きみとともに4
翌日早朝、いつもの公園へ向かう僕の足取りは重かった。なんだかどんな顔をして静香に会えばいいのかよくわからなかった。
「おーい。なにちんたら歩いてるんだよ」
先に来ていた静香が公園に入ってきた僕を見ると、そんな軽口を叩きながら近づいてきた。
「おはよう。今日は早いな」
「早くないよ。そっちが遅いんだろ」
静香は僕の気持ちなどおかまいなしに、いつものように接してくる。静香とはずっと兄妹のような関係で、それが自然だと思ってきた。しかし、一度意識してしまうと、なかなかすぐにいつものようには戻れなかった。
「さっさと行かないと勝負する時間なくなるから行くよ!」
そう言って静香は僕の前を早足で歩き始めた。静香の後ろ姿を見ていて気づいた。いつの間にか僕は静香よりも頭一つぶん背が伸びていた。昔は静香のが大きかったのに、いつの間に抜かしてしまったんだろう。
あらためて見てみれば、肩だって華奢で、腕や足も細くて頼りなさ気に見える。僕の腕と較べれば、それは一目瞭然だった。
静香は女の子なんだ。
そんな当たり前のことに、今さら気がついた。静香はずっと男みたいに振る舞って、実際男にだって負けていなかった。だから気にしてこなかったのかもしれない。だけど、静香は男なんかじゃない。れっきとした女の子で、きっと僕が思っているより、ずっと脆くてか弱い。いざとなれば、きっと男の力にはかなわないだろう。
先程から黙り込んでいる僕を、静香が振り向いた。きりっとした目が訝しげに僕を見つめてくる。
「なに? なんか孝介いつもと違くない?」
「え。そんなことないよ」
そう口にしたが、自分自身その台詞を空々しく思った。やたらと静香を意識してしまう。静香が女の子だということを、いつになく考えてしまう。自分でもそれを止めることができなかった。
「なんか、変なの」
静香はそう言うと、再び前に向き直って歩き始めた。僕はそれを見てはらはらとした。
静香は僕が静香を意識していることに気がついただろうか。僕が静香を女の子として見ていることに気づいただろうか。
僕は本当に、どうしてしまったのだろう。こんな気持ちになったことはなかった。静香を異性として意識するなんて、どうかしてる。本当にどうかしてる。
今朝は卓球室で静香と対戦した。二人きりで卓球室にいることが、妙に気になってそわそわしていた。
「本当にどうしたんだよ孝介。腹の調子でも悪いのか?」
「そんなんじゃないよ」
ピン球を床に弾ませラケットで叩く。カコンカコンと小気味のいい音が室内に響いた。その音を聞きながら、ゆっくり呼吸した。そうすると、少しずついつもの落ち着きが戻ってくる。
そうだ。この球を見ていればいい。球の動きだけを意識すればいい。そうすれば、いつもの自分に戻れるはずだ。
僕は手のひらにおさめた白い球の滑らかな感触を確かめると、左手を広げて、球をじっと見つめた。球を上に放る。落ちてきたところで球を打ち、すぐに身構える。球は静香のところへ行き、またこちらへ返ってくる。カコンカコンカコンカコン。室内に響き渡るのは、卓球台とラケットを行き来するピン球の音だけ。不思議とそれを聞いていると、それまでの散漫だった心がしんと静まっていくような気がした。ラケットを振っていると、他のことをなにも考える必要がなかった。球を追うことだけ。球をただ落とさないように相手に返すだけ。単純で、わかりやすい。
チャンスボールがふわりと上がり、僕は無心でそれにラケットを叩きつけた。球は台から壁に跳ね返って当たった。
「っしゃあ!」
「なんだ。調子悪いと見せかけてただけじゃん」
静香が卓球台の下に落ちた球を拾ってこちらに投げてきた。それを受けとり、僕はいつものように笑った。
「調子が悪いなんて、いつ言ったんだよ。それを言うならそっちだろ」
「うっさい。早く打ってよ」
僕の軽口に、静香もいつもの調子で返してくる。温まってきた体とともに、固まっていた空気も次第に緩んできたように感じた。
そうだ。これでいい。僕と静香はいつもみたいにしていればいいんだ。
「ちょっとさ。バックの横切りサーブ試していい?」
サーブ権が静香に移り、僕が身構えていると、静香がそう言ってきた。
「別にいいけど、練習したんだ?」
「うん、まあ。完成にはほど遠いけど」
「いいんじゃない? やってみれば」
静香はこちら側に右半身を見せ、バックの体勢になった。ラケットとピン球をクロスするように持つ。すぐに球を宙に放ると、ラケットで横向きにスライスするように球を打ってきた。僕は曲がってカーブしてきたそれをツッツキでバックに返し、静香も同じように受ける。しばらくバックでの応酬が続く。しかし、それも静香のミスで終わった。ネットに球が引っかかって止まっている。
「あーあ。やっぱりバック難しいなぁ」
「もっと練習しなきゃな」
「あ、じゃあさ。明日つきあってよ」
「え?」
静香の言葉に思わずぎょっとする。
「明日土曜日部活は午前でしょ。昼ご飯食べてまた公民館で練習すんの」
「あ、ああ……」
なんだ。そういうことか。静香の口からいきなりつきあうという言葉が出たので、びっくりしてしまった。やっぱり変に意識しすぎだ。僕はラケットの角で軽く額を叩いた。
「なに? なんか用事でもあった?」
「いや、いいよ。大丈夫」
僕がそう言うと、静香はにっこりと笑った。
「おっし。じゃ、空けといてよ」
その後はやはり僕が点数を着実に稼ぎ、勝利をおさめた。静香はふてくされた顔になり、僕を睨んでいる。
「なんで勝てないのかな。あたしそんな弱くなった?」
「弱くなってないよ。むしろ強くなったんじゃないか?」
「じゃあなんで勝てないの」
「そりゃあ、僕がさらに強くなったってことだろ」
僕がそう言って胸を張ると、静香は頬を膨らませた。
「むっかつくー。ホントに絶対今度は勝つから」
僕はその言葉を笑って聞いていた。




