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アクアテラリウム  作者: 真島 悠久
1章 『Welcome to the Extraordinary』
15/113

1章9「骸の女帝に玉座、いずれ死に逝く者への手向け」

 温泉回から2日後、千宮寺隊に招集がかかった。


 意気揚々と総帥室へ踏み入ると、書類の束を机に積み上げ、鎮座するイグニスの姿。


 彼は、全員揃ったことを確認してから、ゆっくりと口を開いた。


 「…本任務の目的は、敵の殲滅せんめつだ。標的は『ジャイアントハウンド』。詳細は、これを読め」


 不意に、人数分の紙の束が無造作に放られる。


 彼らはそれを無言で拾い上げ、各自静かに目を通す。


 『ジャイアントハウンド』


 ――見た目はゴリラ。


 口が異常に発達しており、顔から突き出す管から空気を取り込んで口から吐き出すことにより、その音と風をって敵を粉砕する。


 胸部は太鼓のような皮の張った形状をしており、自らの危機に瀕すると、『ドラミング』と呼ばれる胸部を叩く行動をとる。


 これは元来『敵に自分の意思を伝えるため』の行為と考えられていたが、胸部が異常発達した彼らに関しては『己の危機を仲間に知らせる』という役割も持っている。


 故に彼らは集団行動を好み、人間と同じく縦社会を形成。


 各集団に1頭のみ存在するメスが女王であり、全ての指揮権を持つ。


 また。集団の形成特性として、ボスの死が生殖能力の喪失を意味し、その場合は解散または絶滅を余儀なくされる。


 「生殖能力の喪失…なるほど」


 静かに呟いた凛月が顔を上げる。


 「ボス猿を倒すのが最短、と」


 「…そうだ。故に、少数精鋭で奇襲きしゅうを仕掛ける」


 イグニスは首肯しゅこうすると。


 「…他に質問は?」


 沈黙。


 「…準備にかかれ」






 午前2時。


 任務開始の時間だ。


 昼間と一転、大地は暗闇に包まれ、それは月明かりを頼らなければ進むことができないほど。


 更に、走る風は冷たく頬を撫で、急激に彼らの体温を奪っていく。


 手に息を吹きかけると、口からは真っ白な吐息が漏れた。


 「思ったより寒…」


 「まだ春ですからねー」


 凛月と楓は軽口を叩きつつ、歩を進め続ける。


 彼らの前には、千里と、【灰】色の輝きを携えた涼燕りょうえん


 不意に、彼の歩みが止まる。


 「…入口発見」


 物陰に身を潜め、ゆっくりと彼が指す方を伺うと、目の前には竪穴式住居を模したような大きな穴が穿うがたれている。


 その穴が向かう先は地下。


 「もう巣が完成してる。報告より早いわね」


 「えー。私これなんで、室内戦闘はちょっと…」


 そう言って、楓が背の猟銃を揺らす。


 確かに、遠距離を得意とする彼女が自ら狭い空間に身を投じるのは、あまりに利がない。


 「そうね…なら楓。おとりをお願いできるかしら?地下は私たち3人で行くわ」


 「らじゃです!…て、私1人!?」


 心なしか、いつもより楓の声音が一段階低い。


 「なんだよ、ビビってんのか?」


 凛月が隣からそう茶々を入れると、楓は眉根を吊り上げて振り返ってきた。


 「べっ、別にそんなことあるわけなくないですかー!?」


 「どうだか」


 なおも口論を続ける2人、千里の横槍が入る。


 「ごめんね楓。幸い敵は近距離攻撃がメインだし、第三勢力に囲まれてもいないみたいだから、距離を取れば大丈夫のはず。早めに戻ってくるから、それまで待ってて」


 「あっ、いえいえ。全然気にすることないですよー」


 笑顔を見せる楓の横で、涼燕は少し不服そうな顔をしている。


 「え、ボクも行くの?ボクも狭いところ嫌なんですけど…」


 「アンタがいないと、地下構造の把握ができないでしょうが。女王がいるのは恐らく最下層。ヒットアンドアウェイのためには、アンタの能力は欠かせないわ」


 「まあそっか。へいへーい」


 千里は全員の顔を見渡すと。


 「じゃあおさらい。まず楓の銃撃で奴らを誘き出す。隙を見て残り3人が巣に入って、女王を倒したら撤退。余裕があれば掃討そうとうもしたいけれど、それに固執こしつしすぎないように」


 「らじゃです。じゃあ私、離れますねー。涼、オススメスポットとかあります?」


 「うーん、風上はあっちだね。障害物もたくさんあるしオススメ」


 「おー、ナイスロケーション」


 彼女は頷くと、涼燕が示す方へ早足で駆けていく。


 彼女を1人、地上に残していくことには少し不安が残るが、その不安は自分たちができるだけ早く任務を遂行することで払拭ふっしょくするより他にない。


 そう自分に言い聞かせて、凛月は楓の姿が消えるまで見送っていた。


 本作戦の懸念点は残り2つ。


 1つは、敵に取られ、奇襲きしゅうの優位性を失うこと。


 そして、もう1つは――新たな敵の参入である。


 最下層へ向かう道すがら、地上から第三者が漁夫の利を狙いにくる可能性がある。


 この宵闇よいやみでは、視覚と聴覚に大幅に頼らざるを得ず、一瞬たりとも気は抜けない。


 その不安と緊張から、首に一筋の汗が伝い落ちる。


 静寂せいじゃく


 汗を手で拭い去り、深呼吸を整えると。


 ――刹那せつな、地上に銃声が響き渡った。


 ほとばしる【向日葵ひまわり】色の閃光、一拍遅れて鳴り響く爆発音と、揺れる大地。


 ――作戦開始だ。


 突入班の3人は互いに目配せし合うと、穴蔵あなぐらに目をらす。


 騒然そうぜんき立つ巣。


 やがて、暗闇から幾つものだいだい色の光が灯り、巣全体が明るく照らされた。


 光…?と怪訝けげんな目を向ける彼ら、しかしすぐに正体が明らかになった。


 ――松明たいまつだ。


 ジャイアントハウンドは火を利用している。


 夜目が効かないのを補うためだろうか。


 先遣隊せんけんたいおぼしき個体が、松明を片手にぞろぞろとでる。


 その様子はゴリラと言うより、火の使い方を知った原始人のようだった。


 彼らは周囲を見回すと、何事か目を交わし合ってから銃声の鳴った方向へ。


 そこへ更に1発、2発と【向日葵】色のうさぎが撃ち込まれ、再び爆発を起こす。


 先遣隊は全滅。


 それを知るやいなや、巣から更なる敵が現れる。


 その数ざっと30ほど。


 1匹1匹が大柄なため、数字で見る以上の迫力がある。


 彼らの視線は完全に、楓のひそむ方へ釘づけ。


 …つまりはチャンス。


 凛月たちは、その隙を逃さず岩場の陰から飛び出した。


 先頭は千里。


 「はぁぁぁッ!」


 彼女は大きく一歩踏み込むと、抜刀と同時に【銀】色の斬撃を放つ。


 【銀】と【向日葵】の閃光に挟まれたジャイアントハウンドは、成すすべなくその命を散らす。


 しかし、それで全ての個体が討伐できたわけではない。


 生き残った数匹は千里に気づき、顔についている管から周りの空気を吸い込み始めた。


 そして。


 「ブオオオオオオオオオオオ!!」


 襲い来る爆風。


 彼らが吐き出した空気は大地を大きく震わせ、周りの一切を吹き飛ばしていく。


 「くっ…!」


 凛月が慌てて手を顔前に突き出し、立ち止まった。


 だがその暴風も一瞬の出来事で、身体を押し潰すような圧はすぐに消失する。


 全ての空気を吐き出し終えたジャイアントハウンドは、再び空気を吸い込み始めた。


 それを確認した凛月は突進。


 彼らの弱点、それは次弾装填中。


 「今は無防備だろッ!」


 空気のリロードが終わるよりも早く、凛月が大きく剣を振り下ろし、ジャイアントハウンドを斬り払う。


 体は真っ二つに割れ、赤黒い血液が宙を舞う。


 「…ふぅ。よし!」


 達成感から、安堵あんどの息を漏らす彼に、千里からの叱咤しったの声。


 「ボサッとしない!次来るわよ次!」


 「うるせぇな、分かってるよ!」


 幸い、ジャイアントハウンドの知能は高くない。


 彼らの奇襲きしゅうに対応する術はなく、徐々に数を減らしていき、数分後には死体の山が形成されていた。


 「こっちはあらかた済んだわね。楓が他の気を引いてるうちに、強行突破するわよ!」


 そして、彼女の先導のもと、彼らは巣穴へ足早に踏み出していった。






 巣の中は、意外にも光が存在していた。


 恐らく、入り口の松明の光を反射することで、巣全体を照らしている可能性が高い。


 あるいは、それがなくとも光るロジックがあるのか。


 凛月には詳しくはわからないが、ただ1つ言えるのは、この明るさはむしろ、好都合だということだ。


 敵との遭遇を視野に入れつつ、警戒を怠ることなく最深部へと向かっていくと、彼らの前に現れたのは分岐点だった。


 それは1対の、半径数mの円状にくり抜かれたトンネル。


 「涼、これどっち?」


 「右。だけど、これは…」


 内部構造を【灰】の個人色カラーで把握した彼が、渋い顔をする理由。


 それは、この巣の複雑な構造に起因していた。


 「分岐が多いね。しかも、枝分かれした先にそれぞれ部屋がある。アリの巣みたいな形だ」


 「女王の位置は特定できる?」


 「今のところは手がかりなし。もう少し深く潜らないと分からないかなぁ」


 「なるほど」


 顎に手を当て、思案する千里。


 その横で、トンネルのふちに触れていた凛月が振り返る。


 「ハズレの道は塞いだらよくねぇか?」


 「それなら万が一、涼と離れても迷子にはならないわね。でも、どうやって?」


 「こうすんだよ」


 凛月の腕輪から【群青】色の光が灯る。


 すると、彼が指先で触れる土壁が徐々に氷で覆われていく。


 そして、すぐにトンネルを埋め尽くす氷壁が完成した。


 「おー」


 「ナイスよ、凛!じゃあその方針で進みましょうか」


 そうして、再び歩を進める彼ら。


 行く先々に分岐が存在するものの、迷うことなく正解の道を選択し、不正解の道を塞いでいく。


 だがしばらくすると、その方針も通用しなくなる。


 「――ストップ。左からジャイアントハウンド!数は4!」


 「チッ、塞げば誤魔化せるか?」


 慌てて前に出た凛月が、先程と同様に道を塞ぐことを試みる。


 しかし、それに待ったをかける声。


 「塞ぐだけじゃダメ!アンタの氷壁が破壊された場合、挟み撃ちになる可能性があるわ」


 「じゃあ、迎え撃つか」


 「そうね…でも、相手するのは私1人で十分。アンタたちは先に行って」


 千里はそう言って、左の道を選択。


 「待てよ、戦うなら3人で…」


 「いえ、待たないわ。さっさと任務終わらせないと、上に残してる楓が心配なのよ。すぐに追いかけるから、早く」


 その言葉に凛月が押し黙る。


 確かに彼女の言う通りかもしれない。


 「分かった、先に行く」


 「ええ、また後で」


 そう声を掛け合うと、千里は左、凛月と涼燕は右へ。


 それから先は順調だった。


 最下層は向け、更に駆け足で進むこと数分。


 何度見たか分からない、分岐点を通り抜けたその先で。


 ――ブルルル…。


 不意に聴こえる、地響きのようなうなり声。


  「近いね」


 「女王か?」


 「多分。でも…下層は空気が少なくて、僕の能力でも把握が難しい」


 ――ブオオオオオオオオオオオ!!!


 「絶対こっちだな、俺でも分かる」


 一際ひときわ大きな声に耳を押さえ、涼燕に導かれるよりも早く道を選ぶ凛月。


 涼燕も黙って首肯しゅこうし、彼に続く。


 心なしか、奥からただよう気配も不穏ふおんだ。


 恐らく、直に戦闘が始まる。


 彼らの間に走る緊張。


 しかしその反面、不思議なことに、凛月は内心こうも思っていた。


 絶えず鼓膜こまくを揺らすあの声は、何だか少し――苦しそうだと。






 奥へ進めば進むほど、彼らに降り注ぐ空気は重く、冷たい。


 ――ブオオオオオオオオオオオ!!!


 不規則に発せられる声が空気を震わせ、冷たい風が彼らを襲う。


 徐々に濃くなっていく、腐敗と血の臭い。


 その臭いは、彼らに嫌悪感を抱かせると同時、更なる緊張感を存分に与えている。


 やがて…長く続いた道に、終わりのきざしが灯る。


 「…凛ちゃん」


 「分かってるよ」


 先導の凛月は小さく頷くと、剣の柄に手をかけ、ゆっくりと出口をくぐった。


 視界に広がるのは、やけに閑散かんさんとした巨大な空洞くうどう


 足下には、骨と思しき白い物体が散在し、死の香りが鼻腔びこうをくすぐる。


 それらを踏み散らしながら歩くと、奥にはひっそりと、骨でまれた玉座がたたずんでいた。


 玉座には、黒い巨大な物体。


 それは、一目で女王と判別できる風貌ふうぼうをしていた。


 ボサボサに伸びた毛。


 不摂生からか、膨れ上がった腹。


 強そうには見えない、しかし、凡百のジャイアントハウンドとは根本的に異なる、圧倒的な威圧感。


 だが。


 「どういうことだ…?」


 女王は――既に事切れていた。


 首の下はズタズタに引き裂かれ、玉座の周りはおびただしいほどの血が飛散している。


 「まだ温かい…つまり、さっき声が聴こえた段階では生きていた、と」


 足下の血を指でなぞった涼燕が立ち上がる。


 彼は【灰】の能力を油断なく行使しながら、鋭い眼差しで辺りをうかがう。


 「仲間割れ…てことはねぇか。死因は恐らく切り傷。それに、種の存続に必須な女王を殺す意味が分からん」


 「そうだね。つまり、別に犯人がいる」


 「まさか、この部屋に?」


 「多分ね。でも…ああくそっ、風の通りが悪い。ごめんだけど、目視で確認するしか…」


 刹那せつな


 ――猛烈もうれつに膨れ上がる殺気。


 「「!!!」」


 臨戦態勢をとる2人。


 油断なく辺りを見渡すが、相変わらず敵の姿はない。


 しかし、本能で確信していた。


 「涼、気をつけろ!どこかに…」


 ――敵が潜んでいる。


 そう言い切る前に、涼燕が動いた。


 「凛ちゃん、後ろ!」


 振り返るより早く、横殴りの衝撃が凛月を襲う。


 それは涼燕の体当たり。


 弾き飛ばされた凛月は、慌てて立ち上がるが。


 「涼…?」


 彼の瞳が驚愕きょうがくに揺れる。


 立ち尽くす涼燕の横腹には――既に、にび色の短剣が突き刺さっていた。






 「痛っ…くそ」


 首筋に脂汗あぶらあせを浮かべた涼燕が、項垂うなだれるように膝から崩れ落ちる。


 こぼれ落ちる鮮血。


 「涼!」


 咄嗟とっさに駆け寄ろうとする凛月。


 しかし、そんな彼の脳裏に、不意に現在の状況がよぎる。


 ――涼は今、どこから狙われた?


 人影はない。


 なのに、どうして。


 素早く左右に目を凝らすと、違和感に気がついた。


 うずくまる涼燕の隣。


 そこだけ、なぜか――景色が歪んで見える。


 例えるならばそれは、光の屈折が生み出した蜃気楼しんきろう


 何が起きているか全く分からないが、とるべき行動は1つ。


 彼は躊躇ためらうことなく、その歪み目がけて剣を振り下ろした。


 一拍遅れて、謎のひずみが剣を避けるように動く。


 だが、遅い。


 剣先が触れる。


 「ギョエッ!」


 鋭く小さな悲鳴と、ポタポタと垂れる鮮血。


 それは間違いなく、人間のもの。


 やがて、歪は擬態ぎたいを解くように色づき、その正体が明らかになる。


 ――小柄な男だ。


 背は彼より頭1つ低い。


 禿げた頭に貧相な身体。


 足下にだらんと垂れ下がっているのは、蜥蜴とかげのような長い尻尾。


 まるでカメレオンのような風貌のその男は、彼を睨みながら、不自然に長い舌で斬り傷を舐めていた。


 「クソックソッ…何で、視えてんだよォ!?」


 興奮気味に呟く彼に呼応して、身体の色が滑らかに移り変わる。


 「…てめぇかッ!」


 凛月が再び、微塵みじん躊躇ためらいもなく彼に斬りかかる。


 男は悲鳴をあげながらも、大きく後退することで回避した。


 「ヘヘヘッ!にぃチャン、何度もおンなじ手はわねぇよ!」


 そして男は、【鴇鼠ときねず】色の光と共に能力を発動。


 ぐにゃりと歪む景色に彼の身体は溶け、一瞬のうちに姿をくらます。


 「…チィッ!」


 一度でも位置を見失えば、再び捉えることは困難だ。


 そう判断した凛月の左腕に【群青】色の光。


 そして、男がいた場所へ広範囲に冷気をく。


 冷気に触れた空気は凍りつき、徐々に凍結範囲を拡大。


 移動するよりも早く、男の身体を氷で絡めとる。


 「なんだよォこれ!こンなの、反則じゃねェか!」


 騒ぎ立てる男を一瞥いちべつした凛月は、


 「…うるせぇ。黙ってそこで凍ってろ」


 そう吐き捨て、涼燕の下へ。


 まず最優先にすべきは、彼の容体だ。


 「涼、大丈夫か!?しっかりしろ!」


 「うん…何とか」


 青白い顔を浮かべているが、彼はまだ生きていた。


 その事実に、凛月は安堵した…が、そう悠長にしてはいられない。


 凛月は再び能力を発動すると、傷口に触れ、凍結させることで出血の抑制よくせいを試みる。


 「動くなよ、すぐに止血を…」


 「凛ちゃん…!」


 弱々しくも鋭い声。


 涼燕は気づいていた。


 それは、まだ凛月が気づいていない、何か。


 必死に言葉をつむぐ彼に。


 「どうした?」


 「…後ろ!」


 刹那――足下に伸びる影。


 言われるままに、後ろを振り返る。


 そこにいたのは――先程とは別の男。


 刃物のように冷たい眼光。


 男は顔色一つ変えずこちらを見下ろし、次の瞬間。


 彼ら目がけて、大きなおのを真っ直ぐに振り下ろした。






 振り下ろされたそのやいばは、彗星すいせいに似ていた。


 一瞬のきらめき。


 咄嗟とっさに剣をかざすと、身体を地面に叩きつけるような衝撃と、激しく散る火花。


 その膂力りょりょくは、両手でも受け止めることは叶わない。


 きしみが、腕の骨を伝って全身にける。


 「ぐぅッ…!」


 態勢を崩してへたり込むと、支えていたおのの先は空気をすべり、地面へ。


 爆撃のような破砕音とともに、地面が割れる。


 静寂せいじゃく


 それを裂いたのは、無機質で無神経な声。


 「…失敗。身体を割ったと思ったが」


 ジャラジャラと鎖を揺らして動き始めたのは、振り下ろされた斧の持ち主である、1人の男。


 髪は薄い黄色。


 伸びた前髪から時折覗く、黒色のまなこ。 


 彼は何の感慨かんがいもなく凛月を見下ろすと。


 「次は当てるよ」


 そう言って、その斧を再び振り上げる。


 所作は流麗りゅうれい


 殺気は再び鋭さを増し――そこでようやく、凛月の硬直が解ける。


 「どっからいたッ!」


 横薙ぎに剣を振るうが、男は後ろに下がることで、簡単に避けてみせる。


 そのまま何事もなかったかのように、小さく溜め息をついた。


 「湧く、だなんて失礼な物言いだ。僕は蛆虫うじむしかい?」


 「質問に答えろ!」


 「(むくろ)の女帝に玉座は要らない。ひそむ場所など1つだ、考えれば分かるだろうに」


 そう言って男が示す先には、女王の死体と玉座。


 そこで、遅ればせながら気づく。


 彼が身を潜めていたのは、恐らく玉座の裏。


 女王の亡骸なきがらは、少しでも気を引くためのフェイク。


 さらに言うなら、女王の死因である斬り傷は、彼の斧によってつけられたものだろう。


 「クソッ…!」


 歯噛みをする凛月の目の前で、男は一回転。


 距離を縮めるとともに、強烈な回し蹴りを叩き込む。


 「ぐぅッ!」


 壁に叩きつけられる凛月。


 剥がれた壁の表面が宙を舞う。


 「それに君は、雑念が多い」


 男は無機質な声でそう言うと、斧を完全に床から抜き去り、肩に乗せた。


 これだけ重い斧を担いでいるにもかかわらず、涼しい顔で首を鳴らす。


 「その狭窄(きょうさく)は、命すら容易(たやす)()む…違うかい?」


 「…いちいちうるせぇな」


 その挑発に凛月は、フラフラになりながらも何とか立ち上がる。


 「へぇ、立てるんだ。それは随分と頑丈なことだ」


 「…全然効いてねぇよ、クソが」


 凛月は血を吐き捨てながら、能力を発動。


 【群青】の輝きとともに生成された氷が、男を空気ごと捉えようとするが。


 「それは失敗」


 しかし、横薙ぎの斧にはたき落とされ、叶うことはなかった。


 「なッ…!?」


 「これは効かないよ。この程度に遅れをとるなんて、まだまだだ…ヴェルトムント」


 彼はそう言うと、氷漬けにされた仲間の男に視線を向けた。


 男――ヴェルトムントはそれを受け、憤慨ふんがいしたように。


 「初見は無理ッスよォ!」


 「つまり、お前は隠れてコソコソ見てたわけか。小せぇ野郎だ」


 「褒め言葉と受け取っておこう」


 「…チィッ!」


 剣を構えた凛月は再び能力を発動。


 凍結領域を先ほどよりも広く、(はや)く。


 それは白銀の(かすみ)となり、互いの視界を奪う。


 「また失敗。()りないね、君も」


 男は呆れたように溜め息をつくと、先程と同じ要領で氷を回避してみせる。


 これではデジャヴ。


 だが…凛月の狙いは、先程と同じではない。


 「…何?」


 氷のかすみが消えた先で、男はその光景に目をみはる。


 ――奴がいない。


 「しまったッ…!」


 遅ればせながら、彼の狙いを悟った男は撤退を図るが。


 「遅ぇッ!」


 【群青】の一閃。


 いつの間に移動していたのか、男の斜め後ろから繰り出されたその一撃は、彼の動揺を誘うに十分。


 それに気づいた男は剣を防ごうと斧を突き出すが、それよりはやく剣のきっさきが到達した。


 確かな肉の感触と、傷口から噴き出す鮮血。


 凛月の剣は男の肩を斬り、そのまま下まで振り下ろす途中、追いついた斧によって食い止められる。


 「…お見事」


 「終わりだ」


 刹那せつな、男の傷口が冷気を帯び、幾つもの氷の柱が突き出した。


 ――俺の勝ちだ。


 そう確信した彼は、剣を振り切ろうとその手に力をこめる。


 しかし、追い詰められているはずの男の表情は、その不敵を崩さない。


 「何がおかしい?」


 「君の底は知れている。だが君は、僕の底を知らない。その不平等は、何を指す?」


 男の全身から立ち昇る、濃密な殺気。


 近づいてはいけない、本能が鳴らすその警鐘(けいしょう)に身を(ゆだ)ね、凛月は咄嗟とっさ剣を引く。


 その判断は正しかった。


 男の全身から立ち上る【若紫(わかむらさき)】色の輝き。


 次の瞬間――彼の全身が大きく膨れ上がり、身体中から無数の刺毛(しもう)が飛び出した。


 その1つ1つはレイピアのように細く、鋭い。


 幾重いくえにも伸びたそれらは、到底避け切れる数ではなく、態勢が崩れたままの無防備な凛月の身体へと突き刺さる。


 「くそッ…!」


 彼は地面に倒れこみ、それを全身に受けながらも、必死に腕を前へ。


 その一瞬の行動が命を救い、何とか致命傷には至らない。


 そして、男を見上げ、驚愕(きょうがく)に目を見開いた。


 「お前…人間…か…?」


 「…()えて否定はしまい」


 飛び出した刺毛は役目を終えると、まるで流動体のように、彼の身体の内側へと戻っていく。


 その光景は(いびつ)


 個人色(カラー)とは、腕輪に()められた水晶体を触媒に、人間の身体の外へ流れ出るエネルギーの総称だ。


 それはときに何かを生み出し、操り、己の感覚を限界まで引き上げる能力を有する。


 しかし、身体を自在に変容(へんよう)させる能力など、聞いたことがない。


 化け物と戦っている、そう考えるのが自然だった。


 「だが、この世界は狂っている。故に、何が起きても不思議なことはない。…さて」


 男が静かに歩み寄る。


 少しでも距離を取るべく、凛月は傷だらけの身体を必死に動かそう…としたところで、異変に気がついた。

 

 ――身体が動かない。


 「そろそろ効いてくる頃合いだ。もう舌も満足に回らないだろう。僕の能力は神経毒。是非(ぜひ)冥土(めいど)土産(みやげ)としてくれ」


 男が斧を振りかぶる。


 「さようなら、名もなき群青の戦士」


 ――くそッくそッ!こんなところで…!


 眼前に迫る死に、理性が凍る。


 感情のままに必死にもがくが、もはや彼にはどうすることも叶わない。


 男はそんな彼を無感情に見下ろすと、今度こそ命の源を絶とうと…。


 ――しかし、振りかぶったその斧は、ついぞ振り下ろされることはなかった。


 突如として、背後に響く轟音(ごうおん)


 盛大に瓦礫がれきが吹き飛び、天井(てんじょう)穿うがたれたのは、巨大な(あな)


 舞う土煙。


 それを気にも留めず、孔の中から現れたのは、その元凶(げんきょう)である、1人の可憐(かれん)な少女。


 ――千宮司(せんぐうじ)千里(ちさと)


 「楽しそうな話してるじゃない…私も混ぜなさいよ」


 パラパラと落ちて来る瓦礫がれきを手で払いながら、彼女は太刀の先を真っすぐに男へと向ける。


 男はさしたる動揺もなく。


 「初めまして。だが、少し遅かったね。いずれ死に()く者たちに、女帝の手向(たむ)けは要らない」


 「それは違うわ。死にかけの手下を救ってこその女帝でしょうが」


 「一理ある。しかし君は、(いささ)か非常識だ。地下室で天井を破壊するなど。此処(ここ)が君たちの墓標かい?」


 そう言って、男は静かに、先ほど千里が穿った孔を指差した。


 彼の言う通り、地下で壁を壊す先に待ち受けるのは崩壊であり、とても正気の沙汰(さた)とは思えない。


 「うるさいわね、迷ったのよ。それに…アンタが常識を語るな。人の(かたち)をした化け物」


 「…なぜそれを?君はいつから聴いていた?」


 その問いに、彼女は無言で、地面に()す涼燕を示した。


 彼の腕には、いつの間にか【灰】の輝き。


 その能力は、風を操ること。


 つまり…ここでの会話を風に乗せ、上層の千里へ送ることも可能だ。


 男はその能力を把握していないが、何か得心がいったように(うなず)いた。


 「成程」


 「アンタの底は知れてるわ。さて、どうする?またお得意の神経毒?」


 「…」


 彼女の安い挑発に、男はピクリと眉根を寄せる。


 その挑発は、彼が凛月に放った言葉の意趣返し。


 彼の怒りの矛先は眼前の千里ではなく、自分自身。


 「…次会うときは、冥土の土産などは用意せず、無言で殺すこととしよう」


 逡巡(しゅんじゅん)の後に、彼が斧を引く。


 それは『停戦』の合図。


 能力が不明な千里との対峙(たいじ)を嫌った末の妥協(だきょう)案。


 彼は凛月から離れ、氷漬けになったヴェルトムントの下へ歩み寄ると、一蹴りで氷を破壊する。


 「先輩…か、かたじけねェ」


 「気にするな、ヴェルトムント。…さて」


 男がヴェルトムントの肩に触れると、彼らの身体に【鴇鼠】色の光が満ちる。


 そして、足の先から徐々に景色に溶け込み消えていく。


 その去り際。


 「一応名乗っておく。…ジリオラ。ジリオラ・ヴァーリエルだ。またどこかでうだろう」


 男――ジリオラはそう言い残し、完全に姿を消した。


 急速に遠のいていく気配。


 それを完全に見送った後、千里は強張(こわば)った表情を解き、やっと安堵(あんど)(にじ)ませる。


 自分の能力が割れていないとは言え、戦えばどちらが勝っていたかは分からない。


 石橋を叩いて渡るジリオラの警戒心の強さが、今回は良い方向に働いたと言える。


 優先すべきは、敵の殲滅(せんめつ)ではなく、仲間の救出。


 そう考えを改め直した千里が、未だ動かぬ彼らの下へと駆ける。


 「2人とも、しっかりして!…凛!涼!」


 緊張の糸がほどけたのは、彼らも同じ。


 彼女の声を聞きながら、凛月はやがて――完全に意識を失った。

ジャイアントハウンド


<由来> 巨大ジャイアント咆哮ハウンド

<モチーフ> ゴリラ + 太鼓

<特徴> 全身を覆う体毛は黒。空気を体内に取り込むための管を有しており、そこから空気を吸い込み、吐き出した風圧や音圧で周りを粉砕する。破壊力は高いが、空気の再装填に時間を有するため、そのタイミングを狙うとよい。また、太鼓のような腹を叩くことで、仲間に自分の位置や危険を伝える。群れは、唯一生殖能力を持つ女王による統治が行われている。


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