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魔女の庭  作者: かずさ
まぼろしの魔女
5/6

魔女の遺言

 理論で説明できない『不思議』が、まだ少しだけ残っていました。

 それは、魔法と呼ばれていました。

 そして、魔法の使い手を、私たちは尊敬と畏怖を込めて、『魔女』と呼んでいます。



 一日中、外を駆けずりまわって遊んでいたあの頃。昨日のようにも、遠い昔のことのようにも思えるそのとき。

 私たちはまだ、大人たちの言う『不思議』の正体を知りませんでした。


 私たちの世界の全ては、遊びの中にありました。友達がいて、思いっきり走り回れる地面がある。それだけで充分でしたし、満足していました。

 疲れて、お腹が減ったら、木の実を取ってはみんなで分け合って。そんな、他愛もない日々の繰り返しでした。


 ある時、私たちはこんな話を聞きました。

「森の奥に行ってはいけないよ。あそこには『魔女』がいるから」

 『魔女』。初めて聞く言葉でした。それが何なのか。どんなものなのか。私たちの中の誰もが、『魔女』というものを知りませんでした。


 誰かが言いました。

「確かめに行こう」

 好奇心旺盛なこどものことですから、結局はそういうことになりました。

 口に出しませんでしたが、みんな私のように、一人で行くのは怖かったのでしょう。

 ある日、連れだって森の奥へと向かいました。


 こんもりと茂る森の奥には、小さな小屋が一軒、ぽつんと建っていました。少し古さを感じさせる、粗末な小屋でした。

 ここまで奥に入り込んだことはなかったけれど、毎日のように遊んでいた森なのに、全然気づかなくて、少し驚いたことを覚えています。

 見つけたときには、みんなで歓声をあげて、小屋の前に走り寄りました。けれど、扉を叩く勇気は誰も持てなくて、困ったように顔を見合わせるだけ。


「誰だ」

 そうしているうちに、声が響きました。さほど大きくはなかったけれど、よく通る声でした。そして、感情の伺えない、静かな声でした。

 驚きのあまり、一瞬、ここから逃げ出してしまいたい衝動にかられました。でも、なぜか足は動こうとはしませんでした。


 私たちは、恐る恐る声のした方を振り返りました。

 そこにいたのは、すらりとした長身の若い女性でした。夜をうつしたように黒く、長い髪は癖一つ無く、後ろでさらりと結ばれていました。髪と同じ色の瞳は、ついじっと見入ってしまう何かがありました。

 その物腰の一つ一つが、田舎にはそぐわない、都会人のような洗練されたものでした。

 忘れたくても忘れられないような、美しい人でした。


 今思うと、この時点で、私たちはすでに『不思議』に足を踏み入れてしまっていたのでしょう。私は、彼女から目を離すことができませんでした。

 何かを言いかけては、何を言っていいのかわからなくなって、そして口を閉ざす。その繰り返しでした。他の子たちも、似たり寄ったりの状態でした。


 ふと、彼女は口の端をうっすらと上げました。同時に、感情の伺えなかった瞳に、僅かに温かみが灯ったように見えました。彼女は、少し背をかがめ、私たちをぐるりと見回しました。

「小さな客が訪れるのは珍しい。これもそんなにそろって」

 そのとき、彼女の視線が一瞬だけ、どこかに止まったように見えました。でも、気のせいだと、すぐにその考えを頭から追い出しました。


 けれど、その視線の先と、その意味することに、このとき気付いていれば、また違った結末になっていたのかもしれません。


 彼女は、一通り私たちを見まわした後、改めて問いました。

「何の用だ?」


 私たちは、お互い顔を見合わせました。

 ややあって、一番年長の少年が口を開きました。

「魔女が居るって聞いて、それで僕たち、確かめようとしたんです」

 彼女の目が、すうっと、鋭く細められました。

「そうか。魔女、か」

 彼女は、その言葉を舌の上で転がすようにして呟きました。そして、また、問いました。

「お前たちの言う魔女とは、何だ?」


 彼は、暫く不安げに視線を彷徨わせた後、おずおずともう一度口を開きました。

「わかりません。人が言うのを聞いただけだから」

 彼女は、それを聞いて、声を立てて笑いました。

「これはこれは。知らずに迷ったか」

 私たちは、急に居心地の悪さを感じました。

 確かに、何も考えないままここへ来たのは、少し軽率だったかもしれない、とみんな思いはじめていました。


 彼女はそれを見透かしたように、苦笑を一つ零しました。

「まあいい。せっかく来たんだ。お菓子でも食べていくか?」


 私たちは、もう一度顔を見合わせました。

 とても、魅力的な誘いでした。でも、なんだかそれが、してはいけないことのように、とても恐ろしいことのように思えて、私たちは何も言えませんでした。


「警戒してるのか」

 気を悪くした様子もなく、彼女は言い放ちました。

「そう身構えなくても大丈夫だ。私は、仕事以外では寛大だ」

 なにか、ひっかかる言い方ではありましたが、私たちはそれには気付かずに、わっと歓声を上げました。

「じゃあ、頂きます」


 小屋の中は、外から見た時よりも広く見えましたが、私たちの家と、雰囲気はそう変わりませんでした。

 入ったと同時に、辺りにたちこめる、食欲をそそる香ばしい匂い。

 私たちは本来の目的を、すっかり忘れてしまいました。


 でも、本当は、私たちはここで疑問に思うべきだったのかもしれません。

 私たちを予想外の客と見なしながら、何故、私たち全員分のお菓子があったのかを。


 私たちは促されるまま、お皿の上のお菓子に手を伸ばしました。

 まだほんのりと残るあたたかさと、優しい甘み。口元が緩むのを抑えきれませんでした。

 思わず、次から次へと、手を伸ばしてしまいます。


「美味いか?」

 彼女は机の上に肩肘を突いて、お菓子を取り合う私たちを眺めていました。

 口いっぱいにお菓子をほおばりながら、少し太めの男の子が無邪気に言いました。

「はい、とても! お母さんのつくるのより美味しいみたい」


 私は、その言葉にはっとしました。

 それを言った少年は、村で一番のお金持ちの家の子でした。よく、綺麗な絵の付いたお弁当箱だとか、革製の鞄だとか、誰も持っていないようなものを持っていました。

 でも、だからでしょうか。上手くは言えませんが、なんとなく、その言葉に不穏な気配を感じたのです。


 私はひっそりと、みんなを見回しました。でも、誰も特にそれに気を留めた様子はありませんでした。本人ですら、それに気付いた様子はありませんでした。

 ただ、彼女だけが、少しだけ目を見開いて、

「そうか」

 と、短く返しました。


 不意に、彼女の口元が、少し悲しげに歪められました。

 そして、言いました。

「人生最後の食物に相応しいか?」


 その時、私は聞き間違いだろう、と、すぐにその言葉のことを忘れてしまいました。

 立ち上がった彼女は、また、微笑んで言ったからです。

「お茶のお代わりもどうだ?」

 と、何事もなかったかのように。


 みんなお腹一杯お菓子を食べ終わった頃を見計らって、女は懐中時計を見やって、言いました。

「そろそろ帰れ。日が落ちると帰れなくなる」

 私たちは、それに従って立ち上がりました。


「お菓子、御馳走様でした」

「「「御馳走様でした!」」」

 リーダー格の少年が、丁寧に頭を下げました。

 私たちもそれに倣います。

 いよいよ帰ろうと足を進めかけたとき、あの少し太った男の子がおずおずと言いました。

「その、明日も来てもいいですか?」


 私は、少し驚きました。

 その子は、今まで何かに執着するといったことが、あまりなかったのです。


 彼女はうっすらと微笑みました。纏っている雰囲気は、何とも言えず甘く優しいものでした。

「すまないが」

 そのまま、些か気取ったように、こほん、と軽く咳払いをして見せました。

「私が、仕事以外で人をもてなすのは一度だけだ。次は、無いと思うのがいいな」

「そう、ですか。ごめんなさい。今日は本当にありがとうございました」

 少年は、なぜか思いの外、ひどく落胆したように見えました。


 その時、私はなんとなく、自分がそれっきり、彼女には会わないだろうという予感がしていました。みんなも、同じように思っていたのかもしれません。

 私たちは、帰り道、その日のことを何一つ語ることなく、いつものように、散り散りになって家に帰っていきました。


 それからひと月。

 私は、すっかり彼女のことを忘れていましたし、みんなも語ることはありませんでした。


 たまたま私が彼女のことを思い出したのは、あの少年が懐中時計を持っているのを見たからでした。

 なぜか、それを見たとき、私は咄嗟に彼女の姿を思い浮かべたのです。

「この時計……」

 つい、それが口に出てしまいました。私は、続きを言いかけて、そして口籠もりました。だって、なんと言えばいいのでしょうか。 今となっては、あの日のことは夢のようで。言うのが憚られたのです。


 彼は少しきょとんとした後、照れたように笑いました。その時計に、大切そうに目を落としました。

「これ、お母さんからもらったんだ」

「お母さんから?」

 彼から、直接母親のことを聞いたのは、このときが初めてでした。

「……お願いがあるんだ」

 ふっと、彼の表情が一瞬曇ったように見えました。

「これを貰って欲しい」

 私は、もちろん断りました。

 そんな高価そうなものを受け取るわけにはいかないのはもちろん、それが彼にとって大切なものなのだと感じたからです。

 彼は、譲りませんでした。

「僕は、お母さんから貰えた。それだけでしあわせだから。……それに、できたらあの日のことを覚えているひとに受け取って欲しいんだ」

 私はその言葉に息をのみ、結局、それを受け取ることにしました。


 私はただ確かめたかったのかもしれません。あの日のことが、夢ではなかったのだと。だから、その言葉がどれだけ重いものだったのか、その時は考えようともしませんでした。

 私が時計を受け取った次の日。私たちは、いつものように集まる約束をしていました。

 でも、いつまでたっても、彼だけが来ませんでした。


 結局、みんなで家まで呼びに行くことにしました。

 けれど、呼び鈴を鳴らしても、大声で叫んでも、誰も出てきませんでした。

 私は胸騒ぎを感じて、思い切って扉に手をかけました。扉は、あっけなく開きました。


 玄関から入って少しすると、中途半端に扉が開きかけた部屋がありました。

 私は何気なく部屋の中をのぞき込みました。

 すると、揺り椅子の上に、少年が座っていました。


 最初、私は彼が眠っているのだと思いました。

 でも、近づいてみて、ようやく様子がおかしいということに気付きました。


 それから、どうなったのかはよく覚えていません。

 気が付けば、私は父と母に、力一杯抱きしめられていました。

 そして、彼は死んだのだと聞かされました。


 二日後、彼のお通夜がありました。私は、火葬場から立ち上る煙を、いつまでも見送っていました。

 彼から託された懐中時計を、ずっと握りしめながら。


 私にはある確信がありました。もう一度、会わなければならないと思いました。

 だから、私は彼を見送った後、村のはずれの森へと駆け出しました。

 さほど走らないうちに、小屋が見えてきました。

 私は、戸を叩きました。必死で叩きました。手が痛くなるほど、強く、何度も。


「また訪れたか」

 やがて、前と同じように、背後から静かな声が降ってきました。

 私は、ゆっくりと、ゆっくりと振り返りました。


 どこかうつろな瞳は、まるで、私をどうするのかを考えているように、ふらふらと揺れていました。

 やがて、彼女は視線を一点に止め、わずかに目を瞠りました。

「お前、珍しいものを持っているな。そうか。あの子のか」


 私は、何も言えませんでした。立っているだけで、精一杯でした。怖くて、足が震えていたかもしれません。

 でも、どうしても、彼女から目を逸らそうという気持ちにはなれなかったのです。

「お前だけは気付いたんだな」

 僅かに笑いを含んで、彼女が舐め回すように私を見ました。

 そして、一歩、足を踏み出しました。

「仕事を終えたら、このまま、去るつもりだった。でも気が変わった」

 また、一歩。

「だから、お前にだけ、『魔法』をかけてやろう」


 私は、動けませんでした。

 彼女が、私の耳元に、その綺麗な顔を近づけて、そうして、囁きました。

「お前が、あの子の分まで幸せになるように」


 紛れもなく、哀悼の言葉でした。

 哀しい言葉でした。やさしい言葉でした。

 まるで、母が、子に向けるような。


 彼女は、あの子の死に、確かに関わっていたのだと思います。

 彼女も、それを認めていたように思います。

 でも、どうして彼女は、私にそんな言葉を残したのでしょう。


 あの子の死に顔は、幸せそうでした。何かに身を委ねきったように、眠るように、息絶えていました。

 そして、傍には甘い香りが仄かに残っていました。それを思う度に浮かぶのは、彼女の家でほおばった、あの焼き菓子のこと。

 見様見真似で作ってみたのですが、ついに、あの時の味を再現することはできませんでした。


 彼女のした全ては、ただ、『不思議』の中にありました。

 彼女は、間違いなく、本物の『魔女』でした。もちろん、誰にも信じてはもらえませんでした。あの時出会った、彼女の存在すら、何も。


 けれど、あれから一度も時を止めることなく、あの時計は、私の傍に在り続けています。

 みな、首を傾げます。これが、どうして今日まで永らえてきたのかと。


 私は、思います。

 私が、彼女の存在を信じている限り、この時計は動き続けるのでしょう。

 そして、この時計が動いている間は、きっと、彼女もまだ、どこかにいるのでしょう。


 私の話を、全て信じなくてもよいのです。

 ただ、『不思議』は確かに存在していたということ。そして、それは、本当はとても優しいものだったということ。

 どうか、それだけは、覚えていてあげてください。


 私はただの、人並みの幸せを手にした老人でしかないのです。

 私は、もう遠くないいつか、きっと死んでしまうでしょう。

 でもその時に、この時計も止まってしまったら。……それは、少しだけ、哀しいことだと思うのです。


 だから、ここに記しておこうと思います。


 しあわせに。

 それが、魔女の、ただ一つの願いであり、遺言でした。


(初出 2007.4.19)

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