その頃の帝国ギルドと不機嫌な客人
誤字報告、本当にありがとうございます。
休日出勤が入ったので、次回は週末になります。
グラディオン帝国の帝都ルードに本部を構える冒険者ギルドでは、ギルド長のイオニス・アルギュロスが各地から飛び込んでくる報告に唸っていた。
最初の異変は貴族の子弟が通う王立貴族学園で起こった魔力暴走事故だった。魔法障壁を施した演習場で生徒たちの協力魔法が暴走したというが、学生たちの魔力総量を考えれば異常な事態だった。
ターゲットの土人形数体を吹き飛ばす程度のトルネードが、見る見るうちに威力を増し、空まで届く巨大な旋風に変わっていったという。全てを切り刻む刃の渦が、逃げ惑う学生や教師たちを襲い、演習場は血の海に染まった。軽傷だった教師は「何か恐ろしいほど強い力が、突然干渉してきた」と話していたらしい。
その騒動の最中に、再び異変が帝都を襲った。事故から三日後の昼前、なんの前触れもなく大地が揺れたのだ。
地震など無縁の帝都はすぐに恐慌状態に陥った。貧民街はおろか、大通りに面した建物さえ突き上げるような揺れにダメージを受け、全壊あるいは半壊した。阿鼻叫喚が響く中、イオニスは三年前の大変動を思い出し、身震いしていた。
あの日、イルティア国でも大地が揺れ、いくつかの海岸線が崩れ落ちたという。そして西イルティア諸島の真ん中に新しい島が突如姿を現した。
それが、現在の孤島ダンジョンだ。
イルティアのギルドからの報告と同じような現象が、よりにもよって帝都で起こったのだ。どこかで再び大変動が起こっているということなのだろうか。ギルドの一階で職員と話していたイオニスは、その場にいた冒険者たちに怪我人の救助を頼み、職員たちには備蓄してある回復薬を運ぶように指示した。
ギルドの建物は最悪の状況に備えて、城塞並みの堅固な作りになっている。怪我人のために倉庫を開放することを考えながら、彼は各地のギルドと連絡を取るためにギルド長室に向かった。
イオニスが扉を閉めた直後、机に飾ってある小鳥の置物の目が青く光っていることに気付いた。
「ユージーン大神官か」
急いで小鳥に手を触れて魔力を通すと、ギルド長室は一瞬にして薄青い膜のような結界に包まれる。彼は机の引き出しから石板を取り出し片手で触れた。
目の前の空間が揺らぎ、すぐに白い神官服の端正な男が姿を現した。本物ではない、遠くにいる姿を再現したものだ。
『イオニス、大変動です。三年前より規模が大きく、全てのダンジョンが徐々に接触不能になっています』
神々しいほど整った顔が淡々と告げていく。三十も半ばのはずが、ランゼリア正神殿の大神官はずっと年下に見える。まるで出会った頃から少しも変わっていないようだ。
「緊急離脱はどれくらいできた?」
『四割、それ以上の救出は間に合いませんでした。警報を受けて避難をしている者たちもいますが…四千人以上が一瞬で犠牲になりました』
過酷な現実にイオニスは息を飲んだ。
「起点はどこだ?大変動に至る兆候はなかったのか?」
思わず攻めるような口調になる。ランゼリア正神殿が、世界中の攻略済みダンジョンのコアを支配下に置き監視していることは、各国のギルド長のみが知る秘密である。
『予兆はまるでありませんでした。あったとすれば、ルードで起きた魔力暴走くらいです』
「あれが…やはりそうなのか」
教師が言っていた恐ろしく大きな力というものが、今回の大変動に何かかかわっているということなのだろうか。
『今は取り残された冒険者の救出が先決です。実は、その行方不明の三万余名の中に、アリアンナが含まれているようなのです』
感情の薄い大神官にしては珍しく、沈痛な声になっていた。
「おい、それは本当なのか!」
思わず立ち上がってイオニスは声を荒げた。
『最後にあの子の魔力紋が感知できたのは、三の森ダンジョンの10階です』
ユージーンの言葉を聞いてイオニスは額を抑えた。
「すまん。こっちで起きた事故のために、大至急再生の杖が大量に必要になって…それでキリエが直接アリーに依頼したようだ」
『その件はこちらでも把握していますが、最悪なタイミングでしたね』
深く吐息を吐く大神官にギルド長は重ねて謝った。
「本当にすまない。なんとか救出できないものか」
アリアンナに緊急依頼をしたキリエ商会の会長キリエは、アリアンナの母エレインの妹であり、イオニスの妻でもある。
元々、三人は姉妹の兄アーロン・オルティスが団長を務める『落日の獅子』に属する冒険者だった。三十人ほどの個性豊かな熟練冒険者が集まる中でも、まだ若く未熟だった三人は少人数のクランを組んで活動していた。
途中で見分を広めるために旅をしていたコーネリオとユージーンの兄弟がクランに加わり、『落日の獅子』は名実ともに黄金期を迎えることになった。
若く才気に溢れた仲間と揺らぐことのない信頼関係。命を削り、血塗れになりながらも、胸が詰まるほど懐かしい日々だった。
やがて、彼は妹のキリエと結婚し、姉のエレインは若くしてランゼリア聖国の聖王となったコーネリアと結ばれることになった。
つまりアリアンナは幼い頃からよく知っている、もう一人の娘のようなものだった。
貧乏国の国母となったエレインの英才教育のおかげで、かなりシビアな金銭観念を持っているが、好奇心旺盛で勉強熱心なアリーは、親族のみならず冒険者仲間皆に可愛がられていた。
『神域からどこに飛ばされてしまったのか、今は不明です。ところで、その際にあの子の近くに王立貴族学園の学生三人がいましたが、もう一人の随行者はどういう人物ですか?そちらの冒険者のようですが』
「ちょっと待ってくれ。三の森ダンジョンに行った冒険者か?」
なんとなくそんな報告書を読んだ気がして、イオニスは机の引き出しを探した。
「あったぞ!王立貴族学園の学生たちが再生の杖が欲しいと言って、ギルドに相談に来たようだ。受付の職員が三の森ダンジョンを教えたところ、案内役を雇ってそっちに向かったと書かれている。同行している冒険者は…」
『ヴォルフ・ウォード、18歳の若さでいくつものダンジョンを経験している魔法剣士のようですね』
「ヴォルフ・ウォード…だと」
ユージーンが挙げた名前に驚き、イオニスは手元の書類に視線を落とした。
『なにか問題がある人物なのですか?』
「いや!いや、経験豊富な優秀な人物だ。不愛想だが人柄も悪くない。うん、彼が一緒なのは明るい材料だ。よし、俺は各地のギルドから情報を集める。また何かわかったら連絡を頼むぞ!じゃ、忙しいから!」
『待って下さい、まだ話が!こら、待て。待てと言っている、このハ●!』
暴言を吐く大神官との会話を押し切るような形で終わらせると、イオニスは禿げ上がった頭を抱えて椅子に座り込んだ。
「よりにもよってヴォルフも巻き込まれたのか…俺は知らんぞ」
ギルド長は呻くように呟いた。
あれから早五日。
帝都の動乱はすでに落ち着き、大通りをメインに復旧工事が進んでいる。
また、各国のギルドからは生還者の情報が次々と上がってきており、同時に死亡者の遺体もダンジョンから排出され、ギルドは家族や知人に遺品を引き渡す作業に追われていた。
一方、いまだに生死不明の冒険者は多数いた。三年前の大変動から行方不明の『灼熱の牙』のように、このまま長い間救出できない可能性もある。
イオニスは家に帰る時間も惜しんで、ひたすら情報収集に努めていた。常時、魔道具に魔力を流しているため、顔色が悪く生気が抜けたようになっている。
「ギルド長、少しは休んだらどうですか」
見かねた副ギルド長のバリー・グレイソンが、自ら配合した薬草茶を渡した。その不味さを知っているイオニスは、眉を顰めてグビリと飲み干し「まだ大丈夫だ」と連絡用の石板に魔力を込める。
「ギ、ギルド長!お客様です!」
そこへ慌てた様子の受付職員アデラが飛び込んできた。
「許可も取らずに入室するなど何事ですか」
即座にバリーの叱責が飛ぶ、ギルド長より厳しいことで知られている副ギルド長の在室に、年若い受付嬢は竦み上がる。
「申し訳ありません!あの…入ってよろしいでしょうか?」
すでに入っているので今更だが、イオニスは「許可する」と答えた。
「それでお客様というのは?」
バリーが尋ねると開いたままの扉の横から大きな影が入り込んできた。その姿を見た途端にバリーとアデラがその場に片膝を付いて頭を垂れる。そこにいるのは、まだ若い長身の青年だった。
「私が客だ」
黒いマントのフードを払うと、一つにくくった長い金髪と碧い瞳があらわになる。酷薄に見えるほど冷ややかな美貌だ。しかし、バリーたちが敬意を払ったのは、その貴族然とした容姿にではない。
男が身に着けているロングコートとロングブーツ。『暴虐の門』の時代に討伐された魔竜ハイドラの革で作られたそれが、そのままその青年の高い身分を示していた。
当時、大地を蹂躙する巨大な魔物を討伐できたのは、アイゼア王子が率いる一握りの英雄たちのみだった。やがて、長い戦いが終わると、ハイドラを含む魔物の素材は仲間たちに平等に分配されることになった。二百年たった現在でも、伝説の魔物の革を身に付ける者は、英雄の末裔の大貴族と目されていた。
「お貴族様が何の御用で?」
しかし、迎えるイオニスの態度は不遜そのものだった。
「膝を付かないか…なるほど」
「ギルド長、マズイですよ!」
震え上がったアデラが慌ててイオニスのズボンの裾を引っ張る。
「お前たちは席を外せ」
視線を貴族の青年に向けたまま、イオニスは二人を退出させた。その間に青年は勝手にソファに座り、長い足を組んでいる。
「お貴族様に出せる茶はないですよ」
「結構だ」
庶民の出すものなど口にする気はないのだろう。そう考えてイオニスも貴族の向かいに腰を下ろした。
「それで?何の御用ですか、アーテル殿」
黒く染め上げたハイドラの革には手の込んだ飾り模様が施され、聖獣グリフを掘った白金を留め具に使っている。グリフはアーテル家の紋章である。それを堂々と身に纏う青年はアーテル公爵家の直系に他ならない。
アーテル公爵家は、代々グラディオン帝国軍で元帥や将軍を輩出する名門貴族である。本来ならば一介のギルド長など平伏して迎えるべき立場なのだが、イオニスにその義務はない。
なぜなら彼もまた英雄を先祖に持つ一族の出身だった。それに思い当たったのか、青年は面白くなさそうに眉を寄せた。
「人を探している。こういえば理解できるだろう?」
「さあ?此度の地震騒動ではいまだに行方不明の人間がいると聞きますが、ギルドではなく国軍の帝都警邏隊にお尋ねいただいたほうがいいのでは?」
帝国は冒険者ギルドを容認しているものの、今の今までその活動に関与してこなかった。付近に脅威になるようなダンジョンがないこともあって、ルードで暮らす貴族も帝都民も城壁の外で起こることには無関心だ。
遠い領地で年に数回発生する大小さまざまなスタンピードにも、帝国が騎士団を送ったことはない。その都度領主に依頼されたギルドが、領兵と協力して討伐するのが基本になっている。
当然、前回のダンジョン大変動についても、報告を上げたものの音沙汰なし。今回も同じ結果だろうと考え、報告は放置したままである。
「貴殿とふざけている時間はない」
「ならば、失礼ながら卒直に申し上げよう。今はあんたにも俺にも出来ることは何もない。おとなしく事態が好転するのを待つんだな」
怒り出すかとイオニスは構えたが、相手は不愉快そうに吐き捨てるだけだった。
「打つ手はなしということか」
その声に僅かな焦燥が見えて、イオニスは挑発を止めた。
「不明者の捜索は全力で当たっている。大変動は収束までに数か月から数年かかることもある。かの『暴虐の門』の際は、完全に門が閉じるまで二十年近く有したという。まだ五日目だ、焦るには早い」
アーテル家の青年はイオニスを睨みつけた。
「そんな悠長なことは言っていられない」
知ったことかと、イオニスは渋面を作る。
「本人はそっちのほうがいいだろうな。あんたにも都合がいいんじゃないのか?」
最後の一言に青年貴族は席を立った。その身に纏う怒りにイオニスは笑いを押し殺す。
「進展があれば使いを出す。それまでは…大事なお役目をこなして下さい」
慇懃無礼に礼を取ると、青年は無言で転移魔法を使って姿を消した。
「案外、情があるんだな」
青年にはああ言ったものの、状況は最悪だった。アリアンナが三の森でシェルターを使った形跡は、セキュリティの記録に残っていた。だが、肝心のシェルターを使った場所自体がどこかに転移してしまったのだ。
「運よくダンジョンコアが回復すれば救出できるんだが…」
『攻略済のダンジョンであれば』という但し書きが付くのだが、今はそれに期待するしかなかった。