第二章 90 少女誘拐事件
いつも通りに朝食を済ませリアに見送られながら城へと向かっていた俺は、途中の街の外れで見覚えのある女性を見つけ立ち止まる。
その女性は二人の男と話をしていて、それだけならそのまま通り過ぎていたのだが、どうも穏やかではない雰囲気を醸し出していたのでちょっと様子を窺う事にしたのだ。
「別に取って食おうって言ってるんじゃないんですよ、テレサさん。ただ思っていたよりもジェンガの売れ行きがいいもんでね、これは一度ご挨拶をしなくちゃ不義理だろうって話になったんですよ。」
「えぇ、えぇ、そうなんですよ。だからねぇ、どうにか紹介してもらえないかい?ジェンガを考え出したっていうその人にさぁ。」
「…そんな事より、早くあのジェンガを返してください。子供たちはあれが戻ってくるのを、今か今かと楽しみにしているのです。」
「まぁそう感情的にならないで。これは大事な商売の話ですからね、俺たちも必死なんですよ。聡明なあなたなら分かってくれますよねぇ?」
「そうですよ、テレサさんのお答え次第ではイロを付けてお返しすることだってできるんです。ほら、最近息子さんを無くされて色々大変でしょう?こんなご時世ですし、先立つものは多いに越したことはないってね。」
「っ、私の事はいいのです!そんな事より、あのジェンガを返して下さい。亡き父のご友人であった貴方たちだからお貸ししたのですよ?それをこんな風に…それこそ不義理ではありませんか!」
「もちろん、あなたにもあなたのお父上にも感謝しておりますよ!…ですがね、やはり生きていくうえでは多少の犠牲は必要なのですよ。だからね、テレサさん。あなたがこれから楽をして生きていくためにも、楽しみにしているというその子供たちの為にも、俺たちに力を貸してはもらえませんか?」
「なぁに、ほんとに少しお話をするだけなんですって。ちょっと話したらそれでおしまいですから、なんの心配もいりませんって。」
「くどいです!あなたたちのような人に、彼を紹介することはできません!」
「そうですか…では、俺たちはこれで失礼させて頂くほかにありませんね。」
「ま、待ってください!子供たちのジェンガはどうなるのですか?もう十日も経っているのに…それでも文句も言わず待っているのですよ!?」
「あのねぇ…俺たちの話を聞いてなかったんですか?あなたが頑なに俺たちに協力してくれないから、こんな事になっているんですよ?本当に、子供たちを思うと可哀想でなりません。あなたの軽率な行動のせいで、大切な玩具を失う事になるのですから。」
「そ、そんな…!」
「おっと、俺たちを恨むのは筋違いですよ?すべての元凶はあなたなのだから。いやなに、今からでも紹介して下さるっていうのなら喜んでお返ししますよ?どうします、これが最後の機会となりますが…」
「っ…!」
「残念です。」
「ま、まって…」
「ごきげんよう、テレサ先生。こんな所でどうなさったのですか?」
「な、なんだてめぇ!」
「関係ない奴は引っ込んでろ!」
「関係ない…?いえいえ、関係はございますよ。今しがた私の話をしていらっしゃったではありませんか。」
「は?お前は誰だよ!」
「お初にお目にかかります。私はナユタ・クジョウ・ユエル。ユエル家当主の甥にして、英雄シャルルを兄に持つ者です。そしていまお話に上がりました、ジェンガを最初に作った者でもあります。どうぞ、お見知りおきを。」
そう言って胸に手を当てながら大げさに頭を下げると、二人の男は気圧されたように一歩後ろに下がった。
俺はテレサさんと男たちの間に割って入るように移動すると、仮面を取って笑みを作る。
そんな俺の様子を見た男たちは、戸惑いながらも負けじと体勢を立て直し俺の前に立ちはだかった。
「ほう、あなたがお噂の…お会いできて光栄ですお坊ちゃま。さすが才能に恵まれた貴族様だ、こんな子供の玩具にまでその才能を発揮なさるとは。」
「お褒めに預かり光栄です。ではさっそくで申し訳ないのですが、テレサさんからお借りしたというジェンガをお返し頂けますか?」
「はは、いやいやお坊ちゃん。そりゃちょっと早計ってもんですよ。まだなんの話も始まっていないのに、いきなり返せだなんて…ちょっと商人舐めすぎではございませんかねぇ?」
「…お返し頂けない、という事でしょうか?」
「これだから貴族のぼんぼんはダメだな、何でも思い通りになると思っていやがる。いいか坊主、世の中そんなに甘くねぇんだよ!金になると分かってて易々と手放すわけねぇだろーがっ!ジェンガも、お前さんもな!」
「分かったらさっさと別の金になりそうなもん持って来いよ!どうせ他にも腐らせてるもんがあるんだろ?俺たちがそれを有効活用してやるから、てめぇは黙って俺たちの言う事を聞いてりゃいいんだ、よっ!」
一人の男が話しながら俺に近づいて来たかと思えば、俺の腹に深く拳をねじ込んだ。
その様子を後ろで見ていたもう一人の男がへらへらと笑っていたので、そいつに向かって殴りかかってきた男を掴み投げ飛ばす。
殴った方も下敷きになった方も何が起こっているのか分からないというような顔をしていたので、俺はそいつらに近づいて目の前で屈むと先ほどよりも深く笑みを浮かべてその胸ぐらを掴んだ。
「下手に出てればずいぶんあからさまにつけ上がるじゃねぇか、おっさん達。俺が大人しくいう事を聞くようなお優しい貴族に見えたのなら、あんたら人を見る目ないよ。一回初心に戻ってやり直すことをおススメするぜ?」
「な、な…!」
「で、お前らのお望み通り『少し話をするだけ』は済んだと思うんだけど、これからどうするつもりだ?」
「ど、どうするって…?」
「この状況で俺の言ってることが分からないほど馬鹿でもないだろ?どうするかっつーのは、このまま大人しく返すもん返すか…それとも俺とちょっとばかし仲良くするか、だ。」
仲良くする、の辺りで俺は身体強化を使って地面に一撃を入れる。
もちろんそこには大穴が開いたわけだが、それを見た商人たちは顔を真っ青にして言葉にならない声を上げたのだった。
そこでもう一度追い打ちを掛けるように指を鳴らすと、二人は慌てて立ち上がりジェンガの入った袋を俺に向かって投げると一目散に逃げていった。
「「す、すみませんでしたー!!」」
「おぉ!捨て台詞のサービス付きとは、腐っても商売人だったか、アイツら。」
「あの…導使節さま。このたびは真に申し訳ございませんでした。」
「え、ちょ、頭を上げてください!テレサさんが謝る事ではないでしょう!?」
「いいえ、私の軽率な行動が招いた結果です。それに導使節さままで巻き込んでしまうなど…お詫びのしようもございません。」
「そんなに畏まらないで下さいよ、寂しいじゃないですか。それに、今回の事は俺が勝手にしたことですよ。俺がテレサさんを助けたかったからやったことです。それとも余計な事でしたか?」
「いいえ、そんな事は…!」
「ではそんなに責任を感じないでください。テレサさんが無事で、こうしてジェンガも返ってきたんですからそれで良しとしましょう。ね?」
「…はい、誠にありがとうございました。導使節さまに助けて頂いたこと、決して忘れはしません。」
「そんな大げさな…。あ、それと、俺の事はナユタでお願いします。その方が慣れてますんで。」
「…はい、ナユタ様。」
「様…様か。できればそれも取ってもらいたい、なぁ…?」
「それはいけません!子供たちの手本となるべき大人が、身分もわきまえずそのような態度を取るべきではありません!」
「はーい、テレサ先生。相変わらず真面目な…いい先生ですね。…っと、それじゃこれはテレサ先生から子供たちに返してあげてもらえますか?」
「それは…でも、よろしいのですか?」
「はい、その方が子供たちも喜ぶと思いますから。」
「それは…そうでしょうか?…、確かに承りました。ふふ、今日はジェンガが戻ってきた記念に、宿題の量を半分に減らそうと思います。」
「あ、出すには出すんですね…。」
俺の零した言葉にテレサさんは『当然です!』と胸を張った。
そんな姿が少し可愛らしくて思わず笑ってしまうと、テレサさんも照れたようにはにかんだのだった。
そうして俺たちはせっかくだからとそのまま一緒に城へ向かい、子供たちの話に花を咲かせながら楽しい時間を過ごした。
こうして話していると、テレサさんは本当に子供たちの事を大切に思っている事がひしひしと伝わってくる。
一人一人をよく見ているだけでなく性格や好き嫌いもきちんと把握していて、出来るだけ長所を伸ばしてあげられるように細心の注意を払っている。
そんテレサさんと子供たちの良い所について話していると、いつの間にか城の前まで来ていたのだった。
楽しい時間は過ぎるのがあっという間だな。
俺たちは珍しい組み合わせに驚きを隠せない門番くんに挨拶をしてからその場で別れる事にした。
最後にテレサさんがまた一緒に勉強を教えましょうと言ってくれたので、それに手を振って応える。
それから俺は書庫へ向かって歩を進めるのであった。
―――
書庫に着くと、俺は真っ先にホンの姿を探した。
あれから毎日魔鉱石を作るようにしているのだが、結局ホンの前ではまだ一度しか作っていないのでせっかくだから今日の分はホンの前で作ろうと思ったのだ。
しかしいくら探しても肝心のホンが見つからない。
大きくなっているとはいえまだまだ赤ちゃん程のサイズなので、このだだっ広い書庫の中から探し当てるというのはなかなかに大変なのである。
せめていつも光っててくれればまだ見つけやすいんだけどな…。
「ねぇ知ってる?最近この書庫に出るらしいよ。」
「出るって…まさか幽霊?なんで!?ここで誰か亡くなったりしたの?」
「いや、そんな話は聞いたことないけど…。でも一人で本を読んでたりすると、誰も居ないはずの後ろから声を掛けられるんですって。『その本、まだ読み終わりませんか?』って!」
「う、嘘でしょ!?もう一人でここに来られないじゃない!」
そんな女性たちの噂話を耳にして、俺は苦笑いを浮かべる。
これは間違いなくホンの仕業だよな?
アイツ…なまじ力が強くなったからって、読みたい本を読んでる人に催促するようになったのか…。
今は噂話程度で大して問題視されてないみたいだけど、これ以上何かしでかすようになったら最悪エクソシストとかが出てくるかもしれないぞ?
これは今後の為にもそこのところをちゃんと注意しておかなくちゃいけないなと思っていると、噂の幽霊…もといホンの姿を見つけた。
やれやれ、三十分は探したぞ。
「よぉ、ホン。熱心に何を読んでるんだ?」
「………。」
「…ホン?」
「今、いい所なので!」
「あ、はい…。」
どうやら集中して読んでいる所を邪魔してしまったようで、珍しく声を荒げたホンに怒られてしまう。
仕方ないのでホンが読み終わるまで適当に時間を潰そうと、そこらにあった本に手を伸ばす。
が、それを開くより前に、たった今俺を叱った張本人が顔の前まで飛んできた。
「お待たせしました!ナユタ様、ご機嫌麗しゅう!」
「はやっ!さっきまだ半分くらい残ってなかったか?」
「ナユタ様がいらっしゃいましたので頑張って読み切りました!とても興味深い本でございましたよ!」
「おぉ、そうか。…なんか急かしたみたいで悪かったな、いったい何の本を読んでたんだ?」
「はい!人間の感性と欲望に関する本で、若い男女が互いの体をまさぐり…」
「よし、もういいぞ!大体把握した!っつーか、なんて本を置いてんだここは!絶対子供を連れてこれないじゃねぇか!」
せめて区画を分けるとか分かりやすくしといてくれよ…、どうして学術書とかと同じように並べてあるんだ。
うっかり子供が手に取った日には、絶対家族会議が開かれることになるぞ!
「流石はナユタ様、その知識の深さに感嘆するばかりです!」
「やめて、この流れでそういう事言うと俺がエロ大使みたいになっちゃうから!全然普通なノーマル男だから!」
なんだよ、本の虫に感嘆されるほどの性知識って。
そんなの中学生でも憧れないよ!?
まだ誰にも聞こえないから良かったものの、さっきの女性とかに聞かれていたら…もうここには来れないレベルで恥ずかしい思いをすることになってたぞ?
良かった、ホンの声が誰にも聞こえてなくて…。
「あ、そうだ。お前ちょっと力が付いて来たからって迂闊に人に話しかけるなよ。噂になっちゃってるぞ、本を読みたそうに話しかけてくる姿なき声。」
「あらあら、それは申し訳ございません。しかしおかしいですねぇ、いくら私の力が増してきたからといって普通の人間に聞こえるわけはないんですが…。あぁ、もしかしたらその方は特別そういうのを感じやすいのかもしれませんね!見えなくても触れられなくても、ふとした瞬間に聞こえてしまう…といった感じの!」
「なにそれこわっ!それなんてホラーだよ。でもそれってつまり霊感がある人って事だよな?その人って、もしかしたら俺みたいに見えるようになったりするのかな?」
「いえいえ、それは無いかと。たまたま聞こえたりするような方では、何をしたところで見たり触れたりといった事は出来ないですよ!ナユタ様はその自覚がおありじゃないようですが、私たちをこうして認識できるという事はとても稀な事なんですよ?途轍もない才能なんです!」
「そ、そうなの?なんかそんな風に言われると悪い気はしないな…、ん?でもそれってつまり、俺は普通にしてても幽霊が見えちゃうって事なんじゃ…?」
「ですです!でも本当に気を付けてくださいね?ナユタ様の場合は、なんだか簡単に乗っ取られてしまうような気がしますので!」
「オッケーグー○ル、幽霊が見えなくなる方法を教えて?」
「桶?」
不穏な心配をされて思わず現実逃避を行うも、ここに答えてくれる端末は無いのであった。
まぁあったとしてもまともな答えが返ってくるはずもないんだけど。
そうしてすっかり怯えた俺をホンは気にも留めず、むしろ率先して幽霊の情報を教えてくれたのだった。
チクショウ、俺が何をしたっていうんだ!
いつまで経ってもその話題が終わらないので、俺は最終手段としてホンの目の前に手を差しだし魔鉱石を作り始める。
これを始めてしまえばもうこっちのもので、ホンは熱心にその様子を観察しながらぶつぶつと独り言を言い始めたのだった。
そのあと結局ピンポン玉サイズの魔鉱石を6個作り、それを見たホンがそれに対する感想と考察をいくつか口にしてからそれらをまとめる作業に入ると言うのでそのまま別れたのであった。
――――
「おっすー、生きてるかレーヴ!」
「昨日の今日で死んでるわけないだろう?」
「いやぁ、昨日の今日だから心配になってたんだけど。うんうん、相変わらず眉間に深い皺を寄せて元気そうだな!」
「君はいつにも増して元気が過ぎるね。中身はいい年なんだから、もう少し落ち着いたらどうなんだい?」
「いい歳とか言うなよな!?ったく、今日もお前の嫌味はキレッキレですこと。あー、しんど。レーヴさんや、お茶はまだかねぇ?」
「いくらなんでも老人になるにはまだ早いと思うけど?もしその年で耄碌したくないのなら、お茶くらい自分で淹れるといいよ。」
「なんだよケチー!こちとら魔力を半分くらい使ってぐったりしてるんだぞー!?」
「なんだ、また性懲りもなく魔鉱石を作っていたのか。ならそれは君の自業自得だろう?それでどうして僕が君にお茶を淹れてあげなくちゃいけないんだい?まったく理解に苦しむね。」
「ちぇー。分かったよ、分かりましたー!自分で淹れればいいんでしょー。」
「…あぁ、そうだ。せっかくお茶を淹れるのなら一人分も二人分もかわらないだろう?というわけで、僕の分も頼むよ。」
「なん…だと…!?レーヴ、さてはテメェ図りやがったな!?」
「ふっふっふ…。」
ニヤリと笑ってみせるレーヴを睨みつけ、上手い事誘導された俺は渋々二人分のお茶を用意したのだった。
こうなったら飛び切り上手く淹れて度肝を抜かしてやるしかねーな。
彼女いない歴=年齢のベテラン一人暮らしの家事スキルを特と見るがいい!!
「さぁ、ご賞味あれ!!」
「………、まぁまぁだね。」
「チクショー!!」
しょうがないじゃん、家にポットも急須も無いんだから!
一人暮らしの男が自分の為にお茶を淹れるなんて機会そうそうないんだよ。
そりゃ日頃からやってる人にしてみたら、そんな感想にもなるわ。
はぁ…今度リアにお茶の淹れ方教えてもらおう。
「それで、今日もレーヴさんはせっせと薬作りですか。」
「まぁね。作り置きも全部持って行かれちゃったし、なによりこうしてる方が落ち着くからね。」
「ふーん…。あ、そういえばレーヴって、人の闇を見てそれが誰だか判別してるんだったよな?」
「そうだけど…、それが何か?」
「それで人以外の奴と遭遇したことって、ある?」
「人以外?人族以外って事かい?残念だけど、僕はいままで生きてきて一度も他種族と言葉を交わしたことはないんだよ。」
「いや、そうじゃなくて…。ほら、幽霊とかそういうやつ。」
「あぁ、これってそういう話だったのか。うーん、どうだろうね。人混みで妙な感覚に襲われた事はあるけど、それが幽霊だったのかどうかは…ちょっと分からないな。」
「そうか…。ちなみにその妙な感覚の時は、体に異常とか起きなかったのか?」
「そうだね、眩暈はしたけどその後は何とも無かったかな?…それで?どうして急にそんな話が出てきたんだい?」
「いや、実は知り合いに『お前は幽霊が見える体質だし、なんなら簡単に乗っ取られそうだから気を付けなさい』的な事を言われてさ。…ちょっとビビってる。」
「ふーん、変わった知り合いだね。占い師か何かなのかな?でも乗っ取られそうって意見には僕も賛成かな。」
「なにぃ!?やっぱりレーヴもそういうの分かったりするのか?俺ヤバい?お祓いとか行くべき?」
「いや、そういう何か根拠がある話じゃなくて。ただ単純に、隙だらけで簡単に丸め込めそうだなって思って。」
「…人の不安を煽って楽しいですか?」
「そうだな…どちらかといえばすごく楽しい。」
「お前って…本当にいい性格してるよな!」
「それはお互い様だろう?」
「ぐぬぬ…。よろしい、ならば決闘だ!訓練場に行くぞ、ついて参れ!!」
「また急な…。やれやれ、仕方ないか。」
人の弱みに付け込んで楽しんでいるような奴には正義の鉄槌を食らわせてやろう!
何気にやる気を見せるレーヴを伴い、俺たちは訓練場へと向かったのだった。
今日こそは全力ブーストで完全勝利を収めてやるぜ。
―――
俺とノエルがこうして手合せをする時は大抵木製の剣を使う。
剣技だなんて大層なものは使えないが、それでもノエルやジークの動きを真似て少しは動けるようになったと思う。
しかしこのレーヴとの手合せは、今のところ100%素手でやっている。
拳と拳、単純にして明快な肉弾戦だ。
どこで覚えてきたのかは知らないがレーヴは妙な体術を使うので、殴り合いというよりは技の掛け合いといった戦いになる。
俺だって中学の授業で柔道を、高校の授業でレスリングを何回かやったことがあるので、ド素人ではあるがまったくの無知というわけではない。
それにオリジナルの動きを合わせることで、何とか技としてレーヴに対抗しているというわけだ。
しかし前回の手合せの時はなかなかに厳しい戦いだった。
魔力に余裕があるからいつもより動けると言っていたレーヴは、その言葉に偽り無くキレのいい動きをしていたのだ。
正直あのまま集中力を絶やさず続けていたら、俺の方が膝をつく結果になっていたかもしれない。
だがそれがいい。
そのギリギリ勝つか負けるか分からない攻防戦は、俺の闘志をいつも以上に燃やしてみせるのだ。
楽しい、といってもいいかもしれない。
だからこれは俺の為の投資だ。
俺が楽しく手合せをする為の、必要な対価と言えるんだ。
「ほら、これ使えよレーヴ。」
「ん?これは、魔鉱石?使えって…僕に情けを掛けるつもりかい?」
「ちげーよ。俺が万全の状態のレーヴを叩き潰したいの!魔力がどうのって言い訳させないための保険なの!それとも何か?ここで魔力を回復すると負けた時に俺の方が強いんだって分かっちまうから、それが怖くて使えないか?」
「…わかりやすい挑発だね。でも、今回は乗ってあげるよ。後悔してももう遅いから、覚悟するんだね。」
「口では何とでも言えるだろ。男と男は拳で語れってな!…よっしゃ、来い!」
「遠慮しないよ!」
魔鉱石を吸収したレーヴは、素早く距離を詰めると俺に向かって拳を振りかざす。
俺はそれをあえて避けずに、そのまま同じように拳を打ち込む。
まずは一発ずつ、試合はまだこれからだ!
―――
膝に手をつき床に落ちる汗を眺める。
荒くなった呼吸を整えようと深く息を吸うように意識するが、それでも体が勝手に素早く酸素を取り込んでしまう。
結果だけを言ってしまえば、俺たちはほぼ互角。
お互い決定打を撃てないまま、体力の限界が訪れたのだった。
床に座り込むレーヴを見てまだ立ってる俺の方がちょっとだけ勝ってるような気がしたが、あまりに些細な差だったので改めて口にする気にはならなかった。
しばらくそうして息を整えていると、苦しそうに俯いていたレーヴがおもむろに立ち上がる。
「お、やるか?っ、俺にはまだ…第二、第三形態があってだな…。」
「息も絶え絶えの状態で強がっても滑稽なだけだよ。…はぁ、疲れた。悪いけど僕は先に帰らせてもらうよ。」
「お?いいのか?俺はまだリングに立ってるぞ?ここで帰ったら試合終了ですよ?」
「構わないよ、君の勝ちで。…まぁ今回の手合せでそんなに埋められない差はないって事が分かったから、今日の所はそれで良しとするよ。」
「ちぇ、格好つけちゃって!帰れ帰れ!俺はもう少し休んだらまた一人で筋トレするから。そうしてその差ってやつをもっと広げといてやるよ。」
「はいはい、楽しみにしてるよ。…それじゃ。」
「次に泣きを見ても知らねぇからな!!」
レーヴは俺の今回の挑発には乗らず、軽く手をあげるだけでさっさと帰っていってしまった。
あらやだ、本当に帰っちゃったよあいつ。
俺としてはもう少し楽しく手合せしたかったんだが…。
ん、なんかこれだとノエルみたいな考え方だな。
運動大好き手合せ大好きのあの姫様に似てきたのかと思うと、嬉しい反面なんだかこっ恥ずかしくなってくる。
…ノエルは向こうでも変わらず訓練とかしてんのかな?
留学って話だったし、もしかしたら異国の新技とか習得して帰ってくる気かもしれないな。
そうして楽しそうにそれを披露してくれるんだろうと思うと、思わず口角が上がってしまう。
「おーおー、汗まみれの男が一人でニヤついてるなんざ不気味以外のなんでもねぇな!」
「っ!?ジーク!帰ってたのか。」
「おう、俺に会いたかったか坊主?寂しかったんなら素直にそう言ってくれていいんだぜ?」
「いや、全然。むしろ清々しい日々を過ごしていましたけど?」
「んだよ可愛くねぇなぁ!…もう少し根に持ってるかと思ったが、ずいぶん吹っ切れた顔してるじゃねぇか。」
「俺は日々成長してるんですぅー、もうお前の知ってるガキはいないから度肝を抜かしやがれってんだ!」
「はっはっは、そりゃ楽しみだ!つーことはあれだな?俺に稽古をつけてほしいって話だな?」
「なんでそうなるの!?俺いま汗だくなの分かってて言ってる!?」
ただでさえ限界近くまで動いた後だっていうのに、これからジークの地獄のメニューをこなすなんて悪夢でしかないだろ。
もし拒否権が無いんだとしたら、せめて今帰ったレーヴも道連れに召喚させてもらえないだろうか?
一人よりも二人で。
お互いに押し付け合いながら…もとい励まし合いながらだったらワンチャンこなせるかもしれない!
「…シュヴァリエ辺境伯の話だと、あのメイドは屋敷に留まらせていたらしい。あそこには近隣の村から避難してきた人間が大勢いたから、その護衛をさせてたんだとさ。よかったな、お前の友人は暫定無事だぜ?つーことで、俺からの報告は以上だ。わざわざ騎士団長自ら出向いてやったんだから、ありがたく思えよ?」
「ジーク…そりゃわざわざどーもな。」
「んだよ、もっと感謝してもいいんじゃねーか?それともやっぱり拗ねてんのか?言っとくがアレは全面的にお前が悪かったんだぜ?次もまた置いてかれたくなかったら、それまでにせいぜい強くなっておくんだな!いまのままじゃ到底連れていけねぇぞ?」
「け、んな事わかってますよーだ!…あ、ありがとな、クロエの事聞いて来てくれて。」
「………それはそれで気持ち悪い。」
「何っなんっだよ、テメェは!結局何言っても文句いうなら、俺はもう二度とお前に礼なんか言わねぇぞ!?」
「まーまー、拗ねんなって。今のは本当に気持ち悪かったが、ちゃんと感謝は伝わったぜ?残るは誠意を形で示すのみ、だな。そうだな…とりあえず飯でも奢ってもらうかなー?」
「騎士団長が一般人にたかるんじゃねーよ!それでも崇高なる騎士を束ねる長か!?」
「お、急に褒めるじゃねぇか。いやー、照れるねぇ!」
「褒めてないのにぃ!!」
「団長。」
「お、どうした。」
ジークとのやり取りで頭を抱えていると、一人の騎士がジークに駆け寄ってくる。
その騎士はジークに書類のようなものを渡すと、何やら小声で話し始めた。
あれ?もしかしなくても、俺って邪魔?
「…そうか、ご苦労だったな。引き続き捜索の手を緩めるな。」
「はっ!」
短く返事をした騎士は、そのまま踵を返して訓練場から出て行ったのだった。
残されたジークは、騎士が持って来た書類に目を通しながら眉間に深く皺を寄せる。
横からちらりと見る限りだと、どうやら先日ジークが言っていた行方不明になった女の子について書かれているようだった。
そうか、あの子はまだ見つかってないんだな…。
「…って、何勝手に見てんだよ!騎士でもない奴が勝手に捜査資料盗み見るんじゃねぇっての!」
「い、いででで、悪かったって!ちょっと気になっちゃったんだよ、許せ!」
「ま、別にお前ならいいんだけどな。この件と無関係なのは明白だし、何より陛下からの信頼の厚い導使節さまだから。」
「んだよ、痛めつけられ損じゃねーか。つか、お前まで導使節とか言うなって。…まぁ、そういう事なら遠慮なく見せてもらうけどよ。」
「あぁ、別にいいぜ。どうせ見たってどうしようもねぇだろうがな。お前が捜査に協力するっていうんなら話は別だが…いや、素人が混じったところでたかが知れてるか。」
「お前って本当に失礼だよな?俺だって聞き込みくらいは出来るんだぜ?…ん、なんだこれ。この事件で行方不明になってるのは一人じゃないのか。」
「あぁ。最初は一人だったんだがな、俺たちがロヴィル領に行った二日後からは連日少女が消えている。昨日までで既に五人だぜ?ったく舐め腐りやがって、すぐに見つけ出して牢にぶち込んでやる。………、どうした?お前なんか、顔色が…」
「これって…。おい、ジーク!行方不明になってる女の子たちってのはみんな無事なんだよな?攫われてるだけで、遺体で発見されたとか…そういうのは無いんだよな!?」
「な、なんだよ急に。そこに書いてあるだろ、『現在行方不明』って。遺体はおろか手がかりさえも見つかってねぇよ。あ、いや…関係ありそうな屋敷には目星をつけてるんだが…。」
「その屋敷に捕まってるのか!?どうして助けに行かないんだ!」
「まだ確証もねぇのに騒ぎを起こして、それで不発だったら最悪犯人を逃がすことになるだろうが。今はロヴィル領に半数近い騎士を置いて来ちまってるから、まだ迂闊には動けねぇ。」
「でも!…っ。」
「なんだ、知ってる奴でもいたのか?見せてみろ…『二日前に城に行くと言ったきり戻っていない。城壁近くの病院に住み込みで務め、親や兄弟はいない。』か。16歳の少女で名前は…」
「エルちゃん…、まさかあの帰りに?」
「……。はぁ…、あんまり派手には動くなよ。俺たちの仕事の邪魔をしない程度になら、お前のやりたいようにやっていい。」
「っ。ジーク、もしその屋敷に突入するって時には、俺にも声を掛けてくれないか?日中は城か街に居ると思うから。もし…少しでも何か分かったら…。」
「いいだろう、部下にも伝えといてやる。ただし、何が起こってもいいように心構えだけはしておけよ。もし、少しでも取り乱すような素振りを見せたら…」
「大丈夫だ…俺は、な。」
「…お前、今日はもう帰れ。陛下から家を貰ったんだろ?帰ってちょっと落ち着いとけ。」
「あぁ、そう…だな。」
そうして俺はジークに城の外まで付き添われ、家に向かって歩き出す。
気を抜いたら力が抜けてしまいそうな足を懸命に前へだし、家路を急ぐ。
大丈夫だと自分に言い聞かせながら、混乱する頭を懸命に片づけようと思考を巡らせる。
まずは聞き込みをしよう。
誘拐された少女たちの目撃情報を元に周辺の住民に話を聞いて、ついでに最近怪しいやつを見かけなかったかどうかも尋ねてみよう。
それで何か分かれば騎士団に、何も分からなければ一度レーヴの所に顔を出して…。
顔を出して、どうしよう…。
この事をレーヴに話すべきか、それとも黙っておくべきか。
この選択は容易には出来そうにないな…。
もし話したとしたら、レーヴはどうするだろうか?
家に帰って夕食を食べても、風呂に入っても、リアと他愛のない話をしていても、それでもなかなか答えが出せない。
俺は結局その答えを出せないまま、一睡もせずに朝を迎えてしまうのだった。




