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アクアテラリウム  作者: 真島 悠久
4章 『Whether to be Sanity or Not?』
109/113

4章36「激昂と月光、それ以外は何も」

 ――自分が「陰」だと気づいていた。


 いつから気づいていたかは知らない。


 転機があったわけでもない。


 たが至極純粋に、悟ってしまっていたのだ。


 夜空を見上げれば燦燦(さんさん)とした星が在るように、「光」はいつもそこに、ただ在った。


 それがどれだけ自分の尊厳を踏みにじったか、彼らは気づいていただろうか?


 否、彼らは気づかない。


 「陰」が在るから「光」が在るわけではない。


 「光」が在るから「陰」が在るのだから。


 光が嫌いだ。


 軒下でうごめく陰にも臆せずに、勝手に踏み越えて、照らして。


 ーー望まぬ希望を思わせる、そんな光が。






 「よう、また会ったな」


 「…正義気取りが、また懲りずに現れたか」


 「開口一番それかよ。もっと他に言うことあるんじゃねぇの?例えばそうだな、何で生きてるのか…とかな」


 「興味が無い。風前に散る星屑の如きはかない命など、等しく無価値だ。例え幾つ束になり寄り集まろうとも、無価値であることに変わりは無い」


 辛辣な論調を崩さないアレックス・ヴィラ・グランガイルの言葉に、ピクリと凛月の眉が動く。


 「お前の言う「星屑」とやらが俺を助けてくれた。立ち上がる力をくれた。…馬鹿にすんな」


 「そうか、ならば証明してみろ」


 ギギイッと錆びた金属の音が響き、グランガイルの体がゆっくりと持ち上がる。


 座っていた椅子に預けていた体重を己自身で支え前傾姿勢を取ると同時、彼の背後がうごめく。


 椅子の後ろから現れたのは、色相環12色それぞれの色を放つ12本の枝だ。


 まるで蛇のように動くそれらは全て、グランガイルの持つ異能力の一部である。


 度重なる犠牲と研究の上に成り立つ「個人色カラーの並列保持」。


 才能をぎ取り、無理やり縫い合わせることで繋ぎ止めているその能力はいびつだ。


 だがその歪を前にして…。


 ―—凛月は剣を抜く素振りすら見せなかった。


 「…何の真似だ」


 彼の異変に気付いたグランガイルが静かに、少し怒気をはらんだ声で問う。


 その問いに彼はあっけらかんと、


 「剣は抜かねぇ」


 はっきりとした口調でそう言い切った。


 「どういう事だ」


 「俺は此処ここに「勝ちに」来たんだ。確かにお前にはムカついてるが、殺したいわけじゃねぇ。暴力に暴力で返す、なんて馬鹿な真似じゃ何も解決しねぇからだ」


 「此処に来るまで散々暴虐の限りを尽くしておいて、よくそんな事が言えたものだ」


 「戦うことでしか対話出来ない、分かり合えないヤツもいる。だがお前はそうじゃねぇ」


 「では、貴様は此処に何をしにきた」


 「決まってる」


 そして凛月は真っすぐにグランガイルを見る。


 彼から紡ぎ出される答えは…。


 「俺はお前を…救い(・・)に来たんだ」


 ーー刹那せつな、憎悪を纏った12本の光が一斉に、凛月を襲った。


 「チイッ!」


 ギリギリのタイミングで反応した彼の身体が地面を勢いよく転がる。


 すぐに顔を上げ状況を確認すると、グランガイルの操る12本の枝が既に次なる攻撃準備を整え、矛先をこちらへ向けているところだった。


 つまりは話し合う気は毛頭無い、という強い意思表示だ。

 それを悟った凛月は素早く立ち上がり、「群青」色の光と共に走り出す。


 周囲の温度が急激に下がり始め、薄く漂い始める白色の冷気。


 だがそれを許さない12本の枝から次なる攻撃が放たれた。


 「くっそ!無茶苦茶やりやがって!」


 個々の個人色カラーでも非常に強大な威力を誇っていることが簡単に分かるのに、それが色相環全ての12色同時に顕現しているのだ。


 ただでさえ満身創痍な彼に「避ける」以外の選択肢は無い。


 普段の半分の力も発揮出来ていない冷気では、相手の攻撃の速度を一瞬ずらすので精一杯だ。


 それでも懸命に身体を動かし、何とか致命傷は回避する。


 息をつく間も無く立ち上がり、正面を見据えると、既に12本の枝は再装填を終えていた。


 ーーこれは勝てない。


 常人であれば誰でもそう判断する絶望的な状況で、しかし凛月は微かな勝ち筋だけを見つめていた。


 「どうした、そんなもんかよ!」


 絶体絶命の状態から、更に煽る。


 それに応えるように、12本の枝は即座に攻撃を再開した。


 はやい。


 だが、一拍だけ遅い。


 …それでいい。


 「はぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 最早、避けることすら放棄した凛月が真っ直ぐにグランガイルを見据え、「群青」の光を纏った冷気を撒き散らす。


 宙に舞ったそれはすぐに大気中の水分と結びつくと、氷の華を咲かせ、枝の侵入を遮るように壁を作り出した。


 だがそんな事はお構い無しに、枝は破壊の嵐となって氷の壁に降り注いだ。


 全てが砕け散るような音と、圧倒的な衝撃。


 氷の破片がパラパラと崩れ落ち、一瞬の後に静寂が支配する。


 「…」


 グランガイルはそれを無感情に見つめていた。


 いやそれは正確には正しく無い。


 無感情とは、感情があるからこそ対比として生まれる、「感情が無い」という感情である。


 機械族オートマタすがたを得て百余年、今はもう感情を排した彼に宿るものは、無感情ではなく虚無だ。

 

 当然、凛月の如き小僧の生死になど興味が無い。


 だが、そんなグランガイルを、突如違和感が襲う。


 「…?」


 そして気づいた。


 12色相環、全ての個人色カラーを顕現する12本の枝。


 ーーその幾つかの応答が途絶えた。


 正確には、「紫」「青緑」「緑みの青」の3種類だ。


 すぐに全ての枝を戻し状況を確認すると、3本の枝の先、個人色カラーを司る水晶部分を覆う、薄い氷の華。


 「ふぅ、やっと大人しくなったな」


 白くよどんだ空気の向こうに、群青色の光が灯る。


 冷気を掻き分けて現れたのは、先ほどより深い傷を負ったものの、未だ剣に触れてすらいない凛月の姿だ。


 「何故、剣を抜かない」


 「言ったろ。俺は此処に勝ちに来た。そのために必要なのは暴力じゃねぇ。…まぁ、お前がうるせぇから、少し黙らせてもらったがな」


 氷漬けになり、個人色カラーを失った枝を指差してわらう彼を見て、グランガイルが思案を巡らせる。


 ーー理由は不明だが、その機能を失った(・・・・・・・・)枝は3つ。


 幻術を司る「紫」。


 探知能力を司る「青緑」。


 そして、感覚強化を司る「緑みの青」。


 どれも補助系の能力であり、個人色カラーの並列処理において極めて強力な能力でもある。


 これらが犠牲になったのは、意図的か、否か。


 …意図的であった方が困る。


 ーーつまり、意図的・・・だ。


 グランガイルはそう結論づけた。


 「この下らない茶番の、目的は一体何だ」


 「やっと聞く気になったかよ」


 「いや」


 そう言って、グランガイルは残る9本の枝を真っ直ぐに凛月へと向けた。


 「…どうでもいい」


 その言葉と同時、9つの個人色カラーを一斉に解き放った。


 だがその行動は予想通りだったのだろう。


 すぐに後退した凛月は再び冷気の中へと身を隠し、グランガイルの猛攻をいなそうと試みる。


 「…!」


 まるでミサイルの爆撃のような、強烈な衝撃が氷の壁を襲う。


 先程とはケタ違いの威力を誇るそれに、冷気は霧散し、壁は成す術なく吹き飛んだ。


 その結末をいち早く悟った彼は横っ飛びに逃げ出し、何とか致命傷を回避することに成功していた。


 「ぐっ…なんつー威力だよ!」


 もはや時間稼ぎは無意味と悟った彼は、痛む身体を必死に動かし、足早にその場からの離脱を図る。


 そして、グランガイルに対する怒りをぶち撒けるように、腹から声を張り上げた。


 「よく聞け、クソジジイ!お前みてぇなズレた老いぼれにゃ、わざわざ言ってやらねぇと分からねぇようだから教えてやる!」


 背後から迫る爆炎を避ける。


 「何澄ました顔してんだよ!いつも他人を見下して、余裕ぶってるだけのクソ野郎が!今だってそうだ!そんなに余裕か?…違ぇだろ!」


 身体を貫かんと迫る「橙」色の枝を素手ではたき落とす。


 その拍子に手の甲から鮮血がほとばしるが、すぐに傷口を氷漬けにして無理やり止血する。


 そして、未だ暴れようとする枝を踏みつけ、闘志にたぎる瞳を真っ直ぐにグランガイルへと向けた。


 「お前はーー「絶望」している!!!」


 ーー絶望。


 その言葉を聞いた瞬間、グランガイルの攻撃がピタリと止んだ。


 「…何だと」


 それは先程までとは打って変わった、明確な「話に耳を傾ける」意思の現れだった。


 凛月は満足げに笑みを深める。


 「やっと聞く気になったかよ」


 「…いや、どうでも」


 「どうでもよくねぇ。お前には2つの絶望がある」


 そこでグランガイルは、完全に沈黙した。


 「1つ目はあの、ルミーナ・エストアリスとかいう奴が言ってたヒントでようやく分かった。お前ら機械族オートマタは自分の事を「完全な生命体」だとでも思ってるんだろうが、それは違う。痛みが無い、朽ちない、歳を取らない、一見不老不死にも思えるお前らには1つ、致命的な欠陥がある」


 「…」


 「そりゃあそうだ。ーー子孫を残せない生命体に、生物としての価値は無ぇ」


 「…何故、そう思う」


 「まず、俺が戦ってきた奴らは全員、人間が海中人マーピープルだの機械族オートマタだのに分かれるもっと前、エネルギー戦争とやらが起きる前から生きていた。少なくとも今から100年以上前の話だ」


 事実、ロイズ・フェデラーはアリシアの曾祖母に当たる人物と会った事があるという旨の話をしていた。


 クレッセントこと、ビクトール・グレイリアも機械化オートマタ計画以前の人間であった。


 少なくとも、強大な力を持つ機械族オートマタが元人間であることは疑いようが無い。


 「次に外の衛兵用の機械族オートマタ。あいつらには自我が無い。命令を与えたら体が朽ち果てるまで命令を遂行するだけの、ただのロボットだ。あれは恐らく最近作られたものだろうが、あんな出来損ないを生命体などとは呼ばねえ」


 「…そうだ、あれはただの失敗作でしかない」


 「そして極めつけは、地下の実験場だ。あそこには山ほどの機械族オートマタ用の部品が転がっていたが、あれは部品交換用じゃねぇな?そうでもねぇと床に転がす理由も、埃を被るほど放置する理由も無い」


 「…」


 「それを見たルミーナ・エストアリスはこうも言ったな」


 ーーボクらのたった1つの悲願が達成できなかった。無限という可能性の中で、たった1つ排斥された事象があった。


 ーー魂はドコに宿ると思う?


 ーーヒトはどうやって造る?


 ーー本当につまらないよ。ヒトっていうのはさ。


 「今なら分かるぜ。…お前らが言うたった1つの悲願ってのは、繁栄能力のことだ。そうだろ?」


 凛月は確信に満ちた瞳でそう言い切った。


 「…」


 対するグランガイルの答えは沈黙。


 それは「是」以外の何物でもなかった。


 「それが1つ目の絶望。お前の絶望はもう1つ」


 凛月はそう言って、真っ直ぐに、人差し指をグランガイルへと向けた。


 「お前はもう、死んでる(・・・・)んだよ」


 「…何だと」


 「言葉通りだ。お前はもう生きちゃいない。機械化オートマタ計画が成就したあの日から、お前の時計は止まったまま…そうだろ?」


 「どういう意味だ」


 「機械化オートマタ計画の目的はなんだ?永遠の命を手に入れる。確かにそれは達成されてるのかもな。…けどよ、それがどうした?永遠に、無意味に生き永らえることに一体なんの意味がある?」


 「…黙れ」


 「お前の願いは『生きたい』じゃなく『死にたくない』…そのためだけに人間としての身体を、感情を棄て、何人もの命を踏みにじり、ただのうのうと生き続けてるだけじゃねぇか!それを『生きてる』と言うのか!違ぇだろ!」


 「黙れ!貴様のような餓鬼が分かったような口を利くな!」


 グランガイルから溢れ出す、圧倒的な『圧』。


 それは今までと一線を画し、身体の芯が凍るような錯覚に囚われる。


 だが凛月は怯まない。


 痛みに軋む身体を奮い立たせ、精一杯の勝気な笑みで吠える。


 「やっと感情の見える声になったな!俺には聴こえるぜ、お前の苦しそうな声がな!」


 「ほざけ!」


 グランガイルの背後から9色の個人色カラーが放たれ、一斉に凛月を襲う。


 彼は先程と同じく氷の冷気を纏い、それを躱し切ろうと試みるが、その足元は覚束ない。


 強がってはみたものの、身体の方は既に限界を超え、悲鳴を上げているのだ。


 どれだけ限界を超えていようとも身体は鞭打てば動くが、それは命を縮める行為に等しい。


 対するグランガイルは疲れ知らずで、このままやり合えば凛月の敗北は必至だった。


 しかしその事実が分かったところで、彼に出来る精一杯はグランガイルの猛攻を紙一重で躱すことだけだ。


 「ハァ…ハァ…!」


 何とか凌ぎ切った。


 だが、その拍子に地面に倒れ込んでしまう。


 …次は無い。


 もはや立ち上がる時間すら無いと悟った彼は、せめてもの抵抗として腕を十字に組み、身体を丸める。


 グランガイルの枝から放たれた『橙』色の光は、その腕の隙間を縫って凛月の脇腹へと突き刺さった。


 「…がッ!」


 息が詰まる。


 そのまま力のなす方向に従い背後の壁に激突した彼の口から鮮血が飛び出る。


 彼はすぐに『群青』の個人色カラーを灯し、破損した臓器を止血。


 幸い致命傷ではなかったようだが、この出血量はまずい。


 いよいよ本格的に血液が足りなくなり、脳がぐわんぐわんと揺れ、景色が暗転し始める。


 懸命に凝らした視界の先には、玉座に座したまま、凛月へと己の枝を伸ばし続けるグランガイルの姿。


 さすがにもう無理か。


 そんなことを考えながら、必死に最期の抵抗に思案を張り巡らせる彼の目の前で。


 ーー唐突に、グランガイルの動きが止まった。


 「何故だ」


 「…?」


 「貴様は息も絶えかけ、立ち上がることすらままならない。たとえ立ち上がったとしても勝利は叶わず、苦しみにもがいてるだけだ。だというのに何故、貴様は未だ諦めていない?貴様は一体何のために、今なお死に抗い続けている?」


 それはグランガイルが初めて彼に行った『問いかけ』だった。


 彼はこう思ったのだ。


 死に体の若造の命を奪うことなど、赤子の首を捻るほど容易い。


 しかしそれでは意味がないのだ。


 何故なら彼はその若造の言葉に苛立ちを憶えているから。


 これまで生きた100余年、初めて感じたこの感情の出所は間違いなく才波凛月だった。


 故に、この感情が何に起因するものなのか、それが解明するまでは彼を葬ることはできない。


 今彼に死んでもらっては、真相は闇の中へと消えてしまう。


 その思いが彼の足を止めた。


 「答えろ。それまで貴様は生かす」


 凛月の身体がピクリと動く。


 そのまま上半身だけ辛うじて起こした彼は、その瞳を真っ直ぐにグランガイルへと向けた。


 そして、ハッキリとした声で答える。


 「…俺がまだ『生きてる』からだ。俺は自分1人の力だけで生きてきたわけじゃねぇ。この命はもうとっくに俺1人のものじゃねぇんだよ。だったら最期の最期まで抗い続けてやる。それが俺の生き方だ」


 「ならば生きるとはなんだ?」


 グランガイルの問いかけは切だった。


 凛月の答えは初めから決まっている。


 「生きるとは…思考を止めないことだ!」


 その言葉は正確且つ明確に。


 ーーグランガイルの失ったはずの心の、中心を貫いた。






 生きるとは何なのか。


 それを解き明かし、一行足らずの言葉に押し込めることが、彼にはとても難しいことだった。


 酷く陰惨な戦争が蔓延する中で、同僚を失った時も、愛する家族を失った時も、彼の脳裏には同じ疑問が螺旋のように旋回を続けていた。


 『ここまで全てを失って、何故私は今なお生にしがみついているのだろうか?』


 生きることより死ぬことの方がずっと容易い。


 わずか十数センチの爆弾に火が付けば、容易く人の命は失われる。


 今私の目の前でバタついている実験用ラットも、あと3日もすれば死ぬだろう。


 それは避けられぬ運命。


 なのに何故、ラットは無意味にもがき続けるのか。


 無味乾燥な生涯の中、グランガイルはただ1人、ゴミ溜めのような実験室でそんなことを考えた。


 その実験室に彼以外の人の気配は無い。


 機械化オートマタ計画。


 国から与えられたこの計画の参加者は、今はもはや彼含めた数名の研究員のみだ。


 それ以外はこの計画を見限って別の場所へと移った賢者か、研究員としての価値を失い戦場に立った愚者かのどちらか。


 未だここに残っている者のほとんどは、そのどちらとも付かない中途半端な人間。


 グランガイルは己に何の才能も無いことを自覚していた。


 頭が良いのではなく、ただ人より学問に費やす時間が長く、学業成績が多少良かっただけの者。


 そのくせプライドは高く、己の失敗を素直に認め、受け入れることが出来ない。


 現にこうして、未来の無い研究で人生を擦り減らしている。


 それが分かっているのに何故、自分はこんなところに居続けるのか。


 否、理由は分かっていた。


 私は死ぬのが怖いのだ。


 死にたくないから有能を偽り、研究を続け、徴兵を避けているだけの臆病者だ。


 こんな暗がりの中、独りで震え、いつか来る死に怯えているだけの者がどうして生き永らえているのだろうか。


 本当に生きるべきは、私のような者ではなく…。


 「ーーグランガイル先生?少しお休みになられては?」


 「…ビクトール君」


 一条の光が差す。


 振り返った先には、薄い青色の髪に、聡明そうな黒色の瞳を持った男の姿。


 ーーそう。彼のように、本物の才能を持った者だけが生きるべきなのだ。





 彼ーービクトール・グレイリアは神に愛された男だった。


 グランガイルは神を信仰していなかったが、彼の素晴らしさを形容する時に限って、神の名を引き合いに出した。


 この計画が今なお計画という体裁を保てているのは、若輩ながら彼が尽力し、結果を残しているからで、決して主任のグランガイルの功績などではない。


 それほどに彼は、才能というものに恵まれた人間であった。


 しかし、だからこそ、グランガイルの嫉妬の炎は鎮まることを知らなかった。


 これほどまでに天に才能を受けた者に比べ、自分は何たる矮小か。


 生まれながらにして「陰」を運命づけられた彼はビクトールを酷く尊敬し、それと同じだけ憎んだ。


 だが、そんな彼に転機が訪れる。


 ーービクトールの妹、ライラの存在。


 彼女の異能力を知った時、彼は己の頭の中に一縷の光が差し込んだような気がした。


 彼女こそがこの計画を完全なものにするための鍵だ。


 そして、それを証明し、計画を完遂すれば私は…。


 「ビクトール君。少しいいかい?」


 「はい、どうかなさいましたか、グランガイル先生?」


 「確か、君には妹が居たね?」


 「はい。それが何か…?」


 「単刀直入に言おう。君の妹の異能力、あれは機械化オートマタ計画成就に必要不可欠な要素だ。私は彼女の協力が欲しい」


 それを聞いたビクトールはすぐには答えなかった。


 彼の瞳は揺れていた。


 恐らく彼は、グランガイルが言い出すよりもずっと前からそれに気づいていたのだろう。


 ということは、いつかはこの相談を持ちかけられることも気づいていたはずだ。


 グランガイルは畳み掛ける。


 「何も実験動物のように酷使しようというわけじゃない。彼女の異能力のエッセンスを解析し、計画に反映させたいだけだ。君も気づいているだろう?この計画はもう、彼女無くしてこれ以上の希望は無い」


 「…率直に申し上げれば、僕は妹をこの計画に巻き込みたくはありません」


 「それは感情か?君らしくもないな。この計画が頓挫すれば、この国の民は終わりだ。彼女への負担と全国民の命、秤に掛けるまでもない。それに、君本来の目的は何だ?機械化オートマタ計画の技術で彼女の肺病を治療することではなかったのか?それを教えれば、彼女も喜んで了承してくれるだろう」


 グランガイルの必死の説得。


 それは正論であり、かつビクトールの正義感を刺激するに十分なものでもあった。


 ビクトールは更に数十秒、沈黙を貫いた後。


 「…彼女に少し話してみます」


 苦渋の末、同意とも取れる言葉を漏らした。


 それにグランガイルはニヤリと笑う。


 「頼む。この国の未来は君たちにかかっているんだ」


 ーーこの時既に、グランガイルは決意していた。


 彼らが議論の末、協力を拒もうとも関係ない。


 どんな手を使ってでも計画を成就させる。


 たとえ彼らを犠牲にしても。


 そして、運命の日が訪れる。






 ビクトールがライラの説得に失敗し、研究所に戻ったあの日。


 ーー研究所は運悪く(・・・)、戦争の流れ弾を浴び、一部施設が崩壊した。


 そして痛ましくも、その施設に居たビクトールが瀕死の重傷を負った。


 傷の原因は、右半身が潰されたこと。


 それを行ったのは施設崩落の瓦礫などではなく、たまたま通りかかった黒騎士の左足だった。


 「やれやれ、この私を呼ぶからにはどんな強敵が待っているものかと期待したが…何ということはない。ただの猿じゃあないか」


 研究施設襲撃の犯人、ロイズ・フェデラーはそう言って足下のビクトールを見下ろした。


 その瞳には落胆の感情が灯る。


 「私は何でも屋じゃあないんだがな。…というか、まだ生きているのか。幸運なことだ。その幸運に免じて左半身も潰してやろうか」


 「やめろ、ロイズ。殺すなと言っただろう。もう仕事は終わりだ」


 静止の声。


 その主はグランガイルだ。


 「ふん、ほんの冗談だよ。…というか貴様も酔狂な男だな。確かこいつは優秀な研究員ではなかったか?貴様がよく話していただろう」


 「…だからだ」


 「何だと?」


 「俺は才能に溢れた餓鬼が嫌いだ」


 「僻みとはみっともないな。それが大人のすることか?」


 「黙れ。用が済んだならもう帰れ。報酬は後で幾らでも払ってやる。計画が成功すればな」


 やれやれ、と言った様子でロイズが首を横に振り、素直にその場から離れる。


 残ったグランガイルは瀕死のビクトールを見下ろすと、無言で睨み続けた。


 その瞳に宿るものは明確な嫉妬と憎悪の感情。


 彼はビクトールを心底軽蔑していた。


 あれほどの才能があって、何故こんな醜態を晒しているのか。


 妹を守るなどという下らない倫理に束縛された結果がこれだ。


 ライラを手に入れるのはグランガイルだ。


 若造が幾ら倫理と弁を捏ねたところで、圧倒的な悪の前には無力だ。


 全てを掴むチャンスがあったのにも関わらず、全てを失う結果を選んだ。


 それがたまらなく憎い。


 こんな者に才能を与えるくらいなら、私にそれを与えるべきだった。


 そうすれば、きっと…。


 いや、これ以上考えるのは無駄だ。


 ふと周りに耳を傾けると、ジリリリとうるさいくらいに報知器が鳴り響いている。


 きっとすぐに人が来るだろう。


 私はただ、優秀な職員を失い、茫然自失の被害者を演じるだけいい。


 やがて、次第に騒がしくなる世界の中、ただ立ち尽くすグランガイルは、世界のある真理に気がついた。


 やはり神など存在しない。


 在るのは、そう。


 ーー私のような悪魔だけだ。






 思えばその日から、いやその前からずっと、私の人生は「逃げ」の連続だったように思う。


 才能から逃げ、死から逃げ、行き着いた先はこんな、死ぬこともないみっともない肉体。


 生き恥を晒し続け、その事実からも目を背け、ずっと考えないようにしてきた。


 ずっと「思考を止めた」まま生き続けていた。


 その生き様を、目の前の瀕死の彼が命懸けで否定してくる。


 何度倒れようとも立ち上がり、必死に伝えようとしてくる。


 『お前の生き方は間違っている』。


 そのメッセージを私に突きつけ続ける。


 「…才波凛月。貴様の目には、私が滑稽に映っているか?」


 気づけば再び問いかけていた。


 ある意味で懺悔とも呼べる質問。


 それに凛月は、声を絞り出して答える。


 「あぁ、滑稽だな。同情するぜ。お前のその不死の体は呪いだ。目的もなくただ生き続けている屍。本当は自分でも気づいてるんじゃないか?」


 グランガイルの戦意は完全に消失していた。


 それと同時に深い怒りと羞恥心を覚える。


 自分は何故、こんな若造に言いたい放題言われ、しかもそれを受け入れようとしている?


 「俺が一体何を間違えた?何が足りなかった?やはり俺の才では不足だというのか」


 「才能才能うるせぇんだよお前は!!!」


 豪雷のような声で罵倒する。


 凛月の瞳には激しい怒りの感情が宿っていた。


 「俺たちは足掻いてる!才能があろうが無かろうが、どうにもならねぇと知っていようが!それは命があるからだ!思考を止めていないからだ!生があるからだ!」


 精一杯の胸を張り、彼は高らかに。


 「人は一人で生きていけない。それは親が育ててくれるから、それだけの話じゃねぇ。生きている限り誰かと関わり、何かを思って実行する。それがやがて存在意義となり、更に生きる希望を与えてくれる。誰だってそうだ。ライラの兄貴だってそう」


 「…」


 「お前に足りないのは才能じゃなく、人との関わり。そんなことも分からねぇお前如きが簡単に他者の目を摘む。それが許せねぇから俺は此処に来た。一発殴って弔ってやんだよ!」


 拳を握り、グランガイルへ真っ直ぐに向ける。


 そして、思いを乗せて走り出す。


 「うおぉぉぉぉぉ!!!!」


 ボロ切れのような人間。


 丸腰。挙句の果てに隙だらけ。


 グランガイルにとって、その一撃を防ぐことは容易だった。


 しかしーー彼は避けなかった。


 凛月の左拳が頭部に突き刺さる。


 火花と共に、頭部は軋みをあげた。


 「ハァ…ハァ…」


 凛月の荒い息遣い。


 それ以外には何も聴こえない。


 やがて、彼は腕をぶらんと下ろした。


 緩やかに滴る血、当然こんなものを殴りつければ、拳も無事では済まないはずだ。


 一瞬の静寂。


 その後に、グランガイルの体に電気信号が走る。


 「…潮時だな」


 彼の言葉と同時ーー体がバラバラと、鈍い音を立てて崩れ始めた。


 「お前…」


 「貴様らの一撃は確かに届いた。これはその報いだろう。せいぜい喜ぶことだ」


 「なんだと?」


 「私にとって延命は容易だ。そのための機械族オートマタ。だがそれを今日までしなかった。故に貴様程度の一撃ですらこれだ」


 「何言ってんだお前…?」


 「思えば私は、貴様のような人間を待っていた。私は世に意味を見出せず、かと言って自死する勇気も無く、ただ茫然と生きてきた。…そう私は殺されたかった」


 「待て…」


 「これで私の命も漸く終わる。貴様には分からんだろうが、死が私にとって唯一の快楽だ。やっと苦しみから解放される時が来た」


 「待てよ!」


 凛月は怒りに顔を歪めたまま、グランガイルの首根を掴む。


 「ふざけたこと言ってんじゃねぇ。お前は悪だろ、なら最期まで悪を貫けよ。勝手に戦いを諦めんじゃねぇ。ふざけんな…最期までやれ」


 「そうだな。つまり悪は身勝手だ。責任、罪、そして生。その全てを果たすこと無く逃げるのは、まさに悪の生き様そのものと言うわけだ」


 「こんな終わり方があるかよ…じゃあ何のためにお前らは戦ってきた?何のために俺たちは…」


 それきり言葉が途絶える。


 彼の唇は震えていた。


 彼にとってグランガイルは、仲間やこれまで死んでいった者たち、その全ての怒りを背負い、ぶつけるための矛先だった。


 それが簡単に命を投げ出すと言う。


 許せなかった。


 死して逃走することも、そして、怒りの矛先を失わされることも。


 才波凛月にとって、アレックス・ヴィラ・グランガイルは都合のいい存在だった。


 それが消えてしまえば、次の矛先はどこに向く?


 いやどこにも向かない。


 立ち尽くしてしまうのだ。


 人との関わりが生きる意味、それは凛月にとって、グランガイルとの関わりもそうだった。


 その事実に、彼はやっと思い当たる。


 「…矛盾だな。殺したいほど憎い相手に死ぬなと言う。続けろという。貴様は信念を持って目的を成就した。故に次の目的を失った、迷子の子供だ」


 「…黙れよ。クソッ、何で…」


 「ならば、そんな子供に次の目的を与えて死ぬのも、悪の身勝手と言うわけか」


 「なんだと?」


 グランガイルは嗤った。


 それは久方ぶりのことだった。


 生というしがらみからも解放された彼にとって、全ては愉快で堪らないことだ。


 敵味方の概念からすら解放された、故にかつて敵だった者に賛辞を送ることすら辞さない。


 「ーーかつて『東京』と呼ばれる都市があった。ここから北東の遥か彼方。そこで行われた1つの会議、1つの合議がこの惨状の全ての始まり」


 「東…京?」


 「全てを知りたいならばそこを目指すがいい。そして更なる絶望を識れ。…貴様が足掻くのは世界。惨状はまだ、何も終わってなどいない」


 グランガイルはそう言うと…凛月に向かって、1本の個人色カラーの枝を突き刺した。


 「がッ…!」


 「口で言っても伝わらぬ。故に情報を与える。それが貴様の足を止めぬ原動力となるだろう。…足掻け」


 そして、凛月の身体が吹き飛ばされる。


 同時に鳴る地響き。


 「黒の巨塔(ここ)は終わりだ。私の命と同時に尽きる。志半ばで死にたくなければそこに居ろ」


 「待てよお前!こんなことで…!」


 「許せなどとは思っていない。ただ、その怒りを永劫仕舞え。貴様が真に大切にすべきは、貴様を慕う仲間とのしがらみ。私如きのしがらみは、早々に断ち切るべきなのだ」


 グランガイルは続ける。


 「ライラ・グレイリアには、お前が私に止めを刺したと言え。それは嘘ではないし、私が改心にも似た行動を取ったなど、尚のこと貴様の口からは言えまい。…私はもう、誰の記憶にも残りたくはない。それが最期の身勝手」


 天井が崩れる。


 月明かり。


 隙間から差したそれは凛月へと降り注ぎ、グランガイルには届かない。


 それはまるで境界だった。


 これ以上は交わることができない、言葉を交わすことも許さない。


 世界はそう告げていた。


 彼らにはそれが分かる。


 遠ざかる凛月の意識の中、彼の耳に残ったのは崩壊の音。

 

 瞳には燦々の月光。


 それ以外には、何も。


 ーーそうして、彼らの戦いは終焉を告げた。

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