第二章 78 燃える街、落ちる雫
その日の夜、俺は慌ただしく人が行き交う様な足音で目を覚ました。
時刻はおそらく真夜中、夜明けまではまだ数時間はあろうかという時間に、なぜこんなにも多くの人が活動しているのだろう?
俺はベッドから出ると部屋の窓から外の様子を確認するべくカーテンを開ける。
すると目の前の景色はすべて赤く染め上げられていて、街が燃えているのだと認識するのに数秒のラグが生じた。
真っ赤に真っ赤に、燃える街…。
城壁は焼け落ち住民たちは逃げ惑う、そんな中で懸命に戦う騎士たちはそれでもあっけなく命を落としていく。
悲鳴と絶叫が渦巻く中心に、その元凶はいた。
そいつは人を焼き家を焼き、ありとあらゆるものを燃やし尽くそうとその穢れをばら撒いている。
俺がそれを呆然と見ている間にも人々は戦い、そして儚く死んでいった。
あっという間に積み上げられた屍の山をそいつの炎が灰燼へと変えていき、気が付いた時には俺は何もない焼野原に立っていた。
みんな、死んだのか?
ノエルもリアもジークもレーヴも…みんなみんな死んでしまったのか?
俺は焼ける足を引きずりながら、生き延びた者の姿を探す。
人の焼ける匂いが辺りに充満していて吐き気がする、徐々に焼けていく足の痛みに気が狂いそうだ。
それでも俺は歩き続ける。
炎の中を探している間に、流れていたはずの汗が乾いていく。
喉が張り付いて声を出すとちりちりと痛い。
それでも俺は歩いていった。
歩いて歩いて歩いて歩いて。
そうしてたどり着いた先で、俺はそいつを見つけた。
黒い体に鋭い爪、広げた翼はそのまま世界を飲み込んでしまうのではないかと思うほど大きく、そして一点を見つめるその瞳は怒りや憎しみに満ちているような真紅をしていた。
コイツがみんなを殺した元凶。
全てを無に帰そうとする邪悪。
俺は込上げてくる怒りに任せてそいつのに掛けようとする。
しかしどうしてか俺の足は一向に動こうとはせず、力を入れれば入れるほどボロボロと崩れていってしまう。
俺はそれを見てさらに憤った。
動かないのならこんな足はいらない。
俺は足を切り捨て地面を這いながらそいつへ近づいていく。
腕が腹が、地面に接している俺のすべてが焼けていくのが分かったが、俺の中に湧く怒りがそのすべてを忘れさせた。
それでも前へ、少しでも側へ。
アイツを助けるために。
―――危ないよ。
耳に届いた少女の声にハッとして顔を上げる。
アイツまではまだ遠いが、それでもアイツが何を見つめているのかを確認できる距離までは来た。
アイツがずっと見つめていたモノ。
アイツがずっと抗ってきたモノ。
それは仰向けに力なく倒れていて、側に落ちた剣がその者の敗北を象徴していた。
生きている?それとも死んでいる?
それすら分からないこの状況で、アイツはゆっくりとそれに顔を近づけていく。
あぁ、終わったな。
冷えていく心でそう吐き捨てて、俺はそれの顔くらいは拝んでおこうと目を凝らす。
―――助けて…
それは誰が言ったのか。
今まさに食われようとしている敗北者か、はたまたどこからか聞こえる少女の声か。
しかしそんな些細な事など、もはやどうでも良い。
そう思ってしまうほどに俺は動揺しているのだ。
アイツに咥えられた敗北者、今まさに食われようとしているそれは、まぎれもなく疑いようもなく絶望的なまでに俺自身であったのだから。
「っ、あああああああああ!!!!!!」
酷い吐き気に襲われ咄嗟に手で口を覆う。
頬を伝って流れるのが汗なのか涙なのか分からない。
さっきまでの事が夢なのか現実なのかさえ、今の俺には分からないんだ。
俺は混乱する頭をどうにか働かせようと風呂場へ駆け込み、服もそのままに頭から冷水を浴びる。
依然として眩暈と吐き気がひどいが、しばらくそうしている内に心の方は落ち着きを取り戻していく。
「大丈夫、今のは全部夢だ。みんな生きてる、俺も…生きてる…。」
やけにリアルな夢ではあったが、それでも所詮夢は夢。
脳内が作り出した空想に過ぎないんだから、深く考える必要はないんだ。
そう自分の中では分かっているはずなのに、どうしても俺と関わりの深い何かに思えて仕方がなかった。
…ダメだな、ちょっと歩こう。
俺は濡れた服を着替えると、ドアの前まで行く。
だるい腕を上げドアノブに触れたところでふと思い立ち後ろを振り返る。
俺が夢で外を眺めていた窓…、今はなんとなくそこから外に出たい気分だ。
俺はそのまま踵を返しその窓へと近づいていく。
カーテンに手をかけた時一瞬あの燃える街が脳裏に浮かんだが、俺は頭を振って深く息を吸うと一気にカーテンを引いた。
もちろんその先の景色は普段と変わりない、いつもの平穏そのものだった。
俺はホッと胸を撫で下ろすと、その窓を開けて下まで一気に飛び降りる。
夜明け前の冷たい空気と霧雨が俺の体を包み込むようで心地良い。
しっとりと濡れる芝生の上に降り立つと、すぐ傍から小さな悲鳴が聞こえた。
着地した状態のまま声の方に顔を上げると、そこには白い外套を着た見覚えのある少女が立っていたのだった。
「び、びっくりした…まさか上から人が下りてくるなんて思いもしなかったわ。それもこんな朝早くに。」
「あ…。」
「おはよう、ナユタ。今回はきちんと着地できたのね?」
そう言って無邪気に笑ったのは、外套で隠れていても分かる柔らかい笑顔の持ち主。
俺の恩人にして良き理解者であるノエルだった。
ノエルは俺から返事がない事を不審に思ったのか、なかなか立ち上がろうとしない俺と目線を合わせるように屈むと俺の顔を覗き込んだ。
「どうかしたの?なんだか顔色が優れないようだけど…。」
「え…あ、いや。ちょっと怖い夢、見て。気分転換的な?あはは…」
努めて明るく話そうとするもそのへたくそな演技はノエルに通用しなかったようで、真剣な顔で手を握られると強い力で引っ張られた。
俺はとっさの事で何も出来ないまま倒れ込み、暖かくて柔らかい物に包まれてもそれがノエルの懐であることを理解するのにだいぶ時間が掛かったのだった。
微かに聞こえるノエルの鼓動と息遣いに普段だったら良からぬ事を考えたのかもしれないが、いま、この瞬間に限っては安心以外の感情は何も浮かんでこなかった。
「怖かったね、ナユタ。でも大丈夫、もう大丈夫よ。」
「…っ、うん。こ、こわかっ…た。みんな死んで、俺、も…」
「そう…でもみんな生きているわ。私も、あなたも。だからもう大丈夫よ。」
「っ、うん。………うぅ。」
霧雨の降る中庭で、俺はノエルに縋りつきながら泣き続けていた。
その間ノエルはずっと俺を抱きしめてくれていて、『大丈夫』と言っては背中をさすってくれる。
俺はその優しさと温かさに触れるたびに涙がこみあげてきてしまい、顔を上げることが出来たのはしばらく経ってからの事だった。
――――
「ごめんな、そのぉ…いろいろ。服とか汚れちゃったろ?」
「外套を着ていたから大丈夫よ。それよりもナユタは大丈夫?びしょ濡れだけど…。」
「あー…水も滴るいい男だろ?」
「まぁ!そのとおりね?」
そういってまるで花が咲いたように笑ったノエルに、俺は思わず目を細める。
先ほどまでの恐怖が嘘のように溶けて、今はかつてないほど穏やかな気持ちだ。
それも全部ノエルのおかげかと思うと、俺は本当にこの子に頭が上がらないな。
俺が風邪を引くといけないからと言って、ノエルは俺の手を引くと足早に城内へ戻る。
俺としてはもう少し一緒に居たかったんだが、ノエルにこれ以上迷惑を掛けるわけにもいかないので大人しく後に続いて歩いた。
「…ねぇ、ナユタ?」
「ん?なんだ?」
「…ううん、何でもない。忘れちゃった。」
「なんだそりゃ?ノエルでもド忘れする事なんてあるんだな。全てを記憶するスーパーお姫様かと思ってたぜ。」
「なんだそりゃー?…うふふ、ナユタの真似。似てた?」
「うーん、俺にしてはちょっと上品すぎるかな?精進しなされ!」
「あら手厳しい!頑張りまーす、…ふふふ。」
「ぷ、あはははは!」
俺たちの笑い声が早朝の城内に響く。
迷惑だとか恥ずかしさとかまったく気にせず、ただ今が楽しいからいいんだと言わんばかりに笑い合った。
途中でぎょっとしているメイド達と目が合い、さすがに気まずくなった俺たちは手を繋ぎながら逃げるように走る。
最後にはノエルの負けず嫌いが発動して競争が始まってしまったのだが、結局俺の部屋に着くまで俺とノエルは始終楽しい雰囲気に包まれていた。
なんだかこんなノエルは珍しな、はしゃいだりふざけたり…さっきから妙に上機嫌だ。
「じゃあナユタ、しっかり温まってから着替えなきゃダメよ?」
「はーい。」
「それから、外に出る時は必ず外套を着る事!さっきまでの様な事はあんまりしたらダメなんだからね。いい?」
「はーい。」
「ご飯を食べたら歯を磨くのよ?知らない人に着いて行ったらダメよ?何かあったらすぐに助けを呼ぶのよ?」
「はーい…ってノエルは俺の母ちゃんか!まったく、うっかり新たな扉が開きかけるだろ?どうしたんだよ、今日のノエルはやけに楽しそうだな?」
「うふふ、ごめんなさい。ちょっと…嬉しくて。」
「嬉しい?何がだ?」
「うーん…内緒。」
「ここまできて!?それはないでしょ、ノエルさん!」
「また今度教えてあげるわ!そろそろお風呂に入らないと、ナユタが本当に風邪ひいちゃうもの。」
「ちぇー。」
「うふふ、それじゃあ…またね。」
「おう、またなノエル。あー、それとぉ…。んん、さっきはありがと。」
「…いいえ、どういたしまして。」
俺はノエルの背中を見送ってから部屋に入ってシャワーを浴びた。
すっかり温まった体に一杯の冷水を流し込むと、ふと先ほどまで繋がれていた手に視線を向ける。
暖かくて小さな手、だったな…。
あの手に一体何度救われたか分からない。
この世界に来たその瞬間から、あの子には助けてもらいっぱなしだ。
また一つ恩が出来てしまったな…そう思ったのとほぼ同時に俺の中からこんこんと、さながら湧水のように恥ずかしさがこみ上げてきた。
「…っあ~~~!!大の男がっ!年下の女の子にっ!?んがー、情けねぇ!!」
俺は一体何度あの子の前で恥を晒すつもりなんだ!
泣くは倒れるわ鼻血は出すわ!
もしかしなくとも俺って格好いいところ一つも見せられてないんじゃねーの!?
この間も可愛い認定されたばっかりだし、まさかノエルの中では俺って手のかかる弟として扱われてるんじゃ…?
ま、間違いねぇ!そうとしか考えねぇよ!
…挽回しなくちゃ挽回しなくちゃ、このままではノエルとのフラグなんて一生建たないっ!!
俺は一人頭を抱え、しばらくもんもんと考え込むのであった。




