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アクアテラリウム  作者: 真島 悠久
1章 『Welcome to the Extraordinary』
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1章4「入隊試験」

 「凛…おめでとう!これで晴れて、アンタも千宮寺(せんぐうじ)隊の一員よ!」


 「なんだよ、急にデカい声出すな」


 凛月(りんげつ)たちがいるのは、軍が保有する寮のとある一室。


 ここは今日から彼の新しい家。


 主に下階が男子寮、上階が女子寮であり、当然ながら上階が男子立ち入り厳禁のため、彼の部屋に集まったというわけだ。


 「ていうか千宮寺隊って…リーダーお前かよ。先が思いやられるわ」


 「だけど凛。残念ながら私たちは、まだアンタを仲間と認めたわけではないわ…」


 「話聞けよ…は?」


 ――何を言ってるんだこいつは。


 千里(ちさと)はこうしてはいられないとばかりに、ダンッと机を叩いて立ち上がる。


 「というわけで、試験よ!明日、入隊試験を実施します!」


 彼女は何だか楽しそうだ。


 「いやでも明日って、休みじゃ…」


 「アンタは黙ってなさい」


 「ひぇっ」


 千里の一睨みに、慌てて涼燕(りょうえん)が押し黙る。


 ――何だか途轍とてつもなく嫌な予感がする。


 「そういえば明日、俺ちょっと予定が…」


 「何言ってんの。あるわけないでしょ」


 バレた。


 「そ、それは分かんねぇ…だろ!」


 精一杯の虚勢を張る凛月を、完全に無視して彼女は。


 「明日の19時、場所は寮の正面玄関!2人とも、絶対に手ぶらで来なさい!」


 春嵐のように(まく)し立て、颯爽(さっそう)と部屋から出ていった。


 残される男2人。


 「なんでボクまで…とんだ災難だ」


 「まったくだ。俺たち一体、何やらされんだろ…」


 「…まあ、おおかた見当はつくけどね」


 半ば(あきら)め気味の涼燕は、小さく溜め息をついて立ち上がる。


 「じゃあボクも帰りますか…あ。ボクの部屋、この隣だから、困ったらいつでもおいでよ!」


 「あーわかった行く行く行く」


 「ちょっと、テキトーに聞き流してるでしょ。まあいいけど」


 去り際、彼は思い出したように振り返ると。


 「おっと明日、逃げちゃダメだよ?ボクら、一蓮(いちれん)托生(たくしょう)だよね?」


 ――マジで何やらされんだろ。






 翌日(よくじつ)


 「どしたの凛ちゃん。クマがすごいね」


 「ぜんッぜん眠れなかった…」


 彼は人知れず、不眠症に悩まされていた。


 いや、入眠時はぐっすりだったが、朝7時くらいに意識が覚醒してしまったのだ。


 その後、何度か二度寝を試みたが、結局できないまま今に至る。


 それもそのはず、今まで規則正しい生活をしてきた彼に突然、昼夜逆転を強いたとて、すぐに順応するのは難しいだろう。


 昨日の戦闘で消耗(しょうもう)していたことも相まって、この寝不足は身体に毒だ。


 「お待たせ。2人とも、5分前行動ってやつね。感心感心」


 19時、約束の時間ピッタリに現れた千里。


 隣には、知らない女子。


 ――誰?


 瞳は茶色、髪は光の当たり具合によって栗色にも黄色にも見える。


 彼女は、凛月の心の声が聴こえたのだろうか、大きな瞳でジッと彼を見つめると。


 「誰とはご愛嬌(あいきょう)ですね!まさか、私を知らないとは!」


 「まだ何も言ってねぇ」


 「じゃあ自己紹介です!」


 勢いよくそう言うと彼女は、薄い桃色の羽織(はおり)をはためかせる。


 よく見ると、2人とも私服で、軽装だ。


 季節は春。


 地下都市は、地上を(おお)う温室効果ガスや地面の放射熱により、春といえど気温が高い。


 THE・女子と言わんばかりのかわいらしい服の彼女に対し、千里は…少し地味な印象。


 ちなみに、凛月は涼燕の服を借りており、人のことは言えない。


 「白崎しろさきかえででっす!ピッチピチピチの17歳!これからよろです!」


 彼女――楓はそう言って、パチコリとウィンク。


 「お、おう…よろしく」


 彼はよそよそしく挨拶をして、目をそらす。


 人生の教訓その1、初対面でウインクかます女にマトモなやつはいない。


 ちなみに、その2以降はない。


 感触が思っていたのと違ったのか、彼女は(いぶか)しげに首を(かし)げ、千里に耳打ちをする。


 「あれ…ピチさを前面に押し出して親近感を得たかったんですが…まさか失敗?」


 「やーね、ユーモアのない男」


 「おい、聞こえてるぞ。ピチさってなんだよ、海棲人(マーピープル)なめんな。で…千里、誰これ?」


 「これとは失礼な!」


 「彼女はうちのメンバーよ。役割は主に後衛。とりあえず今日は、暇そうだったから連れてきたわ」


 「ひどいっ!別にいつも暇なわけじゃないですよ!」


 楓は憤慨ふんがいしたように地団駄を踏むが、すぐに怒りを収めて、くるりと振り返った。


 そしてニコリ。


 「というわけで、才波凛月さん。これから一緒に頑張りましょーね!」


 「おう。…ん?俺の名前もう知ってんのかよ?」


 「えぇ、それはもちろん。昨日、りょうが」


 「ちょっと涼!私がわざと黙ってたのに、アンタは早々にベラベラ喋ったわけぇ!?」


 千里の牙が涼燕に向く。


 彼は草食動物のように身震いすると。


 「ちっ、違うよ!これには深いわけが…」


 「問答無用!」


 「ギャーッ」


 ドロップキックをかます千里。


 「つか今日、入隊試験って聞いたんだが」


 「そうなんですか?実は私も、何も聞いてなくて」


 「じゃあもう帰ろうぜ」


 「いいえ、入隊試験は実施するわ。…おいで楓!」


 「はーい?」


 戻ってきた千里が楓をチョイチョイと手招きし、耳打ち。


 「ごにょごにょ…」


 「…なるほど」


 楓の目が怪しく光る。


 ――何だか本当に悪い予感しかしない。


 どうか無事に済みますように…と凛月は天を仰いだ。






 それから2時間後。


 「さて、次はあっちですよ!千里先輩、早く早く!」


 「…おい」


 「もうっ、そんなに急ぐことないじゃない」


 「…おいって」


 「いえいえ先輩、時は金なりですよ、私たちを待ってはくれません。ささっ、早くこちらへ」


 千里の手を掴んだ楓が急かすその様は、傍目(はため)には買い物を急かす子供と親のよう。


 そんな和やかな光景を。


 「ちょっと待てコラァァァァァァァァァ!!」


 …ぶち壊すように、凛月の声がとどろいた。


 そんな彼に、楓は白けた視線を向ける。


 「何ですか先輩?子供じゃないんですから、急に大声出すのやめてもらっていいですか?」


 「うるせぇ、なんだこの状況!?俺らは何やらされてんだ!?試験は!?」


 (いきどお)る彼の両腕には、数え切れないほどの荷物の山。


 ここは、地下都市随一のショッピングモールの一角。


 そこで彼は入隊試験と称して、荷物持ちとしてしっかり働かされていた。


 隣には、とばっちりの涼燕。


 「見ての通り、試験中だけど」


 「嘘つけ!ただの雑用じゃねぇか!」


 「ていうかボク、関係ないし!」


 千里は、彼らを一瞥(いちべつ)すると。


 「アンタの生活用品も買ってあげてるんだから、我慢しなさいな」


 「騙されねぇぞ!これ、ほとんどお前らのものじゃねーか!しかもさっき買ったのは…何だこれ、おもちゃ?こんなもん何に…」


 「いちいち(うるさ)いわね…文句が多い男は嫌われるわよ?」


 「そんなことより先輩、次行きましょうよ次!」


 どうやら楓は、凛月と涼燕を徹底的に使い潰すつもりらしい。


 「俺はこんなところで油売ってる場合じゃねぇんだ!一刻も早く…」


 「凛」


 千里が凛月の言葉を、静かに(さえぎ)る。


 そして、彼を(さと)すように。


 「(はや)る気持ちは分かるつもりよ。でもね、焦ってもどうしようもないことってあるでしょう?」


 「それは…」


 「千里(せんり)の道も一歩から。目的を見据えてさえいれば、無駄なものなんて何一つないと思うわよ。…道草も楽しんだらいいんじゃないかしら」


 「…そうだな」


 「それともう1つ」


 千里はピンと人差し指を伸ばし…笑う。


 「その程度でをあげるようじゃ、まだまだね」


 彼女はそう言い残し、足早に歩き去る。


 残された凛月は…。


 「あの女…絶対目にもの言わしてやる」


 瞳には闘争心。


 それを、隣で見ていた涼燕は。


 「わぁ、チョロ…」


 その呟きが、彼に届くことはなかった。






 その1時間後。


 「や…やっと終わった…」


 しっかりと使い潰された男2人は、大量の荷物を抱えながら、ベンチへと倒れこんだ。


 遠目に映るのは、なおも元気よく歩き回る千里と楓。


 それを見せられては、さすがの凛月も負けを認めざるを得ない。


 「あいつらの方が、よっぽど化け物じゃねぇか」


 「…怒られるよ」


 今にも消え入りそうな声の涼燕(りょうえん)


 「お前も苦労人だったんだなぁ…このチーム入ってからどれくらいだ?」


 「んー…1年くらい?このチーム、できたの結構最近だよ。とは言え、その前は別々の部隊だっただけで、面識はあったんだけどね」


 「あ、そうなのか」


 「そうそう。ハンニバル総帥(そうすい)もどうやら、本腰入れて地上進出に取り組むみたいだね。んで、ボクらはその主軸」


 「確かにそんなことも言ってたな…は?今なんて言った?主軸?」


 「あれ、聞いてない?」


 涼燕は驚いた顔を浮かべる。


 「知ってて参加してるのかと思ってた」


 「いや、己の価値を示せ的なこと言われただけで、そこまでは…」


 困惑する彼に、涼燕は。


 「まあ、総帥が重宝するのも分かる気がするけどね。千宮寺隊の個人色(カラー)を見てごらんよ」


 彼は自分、千里、楓と順に指を差し。


 「【灰】…【銀】…【向日葵ひまわり】。それに…」


 指先が凛月の眼前で止まる。


 「【群青】。ほらね?」


 十二色相環から外れた個人色(カラー)を持つ人間が生まれる確率は、一般に0.1から0.2%程度と言われている。


 それが同隊に4人。


 「確かに、偶然…なわけねぇよな」


 「まあでも、あまり気張らずに行こう。…すきじゃないんだ、そういうの」


 そう呟く彼の横顔は、どこか悲しそうにも見えた。


 





 それからしばらくすると、千里と楓も戻ってきた。


 千里の手には緑色のアイスクリーム。


「お待たせ。それと、お疲れ様」


 そう言って彼女は、2人へそれを差し出した。


 「何だこれ?」


 「これはアイスクリームっていうお菓子。冷たくておいしいわよ」


 言われるがまま口に含むと、滑らかな舌触り。


 それと同時に、渋くて濃厚な香りが口いっぱいに広がる。


 「…うん、美味(うま)い!よくわからんけど、何というか…美味い!」


 「それはよかったわ」


 千里が微笑む。


 「これ何の味なんだ?」


 「抹茶(まっちゃ)だね」


 答えたのは涼燕。


 「抹茶?」


 「お茶の一種だよ。お茶の葉っぱを乾燥させて、すり潰したりして作るんだってさ」


 「へぇ、オチャ…ね」


 ――要するに、何かの加工品ってことか。


 アトランティカでは、捕まえた生き物をそのまま食すことが多いため、地上の食べ物は彼にとって、何もかもが新鮮だった。


 「昔は、色々な味があったみたいですけどねー。最近は、バニラ、抹茶、いちご…くらい?」


 「そうね…昔はチョコ味?みたいなのもあったらしいんだけど、原料がここでは栽培できないから…」


 地下都市は植物の栽培や、家畜の飼育を行っている。


 そのため、自給自足の生活が行えているが、カカオやコーヒー豆など、海外産の原料は栽培できない。


 「そういえば」


 コーンをバリバリと噛み砕きながら、凛月がふと思いついたように口を開く。


 「なに?」


 「お前らって普段、何食って暮らしてんだ?昨日、涼に食堂連れてかれたんだが、意味わかんねぇモンが出てきたんだよ」


 「意味が分からないもの…とは?涼、アンタ一体、何食べさせたの?」


 「普通にカレーだけど」


 「え、カレー?驚くような要素あったかしら…?」


 (あご)に手を当て、考え込む彼女に、凛月は。


 「まず、色とかヤバいだろ!俺最初、アレかと思ったわ!うんk…」


 「「「…!!!」」」


 「ぐほっ!?」


 突如、血相を変えた3人が彼の口を封じにかかる。


 それは禁句だ、最低の言葉だ。


 危うく窒息(ちっそく)しそうになった彼は――この話題を生涯(しょうがい)封印することを心に(ちか)った。






 入隊試験も終盤。


 ただ遊んでいるだけ…と無粋(ぶすい)な事を考えた諸兄しょけいは、今一度考えを改める事をお勧めする。


 彼らが有終ゆうしゅうの美を飾るべく、最後に訪れたのは。


 「やっぱここかぁ…」


 涼燕の観念したような溜め息。


 そこは――古めかしい孤児院だった。


 庭には、十数人だろうか、小学生くらいの男女がサッカーで遊んでいる。


 「やっぱ…とは?どういうことだよ、涼」


 「いやぁ、話せば長くなるんだけどねぇ」


 ゆるゆると首を横に振る彼に。


 「――おうおう、その顔は涼燕じゃねぇか!ついにクビになって戻ってきたかぁ!?」


 「げぇ」


 そう声をかけてきたのは…1人の大男。


 (なび)くエプロン。


 それに似合わぬ金髪にサングラス、ピアス、そして…肩に抱えるのは4、5歳の幼子。


 間違いない、この男は。


 「おま…誘拐犯!」


 気づいた時には、凛月の身体は勝手に動いていた。


 今にも拉致(らち)されんばかりの子どもを助けようと、大男に掴みかかる。


 しかし…屈強(くっきょう)な片腕で、いとも容易(たやす)く止められる。


 「なんだこいつ…新入りか?」


 「何ボサッと見てんだお前ら!早くこいつを止めるぞ!」


 「…いや、止まるのはアンタね」


 千里の呆れ声。


 彼女は凛月の首根っこを掴まえて、強引に引き戻す。


 「うちの新入りがすみません…院長」


 「院長!?このナリで!?」


 「ガハハハハッ!これはまた、威勢がいいのが入ったなぁ!」


 院長と呼ばれた大男が笑う。


 しかし何度見ても、その見た目はヤ〇ザ。


 「もう…話の腰を折らないで。別にアンタを紹介しに来たわけじゃないのよ」


 千里はそう言って、騒ぐ凛月を雑に投げ捨てる。


 「じゃあ何の用だ?…まあ、聞かなくても分かるけどな。()()だろ?」


 大男が呆れ気味に示す先には、凛月と涼燕が必死に運んできた荷物の山。


 「ったく、手土産なんて()らんって何度言ったら分かるんだ。ウチは施しを受けるほど貧困でも不幸でもねぇ」


 「いえ、受け取ってください。これは私のエゴなので」


 「はぁ、オマエ頑固だもんなぁ…じゃあ、ありがたくいただこうかね。いつも助かってるよ」


 「いえいえ」


 「とりあえず上がってけや。チビどもも喜ぶ」


 そう言って(きびす)を返す大男。


 それに全員が続く。


 …凛月以外の全員が。


 「ん、どうしたの凛?」


 不思議そうに顔を覗き込む千里。


 対する彼の顔は渋い。


 「や…俺、子どもニガテだ」


 「は?さっき、果敢(かかん)に助けようとしてたじゃない」


 「あ…あれは咄嗟(とっさ)に身体が動いただけっていうか…とにかく!」


 彼は後ずさると。


 「もう荷物持ちは終わりだろ?俺は帰るから、あとは頼んだ!」


 そう言って走り出す。


 「え、なに…ちょっと?」


 千里の静止も、彼の耳には届かない。


 彼女は大きなため息をつくと。


 「先行ってて。あのバカ捕まえてくる!」


 そう言い残し、彼を追って駆け出した。






 「やっぱり此処(ここ)にいた」


 数分後、彼女が訪れたのは、先ほど休憩していたベンチ。


 そこに座り込んでいた凛月が、驚いた顔でこちらを見つめている。


 「げ、お前なんで…!」


 「アンタ、土地カンないんだから行けるとこ限られてるでしょ」


 彼女は、やれやれと首を横に振ると、ベンチの空いた場所に腰をかける。


 そして静かに。


 「…なにも、逃げることはないでしょう」


 「うるせぇ」


 邪険(じゃけん)に言う彼を見て、彼女はニヤニヤと笑う。


 「なにアンタ、子どもが弱点だったの?これはいいこと聞いたわね」


 「…もういいだろ、()っとけ」


 「なんで?」


 端的に、しかし強い意思を()って彼女は問う。


 その瞳は真っすぐに彼を射抜いており、半端な答えでは納得しそうにない。


 だがそれでも、彼は。


 「別に、何でもいいだろ」


 「いいえ、良くない。私で良ければ、話を聞くわよ?それに…理由を言語化するって大事なことだと思うわ、多分」


 沈黙。


 その後に、彼は、自分自身に問うようにゆっくりと言葉を(つむ)ぐ。


 「多分…嫌なんだ、昔の自分を見てるようで」


 「うーん、分かるような分からないような…続けて」


 「世の中、思い通りにいかないことばかりだろ?俺はアトランティカでも地位が低かった。だから、納得できないことや、やりたくないことも…やった。自分を(だま)して、無理やり順応した。そういう(ゆが)んだ根性を、昔は持ってなかった自分を鏡越しに見てるようで…だから嫌いだ」


 それは彼の本心、純度100%の卑屈(ひくつ)


 「(こじ)らせすぎ…とも一概(いちがい)に言えないわね。だって私、アンタじゃないし。アンタがどんな(つら)い思いして、そんな風になったとか、全然知らないもの」


 「だろうな」


 「それでも、戻りたいんだ?」


 「あぁ」


 即答。


 「それは、なんで?」


 「俺の帰りを待ってるやつらがいるからだ。プライドや根性を曲げてでも…それだけは守った。だから、帰るんだよ」


 彼の瞳に映るのは『決意』。


 自分に言い聞かせるようなその言葉は、まるで自らに対する誓いでもあり、彼の歪んだ根性が()()()()であることの証明でもあった。


 「…そっか」


 千里は優しい目で彼を見つめると、空を見上げる。


 地下都市の(それ)はただの天井(てんじょう)であり、青空を模しただけの偽物。


 しかし彼女は、まるで()()()()えているかのような遠い目をしている。


 「そういえば、言ってなかったわね。どうして入隊試験と称して、アンタをこんなとこに連れてきたのか」


 「それは…どうしてだ?」


 「私たち…いえ、私の覚悟を知ってほしかったの。アンタが元の場所に戻りたいという強い思いがあるように、私にも(ゆず)れないものがある。親睦(しんぼく)を深めるには、まずそこからじゃないかって思ったの」


 「譲れないもの…それは、さっきの孤児院と関係あるのか?」


 「えぇ。私、孤児院を回って、身寄りのない子どもたちに玩具(おもちゃ)や教科用図書を寄付する活動をしてるの」


 そう、それが荷物の中身。


 「そうじゃないかとは思ってた」


 「…偽善だって思う?」


 彼女の声は透き通っているものの、どこか震えているようにも聞こえた。


 だから、彼は。


 「全く。つーか最初から、誰もそんなこと言ってねぇよ」


 「ありがと」


 彼女は少し恥ずかしげに笑うと。


 「ねぇ、凛。この世界、間違ってるって思わない?出自が違う、個人色(カラー)が違う、親がいない。そんなくだらないことで差別が生まれる。少なくとも、あの子たちには何も罪がないのに。人はみな、同じのはずなのに」


 「…思うよ」


 だからこそ彼は、大切なものを守るため、自分を曲げてまで世界に従ってきた。


 しかし、彼女は。


 「私、このふざけた世界を変えたいの。慈善活動(これ)はそのための、ささやかな抵抗ってところかしら。私が地上で戦う理由も同じ。海や空、知らない大地を誰もが見ることができる、そんな世界に変えたいの」


 世界を変える、彼女はそう言った。


 守りたいものを守るため、自分を変えるのではなく、世界を変えるのだと。


 それが凛月には、太陽のように(まぶ)しい。


 彼女は立ち上がる。


 「だからね、凛。これからは世界が変わる番よ。アンタはアンタのために動けばいい。だけどその道すがら、私のために手を貸してくれないかしら?」


 そう言って差し出す手は、細くも力強い。


 彼の答えは決まっている。


 「ついでならしょうがねぇな。…約束する」


 強く握り返す手には、確かな温かさがあった。


 「…ありがと」


 千里の満面の笑顔が花開く。


 それは岩壁に咲く一輪の花のように、何物にも代えがたく美しく、不覚にも凛月はドキッとしてしまう。


 「…じゃあ早速、頼みごとを聞いてもらおうかしら」


 「お前まさか…」


 背筋をなぞる悪い予感。


 千里は怪しい笑みを浮かべると。


 「世界を変えるとか言ってる男が、たかが子どもにビビるなんて、話にならないわ」


 「いやいや、俺はそんなこと一度も…!」


 「同じことよ。さ、ついてらっしゃい」


 そうだ、世界はそう変わらない、自分がそう変わらないのと同じように。


 ――凛月は、千里に引きずられながら、そんなことを思った。

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