守銭奴王女、お布施をする
お久しぶりです。ちょこっと更新です。
神域の扉が開かれると立ち塞がっていたドグウがくるりと方向を変え、先導するように音も無く階段に向かって進み始めた。足らしきものはあっても移動は地面から浮いたままらしい。
「なんだか、やけに静かだな」
声を潜めてブランドンが呟く。
「問題はここから先だ」
ヴォルフは剣を抜き、切っ先を下に向けたまま言った。この先何が起こるのか、みなの不安が高まっていく。地下九階に続く階段を警戒しながら上っていくと、見覚えのあるレリーフに囲まれた通路に出た。壁の中の魔物たちは活動を停止しているようで、微動もしない。
「この調子ならすぐに地上に戻れそうだね」
ほっとしたようなニコラスの言葉に、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。無駄な戦闘や選択式の問答が無ければ、サクサク先に進めそうだった。
『油断したらダメヨー』
ニコラスの背後にいた青い花のハニワが言い返した。
「あ、ごめん。そうだよね。って言うか、君たちはどこまで着いてくるんだ?」
謝ったあとでニコラスは周囲にいるハニワたちを見下ろした。ドグウと同じく床から少し浮いて移動するため、音一つ立てないままハニワたちは付き従っていた。
「ハニワちゃんたち、もう戻ったほうがいいんじゃないの?」
ジェイダもピンクの花を咲かせたハニワに話し掛ける。のっぺりとした筒状のハニワは、とても戦闘向けとは思えなかった。
『お客さん、マモルヨー。だから、またコイヨー。マッテルヨー』
健気なハニワの言葉に治療士は言葉を詰まらせる。
「…うん!また来るね。ハニワちゃん」
振り返って、ふわふわした美少女とハニワの感動的なやりとりを見ていたヴォルフは、恐ろしそうに眉を顰めた。
「あれは無事に逃がしておいて、次もたっぷり毟り取る作戦だな」
『お客さん、カンガエスギヨー』
ヴォルフの真横で赤い花のハニワが、くるりと回りながら言い返す。
「ふん、無害そうな素振りをしていても、お前らの恐ろしさは知っているぞ。俺の財布の重さを半分にしやがって…」
『ゴメンヨー。ツギはもっとオモテナシするよー。お詫びに幻の大吟醸用意するヨー』
赤い花のハニワは踊るように回転しながらヴォルフの周囲を回った。
「ま、幻だと?そのダイギンジョーというのはなんだ?」
『純米酒のサイコウホーヨー、美味しいヨー』
「最高峰…だと」
ゴクリとヴォルフが息を呑んだところで、背後からブランドンに頭を叩かれた。
「しっかりするのだ、ヴォル。何かに操られているように見えたぞ」
「しまった!」
またもやハニワトラップに嵌ってしまうところだったと、ヴォルフは冷や汗を拭う。
『…ちっ』
「おい、アリー!今、舌打ちしたぞ。何なんだ、このハニワ」
「何って、とても商売熱心なイイコじゃないの」
ヴォルフの側を離れて近づいてきたハニワを見て、アリーは続けた。
「なんといっても、この私から銀貨五枚も奪い取ったんだものね」
アリーは赤い花のハニワが、自分の部屋の客室係だったことを見抜いていた。同じ花に見えても、それぞれ特徴がある。
今、目の前で誤魔化すようにくるくる回っているハニワの花は、赤一色に白い水玉模様が付いている。
『アリー様、ゲンキ。ヨカタヨー』
「あれで効かなかったら、その花を毟りとっていたわよ」
『……』
心なしかハニワがガクガクブルブルと震えている。
「なんてね、そんなことしないワヨー」
ウフフーと笑うアリーの笑顔に周りが顔を引き攣らせたその時、足元が大きく揺れた。ジェイダが悲鳴をあげ、アリーにしがみついてくる。
「な、なんで揺れているの!」
「アリー殿、これは何なのだ?」
立っていることさえ難しくなって、全員床に膝を付いた。どこからか何かが軋む音が聞こえてくる。
『警戒レベル上昇中。警戒レベル上昇中』
ドグウの甲高い声で、アリーは表情を引き締めた。
「ヴォルフ!急いだほうがいいわ」
「ああ、全速で走るぞ!次の階段に案内してくれ!」
冒険者が叫ぶと、すぐにドグウは迷路のようなダンジョンの中を素早く進み出した。いくつかの角を曲がり、彼らは最短で次の階層に向かう階段にたどり着く。
地面の揺れは収まっていたが、何かが軋むような音は相変わらず続いていた。
「みんな急いで!」
アリーは先を行く若者たちを急がせる。振り返って見た通路は、徐々に幅が狭くなって階層そのものが何かに押し潰されつつあった。
「早く、上の階に行って!」
必死に叫びながらアリーも全力で階段に逃げ込んだ。しかし、異変はまだ始まったばかりだった。
「まずいな、この階段…下っている」
前を行くヴォルフが真っ先に気付いて言った。
「え、まさか…。今、地上に向かっているんでしょ?」
帝国の治療士の声は震えている。出口に向かったはずが、再び地下に戻っているという奇妙な状況に、恐怖に取り付かれたようだ。階段の途中で足を止めて、ヴォルフは唸った。
「この変動は…不味いぞ」
「不味いとは…具体的に我々はどのくらい危険な状況なのだ?我々には判断がつかないのだ、教えてくれ」
ブラントンが率直に尋ねてきた。
「ドラゴン二匹の喧嘩の真ん中に放り出されても、生き残る可能性はある。しかし、大変動で階層が消滅し始めれば、生存率はそれよりずっと低くなる。そして、さっきからギシギシ聞こえているのは、階層が潰れていく音だ」
冒険者は淡々とした口調で事実だけを告げる。
「私たち死んじゃうの~?」
ついにジェイダは泣き出した。
「死なないわよ!ヴォルフ、先に進んでシェルターを張れる場所を見つけて!変動をやり過ごすしかないわ」
四人を追いかけてきたアリーが先頭の冒険者に聞こえるように叫んだ。
「シェルターが使えるのか?」
ヴォルフが驚いたように聞き返す。シェルターは空間魔法の上位魔法で、魔力が続く限り任意の空間を、物理や魔法による攻撃から守ることが出来る魔法だ。
「聖遺物にシェルターを作れる魔道具があるの。急いで!」
「そうか、生き残る可能性が見つかったな」
再び彼らはドグウの先導で階段を駆け下りていった。今までにないほど長い階段を折り続け、ようやく次の階層に見えた途端にドグウが動きを止めた。ヴォルフが片手を上げて、背後の仲間に止まるよう指示する。
「どうしたのだ?」
ヴォルフの背後から下の階を見下ろしたブラントンは、息を呑んだ。続いてやってきたニコラスも階段から下を覗いて呆然とする。
「なんだ、ここ」
そこにはダンジョンなら当然あるはずの迷路のような通路も、魔物が待ち構える部屋も無い。ただ、霧に包まれたような空間がどこまでも広がっているだけだった。
『警戒レベルレッドゾーンに突入。これより攻撃モードにシフト』
甲高い声で報告したドグウの目がカッと開かれ、赤い光が霧の中に向って放たれた。バシャンと水音が響き、何かの断末魔の声が聞こえてきた。
「水?いや、潮の香りか?」
様子を伺っていたヴォルフが呟き、片手を上げて火球を作り上げる。その炎に練りこまれた魔力の密度にアリーは目を見張った。ヴォルフは作り上げた火球を霧の中に放り投げ、爆発させた。
一瞬で霧が晴れたかと思うと、彼らの前には一面の水面が現れた。寄せて返す波の間には、飛び飛びに黒い岩が見えるが、それ以外は部屋も何もない。
「これもダンジョンなの?」
いきなり現れた海に、ジェイダが呆然とする。
「海に関するダンジョンで俺が知っているのは二つ。一つは冒険者なら誰もが知っている『海神の洞窟』、もう一つは三年前の大変動で生まれた西イルティアの『孤島ダンジョン』だ。どちらもモンスターは海洋系で、中には海の中を泳いで進む階層もある」
ヴォルフは自分の考えを纏めるように説明した。
「もう一つ…カノー神が創られた二の森ダンジョンも海がステージになってるわ。でも、ドグウさんが攻撃体制に入ったから、二の森ダンジョンじゃないことは確実よ」
視線をヴォルフに据えてアリーは続けて言った。
「どちらにしても、このままじゃシェルターは使えない。なんとか次の階に進まなくちゃ…」
「そのシェルターという魔道具を、この階全部に使うことは無理なのかな」
ニコラスの疑問にブランドンとジェイダも縋るような目を向けてくる。
「無理よ。元々シェルターという魔法は、安全な小部屋に強固な障壁を作って避難場所にするものなの。壁も見えないこの空間は範囲が広すぎるし、何よりどこに潜んでいるか分からないモンスターと、長時間一緒に閉じ込められることになるわよ」
アリーは首を横に振って説明し、霧が晴れた海に目を凝らした。
「しかし、次の階に行こうにも、この海の中をどうやって進めばいいのだ」
焦燥を滲ませてブランドンは打ち寄せる波を睨み…ふと片手を海面に入れた。
「なんだか、この部分だけ浅くなっているように見えるのだが…」
そう云いながら、彼は剣の鞘で海の中を叩いた。水音と一緒に微かにコツコツと硬い音が聞こえてくる。
「元のダンジョンの通路が残っているのか!」
ヴォルフがブランドンが叩いた辺りに片足を差し入れ、海の中に立った。確かにヴォルフの足元には通路が存在しるようだ。しかし、いつまでそれが残っているのかは分からない。アリーは急いで攻撃モードのドグウに尋ねた。
「ドグウさん、この階の融合率はどれくらい?」
『現在、融合率65パーセント。10秒毎に1パーセント侵食進行中』
ドグウが甲高い声で答える。
「え?ぱーせ…ってなに?」
しかし、ジェイドたち帝国の人間には、パーセントという言葉は理解できないようで顔を見合わせている。アリーは周囲を無視してドウグに命令した。
「ドグウさん、次の階段まで最短距離で誘導して!ヴォルフ、時間がないわ」
若い冒険者は躊躇することなく頷いた。
「みんな、俺の後ろに続け。離れすぎるな!」
「お、おお」
戸惑いながらもブランドンがヴォルフの後に付いて水の通路に飛び降り、それをニコラスとジェイダが追い駆ける。最後に残ったアリーは付き従ってきたハニワたちを見た。
「お願い、ハニワちゃんたち…彼らを護ってね」
帝国の学生たちに聞こえないように囁くと、アリーはハニワたちに金貨を一枚ずつ食べさせた。ハニワたちの頭の花が、一際大きくなる。
『マカセルヨー』
五体のハニワたちは、競うようにジェイダの背中を追い駆けていき、アリーも水に侵食された通路に足を踏み入れたのだった。