その頃の帝都と神代の聖遺物
大地震から二十日が過ぎて、帝都ルードの混乱は収まりつつあった。
崩れた建物を撤去する作業が佳境になり、あちこちから瓦礫を片付ける音が響いている。怪我人を除く帝都の住民が総出で、通りを塞ぐ石壁を片付け、壊れた家財道具を引っ張り出し、なんとか元の生活に戻ろうとしていた。
その平民たちに混ざって大勢の兵士たちの姿が見かけられるようになったのは、十日ほど前からだ。帝都を襲ったかつてない災害に、近隣の貴族たちが領地から領兵を招集し、国軍と一緒に復興の手助けを始めたのである。
その陣頭指揮を、普段は滅多に姿を現さないウィルフレッド王子が執っていることもあり、帝都民のみならず兵士たちの士気も上がっているようだった。
ギルド三階にある執務室のソファでうたた寝していたイオニスは、大通りから聞こえてくる大声に身じろぎした。
「道を開けろ!そろそろご到着されるぞ!」
「そこ、もう少し下がれ。足元には気を付けろよ!」
通りには大勢の人間が集まっているようで、先ぶれの怒声に歓声で応えている。どうやら近くまでウィルフレッド王子の率いる一隊が近づいているらしい。
イオニスは重い体を起こすと、カップに残っていた冷めた紅茶を飲みほした。
帝都の人々の顔に明るさが戻りつつあった。建物の甚大な被害に比べて、死者数は数百人ほどですみ、その五倍近い怪我人も重傷者から順番に治療を受けられている。
また、国からの援助で日々の食事に困ることがないために、人々は未来に希望が持てるようになっているのだろう。
ルードの目覚ましい復興とは裏腹に、ダンジョン深部の様子は相変わらず不明のままだ。
ダンジョンに残された者たちの中で、五層までの比較的浅い階層にいた冒険者たちは、仲間の手助けやギルド職員の決死の救出で地上に戻ってくることができた。だが、それ以上深い場所にはいまだに行く手段もなければ、連絡を取る方法もいまだにない。
ダンジョンを監視している聖王家でさえ大変動の最中は、ただ見守ることしかできないのだ。
最後の犠牲者を吐き出して以降、ダンジョンは沈黙を続けている。このままでは三年前の、西イルティア孤島ダンジョンの二の舞である。
いったいどれだけの冒険者が戻れないまま命を落とすことになるのだろうか。
イオニスは深く息を吐くと立ち上がり、節々が痛む体を伸ばした。
疲れが蓄積している。
目と鼻の先にある自宅にも暫く帰れていない。帰ったところで鬼の形相の愛妻キリエに、「休む暇あるなら早くアリーを見付けなさい」と尻を叩かれるのが関の山である。
そう言いながらも、彼やギルド職員の体調を心配して毎日食事や飲み物を運んでくれるから、頭が上がらない。しかし、姉のエレインに続いて姪のアリーまでこのままダンジョンに閉じ込められてしまえば、キリエは商会を放棄して自分で探しに行きかねない。
緊急事態だったとはいえアリーを巻き込んでしまったことを、彼女は深く後悔していた。
「ギルド長、もうじき第三区画で『リビル』を使用するようです。帝都民のみならず貴族たちも見物に集まっています。凄い数で立錐の余地もないくらいです」
扉を叩いて入室してきた副ギルド長のバリーが声を掛けてきた。三十になったばかりの金髪の魔導士は、珍しく興奮した口調だった。
「それで外が騒がしかったのか。『リビル』なんてレアな聖遺物、よく引っ張り出してきたな」
イオニスは禿げ上がった頭を撫でて皮肉るように唇を吊り上げた。
「まあ、神代の聖遺物を扱えるのは神の系譜くらいですし、良いタイミングでウィルフレッド王子がご帰国されたのではないです」
聖遺物…特に神が手づから作られた魔道具は莫大な魔力が必要とされる。特に世界の黎明期、神代と呼ばれる頃に作られたそれは、神の系譜の一族でもほんの一握りしか起動できないと言われている。
(それをホイホイ気軽に使うのはランゼリア聖国の王族くらいだ)
一緒に冒険していた頃、コーネリオとユージーンが複数の聖遺物を同時に起動させるのを見て、ドン引きした記憶がある。
(持っている魔道具の殆どが聖遺物だなんて、ランゼル神の末裔は本当におかしい奴らばかりだ)
ギルドが取り扱う魔道具には二種類ある。
一つはかつて発見された聖遺物を模倣した簡易版と、もう一つは魔道具士たちが独自に開発した魔道具だ。
例えば、ギルドで販売されている『携帯天幕』の原型は、『コテージ』という聖遺物である。掌に収まるほどの球体に複雑な文様が浮かび上がるそれは、魔力を込めるとたちまち三階建ての家具付きの屋敷に変わる。
神代級になれば小城に変化する『コテージ』もあるという。ただし、起動時の魔力も維持するための魔力も桁外れで、ギルドの選りすぐりの魔導士でも半日継続できるか否かというところだ。
そこで長い時間を掛けて研究し、簡易化して実用化されたのが『携帯天幕』である。天来石という貴石に術式を刻み、魔力で起動する。最初こそ大きな魔力が必要だが、組み込まれている陣のおかげで長い時間使用可能になっている。
これとは別に同じ術式を応用して、ギルドが独自に開発したのが『ツエルト』という個人用の小型天幕だ。弱いながら結界も張ってあるため、ソロで活動する冒険者たちはダンジョンのセーフティーゾーンで広く活用されている。
価格も安く、起動の魔力も一般人が簡単に込められるように設計されているため、冒険者のみならず、長期間旅を続ける隊商や傭兵団にも人気である。
これから使われる『リビル』は神代級の中でも滅多にお目にかかることができない聖遺物だ。
ギルドの古い資料には『暴虐の門』の直後、幾つか見つかっていることが記されている。
『暴虐の門』は千年近く前に閉鎖されたダンジョンの跡地である。当時はコーダス国の最南端の森の中にあり、その存在が忘れ去られて長い時がたっていた。
人知れず息を吹き返したダンジョンは、静かに大きく成長し、ある日突然崩落して大量の魔物を溢れ出させたのだった。その際、残されていた聖遺物も魔物に取り込まれたまま地上へ運ばれてきたのだろうと推測されている。
騒動が終了した直後、軍神カイの神殿は戦後の混乱に乗じて神代級の聖遺物を全て奪い去っていったという。それがのちの戦争の火種にもなったのだが、今回使われる聖遺物は神殿が長年隠し持っていたものの一つなのだろう。
イオニスが考え込んでいる間に再び扉が叩かれ、当直の職員たちが次々と入室してきた。
「失礼しま~す、ギルドの前に観客が鈴生りになっていて、見物なんかできないですよ」
若手ギルド職員のオリヴァーが悪びれる様子もなくずかずかと窓際に進んでいく。もじゃもじゃの黒髪にひょろっとした痩身の事務方だ。
「わあ、特等席ですね、ありがとうございます。ギルド長」
続いて冒険者たちの人気受付嬢であるエミーが茶色い髪をふわふわ揺らしながら入ってきた。
「お前たち…揃いもそろって」
三階にあるこの部屋は、窓から通りを見下ろすことができる絶好の場所である。だからと言って許可した覚えはないのだが、これから始まる神代級聖遺物の展開を見逃すまいと、職員たちは窓際に陣取り始めた。
「まあまあ…滅多にないことですから許してくださいね」
さすがに申し訳なさそうに主任受付嬢のアデラが、運んできたトレイから新しい飲み物をイオニスに手渡す。諦め顔でそれを受け取ると、彼は渋々職員たちに言った。
「見世物が終わったら業務に戻るんだぞ」
若者たちの顔が一気に明るくなり、「わかりました!」と口をそろえて元気に返事をした。
部屋には縦型の大きな窓が二つある。両開きの鎧戸はすでに外側に押し開かれ、明るい光が室内を照らしていた。オリヴァーが硝子戸を内側に開き、さらに視界を良好にする。
「それにしても、伝説級の聖遺物とはいえ、本当に一瞬で建物を元に戻すなんてことが可能なんでしょうかね?」
窓際に椅子を運びながらアデラがバリーに話し掛けた。
「過去に使われたのは、大神殿の尖塔が崩壊した百五十年前だね。当時の帝王アイゼア三世が大神官に『リビル』の使用を許可して、昼過ぎから日の入りまでに全部元通りになったという記録があるよ」
バリーの説明に職員たちは驚嘆の声を上げる。
「じゃあ、俺たち百五十年ぶりにスゲー歴史的な場面に立ち会うことになるんですね」
オリヴァーが声を弾ませる。ダンジョンでの進展がない今、帝都の復興はギルドの職員たちにも唯一明るい話題のようだ。
一方、イオニスは複雑な面持ちで新しいカップを片手に、開け放した窓の桟に腰掛けた。瓦礫の先にルードの象徴である軍神カイの大神殿の尖塔がそびえている。
百五十年前、あれを崩落させたのは長きにわたり同盟を結んでいたベルルシュ王国の若き王子レイルだ。レイルは知と魔法の神レトスの末裔で、類稀な魔導士だったという。
彼には婚姻間近に控えた美しい恋人フェリスがいた。だが、遊学中だったグラディオンの皇弟ゼルバに目を付けられ、彼女はさらわれ辱められてしまった。
フェリスは絶望のうちに自ら命を絶ち、慌てたゼルバは帝国に逃げ帰ると出家して大神殿に逃げ込んだ。深い悲しみと憎悪に駆られたレイル王子は、激情のままゼルバを追いかけ、己の魔力の全てを使って天から石を降らせた。
巨大な天の石は堅固な大神殿の結界を破り、尖塔を崩壊させ、大勢の神官もろともゼルバを圧し潰した。帝都に被害が及ばなかったのは、レイルに一抹でも理性が残っていたからだろう。
レイル王子は全ての力を使い果たして絶命したが、弟を失った帝王は報復処置としてベルルシュ王国に大軍を送った。
後になりレイル王子の凶行の原因がゼルバの愚行にあったと知った帝王は、己の浅慮を恥じて軍を引かせた。だが、時はすでに遅くベルルシュ王国は壊滅し、王族の殆どが命を絶たれていた。
この事件をきっかけにベルルシュ王国と友好関係にあったルドキア王国、カノス王国、キルロイ国などが同盟を組み、十年続く戦争に突入した。
皮肉なことに、この戦争がグラディオンを帝国へ伸し上げる切欠になる。
帝王アイゼア三世は自軍の指揮を高めるために、軍神カイの大神殿の復活をまるで奇跡のように演出するため、貴重な『リビル』を使ったのだろう。
やがて、ベルルシュ王国を含む三つの国が滅び、四つの国が属国となり、十年戦争は終結した。
「そのまま潰れていれば良かったものを…」
舌打ちしながら尖塔を睨むイオニスに、「何か言いましたか?ギルド長」とエミーが聞き返す。
「…いや」
これも私怨だとイオニスは言葉を濁す。物心付いた頃からずっとベルルシュ王国の亡霊に怨嗟を吹き込まれてきたのだ。




