが、今となっては完璧に使いこなしていらっしゃる。魔眼で見れる範囲はこの領地内とその周辺を少し…と言った感じらしいが、本人も限界まで見ようとしたことが無いと言っていたので本当のところは分からないな。」
「領地内全て、か。すごいんだな。…あぁ、さっき言ってたモルガンが隠れたっていうのはそういう事か。当主の千里眼から逃れているっていう…あれ?そういえばモルガンが領地内へ入った時も俺たちの時も気がづいてたんだよな?それっていうのはつまり…どういう事だ?たまたま領地内に居るのを見つけたのか?でもそれだと、モルガンは魔眼から逃れるために隠れてるわけだから見つけられるわけないんじゃ……んん?」
いかん、混乱してきた。
えっと、あの時領主はなんて言ってたっけ?
確か…そうだ、モルガンは領地に入ったと同時に姿を隠したと言っていたんだ。
それってつまり、領地に入った瞬間は見えてたって事だよな?
…やっぱりおかしい。
普段は千里眼を使用していなくて、使用したとしても領地内くらいしか見ないはずの領主が、どうしてそんなタイミングよく的確にその場面を目撃出来る?
「あぁ…それ、なんだが…」
「うん?どうしたんだ、リュカ?」
「あぁ、いや…どうしたものかと思ってな…」
「どうしたものか…?」
「…、良ければ僕とヴィヴィさんは席を外していようか?当主の秘密をこれ以上部外者に話したくはないだろうし、何より…。」
「んー…え、なぁにぃ?僕の方をじっと見たりしてぇ。そんなに熱心に見つめられてもぉ、僕は何もしてあげないよぉ?」
「いいや…。とにかく、いくらナユタさんの連れであったとしても所詮は他人だ、踏み込んでいい所と悪い所があるだろう。それに僕自身も、これ以上ユエル家の秘密を知って変に重荷を背負いたくないし、そろそろ席を外したいと思っていたところだったんだよ。」
「…心遣い感謝する、レーヴ殿。すまないが、そうしてもらえるだろうか?これはユエルの家の根幹にも関わってくる話なのでな。」
「構わないよ。さ、そういうわけだから行こうかヴィヴィさん。」
「えぇー、つまんなぁい!」
ぶーぶーと文句を言うヴィヴィの背を押すようにしてレーヴは部屋を出て行った。
なるほど、確かに何百年とこの土地を治めてきた一族の秘密を、おいそれと漏らすわけにはいかんよな。
俺は部外者ではないのかというと…微妙なラインではあるんだが、それでもリュカが何も言わないという事はそういうことなんだろう。
「ナユタは良い仲間を持ったんだな。」
「…んー、そうかもな。」
なんだか無性に照れくさくなってしまったので、とりあえずそれを誤魔化すように部屋をうろつく。
………うん、ダメだ。
背中がムズムズしてちっとも落ち着かない。
よし、ちょっとラジオ体操でもしようかな!
最後にそれをやったのが小学生の時だったから内容は全然覚えてないんだけど、なんとなくそれっぽ事しとけばいいだろ!
そうしていきなりチャンチャカ言いながら動き出すという奇行を始める俺を、リュカは楽しそうに眺めていた。
そんな風に見られてると増々落ち着かんのだがな…
―――
「落ち着いたか?」
「いや、なんかもう…すんませんした。自分でもなぜいきなりラジオ体操だったのか…。」
「らじお体操?ほう、先ほどの動きはそういう名前の物なのか。ふむ…なかなか理に叶った動きだったな、体の柔軟に適しているようだったし…今度私にも教えてくれるか?」
「え、ラジオ体操を!?良いけど…なんだか」
変な気分っていうか、それは実にシュールな絵面になることだろう。
何故ってさっきのはラジオ体操と言う名のナユタオリジナルだったのだから。
幼き日の思い出を掘り起こして何とかメロディだけは微かに思いだせたので、とりあえずそれっぽい事をしていたにすぎないのだ。
それがこんなに気に入られるとは…これなら地元の盆踊りでも気に入ってもらえたりするかもしれないな…。
「さて、それではそろそろ本題に入ろうか。領主がなぜナユタや例の邪竜神教の侵入に気が付いたか、とういう話だが…」
「ご、ごくり…!」
「…あぁ、そういえば。ナユタはなぜこの領地に霧が多いのかを知っているか?」
「え!?えっと、湿地だから…とか?」
「うむ、それもある…が、もちろんそれだけではない。ナユタ、いまから私が話すことは門外不出…決して他者に話してはならない。それを約束して欲しい。」
リュカは真剣な様子で俺に念を押す。
それだけの秘密なのだと再認識することで、小心者の俺は足がすくむような思いだったが、それでもここまできて引き返すなんて選択肢は選べない。
俺もリュカに倣うように表情筋に力を込めると、力強く頷いてみせる。
「わかった、約束する。誰にも話さないし秘密にすると誓うよ。」
「うん、では話そう。我が領土と一族の秘密を…」
そう言ってお茶を一口飲んだリュカは、深く息を吐いてから俺を見つめる。
空気がピリッと張り詰め、思わず肩に力が入る。
「この地には古くより、とある魔物が封印されているんだ。名をソメイユ、全てを包み込む氷の化身だ。」
ソメイユ…、氷を司る魔物と言われてふと某物語ゲームのモンスターたちが頭を過った。
しかしどれもが戦闘によって倒すことの出来るものだったから、ここで封印されているという魔物は、それこそ中ボスか負けイベントの敵のようなものだったのだろう。
ちなみに俺は負けイベントというものが好きではない。
特にこのまま攻撃を続ければ倒せるような敵だったのに、急にムービーに入ったかと思ったらこちらのパーティはボロボロで向こうは無傷でいるようなイベントは好かん。
物語上そうしなくては辻褄が合わないというのなら、敵に常時無敵状態でもつけておけと思わずにはいられないのだ。
…これ以上ないくらいの無駄話だな、閑話休題。
「そのソメイユっていうの魔物が封印されていることが、ブリュムド領…延いてはユエル家の秘密ってやつなのか?」
「いいや、そうではない。そう結論を焦るな、ナユタ。これは前提であって、何も全てではないんだ。いいね?」
「あ、あぁ、悪い…焦りすぎてたな。」
そう優しく窘めたリュカは、その表情に些かの強張りを生じさせているようだった。
先ほどまでの真剣なまなざしはそのままに、しかしどこか怯えているような…話すことに戸惑っているような、そんな色が見て取れる。
本人に自覚があるのかは分からないが…リュカでも俺相手に緊張したりするんだな。
…それでも、リュカは話すことをやめないみたいだけど。
「古の魔物ソメイユ、それはこの地に生ける全ての命を氷に閉じ込め、永遠にの眠りへと誘う者だった。この地に住まう生き物はもちろん、草木や大地ですら凍らせてしまうほどの強い力を持った魔物…それを三つの精霊を使い封印したのが当家の初代様だ。それから私たちは代々この地を守り、その封印を引き継いできた。…ただ、その封印も完璧なものではなかったんだ。」
「まさか…邪竜の封印みたいに数年で解かれてしまうとか?」
俺の疑問に対してリュカは首を横に振った。
「封印自体は強力で綻びもない、およそ欠陥なんて一つもない完璧とも言えるものだった。ただ、それを完璧からそうでない物へと変えてしまう出来事があった。…いや、あり続けてると言うべきか。それはきっと最初から、そして現在に至るまで確かに起こっている。完璧であったはずの封印を、それを凌駕する力で抵抗し、結果その力の一部を溢れ出させているもの…。この霧はそう言った物が原因で発生しているんだ。」
「あ…。」
霧の原因、集まる魔物の元凶。
ここに話が繋がるのか。
「同じ霧の多い土地であるはずのロヴィル領と、こことの違いはそれだ。ソメイユの魔力によって大地は冷やされ、少しずつ命を削られている。それを精霊の加護によって抑え込み相殺しようとした結果、あの霧が発生しているんだ。」
冷えた大地を温める為に精霊の加護を使っている、そしてそれによってこの霧が発生しているというのなら…
まず温めるという事で単純にイフリートは居るだろう。
そしてイフリートと相性のいいシルフと、多分霧の発生に大きく影響を出しているのはウンディーネってところだろうか?
よく天気予報で言ってた霧の発生条件ってのが”冷えた地表などに暖かく湿った空気が流れ込んでくる事”だったはずだから、たぶん三つの精霊ってのはこれで間違いないと思うんだけど…
その霧にソメイユの魔力が乗ってるっていうのは解せないな。
霧っていうのはつまり水分だ。
それが水である以上、水の精霊であるウンディーネの領分なんじゃ…あ、いや、ソレイユは氷魔法の化身だったか。
氷も水も、気体になってしまえばどちらも同じものだ。
それでいてソレイユの力の方が強く流れ出ているというのは、つまりそういう事なのだろう。
精霊の力量は召喚者がどれだけ力を引き出せるかで変わってくるという。
それがこの封印にも適応されるのかは分からないけれど、結果的に力負けしてしまっているからこそ、この土地に霧が発生していると言っていいのだろう…。
「霧の発生理由については分かった、どうして魔物が活性化させられているのかも…。そこでちょっと疑問に思ったんだけど、どうしてソレイユの力は他の土地にまで漏れ出さないんだ?その霧が発生してるってのはブリュムド領だけなんだろ?」
「…これは私たち一族に伝えられている伝承で、確たる証拠がある訳ではないのだが…。ソレイユとい魔物はそれはそれは大きな魔物であったそうなのだ。」
「はぁ…大きな。それは、具体的にどのくらい?」
「このブリュムド領と同じほど。というか、ブリュムド領自体がその体であったとする仮説さえある位なんだ。」
……………はあああああ!?
いくらなんでもそれはデカすぎるだろ!
魔物の生みの親である所の邪竜ですらそんなにデカくないっていうのに、何を言ってるんだユエル家先祖は!
いったいどこの神話ですか!?
「驚くのも無理はない、私も幼いころにその話を聞いて、あまりの恐ろしさに家出を考えた程だ。だがこの伝承が、絶えることなく伝えられているのは間違いない。…これが証拠になるかは分からないが、現にユエル家を継いだ者は全員、ソレイユの封印としてこの土地全てと感覚を繋いでいる。ソレイユを封印する事がこの土地を封印する事ならば、この土地がソレイユ自体であるという仮説もあながち間違いではなのではないか、と思う。」
「感覚を…繋いでる…?それは何かの比喩か何かか?」
「いいや、比喩でもなんでもない厳然とした事実だ。ユエル家を継いでこの土地の守護者となった者は、ソレイユの封印を引き継ぎ土地とあらゆる感覚を同調させる。ブリュムド領は、その時代の当主の体であるとも言えるのだ。」
「そんなことが可能なのか…?いや、いやいや!それ以前に、そんなことをして人は生きていけるものなのか?!」
人の感覚ほど繊細で脆い物もないだろう。
例えば紙で指先を切った時、その傷がどんなに小さくても人は違和感を覚えるはずだ。
片目を瞑っただけで距離感が分からなく人間が、鼻を塞いだだけで味覚が落ちる人間が、よりにもよって人の住まう土地なん
かと感覚をリンクするだなんて。
そんな事、人の身に耐えられるはずがないじゃないか。
畑を耕すだけで身を削られるような感覚に襲われていたとしたら…
「…安心しろ、ナユタ。すべての感覚を完全につなげているわけではない。確かにそれも可能ではあるのだが、ナユタのいう通り、それは人の身には耐えられない苦痛が付きまとう。だが……、だから、そう青い顔をしてくれるな。大丈夫だ、私たちはそれと上手く折り合いをつけている。」
「それならいい…んだけど。…いや、容易に”いい”だなんて言うべきじゃないな。全てではないにしても少なからずこの土地に感覚を向けているという事は、決して良い事だけではないはずだから。」
「そうだな、確かに苦痛はある。この感覚に慣れるまではそれなりの時間が必要だし、中にはついに慣れることが出来ず自ら命を絶った者もいたという。それだけの危険を伴い、そして後継者が引き継ぐまで終わらない。これだけ聞くと恐ろしい呪いのように聞こえてしまうかもしれないが、それこそ悪い事だけでもないのだ。ナユタ、長くなったがここでやっと最初の疑問に答えよう。当主はなぜナユタや邪竜神教の侵入に気が付いたか…それはここまでで言った通り、この土地全てが当主であるからだ。この土地に一歩でも足を踏み入れたのなら、それは当主の体に触れたことに等しい。肩を叩かれれば振り返るのと同じように、当主にとってそれは当然の"気づき"だったんだ。」
リュカは簡単に言っているが、もしそれが本当ならそれこそ人の身に余ることだ。
人が行き来するだけで気が付ける?肩を叩かれるような感覚?
そんなものに一日中、一年中、時間や場所を一切考慮せず襲われていたら、どんな賢人でも発狂しているはずだ。
休まる時間なんてものがある訳もなく、ゆっくり眠る事すらもままならない。
そんな状況でもなお、領主としての仕事をこなし、領民を守り続けているというのは…。
文字通りその身を削り、心を削り、国の為に民の為に己を犠牲にするということで…
「ナユタ、お前はやはり…」
泣き虫だな、と言ってリュカは俺の肩に手を置いた。
反論はしない。
というか出来ない。
それは溢れ出る涙と鼻水のせいではなくて、これ以上醜態を晒さないように堪えるので忙しいからでもなくて、単純にリュカの優しさを払いのけたくなかったからだ。
他人ごとではなく、まさに自分の身に起こっている出来事を何でもない事のように話すリュカ。
その強さと優しさを前にしては、どんな言葉も意味をなさない気がして…
だから…ならば、せめて何か
「俺に、出来ることはないのか?」
「ない。これに関しては私たち当事者だけの問題だ。分散させることも、肩代わりさせることも出来はしない。」
「そうか…。」
「まったく、そんな暗い顔をさせるために話したのではないんだがな。…ナユタ、確かにその土地と人間とが繋がると言うのは生半可なことではない。しかしそれも、ある程度は融通が利く物なんだ。確かに完全に絶つことこそ出来ないが、それでも限りなく離れることは可能だ。もちろんそれには封印を綻ばせてしまうという危険も付きまとうが…どうしてもという時は、あるいは限られた一時であればそれが出来る。だからナユタの心配は…半分くらいが杞憂だ。現に当主…私の母は、その繋がりを極力薄めて生活している。その薄さたるや、歴代の当主一と言っても過言ではないくらいに、な。それでいて領主としての責務を全うしているのだから、母は偉大な人間であると言えるだろう。…もちろん、魔眼の力があってこそ成り立つ話ではあるのだが…」
「魔眼の…そうか、千里眼か。見ようと思えばどこまでも見れるんだもんな、これを使わない手はないか。土地なんてものと感覚を共有するよりは余程リスクが少ないもんな。……あ、のさ、リュカの目も魔眼だったりするのか?魔眼の事は全然分からないから遺伝するのかどうかは知らないけど、こう…代々受け継がれてる的な?」
「…いや、私は違うよ。確か母方の曽祖父が母上と同じ魔眼を有していたという話だったから、遺伝はするのだろうけどな。しかし残念ながら、私自身にその力は受け継がれていない。」
「そうなのか。」
もしリュカにも千里眼の力があったなら、ミストラルと同じようにこんな危険な…苦痛を伴う感覚共有だなんてものの代用ができると思ったんだけど。
そっか…リュカの進む道は険しい方なのか。
「そういうナユタはどうなんだ?」
「え?どうって…何が?」
「その体だ。シャルルに聞いた時は魔眼の力を受け継いではいないと言っていたが、ナユタに変わったことで眠っていた血が目覚める…なんて事もありえなくもないだろう?」
「そんな胸アツ展開起こる可能性あるんです!?」
「む、胸アツ?それはよく分からないが、母上とシャルルの父が姉弟であるのだから、その可能性はあるだろう。」
「…え?え!?シャルルとリュカってマジで従弟だったの?!へぇー、そうだったんだ。いやぁ、俺はてっきりシャルルは養子か何かに入っただけで、元はただの親族だと思ってたわ。」
シャルルの父とリュカの母が姉弟って事は、確かにシャルルにも魔眼継承の可能性があるな。
血だけで言うのならリュカの方が濃いのだろうけど、それでもシャルルに遺伝していないとは言い切れないわけだ。
「ちなみになんだけど、魔眼ってのはどうやってこう…発現するんだ?その条件みたいなものはあったりするのか?」
「条件…?いや、聞いたことがないな。母上の話では物心つく頃には無意識に力を使えていたと言う話しだったし、何きっかけとなった出来事があったという事も聞いたことがない。」
「く…生まれ持っての才能か!これは俺も望み薄だな…。いいなぁ、天賦の才ってやつかぁ。」
「ふっ、それがそう良いものでもなかったそうだぞ?自分が見えている景色が他人には見えていないという事実は、幼い母にとってはかなりの衝撃だったらしくてな、力を制御できるようになるまでの数年間は殆ど人と言葉を交わさなかったそうだ。人間不信…とは少し違うようだが、自分以外は別の種類の生き物に見えて怖かったのだそうだ。」
「え!力の制御ってそんな数年とか掛かるもんなの!?しかも千里眼の暴走って…、吐きそうだな。」
遠くのものが勝手に見えるのも嫌だけど、それに加えて文字通り目まぐるしく視点が変化してしまうって言うのがもう…最高に嘔吐案件。
VRのジェットコースター体験版、ただし視界は無作為抽出!みたいな感じだろ?
ただのVRでも酔っちゃうのにそんな事されたらもう…
「うえっぷ。」
「大丈夫か?」
「お、おう…ちょっと想像したら吐き気が…、もう大丈夫。それにしても大変だったんだな、ミストラルさんは。さぞ暗い少女時代を過ごされたんだろう…。」
「あぁ、それなんだがな。母上の弟君…つまり私の叔父にしてシャルルの父なんだが、彼が旅すがら見つけたという魔眼用の魔道具という物があってな。それによって母は魔眼の力を抑えることが出来るようになり、次第に明るさを取り戻したのだと言う話だ。だから幼少期は寂しい思いをしたかもしれないが、少女時代は比較的自由に…それこそ先ほど見たような感じで過ごしていたのだそうだぞ。」
「へぇ…世の中には少ない需要にも応えてくれる親切な魔具師が居るんだなぁ。」
魔眼所有者って言うのがこの世界にどの位いるのかは知らないが、それでも比率で言えばかなり少ないのだろう。
その少ないニーズにも利益度外視で応えてくれる人間が居るっていうんだから、良い話だよなぁ。
…まさかとは思うんだけど、俺の知ってる魔具師じゃないよね?
確かにあの人も利益度外視にして私益重視だけどさ。
「……あれ?旅すがらって言ったか?シャルルの父って次期当主ではないにしても、ユエル家に属する貴族様だったんだよな?なんで旅なんてしてたんだ?それもミストラルさんが幼いって事は父も当然幼かったんだよな?」
「彼は…いや、私も人伝にしか聞いたことが無いので噂話程度の事しか知らないのだが。何でも彼は六つの時に家を飛び出し冒険者としてあちこち旅に出ていたのだそうだ。どうも魔物と戦う事に強い関心があったらしく、ユエル家の英才教育も相まってか早い内に力を付けて、早々に独り立ちしたのだと言う。」
「独り立ちって…まだ六歳だったんだろ?いくらなんでも早すぎなんじゃ…。」
「あぁ、私もそう思う。もしかしたらそれはただの噂で、事実ははもう少し違うのかもしれないが…何せこの家の者は彼の話をあまりしたがらないのでな。聞きようがないんだ。」
「…ミストラルさんも?」
あぁ、と少し悲しげに俯いたリュカはバツが悪そうに頬を掻いた。
別に俺に遠慮なんかする必要はないんだが、リュカの性格上そうもいかないのだろう。
しかし意外だな。
今までの話の流れだと姉弟仲は良好そうだったのに。
だって魔眼で苦しんでいる姉の為に貴重で希少な魔導具をわざわざ見つけてくるんだぜ?
姉を慕っている優しい弟、そういうイメージが出来上がってしまっても仕方がないと思うんだが…まぁ、実際どうだったかなんて当事者同士でなければ分からないか。
それを言うんだったらシャルルとの親子関係だって、どうだったのかは不明なわけだし…。
「…なぁ、シャルルは父親が冒険者だったから自分も冒険者になったのかな?」
「む?いや、どうだろうな?私がシャルルに会ったのは三年前の事で、シャルルの父が邪竜との戦いで亡くなったという知らせと共にこの屋敷へ来たのが最初だったのだ。もちろんそれよりも以前からシャルルの存在は知っていたんだが…ほら、あいつは有名だったから。ただ、顔を突き合わせて話をしたのはそれが初めてだった。私は当初何をどう話したらいいのか分からなくてな、ぎこちない会話しかできなかったと思う。そんな私に気づいていたのか、次第にシャルルの方から話しかけてくれるようになってな。そうする内に意気投合し、私たちはいろいろな話をした。…だが、今思えばシャルルの根底に関わるような話は聞いたことがなかったな。もっとも、シャルルはあまり他人に自分の話をするような人間ではなかったのだけれど。…それでもこんなに早く会えなくなるのなら、もっと話をしておけばよかった…」
リュカはそう溢すとイスから立ち上がり、そのまま窓辺へと歩いて行った。
最後の方、声が震えているように聞こえたのは気のせいではなかっただろう。
困ったな。
こういう時になんて声を掛けたらいいのか…
そもそも俺は口を開くべきなのか?
今の俺がシャルルの体でいる以上、ここで声を出すことは逆効果であるような気がする。
何もしないという思いやりの形は確かにある。
でも、なぁ…
あの寂しげな背中を見てると、どうしても何かしてやりたくなっちまう。
それが例え蛇足であったとしても、余計なお世話以外の何物でもなかったとしても、ここで何もしないのは薄情が過ぎる。
ましてリュカは俺の家族だ、弟が兄に変な気を使う必要なんてないだろう!
「なぁリュカ、シャルルとはどんな話をしたんだ?普段は何してた?シャルルは彼女居なかったって話を聞いたんだけど、マジ?なぁ、聞かせてくれよ。二人はここでどんな風に過ごしていたのか。」
「え…そんな事が聞きたいのか?」
「聞きたいね、めっちゃ聞きたい。何てたって二人の兄貴の話だし?なんでも、聞く所によると滅茶苦茶仲が良かったらしいじゃん。嫉妬するねぇ、俺だってリュカと仲良いつもりなのに。だけど他人にそう印象付けられているかって言うと微妙なのは確かなんだよなぁ…だからさ、相互理解を深めるって意味も込めてちょっとお話しようぜ?俺も話すし、リュカも話す。そうして親睦を深めましょうぜ、アニキ!」
「……、そうだな、それもいいかもしれない。実は私もナユタの話をじっくり聞いてみたいと思っていたんだ。せっかく我が屋敷にナユタを招くことが出来た事だし、この期を逃すわけにはいかないな。…だが、まずはお茶のおかわりを頼んで来よう。ついでに軽食も用意させるから、それを摘まみながら…腹を割って話そうか。」
そう言ってリュカは軽やかに笑った。
爽やか、と言ってもいいかもしれない。
俺には逆立ちしたって出せないな、こんなオーラ。
そんな爽やかボーイのリュカくんは、二度ほど手を叩くと部屋のドアへと目線をやった。
俺もつられて目をやると、そのドアは静かに開かれ一人のメイドが姿を現す。
おぉ、ドラマとかでよく見るやつだ。
メイドは「お呼びでしょうか、坊ちゃま。」と言って頭を下げる。
それに対してリュカがお茶と軽食を頼むと、「かしこまりました。」と言って部屋を出て行った。
すごい、まるで貴族の御屋敷にいるみたいだ…!
それからしばらくリュカと歓談していると、ワゴンと共に先ほどのメイドが戻ってきた。
メイドは俺たちの座るテーブルまでワゴンを押してくると、慣れた手つきで(当たり前だが)お茶を淹れ、何品もの軽食をテーブルの上に広げると静かに帰っていった。
うーん、淀みねぇ…
それにしてもこの軽食、とても軽食の一言で済ませられるものではないような気がするんだが。
物は良い。
サンドウィッチにスコーン、クッキーにマカロン、マドレーヌのようなお菓子、どれも軽食としては何の問題もないラインナップだろう。
しかしこの場合ちょっと…いや、かなり多くないか?
以前ノエルとお茶をした時にも軽食を出されたが、こんなにたくさんの種類を一篇に出されはしなかったはずだ。
それもこの量…これを軽い食事として振る舞うのは果たして正解なのか?
………うん、まぁいいか。
これだけの物を用意してもらえるという事は、つまり歓迎されているのと同義だろう。
もしかしたら俺の好みが分からないメイドが、気を利かせてヴァリエーションに幅を利かせてくれたのかもしれない。いいや、きっとそうに違いない。
ならば俺はこれを完食するべきだろう。
人の心遣いを無下にするような人でなしは、このユエルの家には居ないんだと証明しなくては。
もちろんこのお茶会のメインは対話だ。
しかしサブイベントとして軽食トライアスロンを完走するのも貴族の嗜みと言えるだろう。
おっと、さっそくリュカがサンドウィッチに手を伸ばした。
これは俺も負けていられないな。
リュカとの会話を楽しみつつ、ここにある皿を全て空にする。
それが俺に課せられたユエル家からの最初の課題なのだ…!