チートと言っても限度ってものがあると思うんだ、俺は
トイレから出たらそこは深い森だった。
一歩森へと踏み出すと、視界の全ては木々に埋め尽くされる。上を仰ぎ見ると、見たことがない位の背の高い木が遠く上の方で緑を揺らしている。木々の隙間からこぼれる日の光が緑に反射してキラキラと輝き、とても幻想的だ。
俺は唖然としながら更にもう一歩前に出る。すると、後ろでカチャリとドアの閉まる音がやたらと響いた。
「待て、おい」
思わず振り向いてツッコんでしまったけど俺は悪くない。俺の部屋は1LDKの新築だ。もちろんバストイレは別になってるけど、トイレだけ森の中にある訳もない。
閉まった途端に消えてしまうドアなんて、現実で見たことも聞いたこともない。
「――――なるほどな」
一般人ならパニックの一つも起こしそうな状況だが、俺にとっては想定内の出来事だ。いや、妄想してた事態だ。
異世界だな、きっと。迷い込みだったとは……転生が理想だったけど仕方ない。いや、召喚の可能性も捨てきれないだろう。
千や二千じゃ済まない程の異世界的な物語なあれこれを堪能し、妄想し、対策を考えてきた俺に死角は無い。リアル赤ちゃんプレイが出来ないのは少々残念だが……。
まあいい。まずは自己確認だな。
部屋着で薄着だったはずの服はいつの間にか着替えている。ジャケット、カットソー、ジーンズ、スニーカー。私服の中でも一番動き易そうな服装だ。手には風呂もトイレも共にした、文字を追う為に酷使されたスマホ。着信音に拘ったものの、1日300件位来る迷惑メール以外では鳴らないスマホ。今は例え圏外だろうが持っているだけで安心感を与えてくれる。
「革靴じゃなくて良かった」
スマホは大切な相棒だが、異世界入りした俺にとってはそれよりも大事な事だ。森の中を革靴で歩くなんてゴム長靴でマラソンするようなものだ。スニーカーをチョイスしてくれた大いなる存在に感謝せねば。
それにしても……迷い込みなのに服装が替わってるし、部屋では裸足だったのにご丁寧に靴下とスニーカーまで……これは間違いない。
「イージーモード! ご都合主義万歳!!」
いや、待て。憑依の可能性もあるのか?
手にしたスマホの内側カメラで自分の顔を確認する。
「若っ!」
そこにくたびれたオッサンの顔は無く、20年くらい前の容姿をしたピチピチの俺がいた。
迷い込みじゃないのか? 良くわからなくなってきた。
突然俺の部屋のトイレが森と繋がり、ドアを抜けたら自動で着替えられてて若返った。ここまでで俺の意識が途切れた事はないし、魔法陣や怪しい穴や光も見かけてない。今の俺の身体は若返ってはいるけれど、間違いなく俺自身のものだ。
やはり迷い込みか……それも四次元的な?
あまり考え込んでも答えなんか出ないだろう。どうせ普通じゃない事態なんだし、服とか容姿とかは些細な事だと思考を放棄した。
それよりもこれからの事だ。ここが異世界だとすると危険が俺を待っている可能性が非常に高い。テンションがうなぎ登りだったけど、少し冷静になろう。俺に与えられたチートが服装と若返りだけだったら泣ける。
ぐるりと周りを見渡しても危険そうな物は見えない。木が邪魔で遠くまで見えないから多分というオマケが付くけど、歩き回って何かに遭遇するよりも、ここで自分の能力を確認した方がいいだろう。
「ステータス」
まずはお約束の言葉を呟いてみる。ダメ元でやるのではなく、当然だと思いながらドヤ顔で呟くのがコツだ。
やはりというか何というか、普通に半透明のウィンドウが目の前に浮かんだ。
浮かんだのだが、そこに表示されたものを見て俺は固まった。
名前 入力して下さい(30)
年齢 18
性別 男
種族 二足歩行
レベル 1
HP ?error/VIT*5+STR*2.5
MP ?error/INT*5+MND*2.5
STR 入力して下さい(2)
VIT 入力して下さい(2)
AGI 入力して下さい(2)
INT 入力して下さい(2)
MND 入力して下さい(2)
DEX 入力して下さい(2)
LUC 86
「……え?」
ウィンドウは予想通りに表示されたけど、表示されている内容は予想外……というよりも訳がわからない。
名前が無くなってる事もそうだけど、自分で入力するのこれ? パラメーターも? さらに括弧内の数字が訳わからん。何ぞこれ?
名前と各パラメーターの隣にある括弧内の数字は同じ意味なのだろう。ならば先ずは名前で検証せねばなるまい。
ウィンドウに表示されている名前をタップすると、テンキー付きのキーボードが表示された。
すこしキーボードを弄ってみて分かったけど、アルファベットとアラビア数字しか受け付けないようだ。そして、括弧内の数字の意味を理解した。入力出来る文字数制限だった。
30文字もいらないだろうと思いつつ、俺は再出発の意味も込めて日本での名前を棄てた。
『Ruhe』
さて、次はパラメーターだ。
括弧内の数字が文字数制限だとなると、俺のパラメーターの最大値は99まで入力出来るはずだ。レベルもあるようなので、レベル1にしては破格の数字だと思う。
しかし、しかしである。この世界の住人や、これから出会うであろう俺の敵達がどれ程のステータスなのかが全く不明だ。レベル1の平均パラメーターが100だとしたら俺は凡人になってしまう。LUCの数値が86なだけにあり得そうな展開ではある。
せっかく若返って異世界に来れたのに、ここで安易に数値を入力する訳にはいかない。
俺は悩みに悩み、各パラメーターをタップし数値を入力した。
名前 Ruhe
年齢 18―
性別 男
種族 超越者
レベル 1
HP 67,500,000,000,000
/67,500,000,000,000
MP 67,500,000,000,000
/67,500,000,000,000
STR 9,000,000,000,000
VIT 9,000,000,000,000
AGI 9,000,000,000,000
INT 9,000,000,000,000
MND 9,000,000,000,000
DEX 9,000,000,000,000
LUC 86
やり過ぎた感が酷いけど、俺が考え付いた中で最大の二文字を入力してやった。
『9T』
受け付けてくれるのかは賭けだったけど、俺は賭けに勝った。かなりドキドキして手に汗がじっとりと張り付いてるが、さすがイージーモードだ。もはやレベル上げなんて必要ないんじゃないだろうか。
俺は産まれて初めてSI単位に感謝した。
パラメーターが確定したけど、俺自身に何も変わった感じがしない。全能感に溢れたり、身体の中心で魔力的な何かが渦巻いたり、下々の者達よ我を敬えとか全く感じないのだ。
これは試してみるしかないだろう。MP表示もある事だし魔法も使えるはずだ。
高鳴る鼓動を抑えながら「クローズ」と呟くと、邪魔なウィンドウは消えてくれた。
魔法は魅力的だがまずは身体能力だ。
ゼロの数を数えるのがアホらしい程のステータスだけど、実際に生身での破壊力を知っておかねば不安だ。木なんて簡単に倒せそうだと、目の前の木を軽く殴るつもりで踏み込むと同時に腕を伸ばした瞬間、爆音と共に地面と木が爆発して俺は自分で作った地面のクレーターに落ちた。
「これは酷い……」
直径5メートルほどの半球のクレーターの底で、俺は胡座をかいて反省した。
「9Tハンパねぇ……1Mでも良かったんじゃ……」
しかしもう後戻りは出来ない。俺はこのイカれた力を制御しなければ、異世界御用達の美少女達とあんな事やこんな事が出来なくなってしまう。
待ってろ銀髪ロング、赤髪ツインテール、黒髪ポニーテール。
「さて」
冷静になって穴の底で立ち上がり自分を見てみると、あれだけの破壊活動をしたのにも拘わらず手も足も無傷だ。まあ、身体が無傷なのは当然といえば当然なのだろうけど、不思議なのは服と靴だ。
「……」
考えても分かる訳がなかった。
気を取り直してまずは穴から出なければとジャンプしようとした所で俺は思い止まった。思い切りジャンプして惑星軌道から外れたらヤバい。いや、大気圏から出た時点でヤバい。いや、軽くジャンプしただけで数千メートルも高度が上がったらもっとヤバい。迂闊にスキップも出来なくなってしまう。
俺は穴の底で集中する。
俺は昔から集中力だけは自信があった。漫画や小説を読んでいる時に話し掛けられても完全にシカト出来る程のレベルだ。その集中力を発揮する時が来たのだ。
たかがジャンプにこれほど神経を尖らせるのは初めてだが、命に関わる事だ。慎重にし過ぎるという事もないだろう。
俺は着地点を見据え集中する。
目指すは穴の上、穴の始点であり終点でもある境界線、地上だ。
ゆっくりと息を吐き俺は跳んだ。
何も面白い事はなく普通に地上に着地した。狙った場所に狙った飛距離で。たかがジャンプだったけど、俺はこの結果で悟った。俺の力は集中すれば思った通りに出力してくれると。
試しにもう一度穴に降りて跳んでみたけど結果は変わらなかった。今度はさほど集中しなくても大丈夫だったのが少し切ない。
力の使い方を少し理解したところで俺は現実を見つめ直した。クレーターの先、俺が木を殴る為に拳を突き出した方向が大惨事になっていた。まるで掘削機が通ったあとのように森が破壊されていたのだ。
「忍法知らんぷり」
俺は見なかった事にして場所を移そうと思ったのだが、その前にやるべき事を思い出した。
索敵と地図だ。
ステータスは大惨事だけど、俺はまだ異世界初心者だ。レベル1が雄弁に語っている。
強力なモンスターに不意討ちされてしまったら危険だ。
森の中をあてもなく彷徨うのも危険だろう。
神経を研ぎ澄まし周囲の気配を感じるのだ。
「……」
全く感じない。何も感じない。
いるの? いないの?
俺は攻め方を変えた。
一般人だった俺が安易に気配を感じ取れるようになるのは難しいのかもしれない。
索敵に必要なものの視点を変え集中して呟いた。
「メニュー」
ステータスの前に試しておくべきだったのだろう。俺の視界に半透明のウィンドウが表示された。
画面の中央では半透明のちっさい俺がゆっくり回転している。何故か口が半開きだが些細な事だ。大人な俺は軽く流せる。
メニュー画面の上部にはタブがあり、それぞれステータス、アイテム、マップ、設定、となっている。
設定が気になりつつマップをタップすると、ウィンドウが切り替わり見慣れたものが表示された。
「ナビ?」
7インチほどの半透明ではない画面に表示されていたのはまさにカーナビだった。自分がいるだろう中心には三角のマークが点滅し、360度上から見た視点になっている。
スクロール、ピンチも可能だ。
しかし表示されているのは緑一色だ。イマイチ感が酷い。
索敵にも使えれば良かったけど、地図が見れるだけ善しとしよう。謎パワーのGPSは気にするだけ無駄だ。
それよりも気になる設定タブだ。設定という単語にそこはかとないロマンを感じるのは病気じゃないと思いたい。
「ポチっとな」
ちょっとテンションが上がって思わず呟いてしまったけど、俺は病んでない。
画面の明るさとかどうでもいい。
マップ設定があった。
かなり細かく設定出来る仕様で、俺は体育座りのまま夢中になって弄り倒した。
ナビ画面をメニュー画面から切り離し常時表示にし視界の端へ、質量7kg以上の生物マーカーをON、時速8km以上で移動する動的生物のマーカーをON、ナビ音声を心が安らぐお姉さん系に、そしてナビサポートキャラクターに小鳥を選んだところで突然俺の肩に綺麗な青い羽の小鳥がわいてきた。
「お初にお目に掛かります、マスター。私を召喚して頂きまして心よりお礼申し上げます。マスターのお役に立てるよう、尽力して参りますのでよろしくお願いいたします」
小鳥がメッチャいい声で話し掛けてきた。素晴らしい。小鳥だけど。
「――――いや、俺の方こそ初心者だけどよろしくね」
なんかツッコミ処が多いけどスルーだ。ちょっとビックリして反応が遅れたけどスルーだ。
「早速ですがマスター、私には私という個を特定し得る呼称がありません。……頂けないでしょうか?」
トーンが落ちた哀しげな声も素晴らしい。思わず「喜んで!」と言ってしまいそうだった。小鳥だけど。
それに、なんか異様に近いな。肩にいるから当然だけど、近い。首筋にひろげた羽がファサってる。
「名前か……ブラウっていうのはどうかな? それと、俺はルーエ。俺の事も名前で呼んでくれないか?」
マスターとか呼ばれると近所にあったバーのアフロのオッサンを思い出すのでとても嫌だ。同い年だったけど。
「ありがとうございます、ルーエ様。それでは改めまして、私ブラウはナビサポートとしてルーエ様の目となり、健やかなる時も病めるときも一時も離れる事なくお役目を果たして参りますので、幾久しくお側に控えさせて下さいませ」
えー。なんか怖いよブラウさん。
なんて返事すればいいのさ? よきにはからえ?
変な汗が出てきちゃうよ、俺。
「うん、こちらこそよろしく、ブラウ。……ところでさ、もう少し砕けた感じっていうか普通に話してくれるとありがたいんだけど」
敬語業界に詳しくない俺にとって、ブラウの口調はかなりのハイレベルだ。理解するのにタイムラグが出てしまう。これは良くない。
「かしこまりました、ルーエ様。ご期待に沿えますよう善処して参ります」
えー。あんまり変わってなくね?
まあいいや。設定の続きを急がねば。
そう思ってウィンドウに指を伸ばそうとしたところでブラウが話し掛けてきた。
「ルーエ様、私の存在意義はナビサポートです。音声での設定変更が可能ですのでご利用下さいませ」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、索敵に不安があるんだけどいい方法ないかな?」
「はい、提案します。私にお任せ頂ければ私を中心に半径10kmまでの球状に索敵が可能です。索敵対象、索敵範囲、表示方法、警戒距離を入力して下さい」
おぉ、なにやら不思議パワーでナビの能力も破格のサービスだ。索敵対象も、もやっとした感じで大丈夫らしい。ナビ画面を複数表示させる事も可能で、1つは上から見た索敵範囲最大の半径10kmの円に、もう1つは警戒距離2kmの球状の3Dマップにした。索敵対象は赤いマーカーが付与され、警戒範囲に入るとアラームが鳴る。もちろん、どちらもブラウの音声案内付きだ。
とりあえず警戒範囲に赤いマーカーは無いので、索敵マップにチラチラ映る赤いマーカーから遠ざかるように慎重に移動する。
普通に歩くのに慣れた頃に立ち止まり、もう一度自己確認だ。持ち物検査だ、とメニューを開きアイテムタブをタップするとアイテム一覧が表示された。
俺の部屋にあった洋服や下着、日用品が全て表示されていた。
しかしそれだけだった。魔剣的な何かや魔槍的な何かや聖杖的な何かはほんの少ししか期待してなかったけど、初歩的な武器なら入ってそうな予感はしてたのに……。残念だ。
攻撃手段が素手のみとか辛い。主に衛生面で。
見た目がグロいモンスターとか出てきたら殴るどころか触るのも嫌だ。
なるほど、ついに来た。
魔法だ!
早急に攻撃手段を手に入れるのだ!
森の中で魔法をぶっぱなす為の言い訳を脳内で叫ぶ。
きっと最初は暴発してどの魔法を使っても大惨事になるに違いない。何しろ魔法など使った事が無いのだ、使えるかも分からないのに手加減のしようもない。
まるで物語の主人公のように目を閉じ右手を前に突き出して集中する。イメージは手のひらの先に浮かぶ直径30cmくらいの炎の球。何もかもを焼き尽くし灰に帰す破壊の象徴。
――――暑い。
目を閉じているのにもかかわらず、瞼の裏に突き刺さるような眩しさを感じたので薄々と感ずいてはいたのだが、眩し過ぎる。目が潰れそうなので一瞬しか見られなかったけど、炎の球が出現していたと思う。きっと成功だ。
この超危険物をどうしようか少し悩んだが、心の底から消えてくれと願ったらあっさり消えてくれた。
本当に良かった……。
消えてくれた事もそうだけど、飛ばさなくて良かった。
出現させるだけで止めておいた俺を誰か褒めて欲しい。
凄まじくチカチカする目が落ち着きを取り戻した頃、目を開けて周囲を確認すると、周りの木々は燃えるどころか灰すら残さずに蒸発していた。
俺が立っている足場以外の地面が沸騰しているような気もする。
測量なんてやった事もないので、どれくらいの範囲が溶けたのかは良く分からないけど、辺り一面というやつだ。
索敵マップを見ると半分以上の緑が消滅している。
これは酷い。
脇の下から汗が流れ落ちてくるのは暑さのせいだけではないだろう。
「ルーエ様、お見事です」
おぉ、無事だったかブラウ。
現実逃避にお気に入りのアニメの主題歌を脳内リプレイしかけたけど、ブラウの素敵な声で現実に帰ってこられた。
しかしブラウよ、この惨状をお見事と言ってしまって良いのか?
「俺が出した魔法はこの世界ではあり得る規模なのか?」
気になるポイントだ。
こんな魔法を使う輩がホイホイいたのでは俺のチートが霞む……いや、魔法を使う生物と戦闘になったらシャレにならん。
「大変申し訳ありません、ルーエ様。私はあくまでもナビサポートでございます。ルーエ様の質問に答えられる知識は持ち合わせておりません」
そんなに悲しそうに話さないでくれ、ブラウよ。
赤いくちばしがパカパカして少し面白いぞ。
「気にするな、そんなに俯いてると可愛い顔が台無しだぞ」
なんとも気持ち悪いセリフが出てきてしまった。生身の人間に使ったら連行されるレベルだ。
しかし、相手は小鳥。
日本だったら社会的に抹殺される可能性もあるが、ここは異世界。小動物と戯れるのも日常茶飯事に違いない。
さて、ブラウの羽が激しくファサってるけどこの地面の惨状を何とかしないと歩く事も出来ない。
大量の水でもぶっかければ地面を冷却出来そうだ、と集中しようとしたところで、ふと思い出した。――――水蒸気爆発。
名前は良く聞くけど、どういった仕組みで爆発するのかサッパリ分からない。実際に爆発するのか逆に試してみたい気もするけど、あえて危険を冒す事もないだろう。
自分で出した水に流されて溺れる可能性も高い。
――――飛ぼう。
煮え滾る地面を歩くのは嫌だし、柔らかくなってそうな足場でジャンプしても惨劇の大地を越えるのは難しいかもしれない。
5mの穴に落ちても傷一つ無い身体だ。飛んで沸き立つ地面さえ越えてしまえば何とかなるだろう。
目を閉じて集中しようとして止めた。さっきは目を閉じて大惨事を引き起こしたんじゃないか……危なかった。
目を開けたまま集中し、ゆっくりと空中に浮かんでいく自分を想像する。
すると、エレベーターで上がるような心地よい浮遊感と共に俺の身体は重力から解き放たれた。
気持ちいい。
頬を撫でる風、優しく包み込むような日の光、手を伸ばせば届きそうな空の青、遠くに見える冠雪した山脈、足下には緑の絨毯が広がり、山脈の反対には草原も見える。地平線は緩やかな弧を描き、草原を分断する川の流れは人の手が入っていないのだろう。見渡す限りの大自然を感じる事が出来る。
「凄いな……」
「はい、ルーエ様」
俺は改めて異世界に来られた事に、ブラウという相棒を得られた事に感謝した。
一通り感動を噛みしめたところでゆっくりと森へと降りる。俺が作り出した森の中のミステリーサークルは放置プレイだ。余計な事をして更に酷くなったら目も当てられない。
街を探してみようかとも思ったが、力の制御が出来ないまま行くのは危険だ。大虐殺的な意味で。
ならば森で修行だ。水と食料の確保だ。
川は発見出来たけど、なんとなく飲むのは嫌だし川沿いに赤いマーカーが多く光ってる。
ブラウに食べられる木の実を青マーカーで表示してもらうと、索敵マップが青く染まった。
異常に背の高い木々は非常に高い場所に木の実を実らせていたらしい。試しに浮かんで採ってみると、手のひらから少し溢れそうな大きさで弾力のある白い半球体だった。頂点にある赤いポッチが何者かの作為を感じる。
地上に降りてさっそくポッチに歯を突き立ててみると、中から濃厚な……もとい、薄いレモン水みたいな液体が溢れてきた。
ポッチからレモン水もどきを吸い尽くすと、半分くらい実が残ったので端の方から食べてみる。
「美味い!」
食感は微妙なところだけど、マンゴーみたいな味だ。丸ごと食べられるのも高ポイントである。俺はこの木の実をオツマンと呼ぶ事にした。
さて、オツマンのおかげで水分と食料は確保出来たが、カロリー的に不安が残る。カロリー計算なんてした事もないけれど。
ならば一週間だ。一週間でなんとか出力を抑えられるように努力しよう。
とりあえず腹さえ膨れれば一週間はオツマンオンリーでも大丈夫だろう。風呂に入れないのが痛いけど一週間だけ我慢しよう。
そして、一週間後に川沿いの赤いマーカーを蹴散らして水浴びしよう。いや、それよりも魔法的なあれこれで風呂が作れれば言う事なしだ。
まず魔法の発動について考える。無詠唱は激しく危険だ。
もしも俺の目の前にリア充が現れたら刹那的に爆発してしまう。これは酷い。リア充だというだけで殺してしまってはきっとマズい事になる。となると、やはり詠唱省略式だろう。心の中で思っても絶対に言葉にしない短い単語を発動キーにして、声に出した瞬間に魔法を放てれば無詠唱と然程変わらないと思う。
そういえばメニューの設定タブで魔法の設定も出来ないのか?
試しにメニューを開いて設定タブをタップしてみる。
――――あった。
最初見た時は無かったはずなのに追加されてる。さすがチート。さすがイージーモード。
早速無詠唱にロックをかけてみる。解除に必要なパスワードを入力し決定。詠唱省略にチェックを入れて発動を音声認識に、キーの単語を入力した。
試しに無詠唱での発動を試みる。さっきと同じように空中に浮かぶ自分を想像する。
浮かない。
無詠唱のロックは正常に作動している。
次は詠唱省略式だ。空中に浮かぶ自分を想像して発動キーを声に出す。
「発動」
成功だ。俺の身体はゆっくりと浮いていった。
再び大自然を堪能し、さて降りようとしたところで魔法の仕組みと設定ミスに気付いた。
降りようとしても高度が下がらないのだ。どうやら浮かぶ魔法と降りる魔法は別物らしい。地面に降りる自分を想像して発動キーを呟いても何も起こらない。
浮かぶ魔法を終了させ、降りる魔法を発動させないといけないのだろう。
そう、俺は終了の設定をしてなかった。慌てて魔法の設定を開こうとするが、『魔法実行中のため設定出来ません』と表示されてしまう。
「ルーエ様! 時速600kmほどで真っ直ぐこちらに接近する飛行体がいます! 接敵までおよそ52秒……ガルダです!」
「――――マジかよ……」
呑気に設定を弄ってた俺は、ブラウの慌てた声を聞いて時間が一瞬止まった。急激に血の気が引いていくのを感じる。何か考えようとしても、何を考えるべきなのか分からない。考えれば考えるほど、焦りという名の呪縛に俺は全身を絡め取られていった。
異世界に来てうかれていた。チートを手に入れてなめていた。イージーモード? 馬鹿にするな。世界は残酷だ。俺は後悔という名の底無し沼に沈んでしまいそうだった。
「ルーエ様、私にお任せ下さい」
そんな情けない俺を見かねたのか、ブラウが慈愛に満ちた声でそう言って目の前に羽ばたいた。
と同時に慣性の法則など丸無視して視界に現れた巨鳥ガルダ。
遠近感がおかしくなりそうなその巨体は、30mほど離れた空中に羽を広げたまま静止していた。赤く染まった翼の先から先までおよそ50m、黄金のくちばしから尾先までも恐らく50mほど、実にブラウの500倍はある。蟻と像だ。
駄目だ。ブラウに戦わせる訳にはいかない。出会って間もない小鳥だけれど、突然異世界に放り込まれた俺に一人じゃないと安心感をくれた大事な相棒だ。
そんな相棒を失いたくはない。失ってはいけない。
ブラウのおかげで冷静になれた。
無詠唱のロックを外せばいい。無詠唱ロック解除と念じると目の前に半透明のキーボードが出てきた。素早く4桁のパスワードを入力すると、『無詠唱モードに移行しました』と表示された。
と同時に視界が赤く染まった。火を吹いたのか魔法を放ったのかは分からないが、恐らくガルダの攻撃だろう。
「ブラウ!」
そう叫びながらブラウに向かって手を伸ばすと、ブラウは炎に包まれながらも振り返りながら微笑むように言った。
「ルーエ様、ご心配には及びません」
ブラウの慈愛に満ちた声を聞いて気付いた。俺もブラウも炎に包まれているのに燃えてない。熱くもない。暑くすらない……。
「ブラウも熱くないのか?」
「もちろんです、ルーエ様。ルーエ様が先ほど出されました破滅の炎球とは比べるのもおこがましいかと」
破滅って……。あれはもう忘れてもらいたいのだけど……。
「神鳥といえど所詮は乗り物。並び立つ私に勝てる道理は御座いません」
凛々しい声でそう言ったブラウはガルダの背後に凄まじい速さで回り込んだ。一瞬ブラウを見失ったが、次の瞬間には俺の目の前で羽ばたいていた。
貫通しちゃったよ。血まみれだよ、ブラウさん。
ブラウに貫通されたガルダだけど、大きさが違い過ぎたのか死に到ってはいない。
懲りて帰ってくれればいいのに……。
なんて思っていたら地上に降りて来たデカい鳥がいきなり頭を垂れた。
「小さき青の王よ。我に主と呼ぶ事を許されよ」
「赤の王よ。私はここに居られるルーエ様の僕。ルーエ様の意思なく決定出来る事ではありません。どうすべきか分かりますか?」
ガルダが渋い声で、俺の肩に華麗に着地したブラウに話し掛けてきた。血が滴るから止めて欲しいけど、とても言い出せる雰囲気ではない。それにしても、鳥が喋るとは驚きだ。さっきブラウが神鳥とか言ってたからそのせいなのか?
「ルーエ殿、いきなり炎波を放った御無礼お許し下され。空が砕けるかと思う程の波動を感じた故、急ぎ排除せねばと死を覚悟で参った次第。しかし、我の渾身の炎波をそよ風の如く受け流し、更には致命傷を避けた慈悲ある一撃。我は小さき青の王に遥か及ばず生かされた。この身を捧げる主として小さき青の王を主と呼ぶ事を許して頂きたい」
なんか二匹してノリノリだ。鳥社会の事は良く分からないがブラウが凄い鳥だってのは伝わってきた。それに、ガルダは謝ってきたけど落ち着いてみれば正直驚いただけで被害は全くない。感覚的にはドライヤーの風を当てられた程度だ。そんなんでマジ切れして殺してしまえ――――なんて思考の奴はどこぞの戦国武将以外、人として終わってるだろう。
「うん、いいんじゃない。ブラウもそれでいいかな?」
「はい、ルーエ様が宜しければ私に異存は御座いません」
「ありがたき幸せ。ルーエ殿、主様、今後我は御二方に忠誠を誓おう」
なんとなくガルダが嬉しそうだ。視界の奥では尾羽がビッタンビッタンいってる。
そういや、こいつに名前はあるのだろうか?
ガルダってきっと種族名だよな?
「うん、よろしくね。ところで名前はあるのかな?」
「ガルダと呼ばれる存在は我のみ、故にガルダでも構わぬのだが……出来れば主様に新たな名をつけて頂きたい」
「だってさ、ブラウ。名前つけてあげたら?」
「畏まりました、ルーエ様。――――そうですね……レーテ。貴方の新しい名です。如何ですか?」
「レーテ……我はレーテ。主様、良き名を頂き有り難き幸せ」
うまい具合に話が進んだ。
最初は驚いたけど良く見ればレーテだって愛嬌のある……顔はしてないな。遥か遠くから見れば愛嬌のある顔に見えなくもないかもしれない。
まあ、仲間が増えて良かった。
さて、一段落したところで魔法の設定を弄ろう。
さっきは何も出来なくなってかなり焦ったし、充分に考えてから行動しないと危険だ。
まずは無詠唱をロックだ。パスワードを設定し、詠唱省略にチェックを入れる。発動と解除を音声認識にして、発動キーと解除キーとなる単語を入力する。
一通り設定したところで新たな欲が出てきた。横文字的に言うとダブルミラーとかトリプルミラーとか? 魔法の同時発動だ。
なんとか複数同時に魔法が発動出来ないものかと悩んでたら、設定のウインドウにマルチタスクという欄とチェックボックスが出てきた。当然チェックを入れる。
すると、マルチタスク用の設定が表示出来るようになった。
最大で12個まで同時に発動出来るようだ。制御が面倒そうだけど、専用のコントローラーも設定出来るみたいだ。
半透明のアナログ時計みたいな形のコントローラーにして、数字の代わりにチェックボックスを配置する。魔法のイメージが出来てからチェックボックスに触れると、チェックボックスは反転して1~12の数字が表示される。
チェックボックスはどこを触れても順番通りに数字が付され、自動で時計の文字盤と同じ位置に回転し、発動する時はマルチタスク専用の発動キーを言えば込められた魔法が全て同時に発動する。
魔法を終了する場合、全ての魔法を同時に終了させる時はマルチタスク専用の終了キーを音声入力し、個別に終了させたい時はコントローラーの数字に触れながら通常の終了キーを音声入力する。
予め12個の魔法を回転式拳銃のスピードローダーのようにセットしておき、魔法をコントローラーに装填する事も可能だ。
もちろん、単発の魔法ならばコントローラーを使わなくても発動出来る。
夢中になって弄ってしまった。主にコントローラーとスピードローダーの形状に力を入れたけど、幾何学模様をふんだんに使用したこれらは我ながら良い出来だと思う。
日が落ち始めてきたので通常の魔法だけ試して今日はこの辺で止めておこう。
無難に浮かんでオツマンを採ってから、いつの間にか傷が塞がってるレーテの背中に乗せてもらう。
地面に寝るのは嫌だ、若干獣臭いけどレーテの背中の方が寝心地は良さそうだし安全だろう。
オツマンを頬張りながらメニュー画面を弄っていたら暗闇に包まれる前に眠ってしまった。
次の日、まだ薄暗い時間に起きた。
「知らない天井……すら無いな」
目を開けると今日も景色は異世界模様だ。
「おはようございます、ルーエ様」
レーテの背中はフカフカだし、ブラウは優しい声でパカパカしてるし、ふと涙が出そうになる。
一週間は修行する予定だったけど、思ったよりもスムーズに力のコントロールが出来るようになった。
俺は五日目の朝、改めてこの世界で生きていく覚悟を決めた。
どうせ後戻りなんて出来ないのだ。
旅をしよう。
初めて目にする物に沢山出会えるだろう。
心踊る旅を。
この世界はまだまだ知らない事ばかりだけど。
俺の力を必要としている人がいるかもしれない。
俺が助けられる人がいるかもしれない。
守るべきものが見つかるかもしれない。
強大な敵に出会うかもしれない。
力だけで解決出来る事なんて少ないだろう。
挫折する事もあるだろう。
憎まれる事もあるだろう。
悲しい事もあるだろう。
でも、まずは俺の肩にいるこの小さな相棒と風呂にでも入るとしよう。