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アクアテラリウム  作者: 真島 悠久
1章 『Welcome to the Extraordinary』
16/113

1章10「月に叢雲」

 鼓膜(こまく)を打つ微かな音、それは笛の()


 ときに小鳥のさえずりのように可愛らしく、ともすれば龍のとどろきのように大きく荘厳(そうごん)


 抗いがたい暖かな微睡(まどろ)みの中、凛月(りんげつ)(まぶた)がゆっくりと開いた。


 視界いっぱいに広がるのは純白の天井。


 そよぐ風、はためくカーテン。


 全身を包む柔らかな感触と、痛いほどに清廉(せいれん)を極めた芳香(ほうこう)鼻孔(びこう)をくすぐる。


 その中で、彼の意識は徐々に覚醒(かくせい)し、自身が置かれる現状を少しずつ理解し始めた。


 彼の最後の記憶には、身体が(しび)れ動けない自分と、それに駆け寄る千里(ちさと)の姿。


 ならばここは病院、(ある)いは天国。


 少なくとも、地獄ではないと思いたい。


 彼が力を入れると、すんなりと上半身が起き上がる。


 痛みはあるが、痺れはない。


 「どっちだ…?」


 更に身体を動かし、自分の状態を確かめようとする彼に。


 「――少年。動かないで」


 不意に、いさめるように語りかける、優しい声音が響く。


 唐突に止む音色。


 その声に()かれて振り返ると、そこには――窓枠に腰掛ける、1人の男がいた。


 一つ(まと)められた髪は、()ゆる栴檀(せんだん)の葉の(ごと)(みどり)


 瞳は花の薄紫。


 幾重(いくえ)にも重ねた羽織(はおり)は、十二単じゅうにひとえを思い起こさせる。


 その姿は、錦上(きんじょう)に添えられた花、或いは泥中(でいちゅう)(はちす)


 「…誰?」


 彼のシンプルな問いかけに、男は静かに口を開く。


 「私は流浪(るろう)此処(ここ)へは(ただ)、音を(かな)でるために訪れました」


 「ル…ルロ…?」


 頭に疑問符を浮かべる彼に構わず、男は笛に口をつけ、再び演奏に戻る。


 ――は、話が通じねぇ…。


 それが凛月の率直な感想。


 彼は仕方なく会話を諦め、笛の音色に耳を傾けることにした。


 透き通ったその音色は、呼吸で取り込む空気のように自然に、心地良く彼の身体に()み入る。


 細胞は活性化し…次の瞬間、傷口が徐々に(ふさ)がっていく。


 「え?」


 驚愕(きょうがく)に満ちた彼の視界の端に捉えたのは【萌葱(もえぎ)】色の輝き。


 光源は、音楽を奏でる男の右腕。


 ――回復能力か?


 そう考える凛月の眼前で、やがて男は笛から口を離し、凛月を静かに見つめた。


 「少年、具合は?」


 「え?あ、あぁ…」


 気づけば彼の身体は完治していた。


 痺れどころか、先ほど感じていた痛みすらもない。


 「大丈夫です。えっと…ありがとう…ございます?」


 「では、役目はお仕舞い」


 男はそう言って、流麗(りゅうれい)な所作で笛を(ふところ)仕舞(しま)う。


 そのまま姿を消すかと思いきや、その瞳は再び凛月の方へと向いていた。


 「ときに少年」


 「…はい?」


 「貴方(あなた)には今、疑問が生じていますね?例えばそう…自分を襲った敵が、何者なのか」


 その言葉に、彼は春雷(しゅんらい)で胸を撃たれたような思いがした。


 「知ってるんですか?」


 「それは追い追い。ですが、貴方(あなた)には関係ないのでは?今一度、己の目的に向き合ってみて御覧(ごらん)


 「…」


 彼の目的は、アトランティカに帰ること。


 敵の正体が何だろうと、所詮(しょせん)は一時の付き合いで、地上のことなど本当は関係ないはずだ。


 「月に叢雲(むらくも)。半端な好奇心(こうきしん)は、貴方(あなた)の覚悟を(かす)ませる」


 彼の言う通りかもしれない。


 自分はそれを知るべきではない。


 早々に斬り捨てて、その外側で安寧(あんねい)享受(きょうじゅ)すべきなのだ。


 だが。


 「それじゃ、いつまで経っても俺は…陸を想う(あわ)れな魚のままだ。俺は、知りたい」


 たとえそれが偽りであろうと、安寧に生きることは容易(たやす)い。


 しかし、一歩。


 先も知れぬ荒野(こうや)へ踏み出してしまった足を引くことを、現状維持に固執(こしつ)することを、彼の心が許さなかった。


 「そう、君は知るべきです。花は根に、鳥は古巣に。進むことを辞めなければ、いずれ貴方の望みは実を結ぶ。それは、全てを知ってからでも遅くないでしょう」


 男は瞳を閉じ、満足げに首肯(しゅこう)する。


 「じゃあ教えてください。あいつらは…」


 「彼らは、一言で表すならば、そう…」


 男はそこまで言ったところで――唐突に口を(つぐ)む。


 「…?」


 「おっと、思わぬ来訪者が。花に(あらし)。残念ながら、(これ)にて御免(ごめん)


 彼はそう言い残し、窓の外へ姿を消してしまった。


 「はぁ!?ちょ、おい!」


 凛月は慌てて窓を(のぞ)き込むが、男の姿は既にそこにはなかった。


 「なんだったんだあいつは…」


 結局、敵の正体も、彼自身の正体すらも分からなかった。


 そんな消化不良の思いを抱えていると――不意に、背後の扉が開く。


 スパーンという小気味よい音とともに現れたのは。


 「凛!無事!?」


 そこには、大急ぎで駆けつけたからか、髪も呼吸も乱れた千里(ちさと)の姿。


 彼女は、窓際にぼけっと突っ立っている凛月を視認すると、安堵(あんど)の息を漏らし。


 「良かった!…というか、目覚めたのなら連絡しなさいよ!」


 「連絡手段がねぇだろ!それより…涼は?」


 「アンタより随分早く目が覚めたわ。そっちには今、楓が行ってる」


 「そうか…良かった」


 胸を()でおろすのも(つか)の間、今度は千里が質問をする番。


 「もう歩いて大丈夫なの?傷は?」


 「なんか…治してもらった」


 「誰に?」


 「えっと、確か…ル、ルロイとかいう人に」


 「誰?」


 「俺が聞きてぇよ」


 「はあ?」


 そんな押し問答を続ける2人に。


 「…木更(きさら)だな」


 「「総帥(そうすい)!」」


 音もなく、病室に入ってきたのはイグニス。


 「木更…瀧川(たきがわ)木更中将ですか?そういえば確かに、ここへ来る途中、笛の音が聴こえていたような…」


 「中将?めっちゃ(えら)いじゃねぇかあの人」


 「…奴はどこに?」


 「さっき『(これ)にて御免(ごめん)』とか言いながら、窓から出て行きました」


 「はあ?もしかしてアンタ、ふざけてる?それともまだ夢の中?」


 「ふざけてんのはあっちだよ。言ってることもちょいちょいよく分からなかったし」


 「…成程(なるほど)


 それを聞いたイグニスは、静かに腕を組む。


 「…そういえば、木更に課した仕事の報告が、1か月ほど滞納しているな」


 つまりはそういうことだった。


 「無茶苦茶じゃねぇか、あの人…」


 「上司には絶対したくないわね。凛もやっと、隊長たる私の偉大さが分かったかしら?」


 「あれと比べなきゃいけない時点でお察しだよ」


 「何ですって!?」


 喧嘩(けんか)を始める2人を、イグニスは無言で眺めると。


 「…そろそろいいか?」


 「あ、失礼しました…」


 千里が気恥ずかしそうに引っ込んだ。


 そこでやっと、凛月の脳裏に1つの疑問が(よぎ)る。


 「そういえば、総帥がなんでわざわざここに?」


 「…やっと本題に入れるな」


 イグニスはそう言って、病室の壁に寄りかかる。


 「…先の任務の報告を、今しがた千宮司(せんぐうじ)から受けた。お前も気になっているところだろう。己が邂逅(かいこう)した敵が、何者なのか」


 身体に緊張が走る。


 やはりそれは、これから『先』の話にあたって、避けては通れぬ道のようだ。


 「はい。…なんなんですか、あいつらは?」


 「…その話をするにはまず、我々の目的を再確認する必要がある」


 「目的…ですか?」


 凛月の知る限りでは、彼ら地下都市の人間は『陸路の開拓』を望んでいる。


 それは襲い来る敵を退(しりぞ)け、生活に安寧をもたらすためだとばかり思っていた。


 しかし、イグニスから(つむ)がれたのは、別の言葉。


 「――我々は、世界の謎を解き明かす。奴らはそのための、重要なパーツの1つだ」






 「世界の、謎…ですか?」


 その壮大な言葉に、凛月は少し動揺してしまった。


 予想外の答えだったからだ。


 それに、彼がこれまで知るイグニスの姿らしくない。


 しかし、彼は至って真面目だ。


 「…お前は、『世界の(かたち)』を知っているか?」


 「え?世界って…地球ですか?それはえっと…球体」


 「…その認識で今は構わない。しかしそれは、本当か?お前はそれを、見たことがあるか?」


 「いえ、ない…です」


 「…そうだ。我々は、その誰しもが、世界の本当の(かたち)を知らない。それを知らずに、今ものうのうと暮らしている」


 彼は続ける。


 「…それを記した書物は少ない。『纏空(てんくう)封壊(ほうかい)』により、我々は知見を、そして歴史を失った。(しか)し世界は、無智(むち)で生きるにはあまりにも過酷(かこく)だ」


 「それと奴らの正体に、一体何の関係が?」


 「…奴らは『合成獣(キメラ)』。獣の能力(ちから)を手に入れた、元人間だ」


 「合成獣(キメラ)…」


 言葉を失う凛月。


 しかしそれとは裏腹に、彼の心にストンと()に落ちる部分があるのも確かだった。


 月光の下で(うごめ)く、巨大な植物や哺乳類の群れ。


 何度か剣を交えたそれらと、彼らは根本的に違う。


 それに彼らは、どちらかと言えば…。


 「…そうだ。奴らは、お前たち『海棲人(マーピープル)』に近い」


 「総帥、その言い方は…」


 横から釘を差すのは千里。


 だが、当然ながらイグニスに、凛月を責める意図はない。


 「…海棲人(マーピープル)であるお前は、なぜ地上で呼吸ができる?肺があるからだ。しかしそれは本来、海棲に必要な機能ではない。つまり、海棲人(マーピープル)も、元は地上で暮らす人間だった…そうだな?」


 彼の指摘は正しい。


 海中都市に()海棲人(マーピープル)の祖先は海で暮らし、何らかの理由で生活圏を海に移した…凛月はそう聞いている。


 その理由とは『纏空(てんくう)封壊(ほうかい)』。


 ならば、それが起きる前は。


 「…我々は、元は1つの人間だった。それが『纏空(てんくう)封壊(ほうかい)』をきっかけに分岐し、今の(かたち)に至った。それらを解き明かすことが、世界を知ること、引いては全ての同胞(どうほう)を守ることに(つな)がる」


 イグニスの話はそれで終わりだった。


 彼は壁から身体を離し、静かにその場を後にする。


 しかし、それに待ったをかける声。


 「総帥」


 「…なんだ」


 「世界を知ったその先に、あるのは『平和』ですか?それとも…」


 「…それを決めるのは俺じゃない。俺はただの観測者に過ぎない。それを決めるのは…そうだな。お前らの働き次第だ。期待する」


 彼はそれだけ言い残し、完全にその場を後にする。


 残された2人の間には沈黙。


 千里は静かに、凛月が次に(つむ)ぐ言葉を待っている。


 「…千里」


 「なに?」


 「俺は今まで、ただ漠然(ばくぜん)と外の世界に(あこが)れてた。その先に何があるかなんて、考えてもいなかった」


 「そうね。それは、私も同じだったのかも」


 「だけど、それじゃつまんないよな。全ては繋がっていて、その入り口は、いつも俺の目の前にあったのか」


 彼の答えは、とっくに決まっていた。


 「…燃える」


 瞳に宿る『熱』。


 彼のその呟きに、千里は心の底から楽しそうな笑みを浮かべた。






 月に叢雲(むらくも)、花に嵐。


 たとえ夜道を照らす月光が(かげ)れど、咲いた花が無残に散れど。


 その行く道を知る限り、土壌(どじょう)に種が潜む限り。


 ――歩みを止めることはない。

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