隠された力『絶対回復』
水の都『ルテティア』や古都『フェルゼン』の賑わいをあとにし、四人が足を踏み入れたのは、南部に広がる街道一の過酷な難所『黒嶺の崖谷』であった。
天を突くように切り立った黒々とした巨岩の崖が両側に凄まじい威容で迫り、眼下には足場を穿つ深い亀裂と乱立する鋭い岩肌が果てしなく続いている。
谷底から吹き上がってくる風は刃のように冷たく鋭く、頬を撫でるたびに吐息が白く散り、指先から熱を奪っていく。
時折、遠くの岩棚の影から不気味な魔獣の咆哮が地鳴りのように重々しく響き渡ると、その音は耳の奥ではなく骨の奥に沈み、四人の背筋へ一様に冷たい圧をかけ続けていた。
先頭を進む大剣使いのギルバートは、太い腕で重厚な大剣の柄を固く握り締め、慎重に足元を確かめながら周囲の切り立った岩壁へと鋭い視線を配っている。柄に食い込む掌の汗が、革を軋ませる。
「みんな、絶対に足を滑らせるなよ。このあたりは岩肌も非常に脆いし、一本角を持つ凶暴な大型魔獣『岩甲角獣』の縄張りだ。万が一ここから落ちれば、数メートル下の岩底へ一直線だからな」
「ええ、風の匂いも少し重苦しいわ。葵、あたしのすぐ後ろを離れないでしっかりついてきてね」
スカウトのミーナが弓を構えながら注意を促し、鼻先に漂う鉄と苔の匂いを嗅ぎ分け、弦の張りを目視で確かめている。葵は「はいっ……!」と引き締まった声で答え、冒険者風のミニドレス調魔力衣の裾をギュッと握り締めた。布を握る指が白く強張り、爪先が靴の中で小さく震える。
落ち着いたダークブラウンのミディアムロング髪を冷たい谷風に揺らしながら、頼もしい仲間たちの背中を追う。
葵のすぐ隣を歩むルカは、穏やかでありながらどこか鋭い瞳で街道の先を見据え、刀柄にそっと手を添えて不測の事態に備えて頼もしい佇まいで伴走していた。柄に残る体温が、葵の肩口へかすかに熱を移す。
国境の街ルミナを旅立ってから2年。見知らぬ異世界の冷たい大理石の床でただ泣いていた水野葵は、今やパーティーになくてはならない頼もしいヒーラーとして逞しく可憐な成長を遂げていた。
前線で傷つく仲間たちを迅速な治癒魔法で癒やし、パーティー全体の命綱となって崩れそうな戦線を影からしっかりと維持する日々。頼もしい仲間たちとの深い絆と温かい信頼関係が、今の葵の冒険者としての大きな誇りと心の拠り所となっていたのだ。
しかし、この黒嶺の崖谷が漂わせる独特の死角と不気味な静寂は、数々の死闘を潜り抜けてきた四人にすら、いっそう緊迫した空気を感じさせていた。
谷の細い岩道を慎重にさらに奥へと進んだ、まさにその時だった。
『グオォォォォォォンッ……!!』
突如として頭上の巨大な岩棚が激しい音を立てて崩れ落ち、凄まじい地鳴りと土煙とともに黒い巨影が前方の狭い岩場へと舞い降りた。岩片が雨のように降り、足場が一度脈動する。
身の丈三メートルを超える巨大な魔獣『岩甲角獣』。
全身を岩石のように頑強な厚い甲殻で覆い、頭部には鋼のごとき太く鋭い一本角を禍々しく突き出させている。
不意の急襲を受けた四人だったが、即座に散り、長年の呼吸で素早く迎撃の陣を敷いた。
「くっ、いきなりお出確かよ! ルカ、左から回り込め!」
「了解ッ! 『光の疾風』――ッ!」
ギルバートが大剣で巨腕の猛攻を重々しく受け止め、刃が甲殻に弾かれて火花を散らす。ルカが疾風のごとき素早い身こなしで魔獣の側角へと鮮やかに躍り出る。
ミーナが放つ鋭い矢が魔獣の目の隙間を正確に射抜き、甲殻の縁に跳ね返る音を残す。葵は後方から全神経を集中させて仲間たちの動きを見守った。
激しい攻防の中、ギルバートの腕に浅い切創が走り血が滲むと、葵は即座に両掌をかざす。
「温かい回復の光よ……ッ! 『ヒール』――ッ!」
掌から溢れ出た柔らかい光が傷口を優しく包み込み、擦り傷を一瞬で塞ぎ止める。光が傷の縁を舐めるように封じ、熱が血の匂いを薄め、腕の震えが和らぐ。完璧な治癒魔法のサポートを受け、前衛の二人はますます冴え渡る見事な連携で巨大な魔獣を着実に追い詰めていった。
――だが、巨獣の死に物狂いの狂乱は、四人の想定を遥かに超えていた。
片脚を深く射抜かれた魔獣が激痛に身をよじらせ、残された全筋力を振り絞って街道全体を削り取るような猛烈な突進を敢行したのだ。黒い血が甲殻の割れ目から滲み、脚の裏で岩肌が軋む。
その直進する凶角の標的となったのは、切り立った岩場の着地で一瞬だけ足元の砕石を滑らせ、体勢を崩してしまったルカだった。
狙いすました太く鋭い一本角が、無防備となったルカの胸元へと疾風のごとき速度で迫る。
(あ……ルカが……っ!)
思考よりも早く、葵の身体が動いていた。
2年前、この異世界の冷たい大理石の床で泣いていた自分を救い出し、どんな時も命がけで護り抜いてくれた大切な存在。
もう誰も失いたくない、大切な仲間を眼前で奪わせはしないという魂の叫びが、葵の足に爆発的な推進力を生み出していた。
「ルカッ……!!」
葵は疾風のごとく割り込み、ルカの全身を覆い隠すように自らの身体を突き出した。腕がルカの肩に触れた瞬間、体温が移る。
直後、魔獣の容赦のない太い一本角が、葵の右胸を根元まで深々と貫通した。肉が裂ける音、骨が軋み、胸の奥から熱いものが噴き上がる。
喉の奥から噴き出す血の吐息。肺の奥から血の泡が押し上げられ、唇から赤い糸が垂れる。
右胸を深く穿たれた激痛と、二人の身体をまとめて吹き飛ばす凄まじい衝撃が葵の全身を砕いた。背が岩に叩かれ、意識が跳ねる。
二人はそのまま狭い岩道を外れ、数メートル下の暗く切り立った崖下へと叩きつけられていった。風が耳を貫き、岩肌が頬を削り、何度も弾む。冷気が熱を奪い、赤い視界が闇へ沈む。
『ドカァァァァンッ……!!』
「葵ぃぃぃぃぃッ……!!! ルカぁぁぁッ……!!」
「そんな……二人とも――ッ!!」
頭上から響くギルバートとミーナの絶叫。叫びは谷に反響し、喉が裂ける。
急斜面の切り立った鋭い岩肌を激しく叩きつけられながら転がり落ち、岩底へと叩きつけられた瞬間、葵の視界は真っ赤に染まり、全身の骨が砕け散るような激甚な衝撃の中で意識が完全に暗転した。
崖の上では、残された二人が死力を尽くした凄絶な死闘を繰り広げていた。
「クソがぁぁぁぁッ! 葵とルカを返しやがれぇぇぇッ!」
ギルバートが怒号とともに全身の魔力を大剣に叩き込み、刃が赤黒く脈動し、狂乱する魔獣の首元を一閃のもとに斬り落とす。
巨体が地煙を上げて激しい音を立てて倒れるや否や、ふたりは一切の猶予もなく絶壁の縁へと駆け寄った。
「二人とも……! 返事をしてッ……お願い……っ!」
ミーナが声を限りに谷底へ向けて叫ぶが、返ってくるのは冷たい風の鳴る音だけだった。
「縄を出せミーナ! すぐに下へ降りるぞッ!」
二人は持てる魔力を足元に張り巡らせ、険しい岩肌をロープと滑落殺しの法で遮二無二下っていった。縄が岩に打たれ、掌が擦れ、血の匂いが鼻を突く。岩肌で手を擦り剥きながらも、ただただ仲間の無事を祈り、命がけで暗い岩底を目指す。
十数分間におよぶ必死の下降。岩底へ足をついた二人は、倒れた岩の物陰へと夢中で駆け寄った。
そして――そこで目にした光景に、ギルバートもミーナも息を呑み、金縛りに遭ったかのようにその場に呆然と立ち尽くした。
そこには、岩肌に打ちつけられた激しい衝撃で身に纏っていた魔力衣が完全に消え去り、生まれたままの全裸の姿で気を失って横たわるルカ。
岩底の冷気とは裏腹に、彼の肌は熱を帯び、汗の膜が薄く張っていた。睫毛の陰が揺れ、喉の奥で低い息が鳴る。
その腰元には、なぜか熱い火照りを帯びたかのように高揚した気配が残り、彼の身体が激しい余韻を湛えて横たわっていた。腰のあたりはわずかに浮き沈みを繰り返し、熱が冷気に負けない。
そしてそのすぐ数歩先には、葵が横たわっていたのだ。
右胸を根元まで貫かれ、大量の鮮血の中で倒れていたはずの葵。
だが、その右胸の白磁の素肌には、傷口どころか微かな擦り傷一つ残っておらず、滑らかな真珠色の肉体が嘘のように傷一つない完璧な状態へと修復されていた。穿たれたはずの穴は塞がっている。胸の谷間に残る血の赤だけが、嘘の証拠。
けれど、あまりにも異様なのはそれだけではなかった。
葵を覆っていた冒険者風のミニドレス調魔力衣は綺麗さっぱり消失し、彼女もまた一切の隠し事のない生々しい完全全裸となっていた。魔力の糸がほどけ、布は光の粒と化して消えていた。
白磁の素肌が一気に耳の裏まで艶やかな真紅に上気し、全身から溢れ出る熱い汗が白磁の太ももをじっとりと濡らしている。頬、首、胸、腹、腿まで熱の波が走る。
魔力が完全に一滴残らず枯渇し、意識が途切れかけて虚ろな瞳をした葵。瞳の焦点は岩底の闇に沈み、睫毛が重く、呼吸だけが浅く速い。
彼女は喋ることも声を上げることもなく、一言の言葉すら発しないまま、ただ黙々と自分の手で柔らかな二つの胸を抱きかかえ、熱く固く結ばれた可憐な頂を優しくなぞりながら愛おしそうに包み込んでいた。
掌が豊かな胸を包み、可憐な頂が熱を帯び、指の腹が優しく円を描く。
「あ……あ……っ……ん……っ」
浅く荒い熱い吐息だけを口元から洩らし、全裸のまま静かに滑らかな太ももをキュッと固く挟み込んでいる。腿の内側が熱く震え、膝が合う。
白磁の指先は吸い寄せられるように滑らかな下腹部を辿り、溢れ出る熱い火照りに包まれた自らの身体へと静かに触れていた。
誰の呼びかけにも答えず、言葉一つ発することなく、虚ろな眼差しでただ黙々と自らの身体を抱きしめ続ける葵。
震える指先で熱を帯びた肌を丁寧になぞり上げ、腰を小さく浮かせながら自らの素肌を撫でさすり、激しい身体の火照りと身を焦がす情熱のままに、一言も喋らずひたすら身をよじらせて自身を慰め続けていた。
指先が熱を帯びた肌をなぞるたび、背筋を駆け上がる痺れるような心地よさが全身の毛細血管を駆け巡り、白磁の素肌に真珠のような甘い汗の粒を浮かび上がらせていく。
声を上げる余裕すらなく、ただ荒い吐息を漏らしながら、熱く火照る身体の求めるままに自らの体を抱きしめ続けた。
両脚をキュッと固く挟み込み、腰を小さく浮かせながら自らの素肌をなぞるその仕草は、静まり返った暗い谷底で切なく妖艶な色気を甘く放っていた。
何ひとつ言葉を発することなく、虚ろな瞳でただ自らの身体を抱き続ける葵。その仕草はあまりにも艶やかで、かつ切なく可憐であり、誰にも見られないはずの暗い岩底で、彼女自身の情熱の火花だけが絶え間なく燃え上がり続けていた。
頭の中に浮かぶのは、かつて日本で愛してくれた最愛の恋人・拓海の温もりと、唇に残るルカのキスの感触。
二つの情愛の波が身体の奥底で渦を巻き、葵の白磁の指先は吸い寄せられるように愛おしく肌を撫で、全裸の素肌を果てるまで果敢なく揺らし続けていた。
一言もしゃべらず、意識が途切れかけた瞳をうっとりと伏せながら、全身を駆け巡る激しい熱の激流に素肌を震わせ、自分でも止められない高揚の波に独り激しく身をよじり続ける葵。
やがて、指先が素肌をなぞり、腰の奥に熱が溜まる。胸の谷間から腹の底へ、心地よい痺れが走る。意識の縁が遠く、身体だけが先へ。吐息が詰まり、背が弓のように跳ねる。
「ん……っ……」
過呼吸に近い息が谷の闇に溶け、白磁の全身に粟粒が立つ。胸が揺れ、可憐な頂が熱を帯び、肌が熱く光る。高揚の波が腰を叩、身悶えが一度、二度。
波が引いたあとも、身体は熱を手放さない。指に残る温もり、胸に残る柔らかな重み、腿の内側に残る熱。荒い息遣いが谷の底に細く残り、冷たい風が肌を撫でても、熱は消えない。
「葵……? これ……一体……」
「な……何がどうなってやがるんだ……!?」
右胸を深々と貫かれた死の大傷が綺麗さっぱり修復されていながら、全裸のまま喋りもせず黙々と自らを抱きしめ続ける葵の妖艶で幻想的な姿。
あまりにも異様で、甘く切ない色気を放つその光景に、救援に駆けつけたギルバートとミーナは、ただ言葉を失って立ち尽くすことしかできなかった――。
第16話をお読みいただきありがとうございました!
今回は過酷な難所での激闘と、崖下で起こったあまりにも衝撃的で切ない情景を描かせていただきました。
不測の事態に直面した仲間たちの驚愕と、葵が抱える可憐で甘い心模様を描かせていただきました。




