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魔女の庭  作者: かずさ
森の魔女
2/6

願いの果てに

 控えめに扉を叩く音。

 予兆はあった。だから、魔女は驚かなかった。


「何の用だ」

 扉を開けると、案の定、小柄な女が、一人立っていた。一目で育ちの良さを感じさせる女性だった。

 あまりにもその姿が不気味な静寂に包まれたこの森にそぐわなくて、魔女は僅かに眉根を寄せた。


「貴女が、魔女?」

 鈴を転がすような声で、女は問うた。

「人は、そう呼ぶ」

 相変わらず、ぶっきらぼうに答える魔女に、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「叶えて欲しいことがあるの」

 この上なく可愛らしく、しかし妖艶に、彼女は少し首を傾げてみせた。


「あの子を、眠らせて欲しいの」

 あの子が誰なのか、魔女は問わなかった。代わりに、呻くようにして声を絞り出した。

「何故だ」

「私の望みを叶えるために」

 彼女は貴婦人のように優雅に微笑むと、下腹部にそっと手を当てた。

「そうか」

 魔女は、もう何も言わなかった。

 最初から、識っていたことだった。あの日、彼女の言う「あの子」が訪れたときから、視えていた、とりえる未来の一つが、選ばれただけのこと。


「叶えてくれるでしょう?」

 彼女は、魔女の手を両手で取って、そっと何かを握らせた。魔女は一瞬、それに目を落とす。

「割に合わない」

 やんわりとそれを突っぱねようとした手を、彼女は尚も抑え続けた。

「なら、明日の晩にもう一度来るわ」

 残りはその時に渡せばよいでしょう、と言ったその顔には、未だ柔らかい微笑みが貼り付けられたままだった。


 魔女は、諦めたように溜息をついた。

「ここを離れることになるな」

 遠回しな肯定を呟くと、彼女は無邪気に問い返した。

「街へゆくの?」

「いいや。あそこは私への風当たりが強すぎる」

 魔女は特に感情を込めずに言ったが、女はそう、と少し沈んだ様子で呟いた。魔女は、この女が、都会の生まれだったということを、急に思い出した。

 女は、どこか懐かしむような、でも哀しい目をしていた。いままでの作り物めいた表情とは明らかに違っていた。それはすぐに消えてしまったのだけれど。


  名の知れた名家に嫁ぎ、不慣れな環境に置かれた不安は、確実に彼女を蝕んでいたのだろう。

  周囲の期待とは裏腹に、彼女は、まだその身に何も宿してはいなかった。

 血筋とは、かくも大切なものなのか。魔女には、解らなかった。抱く価値観が、あまりにも違っていたから。


 かの家には、一人、息子が居た。

 本来ならば、こんな片田舎ではなく、都会で育てられたはずであろうあの少年は、魔女には理解できない血筋というもののせいでここにおかれたらしかった。少年の本当の母親は、既に亡いと聞いていた。父親は週に何度かしか訪れないらしい。本家が街にあるから当然といえば当然なのだが。


 彼女は、突然降って湧いたような我が子を、確かに愛していた。だから、彼女は少年と共に、ここに居ることを夫に願ったのだ。

 けれど、実際にここでの生活が始まると、彼女はひどく混乱した。大勢の人間に傅かれ慣れていた彼女は、我が子にどう接したらよいのかわからなかったのだ。


 だから、希った。もう一度、彼をこの世界に降ろし、その手で抱くことを。それが疑いもなく、善き未来に続くのだと信じていた。

 彼が、再び彼としてここに現れるのかどうか、魔女にすら、わからないというのに。


 愚かなことだ、と魔女は思う。けれど、彼女は魔女。だから、ただ、手渡された願いを、叶えようとした。



「ここは幻。ここは夢」

 彼女が辞してしばらくして、芝居がかった仕草で手を広げ、ぐるりと辺りを見回した。

 そう、すべては夢なのだ。だから、ここは強い願いを持つ者にしか、訪れることができない。

 彼女の言う「あの子」に出逢ったのは、一月ほど前。村のこどもたち何人かがここへ訪れたが、きっと彼の願いがここへ引き寄せたのだろう。尤も、彼以外のこどもたちは、もうすでにここのことなど忘れているだろうが。


「難しいものだな」

 魔女は、彼女の支払った対価を眺めて、言った。血のように真っ赤なルビーだった。



 ゆっくりと、少年の手が滑り落ちてゆくのを、ただ見つめていた。

 ぱたり、と音を立てて、食べかけのお菓子がその手から離れた。魔女は、それを合図とするように立ち上がり、少年を揺り椅子の上に座らせた。

「おやすみ、よい夢を」

 一瞬だけ、視線を投げかけて、そして部屋を出て行った。少年を振り返ることすらせずに。


 扉の音が、やけに大きく響いた。


 最初、彼女は少年の母の姿をとっていた。陽光に透ける淡い色の髪と、しみ一つ無い白い手のひら。少年は、気付いた。それが偽りの姿であることを。

 だから、全てを悟ったような、きれいな微苦笑を浮かべて、そうして目の前の焼き菓子に、手を伸ばした。何の警戒もなく、「彼女」にその身を委ねた。「彼女」が魔女だと知りながら。


「これほどまでに、飢えていたか」

 魔女は、僅かに憐憫を含んだ眼差しで閉じた扉を見つめ、呟いた。

 まだいくつか残っているすべきことを考えると、思わず深く、深く、溜息をついた。


 飢えていたのは、本当は自分だったのかもしれない。魔女であっても、受け入れられることを、希んでいたのは自分なのかもしれない。

 だからだろうか。あの日、こどもたちが訪れたとき、記憶から消えると知っていながら、丁重にもてなしたのだった。まるで、自分らしくなかった。すべては、夢だというのに。


 自嘲めいた笑みを残して、魔女は忽然とその場から姿を消した。まるで初めからここにいなかったかのように。



 いくつもの、希みが折り重なり、そうして世界が紡がれる。

 夢や幻、その残照を追い求めながら、ひとはいきる。


 その果てに、何があるのか。

 魔女は知らない。だから問う。人々の願いを。


 彼女は、魔女だ。

 ひとであり、そしてひとでないもの。

 人々の願いを預かり、そして、返すもの。

 伝説の中で生き、そして死にゆく存在。


 ――それは、遥か遠い昔から続く、物語。

(初出 2007.4.22)

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