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アクアテラリウム  作者: 真島 悠久
1章 『Welcome to the Extraordinary』
17/113

1章11「歓待なき来訪者」

 気づけばいつも夢に()ていた。


 これは幼い頃の記憶。


 視界いっぱいに広がる(ほむら)(くれない)と、鼻を差す焦げた腐臭(ふしゅう)と、飛び交う悲鳴と、切れた(くちびる)から(にじ)む血の味と。


 ――腕の中で静かに消え()く、母の温もり。


 何もできない自分を(あざけ)るでも(のろ)うでもなく、ただ優しく包み込むその柔らかさを。


 慈悲もなく踏み(にじ)る、(たけ)(けもの)双眸(そうぼう)を。


 ――今もハッキリと覚えている。






 「…はッ!」


 唐突(とうとつ)に悪夢からめる。


 全身からじっとりと(にじ)む汗。


 身体の震えは決して、寒さだけのせいではない。


 「はぁ…はぁ…」


 荒い呼吸を必死に整え、ゆっくりとベッドから起き上がる。


 その拍子に、上着が肩からずり落ちるが、そんなことは気にも()めない。


 彼女の左手はり所を探すように、身体を支える右手を掴んだ。


 「…お風呂入らなきゃ」


 孤独を感じた日の夜は、いつもこうだ。


 背筋に(まと)わりついたトラウマは、日を追うごとに薄れるどころか、(ひど)くなるばかり。


 首筋を伝う汗を(ぬぐ)った彼女は、身体を奮い立たせるように立ち上がった――。






 「はーぁ、やっと退院かよ」


 21時、凛月(りんげつ)が溜め息とも欠伸あくびともつかない声を漏らす。


 「瀧川(たきがわ)中将が治してくれたんだから、あんなに疑わなくたって、もうピンピンだっての」


 「仕方ないでしょ。特にアンタの場合は、体構造が普通と違うんだから」


 「ジッとしてるのは(しょう)に合わねぇんだよ。なぁ、(りょう)?」


 「ボクは合法的にサボれて嬉しいけどなぁ」


 「というか、楓は?」


 今は病院の入り口に、凛月と涼燕(りょうえん)、千里の3人。


 集合時間はとうに過ぎたが、1人足りない。


 「あの子が遅れるなんて珍しいわね」


 「…あ、来た」


 涼燕が示す先には、大手を振りながら走ってくる楓の姿。


 「ごめんなさーい!寝坊しましたー!」


 「もう、次からは気をつけなさいね」


 「えへへ」


 そのやり取りを見て、凛月が(いぶか)しげに首を傾げる。


 「どしたの凛ちゃん」


 「おかしくね?俺が寝坊したときは、問答無用で自宅に(とつ)られたんだが」


 「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないで頂戴(ちょうだい)


 むっとする千里の横で、楓が自信満々に胸を張る。


 「それは凛先輩だからじゃないですかー?私はほら、千里先輩の好感度、マシマシマシなので」


 「いやいやいや、俺は(つと)めて好青年なのに、こいつがやたら当たり強いんだよ。俺は被害者」


 「よく言うよ…」


 「どうでもいいわ。それより…みんな(そろ)ったなら始めましょうか。まずは、身体の(なま)りきったバカ凛どものために、ランニングからー」


 「おい、まだ半日だ!こっちのヒョロガリと一緒にするな!」


 「いや今完全に、ボクじゃなくて凛ちゃん主体の言い方だったよ」


 「なんだとっ!」


 いつも通りガヤガヤと、口論をしつつ、緩やかにランニングが進行するかと思われた矢先。


 「それなんですけど…ごめんなさーい!私ちょっと、今日はパスで!」


 そう言って両手を合わせるのは楓。


 「あら、どうかした?」


 「昨日の任務から、ちょーっとこの子の調子がおかしくて。なので、整備室でメンテしてこようかと」


 彼女は背負った猟銃をガシャガシャと揺らす。


 「あら、それは良くないわね」


 「じゃあ走るついでに、そこまで送ろうぜ」


 凛月のその提案に、楓は首と両手を大きく横に振ると。


 「いえいえいえ、大丈夫でっす。皆さん、本日も頑張って行きましょー。ではではー!」


 「ちょ、おい!」


 彼の静止もやむなく、彼女は背を向けて走り去っていく。


 その姿を静かに見送っていた千里は。


 「…」


 「おい、今日のあいつ、なんか変じゃねぇ?」


 「まあ、そういう日もあるんじゃない」


 「はぁ?なんだよ、そういう日って?」


 「それは…ボクに聞かれても困るけど」


 「意味分かんねぇ。おい、千里?」


 「うるさい」


 刹那(せつな)、すね蹴りが2発。


 「痛ぁ!」「ボク、ちゃんと寄り添ったのに!」


 「無神経がウザいから1発、分かってますよ感がウザいから1発、の計2発よ。あいよ大将、お勘定(かんじょう)。まいどありー」


 「怒涛(どとう)の理不尽!」


 彼らの文句を全て無視して、千里は走り出した。






 走ること数分。


 「あら、ついてこれるようになったのね」


 綺麗なフォームで腕を振る千里の横に、やや荒いフォームの凛月が並走している。


 地下都市(ここ)へ来た当初は息も絶え絶えで、彼女に追いつくことすら難しそうだったが。


 「ナめんなよ…抜き去るのも時間の問題だ」


 「ふふっ、怖い怖い…あれ、涼は?」


 「あいつならどうせ、後ろの方に…」


 そう言って振り返る凛月。


 しかし、彼の視線の先には…誰もいない。


 「まさか…」


 「またサボりかあいつ!まったく、油断も隙もねぇ!」


 「はぁ…もう、ランニングくらい普通にできないのかしら?まったく、バカ凛どもは…」


 「おい今、また俺が主体だったろ!」


 「そんなことより」


 千里が立ち止まり、それに凛月が(なら)う。


 彼女は、(こぶし)を上に突きあげると。


 「追うわよ!今日は涼を捕まえた方がジュース(おご)り!」


 「よっしゃ、今日は()けねぇ!」


 ちなみにこれまでの戦績は、凛月の全敗。


 「2手に別れましょう!左と右、どっちがいい?」


 「断然、左!」


 「おっけー!」


 こうして、涼燕の探索に乗り出した凛月。


 しかし、千里と別れてから数分後、あることに気づく。


 「もしかして…個人色(カラー)使われたら、勝ち目ないんじゃね?」


 涼燕が本気で逃げるつもりならば、【灰】の能力で彼らの動きを把握するだろう。


 ならば、追う彼ら側が完全に不利。


 唯一の弱点は、能力が風向きに依存することだが、こんな開けた場所では全く心配する必要がないことだ。


 ならばせめて、室内。


 そう結論づけた彼は、身近な軍事施設へ乗り込んだ。


 そして『廊下を走るな』という注意書きがないことを確認した後、廊下を全力で駆ける。


 しかし、彼は知るべきだった。


 なぜそんな注意書きがあるのかを。


 「うおっ!危なっ!」


 曲がり角に差し掛かったところで、不意に差した影。


 すんでのところで急ブレーキをかけるが、たまらず転倒。


 恥ずかしい格好(かっこう)で床に倒れこむ彼に。


 「凛先輩?…何してるんですか?」


 声をかけたのは、(あき)れ顔でしゃがみ込む楓だった。


 「あれ?お前、何でここに?メンテは?」


 「さっき終わりましたよー。だから。これから戻ろうかと。というか、『何でここに?』はこちらのセリフです。…まさか、ストーカー?」


 自分の身体を抱きしめ、後ずさる楓。


 「なわけねぇだろ。涼を探してるんだよ。あいつ、またサボりやがった」


 「あらら、それはまあ、涼らしいというか何というか」


 楓は苦笑すると、ついでと言わんばかりに有力な情報をくれた。


 「涼のことだから、そんな離れた場所にはいないんじゃないですかねー。(さみ)しがり屋さんなので。今来た道を、引き返すが吉」


 「おお、ナイス(うらな)い」


 「えへん」


 ありがたいお言葉を受け取った凛月は、そのまま楓に背を向けて立ち去ろうと…。


 「頑張ってくださーい。…ん、あれ…?」


 唐突に、楓の言葉が止む。


 「どうした?」


 凛月は一旦足を止めると、視線を楓の向く方へ。


 そこにいたのは…一匹の、薄暗いねずみ


 壁の影を縫って移動する様は、ともすれば見逃してしまいそうなほど地味だ。


 「ん…何だあれ…生き物、か…?」


 目を凝らす凛月。


 そして、近づこうとした、その瞬間。


 「あ…うわあああああぁぁぁぁぁ!!!」


 叫び声が響き渡った。


 それは意外にも、楓から発せられたものだった。


 普段の彼女からは想像のつかない声。


 凛月が驚いて振り返ると、彼女は目を大きく見開き、猟銃に手をかける。


 そして――閑散とした廊下に、何発も響き渡る銃声。


 銃口から飛び出た【向日葵】色の(うさぎ)はろくに狙いも定まらず、壁を(えぐ)りながら跳ね回る。


 地面にぶつかった兎は爆裂四散し、建物全体を震撼しんかんさせる。


 「ッ!おい!何してんだ楓!」


 彼の声は、もはや彼女には届かないほど錯乱している。


 その間にも、被害は拡大していく一方。


 これはまともな状況じゃない。


 そう結論づけた彼が、後ろから彼女を羽交(はが)()めにして抑えにかかる。


 「おい!聞こえるか楓!しっかりしろ!」


 「嫌だッ!放してくださいッ!放して…!」


 抵抗を続ける楓を抑えながら彼は、この状況をどう打破するかを考えていた。


 彼女のことは放っておけないが、同時にあの鼠も何とかしなければならない。


 土煙で事態の把握は難しいが、恐らく弾は直撃していない。


 だが、自分だけの力では。


 「――涼!聴こえるなら出てこい!頼む!」


 切羽詰まった叫び声。


 するとすぐに、階段から慌ただしい靴音が響く。


 現れたのは涼燕。


 「え、何事!?…楓ちゃん!?」


 「こっちのことはいい!あっちに何か、小さい生き物が逃げてった!追いかけてくれ!」


 「マジ?」


 彼は一瞬驚いたような表情を浮かべるが、すぐにヘッドフォンを耳に当てる。


 【灰】色の輝き。


 「それは…良くないね。応援も呼んでくる!」


 走り去る涼燕。


 後には廊下の壁の焦げた臭いと、息を荒げる楓だけが残っていた。






 「楓!凛!」


 遅ればせながら到着したのは千里。


 視線の先には、ソファーに座りこむ楓と、訳の分からない表情でそれを見つめる凛月。


 彼女の顔は未だ青ざめ、身体も少し震えている。


 「千里」


 「話は大体、涼から聞いたわ。…大丈夫?」


 千里が優しく問いかけながらしゃがみ込むと、楓の首が小さく縦に動いた。


 「ごめんなさい、私…」


 「大丈夫だから、心配しないで」


 「なぁ…何が起きてるか、俺にも説明してくれ」


 「そうね」


 千里はそう言って、再び楓に目を向ける。


 「楓…あの話、凛にしてもいい?」


 「…はい」


 消え入りそうな声。


 それ受けて、千里が立ち上がる。


 「地下都市(ここ)に、地上の生物はいないの。登録済みの家畜なんかは除いてね。それらの侵入を許さないよう、常に警備が敷かれているわ。なぜなら…奴らは往々にして、外敵を運ぶ『()れ物』となるから」


 「容れ物?」


 「地上には植物が繁殖しているでしょう。あれらの種子や胞子を運ぶ可能性がある、だから容れ物。当然、奴ら自身も脅威(きょうい)ね」


 アトランティカでは、一部を除き、多くの生き物は海棲人(マーピープル)と共生して生きてきた。


 だからこそ、凛月にとってその話は、目から(うろこ)だった。


 「しかし、今回のように、侵入を許すケースもあるわ。前回は確か、10年近く前。被害は一部の民家にまで及び、事態の鎮静(ちんせい)までに複数名の犠牲(ぎせい)者が出たわ。そして…その中には、楓の両親も入っていた」


 「なっ…!」


 「楓は運良く生き延びたけど、そのことがトラウマになっても不思議な話じゃないわよね」


 「そんなことが…」


 それを聞いてやっと、楓があんなにも取り乱した理由に合点(がてん)がいった。


 「待てよ。じゃあ、今まで…まさか、任務中も?」


 「…はい」


 か細い声、それは肯定。


 彼女の(ひとみ)は涙に濡れていた。


 それを見た凛月が(くちびる)を強く()む。


 ――俺は馬鹿だ。こんなことにも気づかずに。


 先のジャイアントハウンド戦、地上に独り残ることを選んだ彼女は、一体どんな気持ちだったか。


 気丈(きじょう)に振る舞っていたが、その態度の奥に隠された本当の想いを、気づくどころか、考えることもしなかった。


 そんな自分を殴りたい気分だ。


 「…先輩?」


 不意に彼女に、頭から覆いかぶさる、重くて暖かな感触。


 それは凛月の上着だった。


 「冷えるだろ…着てろ」


 「…ありがとうございます」


 少し安心したような笑顔を浮かべる楓を見て、凛月が顔を上げる。


 「俺が何とかする。千里、情報をくれ」


 「そうね…その前に、生き物の特徴を教えて」


 「見た目とかってことか?えっと…毛が灰色で、こんくらいの大きさで、…あと、細くて尻尾が生えてた」


 「鼠かしら?さて、問題は…今どこにいるかと、いつどこから入り込んだのか、ね」


 (あご)に手を当て、逡巡(しゅんじゅん)する千里。


 それを眺める凛月に…ふと、嫌な予感が()ぎる。


 「いつ?待てよ…」


 初任務、死套(デス・ヴェール)から逃げ切ったあと。


 自分の視界に一瞬だけ映ったアレは、一体なんだったのか。


 悪い予感に、背筋が徐々に冷たくなる。


 「凛?」


 そんな空気の変化を察してか、顔を覗き込む千里に。


 「俺、もしかしたら…あいつ、見覚えあるかも」


 「え?…いつ?」


 「初任務だ。死套(デス・ヴェール)から逃げ切って、扉を閉めたあと」


 「え、あの時!?じゃあ…1週間以上前ってこと!?」


 「多分。何かマズかったか?」


 「マズいどころじゃないわよ!1週間も生き延びてるってことは、繫殖してる可能性が…あ」


 「どうした?」


 「つまり奴らは、食糧を確保してるってことよ。地下都市(ここ)でそんなことができる場所は…」


 刹那(せつな)――耳を(つんざ)くような轟音が響き渡る。


 そして後を追う、立っていられない程の大きな揺れ。


 「きゃっ!何が起きてるの!?」


 未だ揺れの収まらぬ中で、彼らの耳に届く…誰かの声。


 ――戦闘員各位!こちら千宮司(せんぐうじ)隊、比々谷涼燕です!敵襲あり!戦闘可能な隊員は集合してください!場所は…。


 そして彼が紡いだ言葉は、誰しもが予想し得る限り、最悪の答えだった。






 「――食糧保管庫」

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