流星雨1
二〇〇一年十一月十九日未明。
星が流れていた。いくつもの光の筋が、夜空に線を描いていた。
寒かったが、そんなことは気にならなかった。僕は空を眺めることに夢中だった。流れ星に願い事をしてそれが叶うのだとしたら、この日にはどれだけの人の願いが叶うのだろう。
瞬く星々の間からすっと尾を引いて流れる光。
僕は願った。
もう一度この光景に巡りあえますように。
いつかまた、この神秘的な時間が僕の元に訪れますように。
昔から星を見ることが好きだった。小学生のころにはお年玉や小遣いをこつこつ貯めて、当時かなり高価だった天体望遠鏡を買った。
星座や星の名前も、たくさん覚えた。星座にまつわる神話にも興味が沸き、ギリシャ神話にもくわしくなった。
しかしなにより、星をただただ眺めていることが好きだった。何時間も飽くことなく星を見続ける僕を、よく母さんが叱りつけたものだった。
子供のころの夢は、天文学者になることだった。星を見る仕事ができたら、どんなに楽しいだろう。そんなふうに思っていた。
しかしまあ、現実はそんなに甘くなんかない。
勉強が特別得意でもなかったし、星にくわしい以外、たいした取り柄もなかった僕は、並の高校、大学を卒業し、普通のサラリーマンになるしか道はなかった。
今現在の僕は、普通に結婚して、一児の父となった。三年前に郊外に三十五年ローンの家を苦労の末買って、どうにか人並みの生活を送っている。ひとことで言うなら、ごくごく普通の一般人だ。普通というのがどのくらいのレベルのことを言うのかはよくわからないが、暮らしはそれほど楽ではない。最近では小遣いも減らされ、世知辛い人生の冷たさをひしひしと感じている。
それでもやはり、相変わらず星を見るのはやめなかった。
大人になってから買った天体望遠鏡は、昔より性能が良くなっていた。子供のように星を見ては喜んでいる僕に、妻の真知が呆れて言った。
「星ばっかり見てる暇があったら、少しは子供の勉強も見てやってよ」
しかし僕は星を見だしたら、横でなにを言われても頭に入ってこなかった。この広い宇宙を前に、世間のせせこましい話題は無意味だ。
息子の運動会で、親のリレーに参加することになった僕は、スタート地点に並んで順番を待っていた。息子は小学校三年生で、最近足が速くなり、リレーの選手を任されていた。先程そのリレーが終わり、息子のクラスは一等でゴールした。
その息子の親である僕が、失態を演じるわけにはいかない。僕は腕を回し、入念に足をストレッチしてほぐしておいた。
僕の順番がやってきた。バトンを受け取り、走り出す。普段運動をあまりしないため、体が重かった。全速力をするのも普段の生活ではほぼないため、これは結構苦しかった。前にいた人にどんどん引き離され、さらには後ろから来ていた人からも抜かされた。早く終わって欲しい。ただそれだけを思い、やっとのことで次にバトンを繋いだ。
これは、相当しんどい。
ぜいぜいと息が上がり、額からは変な汗が噴き出していた。
息子と妻の元へと戻ると、息子が口をへの字に曲げていた。
「父ちゃん、だっせーよ」
「ごめん優星」
「まあまあ、お父さんも頑張ったんだから。優星もそんなふうにいうものじゃないわよ」
真知がそう取りなすが、優星の機嫌は直らなかった。
ふがいない親だと自分でも思うが、こういうときにがつんと言えない。もっと威厳を示すべきなのだろうか。
これでも力の限り頑張ったのだ。文句を言うな!
そう言えたら良かったのかもしれない。しかし、自分自身が優星の言葉の通りだと納得してしまっていて、なにも言い返せなかった。
いつものように庭で僕が天体望遠鏡を覗いていると、パジャマ姿の優星がやってきた。
「なんだ。優星。もう寝る時間じゃないのか?」
そう言う僕に、優星はためらいがちに口を開いた。
「父ちゃん。今日はあんなこと言ってごめん」
それが、昼間のリレーのことだと思い当たるのに、少し時間がかかった。
「ああ。そんなことか。いいよ。それより優星は足が速くなったもんだな。父ちゃんびっくりしたぞ」
僕がそう言うと、優星はまんざらでもない顔をして笑った。
「ねえ、今日はなんの星を見てるの?」
「ああ。木星だよ。優星も見るか?」
僕は優星に場所を譲り、天体望遠鏡を覗かせてやった。
「うっわ。すっげー。縞模様まで見える」
「今日はシーイングが良くて、いい感じなんだ」
「シーイングってなに?」
「うん。まあ、空の大気の状態がいいとか悪いとかそういうこと。いいと大気が落ち着いていて星が見やすい。逆に悪いと星が見えづらいんだ」
「へー」
息子とこんなふうに星の話ができることが、嬉しかった。少しでも星に興味を持ってくれたなら嬉しい。
「優星。流星雨って知ってるか?」
「知らない。なにそれ」
「流れ星ってあるだろう? それが降り注ぐ雨のように空いっぱいに見えるんだ」
「雨みたいに?」
優星は目を丸くした。
「父ちゃんが星を見てて今までで一番感動したのは、その流星雨を見たときだ」
二〇〇一年の獅子座流星雨。テレビでも大きく取り上げられ話題となった。そのころ優星はまだ生まれていなかった。
「へー。いいな。僕も見たい!」
あんなすごい光景を優星と一緒に見られたら、どんなにすばらしいだろう。
「宇宙にはたくさんの星くずがあって、その星くずが地球の大気にぶつかるときに光って見えるんだ。彗星という星くずを吹き出す星があって、その彗星が通った軌跡は、星くずの海になる。その星くずの海を地球が渡るときに、流星がたくさん見られる。それを流星群というんだ。流星群のなかでも、流星の数のすごいものが流星雨と呼ばれる」
「へー。それいつ見られるの?」
「いやーまあ、流星雨ってほどのものはなかなか見られるものでもないけど、流星群は毎年やってくるから、そのときに条件が良ければそこそこ流れ星が見られるんじゃないかな。ほら、去年も夏休みにペルセウス座流星群見に山へ行ったの覚えてないか? まあ、あまり見られなかったんだけど。優星も結局眠気には勝てなかったみたいだしな。今年は一人で夜中見に行ったけどあんまりだったなあ」
「あー。あれのことか。でも僕流れ星見てないよ」
「流星群とかでなくても、流れ星なら運が良ければ夜空見上げてれば見られるかもしれない。そうだな。夜遅くなるけど今度みんなで星見に山のほう行ってみるか」
「行く行く。絶対流れ星見るっ。約束だよ!」
優星の嬉しげな声に、僕もまた嬉しくなった。僕は頷いた。
「そうだな。約束しよう。一緒に流れ星見ような」




