楽園を見つけた
こんな、おとぎ話を聞いたことがある。
[絶対に見つからない場所が見つからないだ]
少年のメールから興奮した様子が伝わってきた。意味はくみ取れたが念のため確認する。
[それもしかして、見つかった?]
[ごめん(_ _)あせてた]
二人は駆け落ちする予定だった。ただし子どもがどうやって二人だけで逃げ果せるか、その名案が浮かばないままもう何年も実行できずにいたのだ。
「9歳のときに決めたんだから、もう5年」
メールじゃもどかしいと言うことでつないだSkypeで少女が訂正する。
今年14歳の二人は、9歳のときに駆け落ちを決め、実際に一度実行に移していた。
「世間知らずというか浅はかというのか、あれでホントに逃げられたらどうやって暮らすつもりだったんだろうね」
「もしかして僕のこと責めてる?」
「さあね」
9歳の駆け落ちは、むろん駆け落ちであるとは大人は考えず失踪事件として取り扱われ、それなりに大騒ぎになり、しかしわずか2時間後に駅構内で迷っているところを保護され呆気なく終了した。以後少年は、翌日の運動会が嫌で家出した根性無しというレッテルを、今に至るまで背負い続けることになる。しかしそれは好都合だった。おかげで少女への注意関心は薄れ、よもや9歳児が本気で駆け落ちを考えていたなんてことを誰にも知られずに済んだわけなのだから。
あの駆け落ちは、幼き者の浅知恵と衝動性。共感が共鳴を呼び瞬発的なエネルギーを生み出しただけ。ただこの5年間で事態が好転することはなく悪化の一途をたどるばかりで、緊急性はますます高まっていた。「機が熟すとき」というなら果実は5年前すでに完熟期を迎えていたはず。そして果実は熟れたまま、5年たっても依然地面に落下していないだけのこと。そして二人は、木に実ったまま果実は腐ってしまったのではないかと恐れていた。必要なのは再び共感と共鳴なのかもしれない。しかし共感はますます強固になっていたが共鳴を呼び起こすタイミングを見失い続けていた。成長が、二人を慎重にしてしまっていたのだ。
「これが、大人の階段を上っていくってことなんだね」
「まだ14なのに?」
「たぶん、二十歳になって突然大人になるわけじゃないんだと思う。人は、生まれたときから少しずつ、大人になる準備を重ねているんじゃないのかな」
「と言うことは、一刻も早く逃げ出さなくちゃ!」
「そう、一刻も早く。だけど…次は絶対に捕まりたくない」
大事にはならなかったが、9歳の失踪事件は少女の家庭での立場を確実に悪化させた。「次はない」絶対に次は逃げ果せなければならないからこそ、二人は慎重になっていたのだ。
「よく、我慢したね」
「君がいてくれたから」
少女はときおり、心をくすぐるような言葉をささやく。少年は不器用だったから、頭をなでたりぎゅっと抱きしめることで少女を支えた。ただ少女は時折激しい闇に落ち込み、痛みを以て安定を保つ必要があった。愛する者を傷つけるのはたまらなく辛い。
「でも、世の中には、愛するが故に傷つけ合う人もいるんだよ」
大人の世界は分からない。分かりたくもない。
「まーね、私たち大人になる前に死んじゃうしね」
9歳のとき決めた二人の約束。大人にはならない。それは精神性や概念上のことではなく物質的な意味で。
「それで、ようやく見つけた【絶対に見つからない場所】って?」
「国がね、厳重に立ち入りを禁止してるゾーンがあるんだ。だけどそこには街があって、住民は強制的に退去させられたらしい。今も道という道には、警官が24時間体制で貼り付いていて、誰も立ち入ることが出来ない」
「それじゃあ、私たちだって入れないじゃん」
「ところが山の中には柵もないし警官もいない」
「山を、越えるの?」
「それがね、思ったほど大変じゃないんだ」
少年は、テレビやネットで仕入れた情報を披露した。そのゾーンは半径数十キロ圏内への立ち入りが厳しく制限されている。ところがゾーンの直ぐ外側、比喩ではなく検問から500メートルほどの地区には住民が普通にいて普通に生活していると。
「それ変じゃん。その辺の人って毎日ゾーンを見ながら暮らしてるわけ?」
「そうらしい。国境ならいざ知らず危険地域を見ながら生活するってどんな気持ちなんだろうね」
二人にはまったく想像できない現実がそこにはあった。
少年は続ける。つまり道が閉鎖されているだけであって、野や山に柵が設けられているいるわけではない。公共交通機関を乗り継ぎ、ゾーンに最も近づける地点から道を外れて野山に分け入れば、その場所に潜り込むことは容易いことであろうと。
「計算したら3日でたどり着けそうなんだ」
「3日間も山を登るの!」
「高い山じゃないよ。少し長いピクニックだと思えばいい。あとね、ゾーンには飼い主に捨てられたペットや家畜がうろうろしてるんだって」
「すてき!」
動物好きの少女の瞳が輝いた。
「でも噂では、腹ぺこで人間見たら襲いかかるんじゃないかって」
「それ、いい!」
「うん、実はそれがこの場所に注目した理由の1つ。僕は、僕らの存在の罪を一心に背負って、彼等に食べられることで贖罪を為したいと思ったんだ」
「私はそんなのどうでもいい。自分じゃ死ねないし、他人に殺されるのはいやだし、でも怒り苦しみ飢えた犬に食べられるなら幸せ。あの太い牙が私の太ももに食い込むとしたら…食い込むなんて」
背負った来たものや思いは違うが目指すところは同じ。これがこの二人を結びつけているもの。
「楽園って死に場所なんだと思う。どうせ私は5年前に楽園を追い出されたわけだし。でもまた楽園に帰るの。たぶん、私が悪い子どもで汚れた女でも、動物は喜んで食べてくれる。動物はきっと『お前は汚らしい女だから食べない』なんて言わない」
「あとね、一応大事なことだけから言っておくけど、そこは僕ら子どもにはとてもよくない空気が溜まっているんだって。つまり、そこに長くとどまると大人になれない可能性が高い。まあ、だから立ち入り禁止になったわけなんだけど」
「まるで、私たちみたいな子どものために用意された場所じゃない!」
「そう、仮に死にきれなくても、いずれその場所や空気が僕たちを殺してくれる」
「行こう。ね、今すぐ行こうよ」
こうして二人の2回目の駆け落ちが決まった。いつもより遅い春。例年より一週間遅く桜が咲いて、二人は中学三年生になっていた。くずくずしていると進学問題などでますます自由が利かなくなる。二人は4月第三週の週末の決行を決めた。
9歳から二人は、小遣いやお年玉を駆け落ち資金として極力使わず貯めていた。少年は中古ショップでスマートフォン(ワンセグ機能つき)を、家電量販店でプリペイドタイプの通信カード(通話機能のない)を購入した。これで捜索願が出されても探知されることなく情報収集が行える。
ホームセンターのアウトドアコーナー、そして防災コーナーを回れば、当座の駆け落ち用具は簡単に揃う。死ぬために旅立つというのに生き延びる道具や食料を買いそろえることに、二人は少しだけ不思議な感じがした。
人は、死ぬと決めてからどれくらいで自ら命を絶てるものなのだろう。生き延びてしまった5年間の汚れが体内に蓄積し、汚れが生命力や免疫力を高め、もしかしたら切っても飛び降りても死ねないかもしれない。
「なんで、あの人は殺してくれないんだろ」
「すぐ殺しちゃうのは単なる馬鹿。頭のいい親は、簡単に子どもを殺したりしないよ」
「馬鹿な親ならよかった」
「馬鹿もやっかいだよ。自分が死ねないからさ、周りに汚物をまき散らすんだ」
「つまり…そもそも親って存在が」
「悪」
「でも、わたしたちもその悪から生まれた」
「うん。だからこのまま大人になると僕らも悪になる」
「大人にならなければ悪にはならない」
「そう、だから僕らは大人にならない」
稚拙な三段論法だった。しかし二人は、この幼稚な説を捨てるに足りる理屈や信念と出会ったことがなかった。一度だけ少女は、スクールカウンセラーに説諭されたことがあった。用心深く切り刻んでいた傷跡を見られてしまったときだった。
「カウンセリングは受けないよ。だって意味ないし。あなたは向こう岸の人。向こう岸にいて、こっちの火事を心配しながら眺めている人。火事がどんな具合か見えても、被害の程度が分かっても、本当の熱さや恐怖は体感できない人。わかる? 私たちは燃えて崩れ落ちて粉々になった木材の上を裸足で逃げてるの。向こう岸のあなたからは、逃げている私たちしか見えない。逃げまどう私たちを見て、ああしろこうしろと指示する。でもまさか、裸足で火傷や切り傷を作りながら逃げているなんて思いもよらないでしょ? これがね、これが理解の限界。だから、話はしないしカウンセリングも受けないよ。だけど許せないなら私たちを拘束すればいい。それが出来るのが大人なんだから」
スクールカウンセラーは絶句し、黙っていることを約束した。そのとき少女は、彼女を懐柔して、駆け落ちを手伝わせようと思いついた。しかしそのプランは直ぐに破棄した。懐柔というアイデアそのものが、大人特有のものだから。
こうして学校の桜がすっかり葉桜になった頃、二人は駆け落ちを決行した。
二人はそれぞれの言い訳を用意して駅で落ち合うと、始発の列車に乗り込んだ。そしてゾーンに最も近い駅まで幾度か乗り継ぎ、駅前でレンタサイクルを借りた。返却はできないが仕方ない。弁済の一部にと、係員が目を離した隙に、残っていた紙幣をキーの返却用ポストに全てねじ入れた。
少年はスマートフォンで現在位置を確認しながら少女を先導した。パトカーと遭遇するリスクを最小限に抑えたコース。二人は日が暮れるまで自転車を走らせた。そしてゾーンにつながる里山までたどり着くと自転車を捨てた。
里山に分け入って直ぐ、無理をせずに二人は野営した。一日中自転車を漕いで疲れている。ガスカートリッジ式のストーブを点火し暖を取り、小型コロンでお湯を沸かしカップラーメンをすすった。そして二人は、使い捨てカイロを大量に身につけ、NASAが開発したという薄っぺらいシートにくるまり、小型テントに潜り込むと、2つの寝袋を連結し抱き合って眠った。
翌日、二人は出来るだけ高低差のないルート選んで進んだ。ここまで来れば怖いのは人ではなく動物。体力温存を考え、休憩を多めに取りながら二人は進み、暗くなる前に再び野営した。
「こんな生活もいいね」
「というか野犬、このあたりにはいないんだね」
「鳥はうるさいほどいるけど」
「このまま…山の民になって生きていく?」
「そうして二人切りで大人になる?」
「そうなったらどうなるんだろ。二人で憎み合ったり奪い合うのかな」
「…試してみる?」
「試してみる?」
お互いがお互いに答えを求め、お互いが口を閉ざした。たった2日であったが、体を使い歩き食べ眠る体験が、自分たちを急激に大人に近づけてしまったことに二人は気づいていた。
3日目、スマートフォンのGPSがゾーンに入ったことを指し示した。昼過ぎに、二人は山間の小さな集落にたどり着いた。誰もいない。田畑は枯れた雑草が伸び放題で、一夏手入れさなかったことが見て取れた。しかし集落のあちこちには何本もの桜があり、今まさに満開の時を迎えていた。
「桜に追いついちゃった」
「あそこに行こう。地図によると食料品店があるんだ」
菜の花が咲き乱れるあぜ道を二人は急いだ。人家に近づく、何匹もの犬の鳴き声が聞こえてきた。二人は緊張する。やがて何匹もの犬が二人めがけて駈けて来た。二人は立ち止まって犬を待つ。しかし犬たちは、二人の周りを回ったり匂いを嗅いだりで一向に襲ってくる気配がない。
「変なの。近寄ってくるのに噛み付かないよ」
「だいいち、みんな尻尾振ってるし」
犬たちを従える格好で、二人は集落の真ん中にある食料品店に入った。予想通り、商品である缶詰や菓子類がそのまま残されている。このゾーンに侵入して略奪している者たちの話は知っていたが、それは市街地での話。小さな集落は無傷であろうという少年の予想は当たった。
二人は手分けして缶詰やスナック菓子を犬に分け与えた。気配と匂いに気づいたのか、今度は次々に猫が現れた。中には子猫もいる。二人は更にピッチを上げて犬猫のために食料を分配した。
「私、この子たちと一緒に暮らして一緒に死んでいく」
そう言って少女は子猫を抱き上げた。
「君はもしかしたら私より長生きするね。ううん、きっと私より先には死なせない」
少女は頬ずりしながら子猫に言った。
この集落にたどり着いて3日が過ぎた。二人は手分けして人家を探索し、食料や燃料を一所に集めた。犬猫はすっかり二人に馴染んでいた。何匹かは二人がどこに行くときも付いてくる。
「食べ物いっぱいあったね」
「でも動物のぶん考えると、釣りとかしないと無理かも。あと、ジャガイモくらいなら育てられるから、ちょっと調べてみるよ」
犬猫に食事を与えた後、二人は集落で一番大きな桜の木の下で自分たちの昼食をとっていた。菜の花が咲き乱れ、桜は満開で、日差しは暖かい。
「ねえ、ここにいた人たち、もう戻ってこれないの?」
「たぶんね、100年くらいは無理なんじゃないかな。というか、おそらく放棄されると思うんだ」
「大人にとっては恐ろしい不幸だね」
「でも、そのおかげで僕らの居場所ができた」
「子どもたちみんな、ここに来ればいいのに」
「だめだめ。みんなに知られたら楽園じゃなくなっちゃう」
「ううん、みんなもう気づいてるんだよ」
そう言って少女が指し示した指の先に、幼い子どもが3人、子犬みたいに身を寄せ合って、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。
「驚いた。どうやってここまで」
「きっとまだ小学生だよ。ねえ、迎えに行ってあげて」
少女にうながされて少年は走り出した。何匹か犬も駆け出す。
菜の花が咲き乱れ、桜は満開で、日差しは暖かい。
「わたしはここで生きて、ここで死ぬ」
少女の目から涙があふれ出た。そして自分も少年の後を追って走り出した。残っていた犬も付いてきた。子どもたちは二人に気づいて手を振っている。少女も走りながら手を振った。思い切り手を振った。
onaishigeo 「楽園を見つけた」2012/04/14 初出:ブクログのパブー http://p.booklog.jp/book/48342