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アクアテラリウム  作者: 真島 悠久
4章 『Whether to be Sanity or Not?』
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4章30「悪魔は恋する夢を視た」

 生きる意味というのが、いまいち自分には理解し難かった。


 そもそも生きているとは何だ?


 けたひざから流れる鮮血と、灼熱の如き痛みは「生きている」証明に成り得るだろうか?


 そんな無意味な事を考えながら彼は人を殺した。


 自分の生きる意味すら分からないのだ。



 命の重さなど考えた事も無かったし、人を殺す事に何の躊躇ためらいも無かった。


 自分は軍人で、戦って武勲を上げるためだけにこの地へと派遣された存在。


 それだけ分かっていれば十分だ。


 大それた野心も無い、守りたい家族も居ない空っぽの自分は、お偉いさん方にとって随分と都合のいい存在だったに違いない。


 事実彼はヨーロッパでは「悪魔ディアブロ」と呼ばれ、アジアでは「鬼人」と呼ばれた。


 殺せば殺すほど彼の名声は留まる事を知らず、酒も女も望むものは全て与えられ、スラムでゴミを漁って生計を立てていた時とは打って変わって裕福な生活を送るに至った。


 誇っていいはずだ。


 最底辺の住人の華麗なる下克上だ。


 だが誰1人として彼を褒め称える者は居なかった。


 子供は皆、彼の姿を目にするだけで泣き出し、大人は皆、彼の姿を目にするだけでおびえてこうべを垂れた。


 彼らの安寧あんねいは自分の働きによって成り立っているのに。


 何故自分はこうも迫害されるのか。


 彼はそんな事を思いながら、しかしすぐに思考を放棄し戦場へとおもむいていった。


 そしてある日、彼は1つのミスで、取るに足らないミスとも呼べないミスで…右腕を失った。


 地雷を踏み抜いたのか誰かに狙撃でもされたのか、その真相は分からない。


 ただそれは死に直結する重大なミスで、その1つだけで彼の今までのキャリアの全てを打ち砕く致命的なミスだった。


 彼は死を覚悟した。


 いや、覚悟などという尊い感情を持ち合わせてはいない。


 ただ受け入れた。拒まなかった。それだけ。


 少しでも楽にこう、そう思った彼は静かに目をつむった。


 次に目を開けたらそこは地獄の果てか、はたまた何もない真っ暗な闇の中か。


 そんな事を考えながら意識を失った。


 そして…数時間後に再び目を開いた彼の目に飛び込んできたのは、真っ白な、これでもかというほど純白に塗られた教会の天井だった。








 「――あら、やっと目を覚ましましたか」


 見知らぬ女の声が聞こえた。


 それに釣られて彼は顔を動かさず、眼球だけを声のする方へスライドさせる。


 そこに居たのは、教会で言うところの「マザー」の服装をした、長い金髪とみどりの瞳が特徴の美しい女だった。


 年齢は25前後くらい。


 「…誰だ、貴様」


 彼のその問いに彼女はむっとした顔を浮かべ、頬を膨らませた。


 「命の恩人を貴様呼ばわりとは感心しませんね。そもそも名前を聞くのなら、まずは自分から名乗るべきです」


 面倒臭い女だ…彼はそう思ったが口には出さず、代わりに自分の名を口にした。


 「…ロイズ・フェデラー」


 「良い名前です。…わたくしの名はフローレンス・フォン・カウエル。この教会ではマザーと呼ばれています」


 「何故俺を助けた」


 その問いにフローレンスはふるふると首を横に振った。


 その拍子に美しい金色の髪も左右へと、踊るように揺れ動く。


 「人を助けるのに理由が必要ですか?」


 「敵に言う台詞ではないな。俺の正体を知らないのか」


 「もしかして翼でも生えるんですか?少なくとも私の目には、命の危機に瀕した1人の青年しか映っていませんが」


 「くだらん冗談はよせ」


 フローレンスの言葉を遮ってロイズは小さくうなった。


 「俺は軍人だ。貴様の同胞を数え切れないほど殺した。死なせておけばよかったものを、生かす相手を間違えたな」


 それを聞いた彼女は静かに首を横に振る。


 「いいえ逆です」


 「…?」


 「貴方あなたが私の同胞を殺したのならば、私は貴方を生かすべきだった」


 「…どういう意味だ」


 「貴方に死なれてもらっては、私は私の同胞につぐなえない、という事です。貴方が生きれば、貴方のその罪を、貴方自身の手によって償う事ができるのですから」


 素っ頓狂で的外れな言葉っをつむぐフローレンスを、ロイズは鼻で笑ってみせた。


 「馬鹿か貴様は?脳内お花畑で結構な事だが、少々夢を見過ぎたな。俺が罪を償う?殺した人間に対して?くだらない綺麗事は目障りだから止めておいた方がいい」


 「私は本気です。それに…貴方が右腕を失ったのもそう。その手は人を殺すために在ったのでは無かったという事です。残る貴方の左腕は人を生かすために使うべきだと、神はそうおっしゃっているのです」


 そう言ってフローレンスは首にげたロザリオを両手で包み、頭上へと掲げた。


 それがロイズには酷く滑稽こっけいで苛立たしいものに映る。


 「宗教家は人の話を聞かない、理想ばかりのあわれな偽善者ばかりと聞いたが噂通りだな。誰しもが貴様のような平和主義者ではない。知らんのか。俺が敵地で人間を殺せば殺すほど、得をする人間が居る。戦争とは常に誰かの利益のために起こる。言葉でどうにかなるような次元の話ではないんだ」


 「ですが貴方は利き腕を失い、もう人を殺せない。今貴方が私の話を聞き入れ、本気で懺悔ざんげし、変わりたいと願うなら、変われるところまで来ています。言葉ではどうにでもならないなんてことはない。貴方は変われる」


 「本当に話の分からない奴だな。死なねば分からないのか?…そうだ、今俺がこの場で貴様や、貴様の同胞を殺してみせようか?そうしたら如何いかに自分が的外れな事を言っているのか、少しは身に染みて分かるだろうさ」


 そう言ってロイズが殺気を放つ。


 それは戦場でも大の大人であっても尻尾を巻いて逃げるほど強烈なもので、ひ弱な宗教家の女性など一溜まりもないもののはずだったのだが…。


 「貴方こそ話が分からない男ですね。…いいでしょう、やって御覧ごらんなさい」


 安い挑発。


 その挑発に、ロイズは簡単に乗った。


 「…黒騎士ナヴァルクヴィア


 ――突如、ロイズの腕輪が「黒鳶くろとび」色の輝きを帯び、彼の身体を覆うように巨大な黒甲冑の騎士の姿が顕現する。


 どよめく教会内。


 だが…それを目の前にしてなお、フローレンスは一切退く事をしなかった。


 それどころか右手を上げ、「金」色の盾を生成して交戦の姿勢を取ったのだ。


 ロイズの黒騎士は迷う事無く長刀を振り下ろした。


 それをフローレンスの盾が真正面から受ける。




 そしてその日…ロイズは、あろうことか、ひ弱な女如きに、生まれて初めての大敗北をきっしたのだった。








 その日を皮切りにロイズは、教会の仕事を手伝わされる事になった。


 何故教会の代表者如きがこれほどまでに強力な個人色カラーを有しているのか定かではないが、ロイズは毎日のように彼女と衝突し、そして必ず叩きのめされ地をいつくばった。


 この女だけは必ず殺してやる、そう思い数々の奇襲を仕掛けるもことごとく全敗。


 その度に説教を受け、教会の仕事、主に力仕事の雑用を押し付けられた。


 さっさと逃げれば良かったのだがプライドがそれを許さない。


 女に敗北しおめおめと逃走したなどと知られては生きていけない。


 そんな事を考えながらずっと教会で過ごすうち、馬鹿なロイズでも今の教会の現状というものが分かってきた。


 どうやらフローレンスは宗教家としての仕事の他に、戦場で負傷した兵の手当てというのも行っているらしい。


 ロイズもそうだったが敵味方関係なくだ。


 無償で教会へと連れ帰り、無償で治療し、そして無償で元の国へと返す。


 ただロイズにしたようなお説教は健在だ。


 彼女曰く、戦争などしない平和な世の中を願っているらしい。


 これはそのための小さな一歩で、助けた兵士が人を殺す道ではなく、人を生かす道を少しでも考えてくれたらいいのだと、彼女はそう言って小さく笑った。


 それを聞くたびロイズは鼻で笑った。


 綺麗事はそのくらいにしておいて、そろそろ現実を見た方がいいと。


 そう言うたび、彼女は彼に説教を垂れた。


 察しの悪いロイズでも分かる。


 彼女は本気なのだ。本気で世の中を変えるつもりでいるのだ。


 有言実行。持論を語り、自ら行動で示す彼女を彼はいつもヒヤヒヤして眺めていた。


 特に戦地におもむくなど、幾ら強力な「金」の個人色カラーを持っていようと正気の沙汰さたではない。


 「悪魔ディアブロ」と、「鬼人」と呼ばれた自分ですら、ほんの1つのミスで生死の境を彷徨さまように至ったのだ。


 戦場というのは、万全を期してもなお死が付いて回る。


 彼は、彼女に止めるよう何度も言い、その度全て取り合われなかった。


 だからと言ってみすみす戦地へ送るわけにもいかず、ロイズが同行する日もあった。


 そして半端な力ながら飛び交う銃弾や人から彼女を守り、彼女の目的を完遂する手伝いをした。


 晴ればかりの日ではない。


 雨の日も彼女は傘も差さずにフラフラと、気ままに戦地へと出かけていく。


 そんなときには黒騎士ナヴァルクヴィアを傘代わりに、彼女の手助けを行った。


 そしてその度に彼女は笑ってこういうのだ。


 ――ありがとう。貴方あなたはやっぱり優しいのね。


 いつの日かロイズは自分が、この一言を聞きたいがために動いている事に気が付いた。


 自分の瞳が、彼女を追ってばかりいる事に気が付いた。


 「悪魔ディアブロ」と呼ばれた青年は、初めて人に恋をしたのだ。








 だが、そんな日常も長くは続かなかった。


 「…それで、こんなところに呼びだしてどうしたんですか?」


 それはある夏の日の事だった。


 肌に突き刺さる太陽の光と、まとわりつく熱気を鮮明に覚えている。


 聖職を示す修道女の服の袖をまくり上げ、パタパタと手を仰いでいるフローレンスは普通の女性と何も変わらなかった。


 だがきっとその華奢きゃしゃな背中に幾つもの責任を背負っているのだろう。


 彼女は自分とは違う。


 そんな事を考えたのを鮮明に覚えている。


 「此処ここ、暑くないですか?用事があるなら早く済まして欲しいのですが」


 流暢りゅうちょうに文句を言い続ける彼女の顔を、ロイズはしばらく黙って見つめていた。


 「…ロイズ?」


 痺れを切らしたフローレンスが足早に近づいて来る。


 そこでやっと、ロイズは口を開いた。


 「俺は此処ここを出ていく」


 突然の別れを告げる言葉に、フローレンスが数秒固まった。


 だがその硬直こうちょくもすぐに解け、何かを悟ったような表情で目を伏せる。


 「そう…ですか。いつかは訪れることだと分かってはいましたが…」


 「俺だけの話ではない。…貴様も早く此処から逃げろ」


 「…それは聞けない話です」


 「いいか、此処はもうじき激しい戦いに巻き込まれる。今まではのらりくらりと避ける事が出来ていただろうが、次はそうも言っていられない」


 ここ1月で随分と大きな環境の変化があった。


 負傷兵の数は比にならない程増加の一途を辿たどり、教会の聖職者が眠る暇も無い日が増えた。


 周辺では度々戦いが勃発し、その流れ弾が飛んで来る日もある。


 彼女と志を同じくした者たちも少なからず命を落とした。


 こんなところで治療など自殺行為、それは誰の目で見ても明らかだった。


 「馬鹿でも分かる、ここは引くべきだ。負傷兵の治療を止めろとは言わん。そんなものは別の、もっと安全な場所で好きなだけやればいい。とにかく此処は駄目だ」


 だがロイズの忠告もむなしく、フローレンスは頑として首を縦には振らなかった。


 「心配してくれてありがとう。ですが幾らロイズの頼みとあっても、それだけは聞けません」


 「何故なぜ?貴様の目的は兵の治療ではないのか?1人でも多くの命を救うのではなかったのか?」


 「その通りです。それでいけば此処は引くのが賢明でしょう」


 「なら…」


 更に言葉を重ねようとしたロイズを、フローレンスは手で制した。


 そしてきゅっと目をつむり静かにこう言った。


 「ですがわたくしにも引けぬ理由があるのです。どうかそれを理解してください」


 「その理由とは何だ?それは貴様が命を懸けるに値する理由なのか?」


 ロイズがまくし立てる。


 だんまりは許さない、その気配を敏感に感じ取ったフローレンスは小さく息を吐いた。


 「…約束しました。此処は私たちの生まれ育った地であり、思い出の場所。何があってもこの街だけは守り抜こうと、そう誓ったのです」


 「約束…誓い…?誰に?」


 そう問うとフローレンスは…何故かほんの少しだけ、頬を朱に染めた。


 それを今でも鮮明に覚えている。


 「…我が盟友に、です。はその誓いを成すために兵を志願し、そして今も何処かで戦っている。それなのに私だけ逃げるわけには参りません」


 ――心臓が止まった。


 上手く呼吸が出来ない。


 見開いた目は見開いたままで硬直し、まばたきすら許してくれなかった。


 聞いた事も無い話。見た事も無い表情。


 彼女の顔に浮かぶのが他ならぬ「恋慕れんぼ」の情だという事に、人の気持ちにうといロイズですらこんなにも簡単に気づいてしまった。


 そんな彼の困惑に気づく様子の無いフローレンスは言葉をつむぎ続ける。


 「まったく…一体何処で何をやっているのやら。手紙の1つでも寄越してくれたら良いのですが…」


 「…もういい」


 「彼は昔からそうでした。朝方ふらりと何処かへ行っては夕飯前にふらりと帰って来る。まるで野良猫です。少しは此方こちらの気持ちをんでくれれば…」


 「もういい」


 ピタリとフローレンスの動きが止まる。


 そして自分が喋り過ぎた事に気づいたのか、誤魔化すように1つ咳払いをした。


 「失礼、話がれました。…そういうわけで、わたくしにも引けない理由があるのです。なので貴方あなたと共には参れません」


 「…」


 「話はこれで終わりですか?なら戻りましょう、此処は暑すぎる。少しすずんだ後で、貴方の今後の事について考えましょう。お別れになってしまうのなら、豪華ごうかな食事も必要ね。貴方には随分と助けられました。少しでもその恩返しをさせてください」


 ――あぁ、気づいてしまった。


 彼女は自分の事を、他の負傷兵のうちの1人くらいにしか考えていないのだろう。


 その現実を、突きつけられてしまった。


 だがロイズの胸の内に痛みは無かった。


 それどころか無性に笑いたい気分だ。


 「…ははは。ふははははははは!!!」


 乾いた笑いが漏れる。


 突然の行動に驚いたフローレンスが振り返るが、そんな事はもう気にしない。


 ロイズはただひたすらに笑い続けた。


 「はははははははは!!!!」


 「ロイズ…?」


 フローレンスが心配そうな視線を向けてくる。


 しかしそれもどうでもよかった。


 どうせその瞳には、心配以上の感情は無い。


 ひとしきり笑ったところでロイズは、真っすぐにフローレンスの方を見た。


 視線が完全に合致する。


 「…フローレンス。貴様は本当に愚かだ」


 「どういう事ですか?」


 「先程から黙って聞いていれば、愛だの恋だの随分と、自分勝手な理由ばかり先行しているじゃないか」


 ――それは誰の事だ?


 それを聞いたフローレンスの顔がサッとあかくなる。


 「急に何を…」


 「人助けとていのいい事を言っても、所詮しょせんただの恋する乙女というわけか。世界平和を望んでいるなどとほざいていたが、あれは真っ赤な嘘だな?…教えてやろう。貴様の原動力は、民を救いたいと願う美しい心などではない。れた男に付いて行く力の無かった弱い自分を肯定するための、みにくい執着心に他ならないのさ」


 「それは…私を侮辱ぶじょくしているのですか?」


 フローレンスの視線が鋭いものへと変わる。


 恋する乙女の姿は今や欠片かけらほども無く、戦士の姿だ。


 それに笑いが止まらない。


 「図星か?だが自分をおとしめる必要は無いぞ。それは誰もが持つ自然な感情。ただ貴様は気づくだけでいい。他者を救いたいのは自分が救われたい事の裏返しだ。自分がおのれの欲望のために、己の利益のために他者に救いの手を差し伸べる、善人とは程遠い存在だということにな」


 ――だからそれは、一体誰の事だ?


 ロイズの挑発を受け、フローレンスの表情はより冷たくなっていく。


 「今すぐその言葉を撤回し、謝罪しなさい」


 「断る」


 「ロイズ…」


 「さらばだ。もう二度と会う事は無いだろう。…だがもし再び会ったらその時は、貴様がもっと己の心に忠実な人間となっている事を願う」


 これ以上語る事は何も無い、そう暗に告げたロイズがくるりときびすを返し、ゆっくりと遠ざかっていく。


 二度と見る事の無いその後ろ姿を、フローレンスはただ黙って見つめているしかなかった。








 その別れから一週間後。


 戦場には再び「悪魔ディアブロ」――ロイズ・フェデラーの名前が轟くようになっていた。


 ある日を境に数か月間その姿をくらまし、またある日を境に華麗に戦地へ舞い戻った伝説の存在。


 右腕を失い隻腕せきわんとなりながらも黒騎士ナヴァルクヴィアを駆使し戦場を駆ける彼はすぐに自国の兵士の目に留まり、命を受け国に帰還する事になる。


 悪魔ディアブロの再来――ちまたではそう騒がれ人々から恐れられたが、彼にはそんな事はもうどうでもよかった。


 ただ冷めた目で人々を見下ろし、血のこびりついた軍服を着て歩く。


 その2つ名に恥じぬ武勲は王の機嫌を随分と良くしたらしい。


 自国の勝利を祝った祭典では功労者としてロイズの名が挙がり、特別に王との謁見えっけんが許された。


 「ロイズ・フェデラー!貴君のこれまでの功績をたたえ、国王陛下から御言葉を受けたまわる!」


 大層(きらび)びやかな衣装をまとった司会の者が、荘厳な声音でそんな事を言った。


 それにロイズは静かにこうべを垂れ、国王陛下とやらになけなしの畏怖いふの念を示す。


 国王は太った、ともすれば豚のような風貌をした冴えない男だった。


 こんな男がこの国を牛耳ぎゅうじっているだなんて反吐へどが出る。


 だがそれはおくびにも出さず、ロイズはただ黙って国王のありがたい言葉を聞いた。


 やれ武勲がどうだ、やれ戦利品がどうだ…と、国王は大層な弁舌を振舞い続ける。


 自分には逆さになっても出来ないような武勇伝を、さも自分の事のように偉そうに。


 聴衆もそうだ。そのどれもが冴えない官僚や女子供。


 こんな肩書だけの無能がどうして、偉そうに命じて人の命を散らすのか。


 ロイズにはそれが理解できなかった。


 やがてその弁舌も終わりを迎え、国王が顔を上げるように命じて来る。


 その言葉に従い慇懃いんぎんに顔を上げると、国王は玉座に踏ん反り返ったままこう言った。


 「其方そなたに褒美をつかわす。金でも女でも、何でも望むがいい」


 それは王族がいつも口にする常套句じょうとうくだった。


 ロイズの答えは1つだった。


 「ならば成したい事が1つ御座ございます」


 「何だ?」国王が聞き返す。


 その答えを聞くより早く――何処からともなく現れた黒騎士が、国王の上半身をえぐり取った。


 「…無能の大掃除だ」


 一瞬の静寂せいじゃく。何が起きたのか分からない愚衆ぐしゅうが皆一様にぽかんと口を開けている。


 やがて…何が起こったのか理解し、会場内が阿鼻叫喚あびきょうかんに包まれた。


 逃げ惑う人々。闘う術を持たない彼らを片っ端から黒騎士が斬り払う。


 警備に回っていた兵士が帰って来るが、ロイズに歯が立つほど腕の立つ者は1人たりとも居ない。


 腕の立つ者なんていうのは全て、戦争で命を落としたのだ。


 ぬるま湯にかる護衛兵如き、彼に勝ち目があるはずもない。


 絢爛けんらんなパレードは血の海へ変わる。


 その真ん中でロイズはわらっていた。


 そして…全ての参加者を殺した後、彼はひっそりと姿を消したのだった。







 その惨劇さんげきから数年の月日が経った。


 国を出たロイズは数々の大陸を転々とし、殺し屋稼業で生計を立て、ひっそりと暮らしていた。


 途中アレックス・ヴィラ・グランガイルと名乗る男にその腕を買われ、機械化オートマタ計画への参加を経て機械の体を手に入れる事となる。


 戦争は更に激しさを増したが、彼は無視を決め込む事にした。


 平和を願ったところで何だと言うのだ。


 世界は争い無しには回らないし、故に平和など訪れるわけは無い。


 彼女の救った人間も何処かで再び戦わされ、そして命を落としただろう。


 一体彼女の成した事に何の意味があったのだろうか。


 そんな事を考える日もあった。


 その答えを、誰も教えてはくれなかった。


 ただ少なくとも…彼の脳裏には、彼女の笑顔はこびりついたままだった。


 ある日彼は偶然にも、彼女と出会った教会の近くへおもむく事になった。


 数年経った今も彼女はあの地を守り続けているのだろうか。


 約束を果たし続けているのだろうか。


 そんな事を考えながらそこへ足を運ぶと…。


 ――教会の面影をとうに失った更地へと姿を変えていた。


 言葉を失った。


 幾ら戦争が激しさを増そうと、心のどこかで彼女は無事だなどという、楽観ばかりの理想をいだいていた事に気づかされた。


 だがすぐに我に返った。


 そして今は無き教会へと、ゴミを見るような冷たい目を向け直す。


 幾ら崇高すうこうな誓いを立ててはみても、所詮しょせんその程度なのだ。


 永遠など程遠い。たった数年すら守れない誓いなど、最初から無いのと同じだ。


 無いものにとらわれて命を落とすなんて、酷く馬鹿馬鹿しい事じゃないのか。


 彼女はこう言う筈だ、意味の無い事なんて無い。


 だが現実はどうだ。


 綺麗事が命を守ってくれるのか?


 いや、何も守れない。


 何かを守るために必要なのはくだらない理想などではなく、もっと確かな力だった筈だ。


 その力を彼女は持たなかった。


 …その力を自分が持たなかった。それだけ。


 彼女の必死のあらがいの末に、一体()の地に何が残ったというのだろう。


 何も無い。形のあるものは何も。


 だが此の地を愛した彼女の想いだけは、今なお此処に残っているのだろうか。


 その香りを感じる事が出来るのだろうか。


 ――いや、きっと。


 感じ取れるのは硝煙しょうえんと血と、腐った肉の臭いだけに違いない。


 「…愚かだ」


 そう吐き捨ててロイズは、あの日と同じように背を向けた。


 そして――二度と振り返る事はしなかった。

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