第1回 勇者と英雄
最初の回は勇者についてです。
勇者 というのは、異世界ではありきたりな職業だ。
主に異世界から転移してきた、或いは転生してきた人々が、これになる事が出来る。
勇者は近接も遠距離も優秀で、魔法もある程度使え、回復魔法まで使えるというオールマイティな万能職だ。
同じような職業に『英雄』と言うものがあるが、これは勇者とは似て非なる存在だ。
勇者はそもそも、魔王のような絶対悪の存在と戦うために召喚される者だ。
多くは元の世界に帰れないことが多い。その世界の魔法が未熟すぎるせいだ。
だが、多くの召喚者は、【敵対する存在の居る場所に行けば、元の世界に戻る方法があるだろう】と勇者を唆す。もしこの発言を聞いたなら、疑ってかかるべきだ。「本当に帰れるのか」と。
しかも、この発言には問題発言が多数含まれている。
第一には、【敵対する存在の居る場所】とは何かという点だ。魔王の城のような場所を思い浮かべる人もいるだろうが、私は、目の前に座る『王族』とやらが一番怪しいと思っている。
王族というのは、自身の命運がかかった切羽詰まった時などは他人を頼るが、それを切り抜けられると途端に心変わりして勇者を『自身の権力に対する脅威』と見る連中が多いのである。そしてそういう王族に限ってだいたい性根が腐っている。例えば、異世界の種を見下すとか、他者に支配されるのは我慢できないが自分が相手を支配するのには問題ないと考える・・・・・・とかだ。
第二に、【元の世界に戻る】の部分だ。本来この部分は【元の世界に『帰る』】でなければならない。
召喚術式と対になる術式は『帰還術式』または『送還術式』になるからだ。
にもかかわらず、『戻る』となっているのは何故であろうか。それは単純明快で『帰す気が無いから』である。『帰す気が無い』場合には数種類あるが、一番多いのは勇者が王に仕える存在になる場合である。それはつまり、勇者が成した全ての行為によって得られる名声は王家の物になるわけで、王族はその場にいて安全な後方で悠々自適に過ごしながらにして名声を得られるというわけだ。
最後に、【~だろう】という部分だ。だいたい「○○だろう」という言葉には過分に【仮定】の意味が込められている。つまり召喚者は、自分で召喚しておきながら帰還の方法は知らないと言っているのだ。そして、敵対者のところならばあるだろうと、仮定の話を勇者に希望として振るわけだ。
禄でもない話だが、それが現実だと言いたいのだろう。困った話である。
一方の英雄とは、多くの者と戦い、勝利し、栄光を掴み取った者のことだ。
だが英雄は必ず悲劇とセットになっている。
例えば、勇者は最後でハッピーエンドを迎えることが多いが、英雄はそのほとんどがバッドエンドを迎えて終わる。しかも厄介なのは、大体の場合、その悲劇は英雄とその関係者(妻や娘など)を巻き込んで起こる事だ。
さらに厄介な事に英雄というのは、実は2種類ある。『本当の英雄』か『創られた英雄』かだ。
前者は、民衆の支持や戦場での武勲を得て英雄と呼ばれる者だ。その多くは、勇者と同じハッピーエンドで終わる。
一方の後者は、その世界の権力者たち(教会や王族・神など)によって情報を操作されて創り出された英雄だ。そのほとんどはバッドエンドで終焉を迎える。
兎にも角にも、勇者は基本的には魔(絶対悪)を討ち倒す存在として召喚される。
異世界に転移した人々の多くの職業は、これである。
さて、何故最初に勇者の話をしたのか。
それは、勇者に任命されるという事が何を意味するか知って欲しかったからだ。
勇者は絶対悪を討ち滅ぼす存在。しかし、その絶対悪を何と規定するかは『勇者自身の判断』に依っている事を忘れないでほしい。それさえ忘れなければ、勇者は異世界から戻れるかもしれない。
<意味等指摘>
似て非なる存在:似ているようで全く違う存在 という意味
単純明快:(文章や物事の内容が)わかりやすくはっきりしている という意味
使える?仕える?:【使える】は一般的。【仕える】は誰かに奉仕する場合に。【支える】は支障が出る時だ。






