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魔女の庭  作者: かずさ
森の魔女
3/6

虹を、待っていた

 雨音は、微かに響く。

 そして、追憶を誘う。



 がらんと広い部屋の中。柔らかそうな絨毯の真ん中に、少年が一人座っていた。色鮮やかな図鑑を床に広げてはいたものの、心ここにあらず、といったように、片方の手は絨毯の模様をなぞっていた。


 不意に、彼は本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。

 向かった先は、硝子の扉のついた本棚。枠と同じ素材でつくられた、艶を含んだ飴色に近い木製の取っ手は、優美な曲線を描いている。開いた途端、真新しいインクの匂いがうっすらと辺りに漂った。

 少年は、手に持っていた本を不自然な空白に滑り込ませる。それが隙間なくぴたりとおさまった途端、急にこの本棚が押し黙ってしまったような、奇妙な感覚に囚われる。

 彼は、やや乱暴に扉を閉めると、改めて部屋を見回した。


 本棚と同じ、アンティーク風の家具で統一された部屋。それにありがちな重々しさだけでなく、そこはかとなく上品さも漂う。そんな印象だった。

 完全な調和さえ、保っているように見えた。しかし、一方で、どこか不自然さが拭えない。それらは、魂が抜けてしまったみたいにして、横たわっているにすぎなかった。それは、たくさんある他の部屋でも同じだった。あまりにも、生活感のない家だった。しかし、ここは確かに、この少年の家だった。


 足音を押し殺すようにして窓の傍へ寄り、カーテンを開けた。霧のけぶるような、青みを帯びた灰色が広がる。

 少年の目には、それが夜の闇に等しく見えた。もう、ずっとこの色しか見ていないような気がした。もう、何日外にでていないのだろうか。指を折って、数えてみようとして、気が重くなるだけだと思い直してやめた。

 今は彼らに会うことを希んでしまう。彼が誰であろうとも、受け入れてくれる遊び仲間。一緒にいると、家の重さもなにもかも、忘れていられる。

 それは、この雨のせいだろうか。ずっと、降り続くのではないかとさえ思う、この雨。ただ、待つしかないもどかしさ。手から滑り落ちて行くような時間。

 ここに居たら、不安になる。全てが整ったこの家に、自分は異質なのではないかと感じてしまう。


 ――この家に恥じない人間に。

 週に数えるほどしか会わない、彼の父の口癖だった。

 彼は、いつも一緒に外で遊んでいた同じ歳の子たちの、誰よりも賢く強くあることを求められていた。そうありさえすれば、望むものは、なんでも手に入った。

 でも、本当の希みだけは、いつも、手に入らなかった。


 しゃらん、とポケットに入れていた懐中時計の鎖が鳴った。

 彼と、彼の義母とが初めて出逢ったとき、親愛のしるしにと手渡された時計だった。


 あのとき差しのばされた、透き通るように白い、華奢な手を、まだ覚えていた。万人を魅了する、甘い微笑みをもつひとだった。

 それは時が経つにつれて翳ってきたけれど、少年は、ただ信じていたかった。初めて出逢ったときの、暖かいてのひらの感触を。

 慣れた手つきで、蓋を開いた。寂しいとき、この文字盤を眺めることが、いつの間にか癖のようになってしまっていた。


 ふと、少年は思い返す。二週間前、一度出逢ったきりの、これと同じような、でも違うものを身につけていた、魔女と呼ばれるひとのことを。


 知らず、少年の手に、力が籠もった。

 ただ、希んでいたのは、他愛ないしあわせ。例えば、作法を確かめるためのお茶会じゃなくて、お互いに笑っていられるような。

 もう一度笑って欲しかったのだ。初めて出逢った時のように。その希みが、過ぎたものだと知っていたけれど。


 ざわざわと、うるさいくらいに響いているはずの雨音は、犯しがたい静寂をたたえて横たわっていた。

 雨音に紛れて、少年を呼ぶ声がか細く聞こえた。少年は、ゆっくりと振り返る。その瞳に、諦めのような哀しみさえ浮かべて。


 少年の目線の先、開いた扉から、ゆっくりと、女性が滑り込んできた。緩く結い上げられた髪も、白磁の肌も、折れそうなほどの線の細さも、まるで精巧な造りの人形のようだった。貴婦人の名に恥じないような、洗練された立ち居振る舞いは、そう遠くないいつか見たものと同じ。

 彼女は、僅かに首を傾げて、言った。その顔に薄く、形の整った微笑みを貼り付けたまま。

「お茶にしましょう?」

 声には、なんの感情もこもってはいなかった。


 少年は、機械的に頷いた。

「はい、お義母様」

 形式張った言葉。形式化された呼び名。それは、とても虚ろに響いた。


 彼女に続いて歩きながら、少年はそっとポケットの中の時計に触れた。あの時のしあわせが、確かにここにあった。

 だから、だから、ただそれだけで、少年は満たされていた。時々、ひどく哀しくなることはあっても、いつだって幸せだった。

 

 気にかかっているのは、ただ一つ。

 いつか、自分が彼女の望む自分になったら、そうしたら、今度は笑ってくれるだろうか。


 ――外の世界を希みながら、彼女の傍を希む、その矛盾に、幼い心は気付かない。



 虹の下には、未だしあわせが眠ったまま。

 雨は、降り続く。空の上の虹を覆い隠すように。

(初出 2007.4.21)

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