第二章 93 生きる意味
その日も朝から雨が降っていた。
街の北側にある墓地には亡くなった五人の家族や友人が集まり、その死を偲びながら最後の別れを行っている。
その中にはイデアの幼馴染であると言っていたイワンと、彼に支えられるように涙を流している夫婦の姿もあった。
二人は愛娘が入れられた棺が墓穴へと埋葬される様を見守り続け、そして土を掛けられるその時にはとうとう膝から崩れ落ちたのだった。
その姿はあまりに痛ましく、俺は思わず視線を逸らしてしまう。
しかし逸らした視線の先でも娘を亡くした親たちが泣き崩れていて、俺は居たたまれなくて歯を食いしばった。
「おい、何やってんだ。お前も祈っとけよ、友達…だったんだろ?」
「ジーク。…あぁ、そうだよな。」
俺の目の前の墓にはエルちゃんが埋葬されている。
エルちゃんには家族が居らず、またこの街に来てまだ数年という事もあってか親族はおろか正確な名前まで分からなかったのだそうだ。
そういった事情にも関わらず、エルちゃんの葬儀にはたくさんの友人や職場の人間が集まりその死を偲んでくれている。
その中にはもちろん、あの時の青年も居た。
エルちゃんからきちんとした返事はもらえていなかったのだろうが、今こうしてこの場に居るという事はその気持ちに変化はなかったのだろう。
そんな彼は涙こそ流してはいなかったが、その目は赤く充血し悲しみに耐えるように口を強く噤んでいる。
その姿に少しの罪悪感を覚えつつも特に声を掛けるようなことはせず、俺は胸に手を当ててエルちゃんの冥福を祈った。
「…ジーク、モルガンの居場所はわかったのか?」
「いいや。だが、国中の騎士に通達して情報を集めさせてる。絶対にこの国から出しはしない。」
「…そうか。」
「それよりも、アイツはどうした?さっきから姿が見えないが…来てないのか?」
「あぁ。…そんな資格はないって、今も部屋に籠ってるよ。」
「そうか。」
「意外だな、お前はもっと茶化すかと思ったよ。」
「んな事するかよ、興味もねぇわ。…ただ、その喪失感だけは分からんでもないからな…。」
「………。」
「…口が滑った、今のは忘れろ。そんじゃ、俺は遺族と話をしなきゃなんねぇから、もう行くわ。……お前も、あんまり思いつめんなよ。」
「あぁ、サンキューな。」
「へっ!」
全員の埋葬が終わり、騎士団長であるジークは当時の状況などを説明するために遺族と共に去っていった。
残された俺は墓石に掘られたエルちゃんの名前を撫で、もう一度祈りを捧げてから踵を返す。
すると墓地の入り口に立つ一人の青年の姿が目に留まった。
その青年も近づく俺に気が付いたようで、真っ直ぐな目を向けては口を開いた。
「あの、少し良いですか?」
「…あぁ、何か用か?」
「貴方は城に勤めている方ですか?先ほど騎士団長と親しげに話している所を聞いて…。エルの墓の前にも居ましたよね?もしかしてエルが頻繁に城へ行っていたのは、貴方に会うためですか?」
「…。確かに俺はエルちゃんを知っているし、毎日城に来ていたのも知ってる。でも、エルちゃんが会いたかったのは俺ではないよ。俺はただの友人だ。」
「俺ではない、という事は他に会っていた人が居たって事ですよね?その人は、今日ここには来ていないんですか?」
「……もし来ていたとしたらどうするつもりだったんだ?」
「俺は!…俺は、エルの事が好きでした。いつも楽しそうに薬を調合したり、一生懸命解呪の勉強をしていたり…そんな姿に堪らなく惹かれていました。でも大きな怪我をしてからというもの、エルの様子が少しずつ変わっていったんです。安静にしていなくちゃいけないのに薬を作ったり、傷が開いても城に行くって聞かなかったり…。でも城から帰ってくると決まってアイツは落ち込んでいて、大丈夫って笑ってたけど…陰でこっそり泣いてたのも知っていて…。だから俺、エルに告白したんです!結婚を前提に付き合って欲しいって、必ず幸せにしてみせるって!…でもアイツ、謝るばっかりで。もし、アイツをそこまで惹きつけるような奴がいるなら、俺は一度会って話がしてみたいんです。エルにあそこまで想われていたのに、どうして受け入れなかったのか。…どうしてこの場に来ていないのか。」
「…君は格好いいな、好きな子を絶対幸せにするって気構えがひしひしと伝わってくるよ。…だからこそ、アイツとは話さない方がいいよ。きっと正反対の人間だから、君には理解できないと思う。」
「それでも!…せめてエルの事をどう思っていたのかだけでも聞きたいです。城に行ったせいで攫われたようなものなのに、きちんと別れもしないなんて…。」
「だから、だと思うよ。」
「え…?」
「アイツはここに来ないんじゃない、来れないんだ。今もアイツは…葛藤してるんだよ。」
「それって、どういう…。」
「いつか君にも分かるかもな?まぁ、分からない方が幸せかもしれないけど…。じゃあな!生きろよ、青年!!」
俺は彼の肩を叩いてから、振り返らずに手を振ってその場を立ち去る。
彼も俺を追ってくるような事はなく、ただ立ち尽くしているようだった。
おそらく彼は大丈夫だ。
芯が強くて正義感もある彼なら、きっと一人でも立ち直れるだろう。
時間は掛かるのかもしれないけど、きちんと前を向いて新しい恋にも目を向けられるはずだ。
…だから、問題はアイツの方だ。
俺は深くため息を吐くと、一直線に城へと向かったのだった。
―――
その部屋の前に立つと、俺は一度深呼吸をする。
そうして出来るだけいつも通りに振る舞えるよう気合を入れると、その扉を軽く叩く。
しばらく待ってから返事が聞こえたのを確認して、ホッと息を吐いてから部屋の中に入っていく。
「よぉ、レーヴ。…なんだ、また薬の調合をしてたのか?」
「まぁね。いくらあってもいいものだし、こうしていると少しは落ち着けるから。」
「……、エルちゃんの葬儀は無事に終わったから。」
「っ!そう、かい…それはお疲れ様。」
「…なぁレーヴ、お前…っ!わりぃ、なんか蹴っ飛ばした。」
「ん?あぁ、それか。別に大丈夫だよ、それにはまだ大したものは詰めてないから。」
「これって、鞄…だよな?こんなもの、何に使うんだ?」
「何にって、荷物を入れる以外に何の使い道があるんだい?ナユタさんだって出かける時には、鞄に荷物を詰めるだろう?」
「いや、そうじゃなくて!この鞄を何に使うんだって聞いてんだよ!!…お前、まさか。」
「…そうだよ、僕はここを出る。ちょっとした傷心旅行ってやつさ。君には迷惑を掛けるだろうけど、そこはどうか許して欲しい。思えば僕はこの街から出たことが無かったからね、ちょっとした冒険でもしてみようかと思ったのさ。」
「……追うのか、モルガンを。」
「………。」
「取り返すつもりなんだろ、エルちゃんの目玉。」
「……止めないで貰えるかい?僕にはもう、これしか生きる理由がないんだ。あの子のいない世界でどんな風に生きていたのか…もう思い出せないんだよ。だから僕が生きていくためにも、あのクソ野郎からエルの目を取り戻す。…僕の監視をしなくちゃいけない君には申し訳ないと思うけど、でももう決めた事だから…僕は行くよ。」
「………。」
「………。」
「……っしゃ、よかったぁ!!」
「え…?」
「いやー、お前の事だから『エルの居ない世界で生きてる意味はない。』とか言って死のうとしてるんじゃないかと思ってさー!そっかそっか、生きるつもりはあったか!それならいいんだ、一安心。」
「…いいのかい?僕はこの街を出るつもりなんだよ?」
「おぉ、いいぞ!復讐に生きるっていうのはちょっと悩むけど、ひとまず目標があるっていうのは全然いいだろ!オールオッケー!」
「君が糾弾されるのにかい?」
「え?なんで?俺も一緒に行くんだから別に誰も怒らないだろ。」
「……は?君も…なんだって?」
「俺も一緒に行くっつったんだよ!そうと決まれば王様に導使節を辞めるって言わないとな。あ、薬は多めに作っといてくれよ?俺のノーキならどんなにたくさんあっても持ち運べるし痛まないから。あぁ、そうだ。今の内に街で食料とかいろいろ買っておかないとな。調理器具とテントみたいなのもあった方がいいか?うーん、この街で全部そろうかな?レーヴはどう思う?」
「は…、え?……うん?」
「何間抜けな顔してんだよ、ちゃんと聞いてろって。この街の市場にテントとか売ってるかなって話を…」
「いや、そういう話じゃなくて!…え、君も来るのかい?導使節を、辞めて!?…僕が言うのもおかしな話だけど、正気かい?せっかく城に仕えているのに、それを棒に振るだなんて…。」
「……俺はな、たぶんお前が思っているよりもずっと怒ってるんだよ。友人を殺されて、友人の大切な子を殺されて、もう自分でもどうしたらいいのか分からなくなるくらい頭にきてるんだ。だからお前が言いださなかったら、俺がお前を誘ってたよ。復讐の旅じゃなくて奪還の旅に、だけどな?」
「………馬鹿な男だよ、君は。」
レーヴは眉間に皺を寄せつつも呆れたように笑ってみせた。
俺もそれに笑って返し、ポケットに手を入れる。
中にあったものを手に握ると、それを取りだしてレーヴの側まで行く。
「レーヴ、手を出せ。」
「…なんだい?」
「いいから、早く出せって。」
「………。」
「これはお前が持っててやれ。」
そう言ってレーヴの手の平にするりとリボンを落とす。
レーヴはそれを不思議そうに触っては何であるのかを確かめていた。
しかし結局答えは出なかったようで、降参と言わんばかりに口を開く。
「これはなんだい?紐…ではないようだけど。」
「リボンだよ、緑色をした不思議な柄のリボン。エルちゃんが毎日欠かさず髪につけていたんだ、これからはお前が持っててやれよ。きっとエルちゃんもその方が喜ぶ。」
「エルの…そう、か。………うん、ありがとう。」
「おぉー。」
「…なんだい、その反応は。」
「いやぁ、素直なレーヴも良いもんだと思いまして。」
「………ちっ。」
「舌打ちすんなよ、泣くぞ!!」
そうして一瞬不機嫌そうな顔をしたレーヴだったが、その手に握ったリボンを一撫でするとその表情を少し緩めた。
よかった、レーヴもひとまずは大丈夫そうだ。
エルちゃんの葬式に行かないと言われた時は正直心臓が止まるかと思ったけど、こうして自分で生きるという選択をしてくれたことは本当に喜ばしい。
これでレーヴが自ら命を絶っていたら、俺はエルちゃんに申し訳が立たなかったからな。
復讐を生き甲斐にするという点をエルちゃんが喜ぶかどうかは…ひとまず考えないでおくとして、まずはこれからどうするかを決めないと。
「そういえばナユタさん。」
「ん、なんだ?」
「………。」
「な、なんだよ。黙って見てないで何とか言えよ。」
「君の闇がまた変化している、これに心当たりはあるかい?」
「え、またかよ。心当たりって言われてもなぁ…。」
「そうだな…以前ほどの変化ではない、かな。でもまた人っぽさから離れたように感じられるよ。君、一体何を目指しているんだい?」
「んなこと言われましても…、成るようにしか成らんだろ。原因だってよく分かんないだしさ。」
「…、それもそうだね。それじゃ、僕は薬の調合を続けるよ。まったく、一人分なら今日中に用意できたのに…どうやら二人分用意しなくちゃいけないみたいだ。」
「おう!よろしく頼むぞ、相棒!」
俺がレーヴの背中を叩いて大笑いしていると、黒い笑みを浮かべたレーヴにやり返された。
それがまた思い切り叩くもんだから、一気に肺から空気が抜け咽まくってしまった。
コイツ、純粋な力だけなら俺より強いんだから少しは手加減しろってんだよ…。
「あー…いってぇな、ったく。そんじゃ、俺は王様と話ししてくっから。それと…少し知り合いに情報提供をお願いしてくるわ。」
「情報提供?騎士団はまだ何も掴んでないんじゃなかったのかい?」
「あぁ、だから別方面から当たってみようと思う。」
「…別方面?」
「まぁ、そのへんは任せてくれ。それに最初に超難関の王様対談があるからな、こっちで力尽きる可能性も大だ。」
「あー…うん、それは頑張って。」
「うっす。そんじゃ、行ってくるわ。」
俺はあからさまに肩を落としてから、レーヴの部屋を後にする。
導使節を辞めるって言って果たして俺は無事でいられるのだろうか。
例え無事だったとしても、少なくとも家は没収される…かな。
あーあ、せっかくリアが来てくれて楽しく生活できてたのに。
せめてノエルを一度家に呼びたかったけど、こればっかりは仕方ないか。
俺は何度もため息を零しながら、王様の元へ向かうのだった。
―――
この場の空気が、ここまで凍りついたことが未だかつてあっただろうか?
そう思わざるを得ないほど、俺と王様の間にはブリザード級の急激な温度変化が生じていた。
たった一言、俺が言葉を発しただけで王様からの視線は冷たくなり、こんな冷え切った空気に変わってしまったのだ。
しかし当の俺はこんなに寒さを感じているというのに、頭を下げたままたっぷりと汗を掻いている。
どうすんのこの空気!お願いだから何か言ってぇ!!
「………余の聞き間違いであろうな?其方、導使節を辞すると申したのか?」
「は、はい。そう言いました。俺は…!」
「では其方は、余の期待を裏切ると…そう申すのだな?」
「も、申し訳ございません。ですが俺には、この城を出てやらなきゃならないことがあるんです!だから導使節という名は、お返しします!」
「ほう、余の命よりも己が欲を優先するか。其方、よほどの覚悟をして参ったのであろうな…?」
「っ!家や家財はお返しします。お金も…出来うる限りは。ですのでどうか行かせてください!俺はどうしても邪竜神教を追いたいんです!!」
「………其方、今何と申した?」
「え?あの、邪竜神教を追いたいと…。」
「………よもやそれが導使節を辞する理由ではあるまいな?」
「いえ、これが導使節を辞めたい理由ですけど…。」
「なぜ、やめる必要がある。」
「え!?だ、だって、導使節って王様のいう事をなんでも叶える万屋的な仕事じゃないですか。だから城から離れるわけには行かないと思って…。」
「其方、導使節の意味を考えたことは無かったのか?」
「導使節の意味…?」
「なるほど、其方は何も分からずにその任に着いていたのか。……ナユタ・クジョウ・ユエル、其方は導使節だ。導使節は、本来ならば世界を回り国と国を繋げ、人々を正しき道へ導く事を生業とする。しかし其方はまだこちらに来て日も浅い、しばらくは余の膝元でこの世界に慣れさせた方が良いだろうと我が娘からの進言があった故にそうしていたまでよ。」
「ノエルが…?え、でもそれなら俺がこのままこの街を出るっていうのは…。」
「何の問題もない、それが邪竜神教を追うためならば尚更な。まったく…余の命を放棄しようなどと、どのような刑に処そうかと考えていたところだぞ?」
「結構危ない状態だったの!?」
「腕を絶つか腱を切るかで悩んでおった。」
「割と怖い事考えてた!でも良かった…俺、このままでいいんだ。」
「ふむ、しかし其方も難儀な男よな。邪竜神教の者であれば、騎士が総力を挙げて探しておろう。なぜ其方まで動く必要がある?」
「それは……、俺がそうしたいからです。」
「………わからんな。だが、良い。許す。導使節ナユタ、其方に邪竜神教モルガンの捜索と捕縛を命じる!」
「はっ!」
―――
あの後王様に支度金だとバカみたいな金を貰ったので、俺はそれを持って街まで来ていた。
なにぶん初めての旅という事もあって何が必要で何が要らないのか分からなかったが、とりあえず思いつくキャンプ道具なんかを片っ端から買ってノーキの中に納めていく。
そうしてなかなかの量を買い込んでから、俺はもう一つの目的である貧民街へ向かった。
街の東側を壁沿いに歩いて、一段下へ下がった道をひたすら暗い方へ進んでいく。
そうして開けた場所にある壊れた家屋の前まで行くと、俺は大きく息を吸いそこの住人に呼びかける。
「ヴィーヴィーちゃーん、あーそびーましょー!」
「………きっしし、おにーさん…うるさすぎぃ。」
そうしてその家屋からのそりと出てきたのは、この家に住む少年・ヴィヴィ。
少年と言っても体はヴィーのものなので、その辺りの表現がなかなか難しい所ではあるのだが…。
今はその話は割愛しよう。
今日は別の用でここに来たのだ。
「だいだいさぁ、あの呼び方はなんなのぉ?誰がヴィヴィちゃんだよぉ、失礼しちゃうよねぇ…。」
「小さい子は男の子でもちゃん付けしたりするだろ?良いじゃんか、可愛くて。」
「そういう事言ってるんじゃないんだけどなぁ…ま、いいけど。それでぇ、何して遊ぶぅ?どっちが先にはらわたを零すか競争するぅ?それとも互いに切りつけ合って傷の多さで勝敗を付けるぅ?」
「やらねぇよ!つーか、なんちゅう遊びを提案してんだ、お前は!!」
「えー、じゃぁもしかして大人の遊びぃ?悪いけど僕、そういうのはやってないんだぁ。ごめんねぇ、せっかく期待に胸膨らませて来てくれたのにぃ。」
「それもちがーう!どこでそういうの覚えてくるんだ、この国はもっと子供の情操教育を徹底しろ!」
「きっししし、元気いっぱいだなぁ。でも僕の体が目当てじゃないなら、何しにきたのぉ?他に何も思いつかないんだけどぉ…。」
「他に思いつかないのもどうかと思うけど…。今回はお前に頼みたいことがあって来たんだ。報酬はもちろん払うから、どうか力を貸してほしい。」
「………びっくりぃ、おにーさんから仕事の依頼が来るなんてねぇ。一応聞くけどぉ、誰を殺してほしーのぉ?」
「いや、殺しじゃなくて…情報が欲しい。お前が知ってるかどうかは分からないけど、昨日この街から一人の男が逃げた。そいつは邪竜神教の奴で、魔物を従えているんだ。騎士団がそいつの行方を捜しているけど、まだ何も掴めていないらしい。そこでヴィヴィに頼みだ、裏の情報屋みたいなのが居たら紹介してくれないか?騎士団という正義の力じゃ見られない道もあるだろ?そういうのに精通している奴がいるなら、教えてくれ。」
「…それは、どんなに汚いやり方で得た物でもいいってことぉ?」
「あぁ。」
「おにーさんも汚れ物の仲間になっちゃっうけど、それでもいいのぉ?」
「いい。」
「………いいよぉ、着いて来てー。」
そう言ってヴィヴィはふらふらとした足取りで家の裏手に進んでいく。
そこには細い路地があり、まるで迷路のように幾重にも枝分かれしていた。
これは一人で帰れないな…。
そうして何度目かの角を曲がった先に、まるで捨てられたかのような小さな教会が現れた。
窓ガラスはなく屋根は落ち、壁を覆うように植物が絡みついている。
そんなどことなく寂しさと優しさが感じられる、不思議な場所だった。
「…ここは?」
「僕らのぉ、あー…集合場所、みたいなぁ?」
自分でも首を傾げながらそう言ったヴィヴィは、なんの躊躇もなくその教会へと入っていった。
それに倣うように俺も足を踏み入れるが、あまりの暗さに中の様子は何も分からない。
ひとまず目が慣れるまでは障害物に気を付けようと手を前に出しながら奥まで進んでいくと、何か柔らかくて筋張ったものにたどり着く。
何だこれ…?
「おにーさん…やっぱりそういうのが目的だったのぉ?」
「うわ、なんだヴィヴィだったのか。びっくりした…つーか、なんだよやっぱりって!お前、実はまだ疑ってんのか!?」
「きっしし!さぁ、どうだろーね。」
「お前なぁ!」
「っだー、うるせぇな!俺はこれから仕事なんだぞ、少しは寝かせろってんだよ!」
「あー、やっぱりここで寝てたぁ。ほら、おにーさん。お望みの情報屋だよぉ。」
「え?情報屋って…つか暗すぎでどこに居るのかわかんねぇよ。」
「あ?なんだよチビすけ、部外者連れ込んでんじゃねぇぞ!」
「いーじゃん別にぃ。それにぃ、おにーさんは部外者じゃなくて依頼人。情報が欲しいんだってぇ、売ってあげたらぁ?」
「………んだよ、導使節じゃねぇか。てめぇみてぇな偽善者野郎に売る情報はねぇよ、とっとと帰れ!!」
「な、なんで俺の事知ってんだ!?つか、この状況で見えてんの…?」
「…ちっ!いちいちうるせぇな、んなことお前に教えてやる義理はねぇんだよ!」
「ありゃりゃ、今日は一段と機嫌が悪いみたいだぁ…。どうするぅ、出直すぅ?」
「いや、情報は一分一秒でその価値が変わる。であれば、俺はここで引き下がるわけにはいかないな。」
「………分かったような口聞きやがって、クソ喰らえだ。」
そう言った情報屋はどこからか唾を吐くような音をさせ、そのまま沈黙してしまう。
どうやら相手は俺の事を知っていて、その上でずいぶん嫌っているようだ。
情報屋だから俺の事を知っているのはまだ頷けるが、それでどうしてここまで嫌われているんだろうか?
偽善者呼ばわりされるような事にもあんまり身に覚えがないし…それにさっきからどうも気になる事がある。
「………なぁ、あんた俺とどこかで会ったことないか?」
「ほう…どうしてそう思った。」
「何となく…聞き覚えがあるような声なんだよ。絶対にどこかで聞いたことがあるんだけど、なぜかピンとこない。」
「俺みたいな平凡な声は、どこにでもあるだろうからな。クソの役にも立たない閃きだ。」
「いやぁ…、ちゃんと会話もしてたような気がするんだよなぁ。それも一回や二回じゃなくて…それでいてピンとこないっていうのは…」
「…もういい、やめろ考えるな。テメェの話はうんざりだ、さっさと帰れ!」
「いや、もう少し考えれば思い出せそうな気がすんだ…。んんー…あ、もしかしてお前口調変えてる?」
「わかった!俺の負けでいいからさっさと欲しい情報を言え!そんで何も考えずにさっさと帰れ!!」
「いやでも…」
「やめろ!テメェに身バレするなんて死んでもごめんだ!これ以上続けるなら俺は消えるぞ!」
「おにーさん、その辺にして話を進めたらぁ?たぶん本当に居なくなるよぉ、このひとぉ。」
「そ、そうか?うーん、気になるんだが仕方ないか。」
急に慌て始めた情報屋に促され、俺は渋々脳内検索をやめる。
本当にもう少しで分かるような気がしたんだけど、ここで情報を手に入れられなくなったら本末転倒なので大人しく従っておこう。
こうして情報を提供してくれると言うのだから、お言葉に甘えて教えてもらおうじゃないか。
「じゃあまず、邪竜神教のモルガンについて知ってることを教えてくれ。」
「邪竜神教?なんだテメェ、誘拐事件の後始末でも頼まれたのか?良い顔しいの導使節さまはなんでもこなして大変だなぁ、おい。」
「やっぱりどこかで聞いたことあるんだよなぁ…」
「あークソッ、やめろ!邪竜神教のモルガンだろ?アイツは狂ったあの中でも一、二を争う程の狂人で、そして魔眼蒐集家だ。」
「魔眼…蒐集家?」
「あぁ。特にユグドラシアでは有名でな、何人もの目玉を抉って指名手配されてやがる。この街に来たのも、ユグドラシアで派手にやりすぎたからほとぼりが冷めるまで身を潜めていようって腹だったんだろうさ。」
「魔眼、蒐集…。じゃあエルちゃんの目は、魔眼だった…?」
「おい、他にないなら帰れよ。」
「あ、いや!えっと、それじゃそのモルガンがどこに逃げたか知らないか?」
「んなもん知るか!それを知ってたら騎士団に情報流してるっつーの!」
「そ、そうか…。」
「………おにーさん、こいつ嘘ついてるよぉ。」
「え、嘘!?」
「うん。だってぇ、コイツは大の騎士団嫌いだもん。正義感が強くてぇ有能な人間が嫌いなのにぃ、騎士団に情報を流すなんて言うわけないよぉ。だからきっとぉ、知ってて隠してるんだと思うなぁ!」
「テメェ、チビすけ!仲間を売る気か!」
「言ったでしょぉ、おにーさんは依頼人なのぉ。依頼人が騙されそうになってて、黙ってる訳ないでしょぉ?」
「…ちっ!あぁ、クソ!今日は厄日か?胸糞わりぃことばっか起こりやがる!」
「話して、くれるよな?」
「………ちっ、モルガンは西に向かった。あの強欲な蒐集家の事だ、そのままユグドラシアに入るつもりなんだろう。アイツが連れている魔物もまだそんなに力を蓄えられているわけじゃねぇから、おそらく西に向かいがてらそこらの村を襲っていくはずだ。それを頼りに探せば、あるいは見つけられるかもな?」
「ユグドラシア…、なぁ!モルガンが蒐集するのは魔眼だけなのか?例えば、魔眼ではないけど特殊な力を秘めた目を持ってたらどうだ?」
「…それと魔眼とどう違うのかは知らねぇが、アイツは気に入った目玉も蒐集してる。あの変態野郎のお眼鏡に叶えば、奪われても不思議じゃねぇだろうな。」
「っ!!」
だとしたら、ノエルが危ないかもしれない!
ノエルの姫巫女の力は視覚にあると言っていた。
もしそれがあの男に知られたら、今度はノエルがその目玉を抉られてしまうんじゃないのか!?
「…ありがとう、もう十分だ。あー、報酬ってどのくらい渡せばいいもんなんだ?」
「…いらねぇよ。」
「え!?いやでも、俺が欲しかった情報は貰えたわけだし、それ相応の報酬は払うべきじゃ…」
「察しの悪いやつだなテメェは!報酬を受け取らねぇ代わりに、もう二度と俺の前に姿を現すんじゃねぇって事だよ!テメェは金輪際、俺と関わるな!いいなチビすけ、お前もよぉく覚えておけ!!」
「そぉんなに嫌なのぉ?」
「あぁ、嫌だね!コイツの存在自体が容認できねぇ、気味が悪くてしょうがねぇんだ!」
「そ、そこまで言わんでも…。」
「ひよっこが、いっちょまえに仕事選んでんじゃねぇぞ!!…って頭だったら言ってたよぉ?」
「し、知るか!とにかくテメェから報酬は受け取らねぇ!分かったらさっさと失せやがれ!!」
「はぁ、ダメだこりゃー。それじゃ帰ろうか、おにーさん。」
「あ、あぁ。えっと、それじゃまたな?」
「またはねぇっつってんだろうがっ!さっさと失せろ!!」
結局一度も姿を見せなかったそいつに追い出されるように、俺たちは捨てられた教会を後にした。
どうしてあそこまで嫌われているのか分からないが、それでも欲しい情報はもらえたので今日の所はそれで良しとしよう。
西に向かったというモルガン、アイツがユグドラシアに入る前にどうにか見つけ出さなくては…!
「おにーさんはこれからどーするのぉ?」
「うん?そうだな…旅支度は済んでるから、明日にでも西に向かおうと思う。」
「ふぅーん、一人で大丈夫ぅ?」
「もう一人相棒が居るから大丈夫だ。そういえばヴィヴィは直接会った事無かったよな?ヴィーの火傷を治療したでかい男が居るんだけど、そいつと行くつもりなんだ。」
「あー、あの盲目のおじさんかぁ。…男の二人旅ってなんだかむさ苦しくて嫌だねぇ?」
「言うなよ、本人が一番思ってることなんだから…。でもまぁ、頼りにはなる奴だからそこん所は安心できる。あと俺がストッパーになってやらないと、アイツ絶対ひとりで突っ走るしな。」
「へぇ、仲が良いんだねぇ。別にキョーミないけどぉ。まぁせいぜい死なないように頑張ってねぇ?」
「おう、応援しててくれよ!…っと、忘れる所だった。お前にも報酬を渡さないとな。紹介料っつーか、案内料っつーか。」
「………。」
「どうした?相場が分からないからできれば金額を指定してほしいんだけど…。」
「うーん、なんかさぁ?僕がここでこうしておにーさんからお金を貰うとぉ…、やらしい関係みたいでちょっとエッチだよねぇ?」
「誤解を招くような発言はお控えください!?急になんてこと言い出すんだ!お、お、俺は断じてそんな事を考えてなんか…!」
「分かってるよぉ、おにーさんが僕の事を少ししかいやらしい目で見てない事くらい。」
「少しも見てませんけど!?確かによく見ると可愛い顔してるだとか、あまりに細すぎて庇護欲を刺激されることはあるけれど!!決して、やましい事などありはしません!!」
「きっしし!本気にしちゃってぇ、おにーさんは本当に面白いねぇ!それじゃぁ約束の報酬を貰おうかなぁ。」
「おう、こう見えて割と持ってる方だから遠慮なく言ってくれ!」
「タオブ一個。」
「……え?」
「だからぁ、タオブを奢ってって言ってるのぉ。」
「え、いやそれは良いけど…報酬の話はどうした?」
「それが報酬だけどぉ?」
「はいぃ!?いやいや、いくらなんでもタオブ一個っていうのは安すぎだろ!それくらい俺でも分かるぞ!?」
「なぁにぃ?ヴィーにはごちそうで来て僕には出来ないって言うつもりぃ?」
「そ、そうじゃなくて…ちゃんと報酬を要求してくれって事だよ。ヴィヴィが居なかったらあの情報屋に会えなかったし、会えたとしても嘘を見抜けなくてあのまま納得しちゃってたかもしれないだろ?だからちゃんと働きに見合った報酬を渡したいんだよ。」
「だーかーらー!タオブが良いって言ってるんでしょぉ?僕がそう望んでるのにぃ、おにーさんはくれないって言うのぉ?」
「い、いや…そういうわけじゃないけど。……本当にタオブでいいのか?」
「うん!」
「…そうか。なら今から買いに行くか?」
「いこーいこー、すぐにいこー!」
何が楽しいんだか、ヴィヴィはスキップでもしそうな勢いで陽気に俺の手を引いていく。
あまりに無邪気なその姿からは俺の命を奪おうとした刺客だったなんて想像もできないほどだ。
繁華街の賑わいにはしゃいだり、タオブの熱さに戸惑ったり、そしてそれを口にした時の幸せそうな笑顔はその全てが年相応のものに見えた。
きっとこれがヴィヴィの本来の姿なのだろう。
暗殺者なんかにならなかったら、こうして毎日を楽しく幸せに過ごせていたんだろうなと思う。
…例えその選択肢が無かったんだとしても、いま目の前ではしゃいでいる姿を見ているとそう思わずにはいられない。
「んー?おにーさん、どうかしたぁ?」
「…いや、別になんでもねぇよ。でも本当にタオブだけで良かったのか?なんなら食後のデザートに甘い物でも買ってやるぞ?」
「いーのー、僕はこれが良かったんだから。…それじゃ、ここで解散しようかぁ。」
「え、なんで?家までちゃんと送るぞ?」
「いいよぉ、そんなのぉ。それにぃ、僕はこれから行くところがあるからぁ。」
「…それって、仕事か?」
「んーん、違うよぉ。定期報告っていうかぁ…お説教?みたいな。」
「説教?あぁ、もしかして頭って人に会いに行くのか?」
「まぁそんなとこ。一応僕も組織に入ってるわけだからぁ、上の人と適度に会っておく必要があるんだよねぇ。上の人って言うかぁ、上の上のひとぉ?」
「暗殺集団の上って、もうそれだけでおっかねぇよ。」
「あの人はおっかないよぉ?普段から怖い顔してるけどぉ、怒った時はもーっと怖い。だから遅刻するわけにはいかないんだぁ。」
「そっか…気ままにやってるようでお前も大変なんだな。」
「そう?僕は割と自由にやらせてもらってるけどなぁ。ま、そういうわけだから、またねおにーさん。」
「おう、気を付けて行けよ。」
「それぇ、僕の台詞じゃない?きっしし!じゃーねー。」
呆れたように笑ったヴィヴィはそのまま振り返ることなく建物の影に吸い込まれていった。
気を付けて行けよ。
それがヴィヴィの台詞だと言うのなら、何とも嬉しい限りだ。
いつまた俺の命を狙わないとも限らない暗殺者である事は確かだが、それでも今は俺の身を案じてくれる大切な友人の一人だと思う。
俺はニヤける顔を隠しもせず家へと向かい歩きはじめた。
そうだ、リアにもきちんと話をしないといけないな。
ノエルが返ってくるまではまだまだ時間があるし、その上俺まで居なくなってはきっと寂しい思いをさせてしまうだろう。
どうにか分かってもらえるように説得しなくちゃいけないが、むしろ俺の方が泣いてしまいそうで不安になってくる。
しっかりしろ、お前は男だろうが!
俺は自分に気合を入れてから、リアへの説得方法を考え始めた。
―――
「はぁ、そうなのですか。気を付けていってらっしゃいなのです。」
「そ、それだけ!?」
家に帰ってリアの目の前に立った俺は、開口一番に謝罪をし旅に出ることを話した。
すると返ってきたのが先ほどの台詞だ。
何とも単調、何とも侘しい。
何故こんなにあっさりしているんだ!?もしかして俺ってそこまでリアに重要視されてない…!?
「…そんなあからさまに肩を落とされても困るのです。ナユタはリアに引き止めてほしかったのですか?行かないで、と駄々をこねて欲しかったのですか?」
「いや、それはそれで困っただろうけど…。」
「ほら見た事か、なのです。リアだって別に興味がないわけでも、まして心配してないわけでもないのです。…別に一生帰ってこないわけではないのでしょう?ならリアはこの家を綺麗に保ちながら、待っているだけなのです。一年だろうが十年だろうが、リアにとっては大した時間ではないのです。だからナユタは安心してリアにこの家を任せると良いのですよ。」
「り、リア…!」
「ただ問題があるとすれば食料品をどうするかなのですね…。リアではこれらを消費する事が出来ませんので、どうにか夕食と朝食で使い切ってしまうしかないのでしょうか…。」
「あ、いや…それはちょっと。俺もそんなには食べられないし…。保存が利く物はそのままにして、腐りそうなものはノーキに入れっちまおう。」
「あぁ、そういえばそんなものを持っていましたね。おか…師匠の作った新しい魔道具。大事にするのですよ?」
「もちろん!それと、別にお母さんで良いんじゃないか?レオンはともかく、お前がそう呼びたいなら遠慮なんかするべきじゃないと思うぜ?家族なんだから、誰にも文句を言う権利はないって。」
「…家族、でしょうか?お母さんにとってリアはただの失敗作ですし、娘どころか自分の作品である事も認めてもらえないと思うのです。」
「うーん、認知の問題は確かにあるだろうけど…。でもそれってレオンが一方的に決める事じゃないだろ?リアがレオンを母親だと思うのなら、きっとそれに間違いはねぇよ。本当の家族になるにはもう少し時間が掛かるかもしれないけど、お前が諦めない限り可能性は無限大だぜ!」
「……ごくたまにですが、ナユタのその根拠のない自信が羨ましく感じる時があるのです。」
「ふふん、なのです!これは俺の数少ない長所だから、もっと褒めてくれていいんだぜ?」
「リアの真似をしたので減点なのです!罰としておかずを一品没収です!」
「えぇ!?そんなご無体な………ん?」
「どうかして、………?」
何かが足元で動いたような気がして視線を落とすと、そこにある俺の影が沸騰しているかのようにボコボコと奇妙な動きをし始めた。
その様子に言葉を失っていた俺とリアは、一瞬間を置いてから距離を取るように後退した。
しかしそれは俺の影である為か、いくらその場を動こうともピタリとくっついて来て距離を離すことが出来なかった。
「っ、ナユタ!」
「ダメだリア、こっちに来るなっ!!」
駆け寄ってくるリアを庇うように身を翻すと、それとほぼ同時に俺の影が盛り上がる。
殺されるっ!そう思い固く目を閉じたが、いつまで経っても痛みは襲ってこなかった。
まさか痛みを感じる暇もなく死んだのかと思い、恐る恐る目を開けると…
そこには見覚えのあるメイド服の少女が、慎ましやかに立っていたのだった。
「……え、クロエ?」
「お久しぶりでございます、ナユタ様。急な訪問、心よりお詫び申し上げます。」
そう言って深く頭を下げたクロエは、相変わらずの無表情を携えて俺の目の前に立っている。
って言うか近い!近い!!
影から出てきたから仕方ないんだろうけど、ここまで距離が近いと思わず顔が熱くなってしまう。
俺は手で顔に風を送りながら何とか落ち着こうと視線を迷わせる。
すると俺の腰に後ろからしがみついて目を見開いた状態でぴくりとも動かないリアの存在に気が付いた。
あー、うん。そりゃびっくりもするわよねぇ?
俺はリアの頭を軽く撫でると、落ち着かせるように優しく声を掛ける。
「リア、この子はクロエって言ってシュヴァリエ辺境伯の所のメイドをしているんだ。ノエルも世話になった子だから、悪い人じゃないぞ?」
「驚かせてしまったようで申し訳ございません。ご紹介に預かりましたように、私はクロエというしがないメイドでございます。夜分遅くにお尋ねしてしまった事、深くお詫び申し上げます、リア様。」
「り、リアは敬称を頂くようなものではないのです!そ、その…少し驚いただけで、大丈夫なのです…。リアこそ、驚いてしまってごめんなさい、なのです。」
「いいえ、私が不躾に現れたのがいけなかったのです。重ねてお詫び申し上げます。」
「そ、そんなこと、ないの…です。あ、の…リアは、リアリスニージェという…ナユタのお世話をしている、モノなのです…。」
「ナユタ様の…左様でございましたか。えぇっと、ではリアリスニージェお嬢様…」
「リ、リアで良いのです!お嬢様だなんて…リアは、そんな…。」
「しかし…」
「あーもう、気遣い屋か!クロエはリアさん、リアはクロエさんでそれぞれ妥協しなさい!でないとこの問答、一生続くぞ!」
「かしこまりました。ではリアさん、と呼称させて頂きます。」
「あ、の…リアも、クロエさん…とお呼びするのです。」
無表情を少しだけ崩したクロエと、もじもじと俯きながらもしっかり名前を呼ぶリア。
なんだか二人の間の空気がとても柔らかいものに変わっていて、見ているこっちがこそばゆくなってしまう。
この二人の組み合わせもいいな…と妄想が始まりそうになったところで、肝心な事を聞いていない事に気が付いた。
「そういえば、クロエはなんでここに来たんだ?…何かあったのか?」
「あ、いえ、そういうわけではなく…その。」
珍しく歯切れの悪いクロエに首を傾げながら話の続きを待っていると、少し顔を赤らめたクロエがじっと俺の目を見つめてくる。
その真っ直ぐな眼差しに内心ドキドキしながらも、出来るだけ平静を保っているかのように顔の筋肉に力を込める。
若干ひきつっているような気もするが、仕方なかろうて。
「ナユタ様が…私の安否を気にしておられると、とある女性騎士に教えて頂きまして。それで…今にも泣き崩れそうだから時間があったら手紙の一つでも送ると良いと言われたのです。私は手紙を書こうと思ったのですが、ご主人様が直接会った方が早いし安心するだろうと外出許可をくださいまして…夜分遅くに非常識とは思ったのですが、こうして参じた次第でございます。」
「な、な、泣き崩れてなんてねぇし!ただ心配なのに現地に行けなかったからどうにか連絡取れないかなって思ってただけで…!んん、いや大体あってる…のか?と、とにかく、泣いてはいない!そこだけ訂正させてもらえれば、大体あってる…と思う。」
「っ!!そ、そうなのですね…。という事は、あの話も本当で…?」
「あの話?」
「い、いえ!こちらの事ですので!!あ、あの…ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。見ての通り傷一つございませんので、どうぞご安心ください。」
「あぁ、それはもう本当に安心した!なんなら今すぐ抱きしめたいくらいに嬉しい知らせだぜ!!」
「っ!!あ、や、やはり…そうなのですね…。どうしましょう、私は一介のメイドに過ぎないのに…。」
「どうかしたのか?」
「い、いえ!何でもございません、ただの独り言でございます!!」
「そ、そう?」
どうもさっきからクロエの様子がおかしい。
急に俯いて手で顔を覆ったり、かと思えば珍しく大きな声を出したり…もしかして具合が悪いのか?
そういえば心なしか顔が赤い気がするし、どことなく呼吸も荒い。
まさか、俺を安心させたくて無理を押してきてくれた?
もしそうなら嬉しい反面申し訳ないな。
なんだかこの状態で帰すのも心配だし、今日はうちに泊まってもらった方がいいような気がしてくる。
幸い部屋は余りまくっているし、リアのおかげでいつでも泊められるように綺麗に整えられている。
こんな状態のクロエを放っておくことなんてできるわけないし、やっぱり今日は泊まってもらおう!
「クロエ、今日はこのまま泊まっていってくれ。」
「え…、え!?そ、そんな…私はその…。」
「そのままで大丈夫だ、(部屋は)とても綺麗だぞ?」
「っ!し、しかしそれは…私は、メイドですし…。」
「それがなんだって言うんだ!(体調の悪い)今はそんな事気にする必要ないだろ?」
「ですが…、私はその…経験がなく…。」
「いいんだクロエ、(病気の時は)遠慮せず甘えてくれればそれで。」
「あ、甘えるだなんて…。私たちはまだ…そんな…」
「(体調の悪そうな)クロエを、このまま帰したくないんだ。」
「な、ナユタ様…。私は………、っ!申し訳ございません、もう少しお時間をくださいっ!!」
「あ、クロエ!?」
リンゴのように顔を真っ赤にしたクロエは、慌てた様子で影に飛び込むとそのまま姿を消してしまった。
おそらくロヴィル領に帰ったのだと思うが…そんなにうちに泊まるのが嫌だったんだろうか?
いや、クロエの事だから、きっと遠慮したのだろう。
普段から奉仕する側に居る人間が、いざされる側に立つというのはきっと俺には計り知れない複雑な心境があったのだろう。
だと言うのに、俺ときたら恩の押し売りをするような真似を…反省しなくちゃな。
「体調悪そうだったのに、クロエ…ちゃんと帰れただろうか?…次に会った時には今日の事をきちんと謝っておかないとな。」
「……ナユタは三回くらい死んでもいいかもしれないのです。」
「そんなにダメだった!?」
リアは俺に冷ややかな視線を送りながらキッチンへと姿を消した。
まさかリアにまでダメ出しを受けるほど俺のもてなしは最悪だったのかと、俺は一人部屋の隅で反省会をする。
確かに些か強引ではあったかもしれないが、遠慮しがちなクロエにはそのくらいが丁度いいと思ったんだけど…。
三回も死んだ方がいいなんて言われるくらいだから、きっと俺が間違っていたんだろうな。
リアに分かって俺に分からない…これがいわゆる乙女心というものなのだろうか?
「いつまでそこでウジウジしているのですか?夕食の支度ができましたのです、さっさとゆっくり味わって食べるのですよ!」
リアに引きずられるように食卓に着くと、次々と豪華な料理が運ばれてくる。
これを見るに怒っているわけではないようだが、なぜか今日の料理はしょっぱく感じられたのだった。




