第二章 89 遠方より
叡智の国・ユグドラシア。
この国は幾千、幾万年もの間そびえたち続けている巨木の元に作られた、知識と歴史を重んじる魔法使いの国だ。
ここでは国民の八割以上が何かしらの魔法を備えもち、その力の強さによって階級が与えられている。
たとえば階級が低いものは郊外、あるいは都市の地下に居住権を与えられ、階級の高い者に蔑まれながら奴隷として生活している。
逆に階級の高いものは王族に身分と仕事を保証され、地下の住人が一生得られないような贅を与えられ生活している。
その人の持つ能力がそのままこの国での価値になるのだ。
特別な才のあるものに対してだけ人権を与えるような実力至上主義の体制を取っているこの国だが、それでも外部から居住権を求めてやってくる人族は後を絶たない。
魔力が低いものや体が弱いものには家畜以下の生活をさせるのに対して、魔力が高いものや特別な能力を持っているものは優遇される。
そんな良くも悪くも個人の力を正当に評価する姿勢が、ギルドなどに所属し力をつけた冒険者をこの国に呼び寄せているのだろう。
では階級の低いものから不満の声は上がらないのかというと、一部の反抗組織を除けば無いに等しいのだ。
こんな非人道的な行いがまかり通っているのに不満の声が少ない…それはひとえにこの国の戦闘力の高さにある。
弱者が邪竜という人族全員の敵から身を守る為には、強い者の庇護が必要だ。
自分の代わりに戦ってくれる者、自分や家族を守ってくれる者。
そういった者からの庇護を無条件で与えられるのが、この国の全て住人に与えられる特権だ。
たとえ家畜以下の扱いをされたとしても、酷い言葉を浴びせられ暴力を振るわれたとしても、ここでなら邪竜に襲われ死ぬ事がない。
だからここの戦う事を諦めた人たちは、どんなにひどい扱いをされてもこの国から出て行こうとはしないのだ。
ここに居れば殺される事はない、自由はなくとも生きていけるのならそれでいい。
そういう人が少なからず存在するから、この国はいまもこうして成り立っている。
「ノエル姫、エリオット殿下がお呼びでございます。」
「…わかりました。」
私はいま、そんな国の実状を目の当たりにして困惑の色を隠せずにいる。
当たり前に行われている差別、当然のように寝る間も与えられず働かされている奴隷たち。
深く交流の無かった隣国との絆を深めるためとはいえ、この国の在り方を知って受け入れられるかと言えば私は…。
いいや、きっともうその段階の話ではないのだろう。
この国の王子と婚約したのなら、私は否が応でもこの国で生きていくことになるのだから、受け入れられるかどうかは問題ではない。
この国で生きていくという事は、この国の在り方を受け入れなくてはいけないという事だ。
この悲惨な状況に、私は慣れなくてはいけないという事なのだ。
虐げられる人を、蔑まれる人を、見て見ぬふりをしなくてはいけないのだ。
「ごきげんよう、ノエル。気分はどうかな?」
「ごきげんよう、エリオット殿下。お気づかい感謝いたします。」
「そんなに畏まらないでくれよ、私は君の婚約者なのだから。」
「そのお話はまだ正式なものではありませんので、恐れ入りますが…。」
「慎ましいね、実にいい。だが安心すると良い、父上は必ずや君を気に入るだろう。何せ君は特別な巫女の力を持っているのだから。それが目であるという事も、実に好ましいことだ。」
「っ、確か…ユグドラシア王家には代々魔眼を持つ方が多くお生まれになるのでしたね?その力を以て人々を束ねていらっしゃると…。」
「あぁそうだよ、良く知っているね。ふふふ…それなら、これは知っているかな?魔眼持ちは魔眼持ちからしか生まれない。故にその血を絶やさないために…その血を濃くするために、我々王家が何をしてきたのか。」
「血を…濃く?ま、さか…。」
「ノエルは頭もいいんだね。きっと私たちの子供も、聡明で優秀な能力を持つことだろう。」
「わ、私の目は魔眼というわけではございません!」
「あぁ、知っているよ。大丈夫、魔眼の血は私が受け継いでいるから。能力こそ妹に取られてしまったけれど、その血は間違いなく私の中にも流れている。私たちでそれを証明しようじゃないか!ね、ノエル?私の可愛い婚約者…。」
「っ!申し訳ございませんが、まだ旅の疲れが残っているようなので今日はこれにて失礼させていただきます。」
「そう…それは残念。では部屋に戻ってゆっくり疲れを取ると良い。夜には父上もお戻りになるはずだから、晩餐は一緒にできるだろう。楽しみにしておくといい。」
「…はい。」
これは、仕方のないことなのだ。
私がここに居ることも、おそらく彼と婚約することになるのも。
全部、仕方のないことなんだ。
クレアシアとこの国が固い絆で結ばれたのなら、きっと人々の平和な日々は守られる。
魔法に造詣が深く強い力を持つ国と手を取り合って生きて行けるのなら、それはとても良い事に違いないのだ。
だから私はこの国に来ることを承諾したんだ。
きちんと覚悟を決めて、お別れも…
「お別れ…やっぱりちゃんとするべきだったな。」
ここに来て、それがこんなにも胸を締め付けるとは思わなかった。
落ち着いたら手紙を書けばいい、そんな風に思っていたのにもう既に会いたいと思っている自分が居る。
あなたに触れた時はあんなにも幸福を感じていたのに、どうしてこんなにも違うのだろう。
私は王子に触れられた箇所に手を添え、その感覚を忘れるように何度も擦る。
何度も何度も擦っていると、チリッとした痛みが手の平に走った。
どうやら皮膚が摩擦で少し削れてしまったようだ。
じんじんと痛む傷に治癒魔法を掛けようと手を伸ばし、しかしすんでのところでそれを思いとどまる。
自分でもどうかしているとは思うけど、それでもこの手が痛い内は胸の痛みに気づかずに済むような気がしたのだ。
痛いのは傷があるせいで、決して後悔や不安からくるものではない。
そう自分に言い訳をする余地を、今は与えておきたい。
「いま、何をしてるのかな…。リアとは仲良くしているかしら?」
馴染みある風景を思い浮かべてはチリチリと痛みが広がっていく。
私はそれを傷のせいにして、もう少しだけ懐かしい顔を思い浮かべることにした。
――――
さっきから一体なんだっていうんだろうか?
いつものようにレーヴの部屋にやってきた俺は、他愛もない挨拶をしたあと魔鉱石や魔法薬などのちょっと専門的な話を聞いていた。
俺は基本的にこの世界の常識を分かっていないので、気になったことや異世界との違いを教えてもらっていたのだ。
しかしそうして話していくにつれなぜかレーヴの落ち着きがなくなってきて、お互いイスに腰掛けながら話していたはずなのに、今となっては部屋をうろつくレーヴを目で追いながら話をする始末だ。
これは一体どういう状況だ?
俺が部屋に来た当初はいつも通りの嫌味と落ち着きを持っていたはずなのに、たった二、三時間話しただけでこうも態度が変わるものだろうか?
俺はいままでの会話を思い返してそれでもやっぱり思い当る事がない事を確認すると、他の要因を探るべく片っ端から口にしていった。
「…レーヴ、トイレなら俺に構わず行ってくれていいんだぜ?」
「うん?別に今は大丈夫だけど。」
「そうか…。あ、もしかしてまだ報酬を受け取ってないのか?もしまた魔力が足りなくなりそうだっていうんなら、先に俺の持ってる魔鉱石をやるぜ?」
「報酬なら昨夜の内に届けてもらったよ。約束通りの量ではなかったけど、中途半端に依頼を達成してもらう分としては妥当だったと思うよ。」
「これも違うか…、うーん。」
「君はさっきから何をぶつぶつ言っているんだい?暇なら書庫で本でも読んで来たら…」
「あ、そういえば、今日はまだエルちゃんが来てないよな?」
「っ!!…そう、だったかい?言われてみれば、そんな気もするね。」
「ビンゴ。」
どうやらレーヴの落ち着きがない原因はこれだったようだ。
いつもならとっくにエルちゃんが来ている時間だと言うのに、今日はまだその声を聞いていない。
レーヴの反応からして、朝に来たわけでもないとするとこれは…
「昨日のエルちゃん、すげぇ怒ってたからな。もしかしたらもう来ないつもりだったりして。」
「…それなら願ったり叶ったりさ。もともと僕の方に会う気は無かったんだから、早い内に諦めてくれてホッとしたよ。別に意外ではないだろう?いずれはこうなる事は分かっていたし、ただそれが…今日だったってだけの話だよ。」
「その割にはずいぶん饒舌にしゃべるじゃねーか。にしても…あーあ、とうとうこの日が来ちゃったかー。まぁエルちゃんも相当悩んでたみたいだし、なるべくしてなったって感じなのかもなぁ。それに…あーんなに熱心に求婚してくれる男がいちゃあ、そりゃ傾いちゃうよなぁ。」
「えっ…求、婚?」
「おっと、口止めされてたんだった。まぁ気にするなよレーヴ、もうお前には関係のない話だ。お前を気にかけてくれていた女の子が、お前の知らない男と幸せになるってだけだよ。良くある話だろ?めでたしめでたしじゃねぇか。」
「っ…あぁ、そうだろうね。」
「…はぁ、そんな顔するくらいならお前が先に折れればよかったじゃねぇか。後悔先に立たずって言葉を知らねぇの?さっきだってそわそわしちゃって、全然説得力ねぇっつーの。」
「僕が折れるだなんて選択肢はないよ。今までも、これからもね。僕はあの子が幸せになるなら、なんだっていいんだ。なんだって…。」
「………。」
「………。」
「…ほんっとに頑固野郎だな、頑固なくせに臆病もんだ。なんでエルちゃんの事となると、お前はそんなに後ろ向きなんだよ。お前が側で守ってやるんじゃダメなのかよ?」
「言っただろう、僕はエルが幸せになれるならなんだっていいって。僕が側に居たら、きっと彼女の幸せも奪ってしまう。それが嫌だから、僕は…。」
「それでエルちゃんが幸せになれると、お前は本気で思ってるのか?」
「現に彼女はいま幸せなんだろう?求婚されて、結婚して…そんなありふれた幸せを謳歌してくれるのなら、離れた甲斐もあったってものさ。」
「それがお前の幸せなのか?」
「…そう、これが僕の幸せだ。」
「…歪な形にしたって限度があるだろうが。」
「そういう男なんだよ、僕は。言っただろう?僕に期待してくれるなって。」
俺は思い切りため息をついてレーヴの背中を軽く殴る。
普段ならこれで嫌味の一つでも漏れ出るのだが、今日のレーヴに限ってはただ黙ってそれを受け入れたのだった。
そんなレーヴの態度に些か腹が立ったが、選んだのがエルちゃんである以上俺がコイツを責めることは出来ないのだろう。
もちろん、慰めの言葉なんかも掛けてやるつもりは毛頭ないが。
レーヴも俺からそんな言葉は欲しくないだろうし、なにより慰めや憐みなんてものはコイツが一番嫌うものなんだろうから。
「…軽く運動でもするか?負け越したままじゃお前もすっきりしないだろ。」
「いや…今日はやめておくよ。」
「いいのか?こういうのは継続が大事なんだろ?」
「あぁ、そうだね。でも、今日はやめておく。」
「…わかった、それじゃ俺は訓練場に行くから。…また明日な。」
「あぁ。」
レーヴはそう短く返事をしてから、鍋を取りだして薬の調合を始める。
背中を向けて作業していたのでその表情を見ることは出来なかったが、その淀みない手つきは普段と何も変わらないように思えた。
…もしくは、普段通りの行いをすることで自分を落ち着かせているのかもしれないが。
俺はその姿を横目で確認してから、一人訓練場へと向かうのだった。
―――
日付が変わろうかという時間に、街の門が静かに開かれる。
そこから現れた甲冑姿の男たちは、門番といくつか言葉を交わしたのちに荷馬車を引き連れて街へと入っていく。
その姿は血と泥で汚れていて、闇に閉ざされたこの時間でなければ見たものを動揺されただろう。
その中の一人、馬に跨り荷馬車を先導するように進んでいた男は、城壁の門が閉まるのを確認したのち他の男たちに声を掛けた。
「みな、ご苦労だったな。今日はこのまま家に帰るも良し、俺と本部へ戻るもよし。各々好きに休んでくれ。」
「はっ!」
そうして指示を出したのは大剣を担いだ騎士団長、ジーク・シークだった。
ジークは何名かの部下を連れ馬を走らせると、城へと延びる一本道を進んで行った。
シンと静まり返った街には、甲冑のこすれる音だけが響き渡る。
ジークはそれを気にする素振りも見せず、ただ真っ直ぐに城へ向かうのだった。




