ダンボールの城の料理人
俺は一流の料理人で、金も名声もある。そんな俺が、料理の味もわからない奴に最高のタダ飯を食わせてやっている。そのために今日も、このダンボールの城に寄り砲撃のごとくタッパを放り込む。何でこんなことをしているのかというと、このただのダンボールの山が、俺には岩でできた城に見えたから。
あの女に出会ったのは3か月前、小さな病院の診察室。
20年近くやってきた料理人という職業柄、重みが一日中かかっている左手首は限界に達し、俺はとうとうフライパンを落とした。結果はわかりきっていたから病院は避けていたのに、怒っている料理人仲間に引っ張られてやってきた。結局、やっぱり医者の言うことは”安静に”の一言。俺にはどうにも医者の小言は聞こえてこない。すっかり目を奪われていたんだ。厨房には存在しない、女らしい女に。
薬を塗ってくれた看護師だ。細くて小さく、白くて柔らかい手のひら。料理人の女たちの手は逞しくボロボロで、男と大差ない。だから忘れていたこの世の女という存在。
白い手に、汚れのない白い制服、チェリー色の唇、すっと流れる目元。 まさに一目ぼれだった。
しかし、一目ぼれとは恋愛業界の中で最も残酷だ。
いくら複雑な料理を作れても、男の俺自体は単純にできている。世の男の思考を、女は生まれながらにして知っていて、無意識に男を振り回す。同様、女の女という餌で俺は釣られたわけだ、この女に。
しかしそれを知られては困る。そう簡単に釣られたことを知られては、せっかく今まで積み上げてきた俺の格が下がるだろう。
料理人連中が陰で俺につけたあだ名は「鉄板」。頑固なうえに熱しやすく、人を蒸発させるまで焼き尽くすように怒鳴る。そんな「料理しか頭にない非情なシェフ」という立ち位置は一生手放せないだろう。そんな恐れられる俺の立ち位置は誰よりも何よりも、俺を守ってくれる。だから、俺らしくない俺を誰にも悟られまい、どうせこんな想いはすぐ忘れるだろう、と目をそらし続けた。
ところが、仕事帰りに偶然通った暗い公園で、あの女を目にした。探しているわけでもないのに、なぜだか視界に入ったこの女は看護師ではなかった。
この公園の隅に立派なダンボールの城を築いている女が看護師のはずがない。ヤブ医者の看護師もヤブといったところか。どうやら白衣の力は大きかったようで、汚くないそれなりの身なりをしているものの、あの時感じた魅力をまた感じることはなかった。
俺自身が作り上げた理想の女は崩れ去り、何が残ったのかというと大したものじゃない。
しかし、3か月経った今でも俺は何故かこの城に訪れている。レストランでの仕事を終えてから城に寄り、タッパに入れた試作を放り込んで、そばのベンチで一服して帰る。そんな毎日だ。
こんなことを始めた最初のときにちょっと顔を確認された程度で、それ以来顔なんざ合わせないし話もしたことがない。 だが、懐かしさを感じる。
無心に俺の料理をほおばって、鼻をすする。 こうして感情を露にした人の咀嚼音と泣き声をきいていると、孤独でひねくれた昔の自分と向き合える気がした。
父はフランス料理人として高く評価され、母は売れはじめたばかりの絵描きだった。
子どもの頃の俺は恵まれていた。経済的にという意味でだ。
旅行に使える金はあっても、時間もその考えすらもない、仲がいいとはいえない家族の中に俺はいた。
家でも完璧すぎる父の料理は嫌い。母の絵の具の味がする料理も嫌いだった。
用意されたどんな料理も冷めていて、ご飯の味がしない。するのは仕事の味。
俺が家で食べる父の料理は捨てられたように残る試作だけ。母が制作の合間、手もろくに洗わず作っただろう料理。最低な料理は一つも口にせず、親のカードを持って小学生ながら一人で夜に外食に出る。
親はそんな俺に気づいていたけれど、何も言わなかった。入ったのは良いレストランばかり。大量の金を使っても、いつもの生活は変わらず。変わったといえば、まずい料理すら用意されなくなったこと。
やけくそになって、生活できなくなるほどの金を使ってやろうと高いレストランばかり入った。
父のフランス料理に反発するかのようにイタリア料理の店に入っては、ホールの心配を背に浴びながらうまいものをありったけ食べた。すぐそこで作られた温かい料理はうまくて涙が出た。
胸が熱くなった反面、ひどい喪失感に気づく。店の人の優しさも、料理の味も仕事だからこそなんだと思うと一気に冷めたけれど、一瞬の幸福を味わいたくて何度も通い、最後には泣いて過ごし店中を困らせた。
とうとう出入り禁止になったある日、俺は店の前で縮こまって、出入りする革靴とハイヒールを流し見しながら過ごした。 閉店になってもずっと座り込んで、夜の風に体が震えたが、家にいるよりはマシだ。
その時、閉まった店の前で、ノリのきいたコックコートを着た料理人に会った。
あの温かい料理を作っているひとだ。あの優しい料理とはミスマッチな、でかくて頑固そうなイタリア人のおっさん。眉間に皺寄せて片手に持ってるフライパンからはトマトの香りがする湯気。いけないとは思いつつも止めることはできない腹が鳴った。
おっさんはフライパンを俺の前に置こうとしたが、体格差が大きいもんだから、子どもだった俺としてはフライパンを投げつけられたといっても過言じゃあない。 頭を腕で覆うと、上から鼻で笑う音が聞こえてイタリア語で何か言われた。
顔を上げたときには小さな後ろ姿だけ。おっさんは何かわからない言葉と温かいパスタを置いて行った。
手づかみで無心になって食べたけれど、いつも美味かったはずのパスタが、まずかった。
吐きそうになっても食べた。全部。 店の中を思い出して、一瞬の幸せを感じようとして。
翌日、腹が痛くなって、熱も出た。 あのおっさんによる意図的な食あたりだった。
苦しみ方が尋常じゃなかったからか親は二人とも心配して、温かくて消化のいい料理を出してくれた。
幸せで喪失感なんて全く感じないあの時の料理は、今も世界で一番美味かった料理だといえる。
そのあと、結局また冷たい料理に戻ってしまったけれど、前ほどまずいとは思わなくなった。
それから数年後、レストラン通いのせいでイタリア料理が体にしみこんでいたらしく、俺はイタリア料理の道に進んだ。 イタリアに留学すると、料理業界にあの時のおっさんは健在。故郷に帰ってきたらしく、有名なのもあって俺が通っていた料理学校に、ときどき講師としてやってきた。
おっさんは何故か一度しか見ていなかったはずの俺を覚えていて、流暢な日本語で話しかけてきた。
第一声が”大丈夫だったか”とは、今になっても笑えない。あの苦しみは尋常ではなかったんだ。
再会してみて、頑固そうで怖いと思ったおっさんは、実はお茶目でよく笑った。物腰柔らかく、放任主義。そして、どの生徒の料理を食べても”おいしい”とだけ。 しかし、それがしばらく続けば皆が不審がるわけで、俺もそうだった。 皆が顔を歪めると、おっさんは面白そうだった。
”言葉は所詮言葉で、偽ることができる。真実は顔の筋肉や目に現れるものだ。言葉で料理は語れない。”
必要なことを話してくれないおっさんの、数少ない名言だ。名言はもうひとつ。あのときフライパンと一緒に投げられた言葉だ。イタリア語を勉強し始めたとき不確かな記憶を辿って真っ先に調べた。“本当にうまいものも知らないのに、俺の料理の味がわかるのか?” その言葉はずっと俺の中で響き続けている。 本当にうまいものは、案外身近にあるものだったと知った。だが、それなりに経験を積んで、良い位置に立っている今でも、客の他人である俺が本当にうまいものを出すのは難しい。人の求めるものは多様過ぎる。
そんな自分にイライラして、厨房で怒鳴って叱って恐れられて嫌われて、父の姿に似てきたと自分でも思ってはいるが、鉄板でできた分厚い仮面はなかなか剥がせない。はがした途端に弱い子どもの自分が顔を出すかもしれないと思うと恐ろしくてならない。
けれど、こうやってダンボールの城のそばで煙草を吸いながら耳を澄ましていると仮面は自然に剥がれ落ちる。彼女の人生のある部分が垣間見えるからだろう。 ときどきちらりと見える泣き顔は、最低の自分を思い出させ、マシになった自分も思い出させる。そのきっかけもすべて。
彼女は理想の女なんてものじゃなかった。
何かしら苦しみを抱えたひとりのホームレス。堅牢な城で食い物だけの侵入を許し、金も払わず俺の料理を毎日食っている。しかも、人生ドン底の記憶を俺に思い出させる最低な女。だが、俺はこの城でたったひとりの料理人だ。金も感謝の言葉も、笑顔も返ってこないが辞める気はない。 見返りなんて求めないが、幸せにしてやろうだなんてことも思わない。ただ俺は、この女にとってのおっさんになりたかった。