守銭奴王女、不在の国にて
国名を変更しました。
前の話もおいおい修正していきます。
×グラテディオン→○グラデイオン
自分でも発音面倒でした。今回は説明回です。風呂敷はいずれ畳むために、可能な限り広げます。
「どうです、直りそうですかねえ」
水車小屋の脇を流れる川の上流から、心配そうな声が聞こえてくる。
「あ~、主軸が折れているから、ホブの工房に新しい水車を頼んだほうがいい。とりあえず、応急処置はするが長持ちはしないだろうな」
ランゼリア聖国の聖王コーネリオは答えながら、曲がった水車の軸に修復と強化の魔法を掛ける。一時しのぎだから数ヶ月くらいしか持たないだろう。
「いやぁ、助かりました」
ほっとしたように笑うのは、水車小屋の持ち主で粉屋のロビンだ。ロビンは水魔法で川の流れを堰き止めていたが、コーネリオの合図で魔法を解いた。すぐに水車が回り始め、小屋の中から回転棒に巻き上げられた杵が、ドスンドスンと臼を突く音が響いてくる。
「これで、パン屋に届ける小麦粉が間に合いそうです」
帽子を脱いで頭を下げる粉屋に片手を上げて応え、聖王は鷹揚に頷く。
「小麦粉が無くなったら、我が国の一大事だからな。また、何かあったら呼ぶように」
汚れた手をパンパンと叩き、コーネリオは草花が咲く小道を鼻歌交じりで歩き出した。こうして民の生活を守るのも、聖王の大事な仕事である。
「おはようございま~す、聖王陛下~。あとで豆とチーズを持っていきますね~!」
遠くから羊を追っている男が手を振っている。先日、迷子になった羊を探してやったスコットのようだ。羊のチーズは塩辛くて硬いが保存が利く。その上、ランゼリア産の赤ワインによく合うのだ。
とはいえ、自国産のワインを飲めることなど滅多にない。最高級品と名高いランゼリア産ワインは、いまだに大陸中の王侯貴族の垂涎の的で、その一滴は黄金の価値がある話と言われている。
要するに自分の口に入れるよりも、他国の商会を通じて売ったほうがより大きな稼ぎになるのだ。その儲けで南セプト産の庶民向けのワインを数本買うのが、彼の唯一の贅沢だった。
その昔、世界中から沢山の巡礼者がランゼリアを訪れていた頃は、神々の御座所と呼ばれるレザーノフ山の裾野には、広大なブドウ畑が広がっていた。その聖域で作られるブドウは常に最高の品質に育ち、それを正神殿で修行中の神官たちが丹精こめてワインに仕込んでいたという。
出来上がったワインは、まず神酒として神々に捧げられ、残りは世界各国の王侯貴族に神々のお裾分けとして珍重されてきた。
古き良き時代の話である。
しかし、この二百年の間にすべてが変わった。
きっかけは、最初の大変動だった。
ある日、遠い昔に閉鎖され、人々の記憶から消えかけたダンジョンが突然崩落し、深い亀裂となって地表に姿を現した。
のちに『暴虐の門』と呼ばれるようになったそこから、大量のモンスターが沸き出て、次々に周囲の村や町を飲み込んでいった。抗うすべもなく人々は虐殺され、家畜も作物も残らず貪り食われた。その無慈悲なパレードの後には、剥き出しの土くれと僅かな骨しか残らなかったという。
この危機的な状況で立ち上がったのが、グラディオン国のアイゼア王子だった。軍神カイの血を引く英雄は、大勢の仲間を従えてモンスターの大群を討伐し、ついには『暴虐の門』を封印したのだった。
アイゼア王子は帰国後、すぐに父王より玉座を譲り受け、グラディオン国の王になった。ここまでならば後世に語り継ぐ英雄譚で終わっただろう。だが、世界の混沌はここから加速していった。
モンスターにより二つの小国が滅び、代わりに魔石や角や牙など希少価値のある土産付きの広大な空き地を残った。これらの所有権を巡って、今度は人間同士の戦いが起こったのである。
アイゼア王自身は欲のない公正な人物だったようだが、軍神カイの大神官ルトノアはこの機会を逃すまいと暗躍した。
世界の危機に沈黙していた神々を追放し、軍神カイこそ唯一神であると説き始めた。そして、軍神の末裔であるグラディオン王家が世界の頂点に立ち、人々を率いていくのだと…。
アイゼア王は他国の反発を考え、ルトノアの主張を由とはしなかった。
だが、ルトノアは諦めなかった。
巨大化した軍部と結びつき、軍神カイ以外は邪神であるという教えを国内で広め、幼いアイゼアの息子エリックを洗脳していった。やがて、アイゼアが若くして没すると、新国王エリックの名の下に周囲の国々を次々に呑み込み、六神の神殿を全て打ち壊したのである。
こうして、人間の手によって神々の存在は天上から引き摺り下ろされ、踏み躙られたのだった。
やがてグラディオン国は帝政を布き、幼いエリック王を初代帝王に掲げ、更なる侵略戦争にのめり込んでいった。
その長い戦乱の間に、世界中から修行に来ていた神官たちの足はランゼリアから遠のき、正神殿の周囲にあった宿坊は荒れ果て、石畳が磨り減るほど賑わっていた参道は草木に覆われていった。
同時に世界中から神々の加護が薄れていき、土地は少しずつ瘦せ始め、家畜の出産率は下がっていった。それに相反するように、凶悪なモンスターが森や海、人里近くにまで出没するようになった。
(この世界でどれだけの人間がこの事態に気付き、危機感を抱いているだろうか)
コーネリオは憂いを帯びた眼差しを聖なるレザーノフ山に向る。
(この神々の御座所の裾野ですら、年々収穫が減りつつある。世界から全ての加護が消えたとき、いったいどうなってしまうのだろうか)
見上げた青い空に白い鳥を見つけて、コーネリオは片手を上げた。パドと呼ばれるどこにでもいる野鳥で、平和の象徴とされている。パドはまっすぐ彼の元に飛んできて、その手に止まるやいなや一通の封書に変わった。
伝書パドと呼ばれる伝達魔法だ。封書を開いたコーネリオの表情が一変する。次の瞬間、聖王はレザーノフ山の中腹にあるランゼリア正神殿の転移陣に立っていた。
「ユージーン、新たな大変動が起きたというのは本当か」
正神殿は強大な二枚の岩を扉に山の中に造られている。つるりとした金属のような床には美しい幾何学模様が刻まれ、そこから七色の光が不規則に浮かんでは消えていく。
「お待ちしてました、兄上」
王を迎えるのは長い銀の髪を床に付くほど伸ばした、二十代半ばに見える青年だった。本来の年齢はコーネリオ王の三つ下の三十五歳なのだが、ユージーンは膨大な魔力のせいで、年を取りにくくなっていた。
彼は十五の頃から魔力の暴走を防ぐために、この正神殿で大神官を勤めている。
「起点がどこか特定できたか?」
王家の兄弟は話しながら神殿の奥に進み、祭壇下の隠し階段から地下に降りていった。辿り着いた場所は壁に何枚もの四角い石版が埋め込まれた部屋だった。
「一番強い反応はグラディオン帝国ですが、まだ正確な場所までは…。今まで以上に大きな変動ですから、安定させるまでどれくらい時間が掛かるか分かりません」
ユージーンは壁に向かう椅子に腰を下ろすと、両手を宙に向けた。白い石版が次々と光を放ち、そこにさまざまな映像が浮かび上がってきた。
「各ダンジョンのコアに干渉して、冒険者には緊急離脱の警告を出しましたが、兆候から変動が始まるまでの時間があまりにも短かった」
ユージーンは疲労が滲む声で言った。
「レスガリアで現在稼動中のダンジョンは全部で九十二。大変動が起きた時、五万八千三百六十四人がダンジョン内部にいました。そのうち、四千十五人の冒険者が死亡しています」
ユージーンが片手で中央の石版に触れると、そこに次々と赤い色で名前が浮かび上がっていく。聖神殿にはこの世界に生まれた全ての生き物の情報が集まっている。その膨大な記録に自由に触れられるのは、大神官と聖王のみだった。
「それほどの被害が出たというのか、なんということだ」
コーネリオは声を詰まらせ、壁に手を突いた。
「しかし…今回の犠牲者に、義姉上たちの名前はありませんでした」
小声で囁かれた台詞に聖王は安堵する。三年前の大変動で行方不明になった妻とその仲間たち。女性ばかりのパーティだったが、『灼熱の牙』の実力は世界屈指といわれていた。
「そうか」
短く答えてコーネリオはエレインの陽気な笑顔を思い浮かべる。
『大丈夫よ、きっと私が原因を突き止めるから。あなたは子供たちを守ってね』
大変動が起こるたびに、世界は少しずつ壊れている。美しい山の稜線が崩れ落ち、豊かな草原が砂漠化し、命の源である川が消えていく。
その変化があまりにもゆっくりであるため、誰も大変動との関係に気付いていない。気付いたところで何もできないのが現状だったが、エレインは大変動の原因を突き止めるために、各地のダンジョンを巡っていた。
三年前、ユージーンが変動の兆候に気付くと、彼女は『灼熱の牙』の仲間たちと一緒に旅立っていった。
『ブドウの収穫までには戻るわ。いっぱいお手伝いしてお裾分けしてもらわなくちゃね。キリエ商会がまた高く買い取ってくれるわよ』
臨時収入に意気込むしっかり者の妻を見たのは、それが最後になった。あの秋、帰らない母の代わりに、娘のアリアンナががっちり働いて稼いでいた姿に、父として涙が禁じえなかった。
「兄上、実は…今回の大変動にアリアンナが巻き込まれています」
思いつめたように切り出した弟の言葉に、コーネリオは顔色を変えた。
「アリーが?あの子まで巻き込まれたのか!どうしてそんなことになったのだ」
「依頼です!キリエ商会から緊急の依頼があったようなのです」
首を絞めんばかりに詰め寄る兄から逃げて、ユージーンは説明する。
「キリエ商会がなぜ…」
キリエ商会は、グラディオン帝国の帝都に本店を置く魔道具から嗜好品まで幅広く扱う商店であり、その経営者はエレインの実の妹である。ランゼリアの農産物もキリエ商会を通じて、他国に輸出している。
「帝国の学園で魔法の発動中に事故が起こり、重傷者が大勢出たようなのです。キリエ商会は『再生の杖』を学園に卸していたので、頼られたのでしょう」
使用回数がゼロになった杖は、該当する神殿で祈りを捧げてもらうことで回復するのだが、肝心の神殿がグラディオン帝国にはない。
『再生の杖』なら、三の森にある生命と大地の女神メラナのダンジョンに持ち込み、地下十階まで降りていけば完全回復する。エレインがいた頃は、そうした細かな仕事も彼女と仲間が引き受けてくれていたが、今はアリアンナが一人で担っていた。
「だから、嫌だったのだ」
コーネリオは石版に両手を付いて唸った。
いつかこんな事が起こるのではないかと、ずっと危惧していた。いくら止めても娘はダンジョンに潜り続けていた。
自分が聖王でなければ、いくらでも代わりにダンジョンに潜っただろうが、自分の使命は家族や国を守るだけではすまない。ランゼル神の直系としてこの世界に果たすべき役割がある。それは次代の王である息子も同じだ。
それを知ってか知らずか、アリーは弟や国のみなのために率先して魔物を狩りに行くのだ。まるでエレインの代わりをしているように…。
このままではエレインだけでなく、アリアンナまで失ってしまう。何よりもそれが恐ろしかった。
帝国からの嫌がらせのような後宮の誘いに娘を送り出したのも、少しでもダンジョンから遠ざけたかったからである。
「兄上、大丈夫です。アリーも彼女の同行者も無事です」
弟の言葉に聖王は顔を上げた。
「無事なのか?」
「はい、三の森ダンジョンのセキュリティシステムに無事離脱したことが記録されています。ただ、現在の転移地点が不明で…変動が収まるまで突き止めるのには、少し時間が掛かりそうです」
少しだけほっとしてコーネリオは目元を指で揉む。
「エレインたちのように、未確認のダンジョンに飛ばされてなければいいんだが…」
正神殿のシステムでも、発見されていないダンジョンの情報は調べることはできない。通信魔道具や緊急離脱の魔道具を持った『灼熱の牙』から三年間も何の連絡がないのは、よほど特殊なダンジョンの深部に落ち込んだせいだと考えられている。
世界には魔道具が全く使えないダンジョンや、武器が持ち込めないダンジョンなど、捻くれた特殊なものも少なくない。
「ところで同行者というのは誰なんだ。あの子はいつものように一人で出掛けていったようだが…」
初めて帝都に行くのだから、形だけでも供を付けようと提案したのだが、アリアンナは隣国から転移陣を使って行くからいいと拒否したのだ。
「帝国の学生三人と案内役の雇われ冒険者が一人、『再生の杖』目的で三の森に来ていたようです。番人の村人から報告がありました」
「そうか。キリエ商会に連絡して、あちらに何か情報がないか聞いてみよう」
「帝都の冒険者ギルドにも連絡してみます。あちらのギルド長も情報が欲しいでしょう」
大神官はそう言いながら、すでに長距離通信魔道具を起動させている。
「これが…始まりでなければいいのですが…」
弟の小さな呟きを拾って、聖王コーネリオは神に祈りたい気持ちになった。
今はどこにもいない神々に、それでも縋りたかった。