きみとともに9
僕はその日から、今まで以上に真剣に部活に取り組んだ。そして、静香には毎日ラインでメッセージを送った。今日の部活はなにをしたとか、他の部員の上達ぶりを報告した。他にもあいつはここが弱いからどうしようという相談もしたし、誰かがふざけて先生に怒られていたとか、他愛のない内容まで書いては送った。どうしてそんなことをしようと思ったのかは自分でもわからない。思いつきから始めたことだったが、毎日のようにそんな他愛もないことを静香に送り続けた。
静香からの返信は初めのうちは淡泊なものだったが、そのうちいろいろ反応をよこすようになってきた。静香も部長だったのに突然部を辞めてしまったことを気にしていたようで、他の部員たちを気遣う内容のメッセージをよこすようになった。
僕は確信した。静香はまだ部活への気持ちを完全に捨ててはいない。関係ないと切り捨ててしまうような人間ではないことは、僕がよく知っている。静香は一度決めたことはなかなか覆さないが、ここは長期戦を覚悟して、根気よく静香の気持ちが変わることを待とう。
僕は静香がいつか戻ってくると信じていた。そしてその日のために、僕はあるサプライズをしてみようと毎日練習を重ねた。
春休みに入ったある日、静香を公民館に呼び出した。ラインの返事は来なかった。もしかすると来ないつもりなのかもしれなかったが、僕は公民館の前で静香が姿を現すのを座って待ち続けた。
待ち合わせの時間を三十分ほど過ぎ、僕の中で諦めの感情が芽生えそうになっていた。
今日は無理だったかなと立ち上がりかけたときだった。向こうのほうから見覚えのある姿を見つけ、僕は動きを止めた。
その人物はちょっと決まり悪そうな表情をしながら、僕の前に立った。
「遅くなってごめん」
静香はそう言って、僕に軽く頭を下げた。
僕は嬉しくなって、待ちぼうけをくらったことも、いろいろななにもかもを許せる気持ちになった。
「ったくおせーぞ。早く中行こうぜ」
僕はずっと静香に会っていなかったことなどなかったように、以前の調子でそう言った。
「あたしラケットとか持ってきてないんだけど」
「そんなのいいよ。貸してもらうこともできるし」
僕が先に中に入っていくと、静香も仕方なくといった様子でそれに従った。
卓球室として使われている部屋には、他にも二組卓球をやっている人たちがいた。僕と静香は一台空いている台についた。
「それでなに? 見せたいものって」
「まあ慌てるなって」
静香にはラインのメッセージで見せたいものがあると送っていた。僕は持ってきていたラケットケースからそれを出して見せた。
「え……? なにそれ。なんで孝介がそれ持ってんの?」
僕が取り出したペンホルダーのラケットを見て、静香が驚いた声を出した。
「借りたわけじゃないぞ。お年玉で買ったんだ」
「だって、シェークから変えたわけじゃないよね?」
「変えたわけじゃないけど、試してみたかったんだ」
僕はまだあまり慣れていないペンのラケットを握った。そしてピン球を一つ、静香に放った。静香は反射的にそれを手に取る。
「ちょっとバックに投げてくれよ。練習してみたんだけど、感想聞きたくてさ」
静香はまだ腑に落ちていない様子だったが、僕の言うとおり、バックに球をぽーんと投げ入れた。僕はそれを思い切りラケットで叩いた。バチーンといい音がしたが、台には入らず、静香の後ろの壁に跳ね返った。
「なにやってんの。全然駄目じゃん」
静香は呆れたような声を出した。
「これでも結構練習したんだぜ」
「だいたいさー。いきなりバックのスマッシュを練習するってどうなの。あたしがあんだけ苦労してたの知ってるくせに」
「だからだろ。静香に秘密で特訓して、僕のが先にマスターしたら悔しいだろうなって」
「なにそれ。そんな付け焼き刃であたしにかなうわけないでしょ。あたしのペンの年季わかって言ってる?」
いいぞ。静香はきっとうずうずしているはずだ。
「ホント確かに静香が難しいって言ってたのわかるよ。ちょっとやって見せてくれよ」
僕は畳みかけるようにそう言って、静香に持っていたラケットを手渡した。
「なにー。しょうがないなあ」
そんなことを言いつつ静香はラケットを握った。僕はラケットケースからいつものシェークのラケットを取り出して構える。
「じゃあいくよー」
静香が球を拾ってそれを打った。カコンカコンカコン。ラリーが始まると、さっきまでの饒舌が収まり、ただ球を打つことに集中し始める。球は僕と静香の間をリズミカルに行き来する。
ほら。もう静香の表情が変わっている。
僕たちが元に戻るのなんて、こんなにも簡単なことだった。
ラケットで球を打つだけでいい。
それは本当に単純で簡単なこと。
楽しい。
こんなに卓球をやっていて楽しいと思えたのは、本当に久しぶりだった。
静香のところにふわりと高い球が上がった。
静香はそれを、バックハンドで思い切りスマッシュした。決まった。気持ちいいくらいに最高のスマッシュだった。
静香は笑っていた。小学生のころのように、楽しくてたまらないという顔をしていた。
「ああもう。ずるいなー。まんまと罠に引っかけられちゃったよ。これじゃ、また部活戻るしかないじゃん」
静香はなにかが吹っ切れたような、そんな感じだった。
「静香は絶対戻ってくるって僕は信じてたよ」
僕の胸の中に爽やかな風が吹いていた。心と体が一致している。そんな感覚があった。
「孝介ってそういうこと言う人だったっけ」
「うん。最近こういうキャラに変わったんだ」
「なんか心境の変化でもあったわけ?」
「そりゃあ、静香のお陰でいろいろとね」
「うわ、むかつくー」
僕たちは顔を見合わせて笑いあった。
楽しい。僕は静香といるのが楽しい。
静香に対する僕の気持ちに、友達というだけでは足りないなにかを感じていたが、今はそれを表に出すときではないように思った。
静香が離れていってしまったと感じたときに、胸の奥底で沸きあがってきた、あのあらがいがたいような激しい思いは、きっといつか、押さえきれなくなるだろう。
でもそれは、もう少し先のことだ。
今はこうして他愛なく笑っていられればそれでいい。
静香とともにいる。
それだけで、こんなにも世界は輝いているのだから。
家に帰り、机の上におまもりのように置いてあるしおりを見つめた。赤く色づいたもみじがそこにあった。僕はそれを胸に当て、感謝した。
次にもみじが赤く染まったときは、きっと一緒に見られるよな。
なあ、静香。
<第五話 きみとともに 了>




