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アクアテラリウム  作者: 真島 悠久
4章 『Whether to be Sanity or Not?』
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4章34「一握の熱」

 「…さぁて、やっとこさ本城かい。思ったより手間取ったな」


 デューラーを突破した暮人くれひとは遂に黒の巨塔(ファランクス)へと足を踏み入れた。


 先程の外の戦闘音が嘘のように室内は静寂に包まれており、少し怖いぐらいだ。


 しかし彼はそんな事を露ほども気にする様子無く、いつも通りゆったりとした歩調で歩いている。


 「誰も居ねぇか…外の奴で全部か?だとしたら随分人手不足なもんだなぁ」


 暮人は呑気に機械族(オートマタ)の懐事情をしながら急に足を止め、首だけぐるりと背後に向けると、


 「どう思うよ…蒼奥そうおく?」


 殺風景な通路へ、そんな言葉を投げかけた。


 その呟きは壁や床に反響し、緩慢に奥へと流れて消えていく。


 しばしの沈黙。


 そして…。


 「――何も思いません」


 沈黙を遮るように、通路の奥から冴村さえむら蒼奥そうおくが姿を現した。


 衣服の汚れは多少見受けられるが特に目立った傷はない。


 その事実に暮人がニッと口角を上げる。


 「よう、そろそろ来る頃だと思ってたぜ」


 「ということは適当に声を掛けたんですか」


 「別にいいじゃねぇか。…で、首尾は?」


 暮人は呆れ顔の蒼奥をテキトーに流すと、すぐに本題を切り出した。


 「3割がた達成、といったところでしょうか。残るはこの塔だけです」


 「おいおいそれじゃあこの塔だけで7割もあんのかよ。全然達成してねぇじゃねぇか」


 「アレックス・ヴィラ・グランガイルを捕らえるまでは、とても目的達成とは言えますまい。それに、場所が1ヶ所に絞られただけでも大きな進歩でしょう」


 彼らの言う「首尾」...それの示すところは要するに、摩天楼の大掃除だ。


 この機械族オートマタの街に存在する大きなビルの群れ。


 それを一々攻略して回るのは時間の無駄だ。


 だから…アレックス・ヴィラ・グランガイルが潜伏している可能性の最も高い、黒の巨塔(ファランクス)以外を爆破して片付けよう。


 暮人たちが1日目にコソコソとしていたのは、全てこの準備だった。


 「本当は此処も破壊すりゃあ早い話なんだがなぁ」


 「凛の字と千里嬢、それに今は空海殿も侵入したと聞きました。そんな状況で爆破などできますまい。それに…行方知れずの御琴みこと殿のこともある」


 「それもそうか。じゃあさっさと探すとするかぁ」


 欠伸あくび交じりの暮人がそこで話を打ち切って歩き出す。


 蒼奥はさして気分を害した様子もなく目を伏せると、彼の後ろを追従するように歩き始めた。


 しかし…。


 「――その心配には及びません」


 突如聞こえた、聞き覚えのある声に2人は足を止めた。


 この声は間違いない。


 「…御琴殿!ご無事でしたか!」


 蒼奥が声のする方へ顔を向けると、目と鼻の先にある曲がり角からスッと影が伸びる。


 現れたのは、今まで行方知れずとなっていた興津風おきつかぜ御琴だった。


 「おう、御琴。探したぜ」


 暮人は全く驚いた様子もなく、それどころか全て予想通りという余裕の表情で片手を挙げる。


 それに応答するように彼女は控えめに右手を挙げると、ペコリと頭を下げた。


 「申し訳ありません。先程まで捕らえられていたもので」


 「そりゃ大変だったな。怪我は無いか?」


 「支障ありません。この件に関しては少し長い話になるのですが…」


 御琴はそう前置きすると、空白の半日について語り始めた…。






 ロイズとの戦闘で不覚にも戦闘不能に陥った彼女はその場に居合わせた衛兵機械族(オートマタ)に捕らえられ、黒の巨塔(ファランクス)の監獄へと収監された。


 そこで目を覚ました彼女は、自分の両手両足の自由が奪われていることに気が付いた。


 しかもその手錠にはしっかりと、異能力発動を阻害する何かが仕込まれていたらしく、「あめ」色の個人色カラーを封じられた彼女は「これからどうしたものか…」と静かに思案にふけっていた。


 恐らく仲間の情報を吐かせるために自分を拷問でもするに違いないのだが、当然簡単にしてやられるつもりもない。


 もし拷問官が来た暁には返り討ちにしてやろう、そんな事を考えながら周囲の状況を探っていると、何やら機械族オートマタサイドが慌ただしくなっているらしいことに気が付いた。


 幸か不幸か、人質の拷問などに時間を割いている場合では無くなったのだろう。


 御琴の下にはその後数時間、誰一人として現れる事がなかった。


 そして数時間遅れで拷問官が現れた時、散々待たされた御琴のイライラは頂点に達していた…。







 「――さて、うたた寝の如き安寧あんねいの時間は終わりだ」


 ガチャリ、と牢獄の錠が外される音と共に、御琴の前に1人の男が現れた。


 神経質そうな男…それが御琴の第一印象だった。


 真ん中分けの金髪赤眼で、汚れ1つ無い真っ白な服を身に纏い、頬は瘦せこけ、肌は白い。


 目の下の大きなクマは彼のそんな性格を誇張するようにくっきりと浮かび上がっている。


 そのせいで睨んでいるように見える彼の瞳は冷たい。


 まるで目の前の御琴の事を下等生物だと疑わない、そんな目だ。


 それが彼女のイライラをより一層刺激した。


 「社長出勤ですか…余裕ですね」


 「黙れ。貴様に発言の権利など与えていない」


 男は不機嫌そうに唸ると、腰に提げていたレイピアを掲げ、高らかに宣言した。


 「この私――クロイド・ジャービスが下賤げせんな貴様に厳正なる罰を下す」


 どうやらこの男の名前はクロイドと言うらしい。


 …どうでもいいが。


 御琴が何か言おうと口を開くと、それを制すようにクロイドが人差し指を向けた。


 「名乗るな」


 そもそも名乗るつもりなど無い。


 …どうでもいいが。


 「貴様はけがれだ。邪悪め。私が処刑する」


 随分ないいようだ。


 …どうでもいいが。


 「だが最期さいごに慈悲をやろう。…仲間の情報を吐け。そうすれば出来るだけ痛みの無い殺し方をしてやろう」


 こいつは本当に情報を吐かせる気があるのだろうか?


 どのみち殺すと明言している時点で、命乞いも何もないだろう。


 馬鹿なんだろうか?


 …どうでもいいが。


 「これから一言だけ発言を許す。その時は…選ぶ言葉を間違えるなよ?」


 …本当にどうでもいい。


 もはや御琴は怒りを隠す様子すらなくクロイドを睨みつけると、


 「…やって御覧なさい」


 そう言って――両手両足の錠を外して立ち上がった。


 「何ッ!?貴様ッ…!」


 その姿を見てクロイドが露骨に怯えたような表情を覗かせる。


 どうやら異能力を封じただけで捕らえたつもりになっていたのだろうが、御琴にそれは通じない。


 彼女は暗器使い。手錠を外すだけの手品など造作もない。


 「下等生物の分際でぇッ…許さぬ!」


 我に返ったクロイドが慌ててレイピアを構える。


 しかし御琴がクイッと指を曲げると、どこからともなく現れた糸が彼のレイピアに絡みつき、あっけなく彼の手から引きはがした。


 「あッ…!」


 呆けた表情を浮かべるクロイド。


 その隙にしゃがみ込んだ御琴は、流れるような蹴りの一撃で彼の足を搦めとり、地面にたたきつけた。


 「あがッ!」


 「狩られるのは貴方あなたの方でしたね…さようなら」


 此処はもはや御琴を閉じ込めておく牢獄ではない。


 そこはさながら蜘蛛の巣、彼女の意図が幾重にも張られた狩場そのもの。


 主導権を握るのは拷問官クロイドではなく囚人(御琴)の方。


 それに気づけなかった彼の敗けだ。


 御琴は「飴」色の個人色カラーを発現させると一瞬で刀を生成し、地面でのたうち回るクロイドの首をねる。


 そして何事もなかったかのように個人色カラーを収めると、悠々と牢獄の扉をくぐって消えていった…。






 「――という事がありまして、その後は敵を掃討しながら黒の巨塔(ここ)で待機していました」


 「さすがは俺の部下」


 「素晴らしいです。俺も見習わなければ」


 必殺仕事人を彷彿ほうふつとさせる彼女の武勇伝に惜しみの無い賛辞を贈る暮人と蒼奥。


 ツッコミどころが満載だが、残念な事に此処にツッコミ役は居ない。


 「じゃああとの懸念は凛月と千里と空海と、アレックス・ヴィラ・グランガイルの行方だけだな」


 指折り数える暮人の、折った指の数は4本。


 何が「だけ」なのかは判然としない上、まだ7割残っているという話だったが彼に焦燥は見られない。


 これがうちのボスだ、そんな誇らしげな表情を浮かべながら蒼奥は、ハッキリとした口調で口を開いた。


 「では早速向かいましょう。日の上がらぬうちに」


 現在時刻は午前4時半。


 戦いの終焉は近い。








 「…何か居るな」


 黒の巨塔(ファランクス)2階、仲間たちとの合流を目指す暮人たちは異変を感じ、足を止めた。


 訝し気な暮人の声を受け、蒼奥そうおく御琴みことが入れ替わるようにして前に出る。


 「ここは俺たちが」


 「…任せた」


 暮人の許可を得た2人が臨戦態勢を整え、ゆっくりと歩を進める。


 彼らの視線の先には…。


 「あれは…人?」


 ――床に這いつくばる1人の人間の姿があった。


 髪は金色。腰ほどまで伸びたそれが床に華のように広がり、顔を覆い隠しているため姿は判然と無いが、恐らく女だ。


 衣装は中世ヨーロッパの騎士のような重装備で、その脇に転がっているのは身の丈程のランス。


 彼女の足元には、これまで足を引きずって歩いて来たような血痕が広がっており、その量から考えて死にかけなのは明らかだ。


 いや、もう既に息絶えている可能性もある。


 「機械族オートマタには見えませんが…」


 「しかし罠の可能性もある。近寄らないのが賢明だと思いますが」


 御琴と蒼奥の逡巡しゅんじゅん


 それを遮るように、暮人が口を開いた。


 「…いや、助けるぞ」


 「本気ですか?」


 「俺はいつでも本気だ。…御琴」


 「…了解しました」


 指示通りに御琴が歩み寄り、静かに首筋に手を置いた。


 そしてすぐに気づく。


 ――まだ息がある。


 彼女は両手でその身体を抱き上げると、ゆっくりと仰向けに寝かし直した。


 その正体は――アリシア・フォン・カウエルだった。


 「心拍数が低下していますね。応急措置を行います」


 御琴はそう言って彼女の身体に再度触れ、身に纏っていた胸部装備を引き剥がし、そのまま心臓マッサージを開始する。


 数分後…アリシアの重いまぶたがゆっくりと持ち上がった。


 「…ここは…?」


 まだ完全とは言えないが、どうやら意識を取り戻したようだ。


 御琴が心臓マッサージを止め、今度は止血に入る。


 それを見計らって暮人が静かに腰を下ろす。


 「よう、嬢ちゃん元気か?まだあんまし動かない方がいいぜ」


 「あ、貴方あなたがたは…?」


 「悪ぃがそれはこっちの台詞だな。見たとこ機械族オートマタじゃあねぇようだが、嬢ちゃん何者だ?」


 「私は…」


 アリシアが言葉に詰まったように目を伏せる。


 しかしその数秒後、何か思い至ったように目を大きく開いた。


 「もしかして…「才波さいば凛月りんげつ」と言う名に、聞き覚えはありませんか?」


 その単語を聞いた瞬間、全員の瞳が鋭くなる。


 「嬢ちゃん…どうしてその名を?」


 「やはり…。ならお願いします。彼を…凛月を助けてあげて下さい」


 「…奴は何処に?」


 「恐らく最上階…アレックス・ヴィラ・グランガイルの下へ向かっている筈です。しかし、今の満身創痍の彼では…」


 「成る程。中々無茶しやがる」


 暮人はやれやれと首を横に振ると、ゆっくりと立ち上がった。


 「御琴、蒼奥。嬢ちゃんの世話は任せたぜ。俺は上へ向かう」


 「「了解」」


 「それと嬢ちゃん、心配には及ばねぇぜ。奴は恐らく、キルスティの言ってた「悠久を冠する者」…てやつだろうからな」


 「…え?」


 「こっちの話だ。…じゃあ後でな」


 戸惑うアリシアを無視して暮人は駆け出した。


 彼の言葉の真意は結局分からないままだ。


 しかしその足音が次第に遠ざかり、聴こえなくなるまで彼女は黙って見送っていた。


 そして役目を終えると、静かに瞼を下ろした。









 一方その頃、凛月は黒の巨塔(ファランクス)を脇目も振らず駆けあがっていた。


 そうでもしないと足を止めてしまいそうだったからだ。


 事実、彼の身体はもうボロボロで、戦う力など残ってはいない。


 しかし足を止めないのは、自分には闘う使命が残されているからだ。


 「はぁ…はぁ…まだ着かねぇのかよ!」


 己を鼓舞するように、悪態をつきながら走り続ける。


 もう十数分は走っているような感覚だったが、未だ一向に頂上は見えない。


 それが彼の消耗をより一層激しくさせる。


 「あれか…?」


 彼の目に入って来たのは長い階段の終わり。


 その先に広がる部屋に期待を膨らませ、転がるようにそこへと飛び込んだ。


 しかし…そこには何もない。


 「チッ…!」


 彼は落胆を露わにすると再び走り始めた。


 だがすぐに足がもつれ、頭から床へと倒れ込んだ。


 そのまま立ち上がる…事は無く、額を地面にこすりつける。


 「はぁ…クソッ!」


 彼の身体はもう限界を迎えていた。


 足が動かない。


 そんな彼に追い打ちをかけるように、頭の中を支配するのは嫌な予想ばかりだ。


 ララとロロの相手を任せたあと、音沙汰すら無い千里は無事だろうか。


 こんな心配をするくらいなら、残って自分も戦うべきだったんじゃないだろうか。


 置いて来たアリシアは無事だろうか。


 促されるまま頂上へと向かったが、残って彼女の治療を行うべきだったんじゃないだろうか。


 他の仲間は無事だろうか。


 幾ら自分より強い奴らでも、万が一はあるというのに。


 俺は仲間を何度も犠牲にして、その度に期待を一身に背負って。


 ――こんなところで這いつくばっているだけなのか。


 「動けよ…何で動かないんだ…!」


 強く噛みしめた唇から血が流れだす。


 そうでもしないと意識が飛んでしまいそうだ。


 だがその痛みも徐々に消えていく。


 身体が動く事を拒絶している。


 もう十分頑張った、今は休めと、甘い弱音が脳に充満しておかしくなりそうだ。


 欲しい言葉はそんなまやかし(・・・・)じゃない。


 俺に必要なものはもっと。


 ――強く、大きな…。


 ――無遠慮で、それでいて優しい…。


 ――そんな熱い気持ちを、身体の内側から沸き立たせてくれるような…。






 「――才波凛月!起きろおおおおおおおおおおおお!!!!!!」





 ――勇気だ。


 突如、凛月の身体は激しい叱咤しったと共に吊り上げられる。


 驚きに見開いた彼の瞳に飛び込んできたのは…瞳に真っ赤な闘志を宿した、千宮寺千里の姿だった。







 「千里…お前、どうして…!?」


 突然の事過ぎて呂律ろれつの回らないまま、凛月が口を開く。


 自分は幻覚でも見ているのか。


 だが目の前の千里が、強い言葉でそれを否定した。


 「何ボサッとしてんのよ!さっさと立ち上がりなさい!」


 彼女はそう言って凛月の胸倉を強く押す。


 身体に力の入らない彼は抵抗する暇も無く、床に盛大に尻餅をついた。


 「いってぇ!何すんだお前!」


 わずかながらに抵抗の意思を見せるように弱々しく声を上げる凛月。


 そんな彼の肩を千里は押さえつけると…今度は躊躇ちゅうちょなく頬をひっぱたいた。


 しかも何度も。


 バシバシと腰の入った音が響く中、遂に頭に血が上った凛月が彼女の手首を掴んだ。


 「一体何のつもりだよ!」


 そう荒く吐き捨てて睨みつけると…。


 「…やっといつもの表情カオに戻った」


 あろうことか、千里はそんな場違いな事を言って、笑った。


 そんな無邪気に笑われてしまったら、怒るに怒れないじゃないか。


 彼の頭に上っていた血が急速に冷めていくのを感じる。


 頬は熱く火照ったままだったが、もはやもう怒る気にもなれない。


 代わりに彼は溜め息をつくと、申し訳程度に文句を言った。


 「はぁ…何なんだよ。いっつも突拍子がねぇんだよ、お前は」


 肩の力がフッと抜け、掴んでいた彼女の手首から彼の手が離れる。


 自由を取り戻した彼女の手は、今度は彼女の頭へと向かい、眼前に揺れる髪へと当てられる。


 「だってしょうがないじゃない。そんなしょぼくれた顔されたら、私が拳で分からせるしかないじゃないの」


 「バカ言うな。なんで一番先に拳が出んだよ」


 「でも元気出たでしょう?」


 答えなど分かっている、と言わんばかりの彼女の表情に、何故か一瞬ドキッとしてしまう。


 それを誤魔化すように彼はフイッと横を向いた。


 「チッ…そりゃあ…まぁ…」


 「じゃあ一件落着ね」


 千里は満足げに頷いて、また笑った。


 「…ていうか、何でお前が此処に居んだよ」


 「理由なんて1つじゃない。アンタを追っかけて来たの」


 「はぁ?俺を…?」


 「どうせアンタの事だから、弱音吐いて寝っ転がってるんだろうなって。そんなアンタに発破かけるために、わざわざこうして来てあげたってわけ」


 どうやら彼女は本気でそのためだけに来たらしい。


 ひょう々と話すその表情に嘘は見られない。


 だが、なればこそ、どうして此処まで来たのかが彼には分からなかった。


 一見しただけで分かる。


 彼女もまた満身創痍で、とても戦える状態ではない。


 今は無理して気丈きじょうに振舞っているものの、本来立っているのもやっとのはずだ。


 それなのに、どうしてこんなところまで。


 「それだけのために…此処まで来たって言うのか?」


 「それだけのため、って何よ。大事な事じゃない」


 心外だ、と言わんばかりに千里が頬を膨らませる。


 しかしそんな言葉では凛月は満足しない。


 「意味が分かんねぇよ!…強がるなよ!お前だってもうボロボロだろ?自分の事だけでも精一杯じゃねぇか!それなのに、なんで…」


 「理由?…そんなの簡単」


 千里は何でもないことのように首を横に振ると、真っすぐに彼を見つめ直す。

 そして…。


 「――好きだもの、アンタのこと。好きな男に尽くしたいってのは、女としては当然じゃない?」


 何の躊躇いも無く、ハッキリと、そう言い切った。


 「え…?」


 全く予期せぬ回答に、凛月が言葉に詰まる。


 こいつ、今なんて…?


 動揺して固まる凛月に、まるでイタズラの反応を見て楽しむように千里が笑う。


 ひとしきり笑ったあと、彼女は彼へと熱っぽい上目遣いを向ける。


 そして、固まる彼を更に困らせるように。


 「――証拠が欲しい?」


 そう言って…軽やかに、彼の唇を奪った。







 不思議な感覚だ。


 身が焦げるように熱く、それでいて身を包むように柔らかい。


 自分が今まで生きてきた中で、経験してきた中で、そのどれにも似つかない感情の奔流ほんりゅう


 甘いだろうか。あかく麻痺した身体ではそれすらも判然としない。


 だけどいつまでも触れていたい。


 右も左も分からない感情の中で、ただ自分の中に流れ込んで来る、自分とは別の感情だけがハッキリと伝わって来る。


 想いが、ハッキリと伝わって来る。


 想いに形は無いんだろうか。


 いや絶対に、そんなことはない。


 だってこんなにも身体で感じることが出来るというのに。


 想いに触れているのを感じる。


 これが嘘だなんて、まやかしだなんて、そんな事は絶対に認めない。


 数秒の後、そんな熱い想いがスッと離れていくのを感じる。


 名残惜しく瞳を開くとそこに映るのは、はにかんだ笑みを浮かべる千里の姿。


 彼女は恥ずかしさを誤魔化すように、髪の毛先をせわしなく触っていた。


 そんな様子もまたいじらしく思う。


 「…しちゃった」


 ぽしょっと呟いた彼女は、耐え兼ねたように顔を両手で覆った。


 それが凛月の心臓の鼓動を一層速くした。


 「千里…」


 自分は今どんな顔をしているだろうか。


 酷くほうけた顔をしているに違いない。


 鏡を見るまでもなく、普段なら絶対に他人に見せないような、そんな巣の自分を見せている。


 だがそんな事はどうでもいい。


 今の自分に正直にありたかった。


 「千里…俺…」


 もう一度彼女の名前を口にする。


 すると、彼女は慌てて両手を前に突き出した。


 「待って待って!…今はまだ返事してくれなくていい。自分勝手かもだけど…まだ今は返事を聞く勇気が無いの」


 「どんだけ俺を振り回す気だよ…こっちの身にもなれっての」


 「わー!ゴメンゴメンって!悪いとは思ってるわよ。いきなりこんな…そーいう事、するのも…」


 「お前なぁ…」


 彼女の一言一句に頬の紅潮が止まらない。


 本当に自分勝手で強引な女だ。


 それなのに…何故だか気分はそんなに悪くはない。


 「違うの!私が言いたいのはそういう事じゃなくって…話が逸れちゃったというか、いやそれてはいないんだけど一足飛びだったというか、いやホント違くて!」


 千里は興奮の収まらない表情のまま、考えを必死に纏めながら言葉をつむいでいく。


 「私、アンタに何度も助けられてるの。アンタはそんなつもり無いでしょうけど。その、ホント色々。だってアンタ猪突猛進じゃない?私も大概振り回す方だけど、アンタも結構グイグイ来るって言うか…ちょっと私今何言ってるの?」


 「俺が知るかよ…続きどうぞ」


 「なんかアンタ、変なところで芯の強さ出してくるのよね。無意識でしょうけど、善悪がハッキリしてるっていうか、自分が許せない事とか、大事にしたいものとか、そういうのがちゃんと分かってるの。だからガンガン突っ走って行っちゃうし、たまに置いてかれちゃって焦っちゃうときもあるけど…でも」


 「でも?」


 「そういうところ…結構いいと思う。アンタと居るとなんか、自分なんかじゃ絶対できないような事でも何とかなりそうな気がしてくるのよね。今だってそう。私なんかまだまだ全然ダメで、甘ったれで、本当は今ここに居る権利なんて無くて…でもそんな私でも頑張ろうって、戦おうって、アンタが居ればそう思えるの。…だから」


 千里が大きく息を吸って吐く。


 そして、真っすぐに凛月の瞳を見つめた。


 「アンタに諦めて欲しくない。アンタが弱音吐いてくじけそうになった時はそばで支えてあげたい。アンタが私にしてくれたみたいに。…アンタにはアンタらしく居て欲しい。アンタがアンタであることを諦めようとしないで」


 「俺が…俺らしく…」


 「って、なんかすごく押しつけがましい事言ってるかも。うー、普段は全然そんな事ないんだけどなぁ…なんか最近調子がおかしくって」


 「いや、普段からそんな感じだぞ、お前」


 「酷い言い草ねッ!?」


 びょんっと背筋を伸ばして全身で驚く千里を尻目に、凛月はゆっくりと立ち上がる。


 そして彼女を真っすぐに見つめ、ニッと笑った。


 「なんか弱音吐いてんの馬鹿らしくなってきたわ。…行ってくる」


 「…うん」


 「さっきの返事は、その…なんだ。帰ってからちゃんとするわ」


 「うん」


 「だからそこで見ててくれ。俺が絶対、この状況をひっくり返してやる」


 思えば、世界を変えるのはいつだって誰かの勇気だった。


 勇気は一握いちあくの熱と同じだ。


 誰かと触れ合って、受け取って初めて自分に宿るものだ。


 千里が繋いでくれたこの勇気を、俺は絶対無駄にはしない。


 「ありがとな、千里」


 もう諦めない。


 強い決意を身に宿した凛月の背中を見て、千里が笑う。


 「頑張れ」


 その言葉に返事はせず、凛月は駆け出した。


 それを静かに見送ったまま、千里はゆっくりと移動し、壁に身体を預ける。


 自分の役目は此処までだ、彼女からはそんな想いが感じられた。


 そして…ゆっくりと息を吐くと、そっとまぶたを下ろしたのだった。








 それから数分後…。


 凛月は再び、最上階へと足を踏み入れた。


 「…よう、また会ったな」


 彼の視線の先に映るのは、どこか憂いを浮かべた老体の機械族オートマタ


 その機械族オートマタ――アレックス・ヴィラ・グランガイルは静かに、だが不愉快さを露わにした感情を彼へと向ける。


 最上階から放り投げられたはずの彼が、一体なぜこんなところに立っているのか。


 その疑問は喉の奥に押し込んだ。


 代わりに口から次いで出た言葉は、明確なる「敵」へ向けた殺意。


 「…正義気取りが、また懲りずに現れたか」






 凛月とグランガイルの、最後の闘いが始まる――。

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