きみとともに7
静香が部活に出てこなくなると、驚くほど静香との接点がなくなった。クラスも違うし、教室も離れていた。会おうと思わなければ、簡単には会えないのだと、そんなことを思い知らされた。
部活は静香がいなくなったことで、以前の活気がなくなってしまったようだった。女子部員たちも、静香不在の状況に戸惑っているのがよくわかった。静香はあれで、部をしょって立っていたのだ。その存在の大きさに、いなくなってみて初めて気づいた。
そんなあるとき、放課後体育館でいつものように部活をやっていると、静香が姿を現した。静香の顔を見ると、部員たちはそれぞれ嬉しそうな声を上げていた。もちろん来たからといって参加はできない。見学をしているだけだった。右手小指の白い包帯がその現実を突きつけているようだった。
女子部員たちのほうを順繰りに見てまわっていた静香が、僕のところにもやってきた。僕と相手をしていた佐藤がミスをしたところで、静香のほうに向き直った。
「なんか、久しぶりだね」
静香がそんなことを言った。なんだか僕は緊張していた。静香になにを言えばいいのか、わからなかった。
「……その、怪我は大丈夫?」
やっとそれだけを言うのにも、気力がいった。
「大丈夫。多少生活に支障はあるけど、小指だからどうにかなってるよ」
「ごめん……」
反射的にそう言うと、静香の顔が一瞬にして曇った。
「だから孝介のせいじゃないんだから謝んなくていいよ。ね、それよかさ。ちょっとだけ相手してよ。先生いないうちに」
「え? だって怪我してるだろ」
「だから、左手で」
そんな無茶な、と思ったが、静香は僕の相手をしていた佐藤にラケットを借りて卓球台の向こうに立った。
「左で持つのめっちゃやりにくい」
利き腕ではない左手で他人のシェークハンドのラケットを持つ静香は、それでも嬉しそうだった。僕が軽く打ちやすそうな球をやると、ぎこちなさそうにラケットを振った。初心者が打つような大きく弧を描いた球が返ってきて、なんだかおかしい。再びゆっくりした球を返してやり、数回のラリーのあとに静香が球をネットに引っかけて終わった。
「あーあ。今だけ左利きになれたらいいのに」
静香はそんなことを言いながら、佐藤にラケットを返した。
「しばらくの辛抱だろ。また怪我治ったらいくらでもできるんだから」
僕がそう言うと、静香は少し困ったように笑って去っていった。
やはり静香は卓球が好きなのだ。自分が怪我をさせてしまったせいでそれができないということに、また僕は胸が痛んだ。
秋の気配もなくなると、すぐに本格的な冬がやってきた。僕は静香の怪我が治ることを黙って待っていた。定期テストやクリスマスも終わって、すぐに冬休みになり、その冬休みも終わると新学期が始まった。新学期が始まって二月に入ったころ、静香の包帯が取れていることに気づいた。廊下でそれを見かけ声をかけようとしたが、静香は僕に気づかなかったのか、そのまま去っていってしまった。
そのうち部活に復帰してくるだろうと思い待っていたが、静香は一向に部活に姿を見せる気配がなかった。顧問の先生に訊ねてみると、まだ調子が良くないらしいということを話してくれた。
しかしその数日後、顧問の先生から伝えられたのは、静香が部活を辞めるという話だった。
僕は呆然とそれを聞いていた。その意味を理解しようとはするのだが、まったく頭がそれを受けつけない。本当に、わけがわからなかった。
どうして。どうして。
いったいなんで。
静香とはつきあいも長いわりに、あまり電話で話したこともなかったが、どうしても部を辞める理由が直接訊きたくて、家に帰るとすぐに静香の携帯に電話をかけた。
数回のコールのあと、通話が繋がった。
「もしもし」
静香の声は、電話越しのせいかいつもと違って聞こえた。
「静香?」
「うん。珍しいね。孝介が電話してくるなんて」
急に僕は言葉に詰まった。どうやって訊けばいいのだろう。静香はどういうつもりで部活を辞めるなんて言い出したのだろう。
僕が沈黙していると、静香のほうが先に話し出した。
「先生から聞いたんでしょ。あたしが部活辞めるって」
静香はなんでもないような言い方でそう言った。
「辞めるってなんで……っ」
静香の口から辞めるという言葉が飛び出して、胸の奥がざわついた。
「うん。まあ、来年は受験だし。あたしまた成績下がったんだ。親にもうるさく言われてるし。だから、これもいい機会かなって思って」
「そんなのまだ早いだろ。まだこれから大会とかだってあるし、今までやってきたことの成果を出せるじゃないか。なにも今辞めることなんてないだろ!」
静香はあんなに練習して、人一倍努力していた。なにより卓球が好きでたまらなかったはずなのに、どうして。
「……ごめん。孝介にはあまり言いたくはなかったんだけど……」
静香がそんなふうに言葉を濁す。
「なんか、糸が切れちゃったみたい。あたし、卓球やっている意味がわからなくなっちゃったんだ」
苦しかった。静香の言葉が信じられなかった。
「だから……ごめん」
静香はそう言い残して通話を切った。ツーツーとむなしく耳元に音が響く。
わからなかった。静香の言葉の意味が理解できなかった。卓球をやる意味なんて、どうしてそんなことを考えなくちゃいけないんだ。糸が切れたというのは、もうやる気が失せたということだろうか。
静香が僕に勝てなくなったことも、ペンホルダーでのバックスマッシュにこだわっていたことも、朝練を続けていたことも、全部一本の糸で繋がっていて、それが怪我が原因で一気に切れてしまったということなのだろうか。
全部僕のせいだ。
こんなふうに静香が部活を辞めることを選んでしまったのは、きっと全部僕のせいなんだ。




