守銭奴王女、釣り人に遭遇する
どうも本当にお久しぶりです。引越し、転職で、長らく離れていましたが、ぼちぼち戻ってきます。
よろしくお願いします。
一部センカイバがセンゴクバになっていました。ご報告ありがとうございます。修正しました。
「ヴォルフ、先に進めないの?」
先頭の男たちに追いついたアリーは大声で尋ねた。あちこちから聞こえるダンジョンが潰されていく音のせいで、声が通りにくい。
「あの先に進んでいいのか、迷っていた」
仏頂面の冒険者が指差す先を見つめ、アリーは目を見開いた。行く手には巨大な口を開いた何かが立ちはだかっている。すっかり水没してしまった通路は、まっすぐその中へ続いているようだ。
「あれって…千壊刃なの?私の知っている雑魚モンスターより十倍以上大きいんだけど…」
センカイバは海のダンジョンの浅い階層に現れる怪魚で、口の中の無数の尖った歯で獲物を磨り潰して食べるために、その名前が付いている。駆け出しの冒険者が最初にてこずる相手だが、淡白な味が人気で市場にも並ぶほどありふれた魚だ。
ただし、体長が一メートルほどならという条件が付く。目の前の怪魚は開いた口が直径五メートルくらいあり、その先には黒々とした闇が待ち受けている。
「まるでダンジョンと一体化しているようだ。どうすればいい」
凍りついたように固まっている二人の仲間を庇いながら、ブランドンが訴えてきた。
「そうか、ダンジョンと一体化しているのか」
考え込むようにヴォルフが呟き、何かを思い付いたようにアリーを見た。アリーも彼の言葉で閃く。センカイバがダンジョンの一部ならば、それを利用すればいいのだ。
「みんな、一緒に飛び込むわよ。中に入った瞬間にシェルターを使うから」
「それで大丈夫なのか?」
不安げに訊きながらも、ブランドンは自分より小柄なニコラスとジェイダを両脇に抱えあげる
。
「きゃあああ」
「おい、なんで僕まで…おろせよ!」
二人は慌てて悲鳴を上げるが、ブランドンはそ知らぬ顔で荷物扱いしている。
「ドグウさん、シェルターの成功率は?」
念のためにアリーはここまで案先導してくれたガーディアンに質問した。ドグウは感情のない声で背後まで迫っている危機を伝えてきた。
『シェルター成功率60パーセント、現在のダンジョン融合率97パーセント。フロアの消滅までカウントダウン開始』
「迷っている暇はないぞ!」
ヴォルフが急かすように叫ぶ。その瞬間にも逃げ場を求めて海の魔物たちが押し寄せ、それを四体のハニワたちが文字通り体を張って防いでいた。
『アリー様、早くイクヨー』
『後はマカセルヨー』
ハニワたちは山のような大きさの蟹に体当たりしながら、アリーたちに逃避を促す。その土製の体はボロボロでいつ崩れ落ちてもおかしくない。
「馬鹿、あんたたちも一緒に行くの!」
アリーは胸のポケットから透明な網を取り出すとハニワたちに投げつけた。
『キャー、べとべとー!』
『フラグの回収ガー!』
網で捕らえたハニワたちを引き寄せるアリーに、ヴォルフが訊く。
「なんだ、それは?」
「投網よ、投網。二の森ダンジョンでドロップする蜘蛛姫アラクネの糸で作った投網よ」
簡潔に説明するアリーの背後でヴォルフがブツブツと言う。
「いったい、どれだけ聖遺物を持っているんだよ」
「ハニワ捕獲も済んだし、行くわよ!」
センカイバに向かって歩く背中には投網に捕獲されたハニワたちがブラブラと揺れている。
「おい、あれはいいのか?」
たった一体残って魔物を殲滅し続けるドグウを振り返り、ヴォルフは訊いた。アリーは視線だけ背後に向けると、少しだけ切なげに茶色の瞳を眇めた。
「ドグウさんは…ハニワたちと違って中には何も宿っていない、空っぽなの。それにシステムの一部だから連れていけないのよ」
少女の言葉はヴォルフには理解できない部分が多かった。ただ、空っぽなドグウが迎える残酷な最期を、気丈な少女が悲しんでいることだけは見て取れた。
「行くぞ」
何かを振り切るようにヴォルフはアリーの左手を掴んだ。
「ちょっ…」
いきなり手を掴まれてアリーが抗議の声をあげる。
「抱き上げたほうが良かったか?」
ジェイダとニコラスを両脇に抱えているブランドンを見ながら、ヴォルフがからかうよう言ってくる。
「いらないわよ、離してよ」
むっとするアリーに、黒髪の冒険者は真顔で告げた。
「万が一シェルターが失敗した時、あの闇の中ではぐれないように、この手は繋いでいく」
あそこに口を開けているのは『絶望』かもしれない。
『死』が待ち受けているかもしれない。
ヴォルフが言葉にしなかった可能性にアリーは身震いし、無意識に冒険者の手を握り返していた。
センカイバの正面まで進むと、アリーは祈るように銀色の球体をぎゅっと握りしめた。その表面に刻まれ青い文様は、古代ランゼリア語でシェルターという意味を表している。
遠くからドグウがカウントダウンする声が聞けてくる。もう姿は見えなくて、その音声も切れ切れだ。
「みんな、せーの!で飛び込むからね!」
そう宣言して、アリーは帝国の若者たちを見渡した。みな、覚悟を決めたのか無言で頷いている。
つい昨日までは名前も知らなかった赤の他人だ。それが今は運命を共にする仲間になっている。人生とは不思議なものだと、どこか他人事のように考えながらアリーは声をあげた。
「行くわよ!」
「おう!」
短くヴォルフが答え、一緒に叫ぶ。
「せーのっ!」
「うおおお!」
ブランドンの雄叫びとジェイダの「きゃああ」という小さな悲鳴が聞こえ、ヴォルフがいっそう強く手を握ってくるのを感じた。水に浸かって冷え切っているはずなのに、それでも繋いだ手からじんわりと温もりが伝わってくるようだった。
センカイバの口の中に飛び込んだ瞬間、アリーは手の中の聖遺物に魔力を注ぎこんだ。眩い光の中が弾けるように広がって行き、一瞬意識が薄れる。
やがて、気が付いた時には彼女は美しい森の中にいた。
「えっ…?」
理解が追いつかずにアリーは辺りを見渡した。新緑の枝を揺らして小鳥が囀り、白い草花の上をミツバチが羽を鳴らして飛び交っている。
「えっ…ここどこ?」
あきらかにダンジョンではない。春先の淡い色合いの空、清清しい香りを含んだ風。穏やかで、心が柔らかく寛いでいく。
「おや、珍しいね」
不意に男の声が聞こえた。木々の隙間から青い湖が覗き、そこに背の高い男が立っていた。
「こんな所まで来てくれたお客様は数年ぶりだよ。こっちにおいで」
笑顔で手招きされてアリーは枝を避けながら近づいていく。見知らぬ場所で、見知らぬ人間に出会ったというのに、彼女は警戒することを忘れていた。いや、警戒させない何かをその男から感じていた。
「あの…」
ここはどこかと問いかけて、アリーは男が釣竿を湖の向けていることに気付く。しかし、その釣竿には針どころか糸も付いていなかった。
「釣り…ですか?」
「ああ、遠い世界の大昔に太公望と称されて老人がいてね。彼は真っ直ぐな釣り針で大魚を釣り上げたという逸話があるんだ。だから、私もここで試しているところなんだよ」
それはさすがに無理があるのではと思いながら、アリーは思わず呟く。
「それで釣れたらぼろ儲けですね」
糸も針も餌もいらない釣りなんて、素晴らしいコストダウンだ。彼女の反応に男はクスクスと笑う。
「君はお母さんと同じことを言うんだね」
「母を知っているんですか!」
驚いて顔を上げたアリーは、初めて釣り人の顔を正面から見た。銀の美髪は背中の半ばまで届き、瞳も銀と紫の混ざった不思議な色合いをしている。美形揃いの国で育ち、美男は見飽きているアリーでさえも目を奪われるほど、恐ろしいほどの美丈夫だった。
瞬時にアリーは悟った。
これは神に近い存在、あるいは神そのものだ。思わず膝を付こうとして、アリーは止められる。
「あまり時間はないよ。君の母エレインは三年前にここに迷い込んできたお客様だった」
「三年前って…あの大変動の時に?は、母は無事なんですか?今どこにいるのか、ご存知なら教えてください!」
「う~ん、私は外の世界に干渉できないんだよ。こうして君と話していることも、アレに気付かれたら危ないんだ」
釣り人は困ったように眉を寄せる。
「お願いします、少しでいいから情報を下さい!」
必死に縋るアリーに釣り人は根負けする。
「本当に居場所までは知らないんだよ。エレインたちには神々の加護が何重にも掛けられているからね、ちょっとやそっとじゃ野たれ死ぬことはない。そうだな…また君がここに来ることができたら、その時までに調べておいてあげよう」
「ありがとうございます!」
無事ならそれでいい。アリーは安堵して笑った。
「さて、そろそろ戻ったほうがいいね」
釣り人がアリーの左手を指差して言った。彼女の手を覆うように大きな手の形の影だけが見えた。
「これは…ヴォルフの手?そうだ、みんなは…」
アリーはうろたえる。
そうだった。みんなでセンカイバの口に飛び込んだのだ。それなのにどうして自分だけこんな場所にいるのだろうか。なぜ今の今まで、そんな重大なことを忘れていたのだろうか。
「良かったね、彼が繋ぎとめていなければ戻れなかったかもしれない。ここは深神界、普通の人間なら、意識どころか、存在自体があやふやになる場所だよ。さあ、お帰り。仲間が待っているよ」
釣り人はそう言いながら片手を振った。
「残りの生を楽しんでね。君たちには本当にもう時間がないんだから…」
「待っ…」
最後に言われた言葉の意味が分からず、アリーは釣り人に向かって手を伸ばすが、その手は空を切り、彼女は再び光の中に引き戻されていた。