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獣人の里

腹黒キツネとピュアたぬき②

作者: 雨宮 茉莉


「お兄ちゃん!!」

「タヌキ?!」

 

 勢いよく自宅のドアをバタンと開け放ったタヌキは、脇目も振らずリビングルームのソファーで寛いでいたキツネめがけて飛びついた。

 突然のことであったにもかかわらず、キツネの胸元に顔を埋めるようにように抱きついたタヌキの背に、そっと優しく腕をまわしたキツネ。押し倒されるような形になったキツネだが、慌てる様子は全くない。むしろ余裕の微笑みを浮かべている。


「どうしたんだい? 帰ってくるのはもっと先の予定だっただろ?」

「お兄ちゃんの言う通りだった!」

「俺の?」


 心当たりがないといった様子のキツネは、首を捻りながら「俺タヌキに何か言った?」と聞き返す始末だ。

 タヌキはその言葉にガバリと上半身を起こすと、首が取れるんじゃないかという勢いで、ぶんぶんと頭を上下に振る。


「人間界は怖いよ! 怖すぎるよ……。きっと肉食の大型獣しか楽しく生きていけないところなんだよ。小型の雑食は里に住んで、たまに遊びに行く位でちょうどいいんだよ!」

 真っ青な顔でそう叫んだあと、何か思い出したのかプルプルと震えるタヌキ。

「ああ、そのことか。危ないっていってもあれはタヌキに少し警戒心を持ってもらおうと思って大げさに言っただけだよ。そんなに言うほど人間界は危なく――」

「お兄ちゃん! 大げさでもなんでもないよ。だって外を歩くたびに大型肉食獣に出くわすなんて、危険以外の何でもないでしょ?! 豹族の人にストーカーまでされたんだよ?」


 馬乗りになった状態でキツネの胸元を鷲掴みにしたタヌキは、ゆさゆさとキツネを揺さぶる。

 キツネはその言葉を聞いた途端、先程までの余裕の表情が一変し険しい顔つきとなるのだが、自分の事で精一杯のタヌキが気付くことはなかった。


「豹族にストーカー……?」

 何時にない低い声でそう呟いたキツネは、傍にいるタヌキにさえ聞こえない程の小声で「くそっ、あいつ。そんなことしろなんて頼んでねえって……どういうつもりだ」と唸る。

「え? お兄ちゃんなんか言った?」

 

 ようやくいつもみたいに優しく慰めてくれないキツネに気付いたタヌキが、そう言いながら、再び甘えるようにキツネの胸元にすり寄る。

 怒りが治まらぬ中、つい反射的にその頭を撫でたキツネだったが、タヌキが安心したようにゴロゴロとのどを鳴らさんばかりの勢いで甘えだしたため、そのまま手触りのいい髪を撫でながら口を開いた。


「まさかとは思うが、そいつに何かされたんじゃないだろうな?」

「何もないよ。でも出掛けるとこ出掛けるとこ毎日ついてくるし、昨日なんて夜中に家のドアがガチャガチャ鳴ったときは死んだと思った……」


 虚ろな瞳で遠くを見たままぼそりと呟いたタヌキ。余程怖かったのだろう、タヌキの手が小刻みに震えながらキツネの服をつかんでいる。

「ドアが……」

 いつもは細められているキツネの瞳が、不意に開かれ綺麗な夕陽色が露わとなる。その瞳には剣呑な色が滲んでいるのだが、話に夢中のタヌキはまたしても気が付かない。

「そう! でも夜中に帰ってきた獅子族の人たちが、『何やってるんだ』って豹族の人に声かけてくれて、玄関先でいさかいになったの」

 

 タヌキはあの時、心の底から獅子族の人たちに感謝した。というのも、玄関のカギは閉めていたもの、玄関脇にある窓の鍵が開いていたのだ。

 隣には獅子族が住んでいるものの、彼らの種族には大柄なものが多いため、この窓からは入って来れない。

 それにリーダーである雄のレグルスがタヌキのことは「食べない」と言い切っていた。獣王と称される彼らは非常にプライドが高い。だから一度でも口にしたらきっと約束は守るはずだ。

 そのため鍵を掛けていなくても大丈夫だろうと高をくくっていた。


 だが豹族の男は獅子族程大柄でない。しなやかな身体は筋肉質ではあるものの、細身だ。その窓程度の大きさがあれば、十分だろう。


 ――もし獅子族レグルスがタイミング良く帰って来ず、豹族の男性が窓に気が付いていたら……と、今想像してもゾッとする。

 恐怖の一夜を思い出し、タヌキは少し青褪めた顔で話を続ける。


「言い争いになっている間に、ベランダから逃げ出してそのまま帰ってきちゃった……」

 結局独り立ちしようと里を出たにも関わらず、怖いことがあったら字の通り尻尾を巻いて逃げかえってきた。タヌキは今さらであるが情けない気持ちで一杯になる。


「そうか、良く隙をみて逃げたね」

 キツネは何事もなかったという返事を聞いて、ようやく微笑みを浮かべる。「えらい、えらい」とタヌキの頭をポンポンと撫でながら、物騒な言葉を口にした。


「そのまま部屋にいたら、近いうちにタヌキは、その豹族の野郎に喰われただろうね」

「やっぱり……」

 キツネの言葉に、再び顔が蒼くなる。

 その様子をじっと見つめていたキツネが、「タヌキ、豹族のストーカー行為の意味を知っているかい?」と静かに問いかける。

「意味?」

「……その様子じゃ知らないんだね」と、小さくため息を吐くキツネ。

「豹族には繁殖期はない。だが気に入った雌を見つけると後をつけ……」

「後をつけ?」

「交尾の機会を窺う」

「こ、こ、ここううっ」

 

 真っ赤になってしまったタヌキを見て、その純粋さに思わず笑みがこぼれる。

 だが無事で良かったと、言葉一つでこんなにも恥らってくれるタヌキのままで良かったと、キツネは心底レグルスたちに感謝するのだった。

 そんなタヌキの姿に、ようやくいつもの自分を取り戻したキツネ。


「鶏の鳴き真似か? 交尾だ、交尾」そう言ってタヌキをからかう。

「そ、そんな何度も交尾交尾って連呼しなくても、一回聞けば私だって交尾くらいわかってるよ!」

「お前の方が連呼してると思うぞ」

 真っ赤な顔で「うう……」と恨めしそうにキツネを睨むタヌキ。

 色事を生業としている狐族の里に住んで、ここまでピュアに育てた自分にキツネは思わず感動しそうになる。

 このままの初心うぶなタヌキも可愛いと思うキツネだが、豹族の一件でそう悠長にもしていられないことがわかった。

 今後、ますます綺麗になるだろうタヌキが、いつ誰に狙われるかわからない。


「そんな、恥ずかしがる年でもないだろう。お前だって、もうつがいを貰ってもおかしくない年ごろだ」

「それは、そうだけど……。まずはお兄ちゃんが先でしょ」

 口を尖らせ、なんとか話題を逸らそうとするタヌキの姿を微笑ましく思うキツネだったが、今日ばかりはその思惑に乗ってしまう訳にはいかなかった。

 心内では『悪いな、タヌキ』と謝りながらも、キツネは躊躇することなく話の軌道修正に入る。

「そうだな……俺は心に決めたおんながいるが、お前はどうだ?」

「心に決めた……」

 キツネの言葉に表情が曇ったタヌキをみて、キツネは『脈ありだな。大丈夫そうだ』とほくそ笑む。

 だがまだこの段階では、この動揺が『恋心』からなるものなのか、それとも『家族愛ブラコン』からくるものなのか、はっきりとしない。そのためキツネは先を続ける。


「ああ。まだ俺の思いは告げていないけどね」

「そう……なんだ。そっか、そうだよね……。お兄ちゃんだって年ごろだもんね。むしろ行き遅れ……って、これは違うか」

 あはは、とワザとらしい声あげて笑うタヌキ。明らかに無理をして元気に振る舞っているのが一目瞭然だった。

 

 タヌキは顔を隠そうと俯いていたが、ソファーに押し倒される形で彼女の下にいるキツネからは丸見え。笑い声がだんだん小さく萎んでいくのにあわせて、笑顔もどんどん失われ、泣きそうな表情となっていくのが、はっきりと見て取れた。


「俺が心に決めているおんなは、小さな頃から手のかかる奴だった。臆病で小心者のくせに、好奇心は旺盛でいつも俺は振り回されてばかりだった。母親を失い、父親までも失った彼女をずっと大切に育ててきたが、もうそろそろ俺も限界だ」

 

 そう言って切れ長の瞳でちらりとタヌキを見れば、真っ赤である。どれだけ鈍感な者であっても、これだけあからさまに言われたら気付くというもの。


「お、お、おにいちゃん……それって、もしかして……、あの、私?」

 真っ赤になりながら、恥ずかしそうに、尋ねるタヌキ。

「そうだよ、タヌキの事だ」

「わ、私……」

 

 ボンッと音が出そうな程、一気に首から耳まで真っ赤になったタヌキ。

 今さらだが、己の体勢――キツネの上に跨ったまま――に気が付いたタヌキ。激しく動揺しながら、わたわたと降りる。

 隣に座ったものの、膝をそろえてビシッとした姿勢なのは、緊張しているためだろう。先程までは気にもしていなかったスカートの短い丈が落ち着かないようで、さかんに引っ張っている。


「気が付かなかったかい? 俺なりにタヌキをいつでも最優先してきたつもりなんだけどな。タヌキがしたいと言ったことに、俺が一度でも『否』と言ったことがあったかい?」

 ゆっくりと起き上がり、少し乱れた髪をかきあげ、どこかいたずらっぽく笑いながらキツネは尋ねる。

「な、ない」

「タヌキが泣いているときに傍にいなかったことがあったかい?」

「な、ない」

「タヌキが――」

「も、もういいよ、お兄ちゃんっ」

 

 キツネのセリフに、恥ずかしさが耐えられないところまで来たのだろう。タヌキが言葉尻に被せるように口を開く。

 両手で顔を覆った上に、その顔を見られまいと膝の上に伏せて丸まってしまっている。手から漏れた耳がリンゴのように真っ赤で、相当に照れているのが見て取れる。

 その様子を満足げに眺めたキツネは、タヌキが顔を伏せているのをいいことにタチの悪い顔で笑うと、赤い舌でペロリと唇を舐める。


「タヌキ、お前は俺が嫌いかい?」

「きっ、嫌いなわけないじゃん……」

「そっか……。お前に好きなおとこがいたら、俺は身を引こうと思っている。家族でもないのに番以外の雄と一緒に住んでいるなんて、……いい気分はしないだろう?」

 

 ――自分キツネ以外の雄を選んだら、家族でなくなる。

 はっきりとは言わないものの、暗にそのことを匂わせる。

 一度ならず二度までも家族に捨てられたタヌキにとって、それは恐怖だった。


「いないよ、お兄ちゃん以上に大切な人なんて、いるわけないじゃん」

 慌てて顔を上げて他の雄の存在を否定するタヌキの姿をみて、キツネは心底嬉しそうに微笑む。流れるように自然な動作で横に並ぶタヌキの肩を引き寄せ抱きしめた。

「嬉しいよ。俺の気持ちを受け入れてくれて」

「お、お、お兄ちゃん」


 恥ずかしさの限界に達したのだろう。

 タヌキはボフンッと小さな子狸の姿になると、恥ずかしそうに小さな肉球のある手で耳を掻く。

「きゅーん(ごめん、恥ずかしさに耐えられなかった)」

「タヌキ……。お前、……そうかそっちが好みか。気付いてやれなくてすまない」

 これからいい雰囲気という段階で、まんまと逃げられたキツネは凶悪な笑みを浮かべると、同じくボフンッと綺麗な毛並みの狐へと変化したのだった。



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