そして神の子は祈る
革命の時代。
それは春。草木が芽吹くかのように、知識人達は都へ集う。文化の花を開かせようと。
さながら、これは冬。抑圧し、血を流す戦いの中に、いわれなきまま、何人の命が散ったことか。
石造りの牢に、足音が高く響く。暗がりの中に、蝋燭の影が妖しく揺れた。
――司祭が来る。私を陥れたあの男が。
耳にしたことはあった。教会が、財産目当てにいわれ無き罪で人を裁くと。
対策を講じる暇もなかった。父の残した財産は、私以外に受け取り手がいなかった。
司祭に懺悔したことは、間違いだったのかもしれない。今更になって、自分の迂闊さに腹が立つ。
「ご機嫌は如何ですか?」
司祭はいつもと変わらないように見えた。穏やかな微笑みを浮かべている。
「最悪」
でも、今は知っていた。これが紛い物であると。
「直にそんな口もきけなくなりますよ。処刑の日が決まりました」
思わず私は胸の十字架に触れかけて、そしてやめた。散々この司祭の言う神を信じて、このざまだ。
それを見て、司祭は子供を褒めるように笑った。
「貴方は教会に充分過ぎるほど尽くしてくれた」
「少なくとも、父の遺産をそっくり寄付しようと思う程度にはね」
自嘲気味な笑い方を覚えたのは、いつからだろうか。この男に懺悔したときに、そんなことを言われた気がする。でも、今は少しも動じた気配がない。
「いいえ。貴方はあの母親の子供ですから。嘘に違いありません」
それどころが、そんなことを口にした。耳を疑った。
「今、なんて?」
知らないのか、とでもいうように、司祭は面白そうに首を傾げた。
「何度でも言って差し上げましょう。貴方の母親も、貴方と同じ罪人でした」
私は何も言えなかった。まさか、母まで教会の手にかけられていたなんて。
「でも、貴方は例え偽りであろうとも、教会の役に立った」
目の前の心底嬉しそうな男が憎かった。それ以上に、やはり自分に腹が立った。
「だから、特別の慈悲を与えてあげましょう」
いつの間にか、辺りは無人に戻っており、ぞっとするほどの静寂に包まれていた。燭台に灯る明かりさえ、凍ってしまったかのように揺らがない。
特別の慈悲を与えられたところで、処刑されるには変わりない。ただ、苦しんで死ぬかそうでないか。それだけだ。
これを、絶望と言わずして、何と言おうか。
ここで、私は処刑される。
理不尽さに泣きはらした目を閉じた。
深い闇の中、いつか見た炎が見えた。司祭は言っていた。あれは浄化の炎だと。
私は、それをただ信じていたのだろうか。他の信者と同じように。
いや、違う。どこかで気付いていた。母を亡くしてからの父の言動といい、教会に不審な点を見てきていたはずなのに。
気付いていたのに認めなかった。現実から逃げていた。それが、私の罪なのだろう。
ゆっくりと、目を開ける。
知らないうちに、夜が明けていた。
光が眩しい。風の音が聞こえる。微かな潮の香り。街の喧騒。石畳の冷たい感覚。私の愛していた、故郷のすべて。
五感が徐々に戻ってきた。全てがどこか遠い。でも、生きている。
はめごろしの天窓から、空を見上げた。青い。もう手を伸ばすこともできないけれど、神様は彼処にいるのかもしれない。
生きたい、と思った。もう一度、神様を探しに。
だから、私の心の内だけで懺悔しよう。
私は、貴方を恨んだ。でも、それは間違いだった。この世界を創った貴方が、貴方の意思で私を裁こうとしているのではない。私は、私の罪に気付くのが少しだけ遅かった。
唐突に足音が響いた。司祭だった。
「言い残すことは?」
唇は笑いの形をかたどっていたが、目は少しも笑ってはいなかった。
私はもう一度目を閉じて、心の中で短く、祈りを捧げた。このときになっても尚色褪せぬ世界に。私が信じる、神に。
ゆっくりと、息を吸った。これがきっと、本当に最後の言葉になる。怖かった。
「貴方達の神様は、それを望んでいない」
それでも、真っ直ぐに前を見据えた。怒りも哀しみもなく、ただ気持ちは凪いでいた。
私は幸せだ。自分の罪に、世界の美しさに気付くことができたから。最後まで恨まずにいられたから。今は、目の前のこの男よりも、幸せだと言い切れる。この男が、私の気持ちを知ることは、一生ないだろう。
これでお仕舞い。ご愁傷様。
司祭は嘲るように笑い、そして。
そして、途切れた。
かくして『魔女狩り』の歴史は語る。
ひとの愚かさと、かなしみを。
(初出 2006.8.7)




