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進化する魚と地底の神域

アリーサイドに戻ってきました。

 謎の廃神殿の復活から幾日か過ぎた。

 ここにきて時間の感覚がなくなっていることに、アリーは気付いていた。薄暗く荒廃していたこの場所が、神域に変わってから時間の流れが曖昧になっている。

 ダンジョンの中にも関わらず昼夜があり、朝焼けが水平線を染め、夜には満天の星が輝く。それが偽物だと分かっていても、体内時計が引き摺られて狂っていく。冒険者用の魔石式携帯時計は、まだ三十六回しか回っていない。一日で二回りするのだから、十八日たったことになる。


 しかし、偽の昼夜に惑わされて、その倍はこの場所にいるような気がしていた。

 その間に海に浮かぶ岩山だったここは、緑に覆われ花が咲き乱れる楽園に変わっていた。上を見れば青空が広がり、荒ぶる海は遠浅の海に、高い崖は波が打ち寄せる白砂の海岸に変化していた。


 最初に海岸を見た瞬間、帝国の学生たちは奇声を発していた。


「うおおおおお!」


 ブランドンが大声をあげて浜辺に駆け出し、膝まで波に浸かって両腕を突き上げる。


「嘘だろ!波?なんで!」


 呆然としながらニコラスもブーツを脱ぎ捨て、友人を追いかけていく。


「いや、波は最初から打ち付けていただろ」


 二人のテンションに置いていかれたヴォルフが、呆れて呟く。


「全然違うわ。だって、真っ白な砂浜なのよ!噂に聞く保養地のキルロアの海岸みたいじゃない」


 そわそわとした態度でジェイダ が反論する。できれば素足になって走りたいのだろうが、さすがに貴族の娘として理性が勝っているようだ。


「ひょっとして海に行ったことがないの?」


 アリーはジェイダに聞きながら、編み上げブーツの紐を緩め、ズボンの裾を捲し上げる。


「だって、すごく遠い場所にあるのよ。絵画やお話でしか知らないのが普通でしょ?」


 それが帝都住まいの学生の常識のようだ。帝都ルードは海からほど遠い内陸部にあるから、仕方がないのだろう。


「じゃあ、今のうちに海を楽しんだほうがいいんじゃない?行くよ」

「ええ?」


 アリーは躊躇するジェイダの手を取ると波打ち際に走っていった。波打ち際ではしゃぐ二人の少女と、腰まで海に浸かって水を掛けあう若者たち。その無邪気な姿にヴォルフは苦笑いを浮かべ、砂の上に仰向けに転がった。


 緊張感の欠片もない長閑な光景だ。

 目を閉じると耳に響くのは、心地よい打ち寄せる波の音と優しくそよぐ風の音…そしてすぐ近くを走り回るヒタヒタという足音。


(…ヒタヒタ?)


 一瞬で呑気な気分が吹き飛んで、冒険者は飛び起きた。


「はあ?」


 目の前に魚がいた。

 一匹、二匹ではない。数十匹の魚が彼のすぐそばまで走ってきていた。

 魚が走るその異常な光景にヴォルフは言葉を失う。魚たちは二つに分かれた大きな尾びれを使い、砂浜の上を不器用に進んでいる。元々大きかった胸びれもさらに大きくなり、走るたびに前後に振っている。


「あの岩場にいた魚…だよな?」


 いまいち自信が持てなくなり、彼は正体を知っていそうな少女を呼んだ。


「おい!アリー。これ、どうなっているんだ?」


 魚たちに敵意はないらしく、ただ砂浜を走り回っている。


「なに、なにがどうなっているって…えええ~?魚が走っている!」


 波打ち際から戻ってきたアリーは絶叫した。


「また、何かしたんだろ?」


「何かって何?私のせいじゃないわよ!」


 濡れ衣だと少女は言い返した。何もかも自分のせいにされたらたまらないと頬を膨らます。


「お前以外の誰がやらかすんだ?」


「廃神殿復活は不可抗力よ。今度こそ私は関係ないからね!」


 しかし、彼女の主張はすぐに否定された。


『ちがうヨー、アリー様のせいヨー』


 いつの間にか、魚たちに混ざってハニワたちも浜辺に集まっていた。赤い花のハニワは、アリーの前で止まるとくるりと回った。


『ここが神域になったせいヨー。アリー様がやらかしたお陰ヨー』


『その通りヨー。レモラは神魚になったヨー』


 魚と手を繋いだ水色の花のハニワが聞き捨てならないことを告げてきた。


「ちょっと待った!今の話詳しく!」


 浜辺の騒ぎに気付いたのか、慌てて駆け寄ってきたニコラスが水色の花のハニワと魚を抱え上げて、揺さぶって問い質す。一方、ブランドンとジェイダは顔を引きつらせて遠巻きにしていた。


『ニコ様、目が回るヨー』


 振り回される形となったハニワが抗議すると、ふらふらになった魚も口をパクパクさせていた。


「レモラって船に張り付いて沈めるという怪魚のことじゃないの。北カノスの昔話で聞いたことがあるわ」


 アリーは母の仲間のカノス出身の剣士イルヴァから聞いた話を思い出して言った。双剣使いの長身の美女は、アリーより二つ年上の息子がいる母親で、幼い彼女に海についての話をいろいろ教えてくれた。


『いいかい、アリー。魔物というものは大きいから恐ろしいというわけじゃないんだよ。かつて北カノスの海軍は、人間より小さいレモラという怪魚の集団に軍艦全てを沈められたことがある。無数の怪魚に張り付かれて、その重さで海底へ引き摺り込まれたんだ』


『こわっ』


 ランゼリアの二の森ダンジョン、荒ぶる海の階層で海獣トンドと戦いながら聞かされた話に、幼いアリーは身震いしたことを思い出した。揺れる小舟の縁に掴まって、母たちのパーティが海獣を叩きのめすのを横目に、舟の下ばかり見つめて過ごした時間だった。


「レモラ?この魚はレモラっていうのか」


 ようやく謎の魚の名前を知れて、ニコラスは嬉しそうに魚を見た。


『レモラは元々カノー様の神使だったヨー』


 ニコラスの腕から逃げた水色の花のハニワは、魚を助けて砂浜に下りながら説明した。胡散臭いものを見るようにヴォルフは、ハニワと魚が手に取りあっている様子を眺める。


「その神の使いがなんでただの迷惑な魚になったんだ?」


『それはネー、むかーし大神殿が壊されたからヨー。神域無くなったせいヨー』


 レモラたちが、水色の花の言葉で魚なりに悲壮な表情を浮かべる。


「カノス神の本神殿だった伝説の海上神殿のこと?」


 ハニワの話にはアリーも心当たりがある。イルヴァは北カノスで起こった愚かな事件についても教えてくれていた。


「北カノスの海軍が神殿のある小島近くで魔法演習をした話だよね。しかも、神代聖遺物の兵器『クエイク』を使って…」


 アリーの話にヴォルフも頷いた。


「聞いたことがあるな。確か三百年くらい前のことだろ。マリッカ女王国との戦争に備えた北カノスが大規模な軍事演習したせいで、カノー神の大神殿ごと島が海底に沈んだんだ」


 その後、激怒したカノー神は北カノスの半分を海に沈めたという。


「二人ともよくそんな話、知っているね。学園ではそんなこと教えてくれないよ」


 ニコラスが感心したように言うと、アリーはなんとなく冒険者と顔を見合わせた。


「私は母の冒険者仲間からいろんなことを教わったのよ。海に沈んだ大神殿のことも、今では『海の洞窟ダンジョン』として知られているから有名なのよ」


「俺も似たようなもんだ。親父たちに連れられてあちこちのダンジョンに潜って、実戦で知識を叩きこまれた。あの洞窟ダンジョンは、十年くらい前に一階層に繋がるポータルが偶然見つかって、ようやく知られるようになったんだ」


 サボサの髪を掻きながらヴォルフも続けて言った。


『そうヨー、神域が消えてからレモラは海のモンスターになって、悪い人間たちを懲らしめ続けていたヨー』


 集まってきたハニワたちが若者たちに説明する。


『でもこの場所が聖域になって、レモラはまた神魚に戻ったヨー』


『アリー様のお手柄ヨー。他にも聖属性で進化した生き物がイッパーイヨー』


「そうだったんだ。良かったな、レモラ」


 二足歩行の魚たちに自愛の視線を向けて、ニコラスは満面の笑みを浮かべた。


「待って!聖属性の生き物って…食べられるの?」


 ようやく歩く魚に慣れたのか、ジェイダが恐る恐る近づいてきてハニワたちに聞いた。


『モチロン、ダメヨー。進化した生き物は神様の神使だから食べられないヨー』


「噓でしょ。これから私たち、何を食べればいいの?」


 もっぱら海の恵みで食いつないでいた若者たちは、恐ろしい現実に衝撃を受ける。


『残念ヨー。でも、アリー様いいことしたヨー』


 赤い花のハニワが労うようにアリーの足をポンポンと叩く。


「それも…私のせいなの?」


 ハニワに雑に褒められた本人は愕然と砂浜に膝を付くだけだった。


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