最果ての魔女
「お前を妻として娶る。拒否権はないと思え」
――魔女は不老不死である。
最果ての魔女と呼ばれるリディアも例にもれず、それだった。
そして、今までの長い人生の中で初めて言われた言葉に、驚き固まりその男を見た。
===
彼は一言で言うならば、酷く醜い男だった。
爛れた肌を覆い隠すように全身に包帯を巻いて、唯一見える隻眼は彼の不気味さを一層際立たせていた。
けれど身なりは意外にもしっかりとしている。紳士然とした装いは車椅子姿でも威厳を感じさせるものだ。
それでも、男に対しての所感はリディアだけのものだった。
彼女を捕らえた奴隷商の男は、客である彼を見遣ると嫌悪を隠さない表情で顔を顰めた。
しかしリディアの面前に居る男は、そんな店主の態度を一瞥もしないで鉄格子の向かいにいるリディアを凝視していた。
「こいつはなんだ?」
「はあ、魔女ですよ」
「……魔女?」
「よくは知らねえですけど、こいつがそう言ってるんだ」
奴隷商は半信半疑といった呈で男に話をする。
それを聞いて、男は店主に金の入った袋を投げた。
「こいつをもらおう。金は余分に入っている。迷惑料だ」
有無を言わさずの男の態度に、奴隷商は渋々と言った様子で牢を開いた。
リディアはそれに素直に従う。
不老不死の魔女がこの程度の状況、簡単に抜け出せるからだ。捕まっていたのだって、日常に飽きて普段とは違ったことをしたかったという、おかしな理由からである。
「街の外れにある屋敷まで頼む」
「あの……」
「私のことは旦那様と呼べ」
男はリディアにそう言いつけた。
車椅子を押しながら、黙って頷く。
「分かりました。旦那様」
「それと……先の話は本当か?」
「私が魔女であるという話ですか?」
「そうだ」
リディアはそれに肯定する。旦那様はそれを意外にも素直に信じてくれた。
「不老不死というのも本当か?」
「はい」
「なら、私より先に死ぬことはないな」
呟いて、笑ったのか。微かに肩が揺れる。
それを背後から眺めながらリディアは屋敷まで続く道をゆっくり歩いていった。
その道中で、なんの脈絡もなく。
「お前を妻として娶る。拒否権はないと思え」
――そう、言ったのだ。
===
街の外れにあるお屋敷が旦那様の住処だった。
使用人はリディアひとり。
他はどうしたのだ、と聞くと気味悪がって辞めたか、失踪したかだと旦那様は答えた。
彼はリディアに身の回りの世話を命じた。
身体が不自由なため、手伝って貰わなければ何も出来ないのだと素っ気なく言う。
元々そのつもりだったので、特に異論もなくリディアの日常はゆっくりと変化していった。
――その日は旦那様の自室に朝から訪れていた。
起床からのお世話を終えて、いつもなら退室するところをリディアは持参した本を片手に、寝台横のソファに腰かける。
そうしたところで、旦那様が声を発した。
「屋敷の掃除はどうした」
「それはもう終わりました」
「……馬鹿を言うな。ここがどれだけ広いと思っている。一人で終えられるものでは――」
「そんなもの、魔法を使えばすぐです」
その言葉と同時に、部屋の扉が開かれて箒を手に持った甲冑が入ってきた。
リディアはそれに目もくれなかったが、旦那様は唯一見える隻眼をかっぴらいて言葉もなく驚愕している。
「今のは……いや、いい」
どこか諦めたように嘆息して、旦那様は目を瞑る。少し黙ったかと思えば、すぐに声が掛かった。
「茶が飲みたい。炊事場に行って――」
「どうぞ」
リディアがどこからか出したカップには、湯気を立てた茶が入っていた。
たった今淹れたばかりのようなそれに、旦那様は目を眇める。
「これも、魔法とやらか?」
「はい。毒は入ってないですよ」
試しに一口飲んでから差し出すと、旦那様はそれを怪訝そうに受け取った。その表情はなんだか複雑そうで、カップに口をつけるとすぐに突っ返してくる。
「下げてくれ」
「……お口に合いませんでしたか?」
「いいや」
否定した旦那様の態度に不思議がっていると、隻眼がリディアを見つめていた。
「……なぜここにいる」
「え、本を読みたいので」
「それはこの部屋でなくとも出来るだろう」
憮然とした態度でそんなことを言う旦那様に、リディアは口籠った。それは何も彼の言葉に気を害したというわけではない。
先ほどの一連のやり取りについて、真意を理解したからだ。
「妻が夫の傍に居てはいけないのですか?」
一言、そう言うと旦那様は何も言わずに目を逸らした。今の問答で察してしまったのだろう。
どれだけ手を尽くしても、この女は傍を離れてはいかないのだと。
諦めの感情がこもった溜息がすぐ傍で聞こえてきた。
先の問答の是非を問う前に、旦那様はリディアに言いつける。
「そろそろ包帯をかえてくれないか」
「はい。ただいま」
旦那様の頼みにリディアは本を閉じて腰を上げた。
寝台に近づいて、そっと身体に触れる。すると物言いたげな視線と目が合った。
「これは魔法でやらないのか?」
「お身体の調子が悪そうなので。何か問題がありましたか?」
「こんなものに触れようとするなんて、魔女は怖いもの知らずか」
「ええ、魔女ですから」
おどけて言うと、旦那様は小さく笑った。
彼は見た目に反して冷徹な人間ではなかった。
屋敷に招いたリディアに、何でも好きにして良いと言う。何の干渉もしてこない。世話をしてくれればそれでいいのだ、という。
しかし、それならば妻として娶るのではなく、使用人として雇用すれば済む話だ。夜伽の為かとも考えたが、それもない。
旦那様は就寝時は必ず一人にしろと言うし、傍に居ろとも言わない。
リディアがこのお屋敷に来て、一週間。
旦那様の真意は未だ分からずじまいだった。
===
旦那様の朝のお世話を終えて、リディアは屋敷の書斎へと来ていた。
朝、昼、夜。決められた時間帯に世話をしてくれたなら、何をしても良い。最初に旦那様が言いつけた約束事だ。
昼までまだ時間があるので、何か面白いものでもあるかとリディアは書斎内を見て回る。
室内は人間の出入りがなかったのか。埃っぽかった。けれど乱雑に積まれた蔵書や書きかけの書類を見るに、旦那様はよくここに出入りしていたみたいだ。
「さてと、何があるかな~」
散らばった本やらを整理しながらリディアは室内を物色する。
書物の類は彼女の好物の一つだ。不老不死の魔女と言えども、まだまだ知らないことは山ほどある。知識の探求は飽くなきもの。そして暇つぶしには持ってこいである。
そんな折、ふとあるものが視界に入って、リディアは手を止めた。
「これ……」
見つけたものを手に取って、彼女は眉を潜めた。
片手で指を鳴らすと、壁に掛かっている蝋燭に明かりが灯る。それを光にあてて、文字を目で追った。
リディアが見つけたのは、手書きの手記だった。おそらく旦那様のものだ。そこに記されている内容にリディアは、魔女として驚愕する。
「よくここまで調べ上げたものだ」
リディアの口から洩れたものは純粋な賛辞だった。
手記に書かれていたものは呪いについて。こんなものは一般的にはほぼ出回っていない情報である。
それをかなり正確に研究、分析している。
すべてを読み込んで、リディアは確信した。最初は気のせいかとも思ったが、そうではなかった。
旦那様は自身の身体について、病魔ゆえと言ったが……あれはそうではない。
あれは正真正銘、呪いによるものだ。
それもかなり高度な呪創。奇跡かぶれの術士が使うようなお遊びではない。それこそ、リディアのような魔女が編んだもの。そうとしか考えられないと、リディアは決定づけた。
とはいえ、魔女などそうそう見えるものでもない。同胞などここ千年お会いしたことも、噂を聞いたこともないのだ。
だから眼前の事実にリディアは腑に落ちなかった。
呪いというものは、自然発生するようなものではない。
術者がいて、初めて効力を発揮できるもの。だから、誰かが旦那様に憎悪を押し付けたのだ。
そして、魔女であっても呪いは解呪できない。
知識の探求に邁進する最果ての魔女――リディアでも、それは出来なかった。
===
昼下がり。
リディアは旦那様の自室へと向かっていた。
扉を開けて入室すると、彼は朝と同じように寝台に横になっていた。目を閉じて、何をするでもなくじっとしている。
リディアは静かに近づいて、彼に声を掛けた。
「旦那様、お食事は摂られますか?」
「いい。腹は減っていない」
水が欲しい、と旦那様は言った。
それにリディアは魔法で水差しを取り出して、旦那様の手に握らせた。
「……檸檬の風味がする」
「私が好きなもので。お口に合いませんか?」
「いいや、これは好きだ」
呟いて、小さく笑った旦那様は再び寝台に身体を沈めた。
彼は一日の大半をこうして過ごしている。隠遁していたリディアでもたまには外に出て気分転換をしていたというのに、旦那様はそれすらもしない。
水差しを受け取ったリディアは逡巡した後、寝台の傍にあるソファに腰を下ろした。すでに慣れてしまったのか。旦那様はリディアの言動に何も言ってこない。
ただ黙って目を瞑って、深く息を吐いた。
「旦那様」
声を掛けると、声が返る代わりに彼の隻眼がリディアを捉えた。
「先ほど、書斎でこれを見つけたのですが」
彼の眼前に手記を差し出すと、旦那様は眉を寄せた。そこには憤りが滲んでいる。
「他人の恥部を漁るとは。悪趣味なことをする」
「旦那様が好きにして良いと仰ったではないですか」
「……はぁ」
怒られるかもと思ったが旦那様は、溜息を吐いただけだ。
彼はリディアから手記を受け取ると、頁を捲って軽く目を通した。それからリディアを見遣る。
「それで、何が聞きたい」
「旦那様のそれは呪いですか?」
「魔女のお前なら聞かずとも分かるだろう」
「そうですね。今のは確認です」
リディアの聞きたかった事。本題はこれからだ。
「これは、誰に編まれたものですか?」
「さあな。知らん」
「そんなわけは」
「誰かは知らんが、起こりは知っている」
旦那様は目を閉じた。深く息を吸って、吐く。もう一度開いた眼差しで、リディアをまっすぐに見つめると、答えを示す。
「生まれつきだ。一族の呪いだと、私の曾祖父は言っていた」
――知っているのはそれだけだ。
旦那様はそれだけを言って、口を噤んだ。
それを聞いて、リディアは気づいてしまった。
誰がこの呪いを編んだのか。それが出来る魔女を、彼女は一人だけ知っている。
===
――二百年前。
魔女である彼女の隣には、人生を共にと誓い合った伴侶がいた。彼を、魔女は心の底から愛していた。
けれど、そんな関係も長くは続かなかった。
不老不死の魔女の噂を聞きつけた人間たちが、彼女の元へと押しかけてきた。所謂、魔女狩りというやつだ。
久方ぶりに見聞きしたそれに、魔女はうんざりとしていた。
不死の存在を、どうやっても殺すことなどできない。しかし人間たちにはそんな事実など関係ないのだ。
異端者は浄化すべき。
異物は排除しなければならない。
そんなことを宣う相手と、どうして共存など出来ようか。
けれど、彼らのしつこさは魔女もよく知っていた。ここで逃げおおせても奴らは地の果てまで追ってくる。
だから魔女は潔く身を捧げた。しかし、伴侶の男はそれを良しとはしなかった。
彼はあろうことか、魔女の処刑を止めたのだ。公衆の面前で、魔女を助けてしまった。
魔女狩りは異端者を許さない。
彼らの異端者の定義は、魔女とそれを庇う者。
疑惑の段階で、魔女狩りは男へと是非を問う。身の潔白が証明できれば見逃してやると。つまり、魔女を売り渡せと言外に言っていた。
それに男は――
「自分の妻を殺す夫がどこにいる」
そう言って、生きたまま串刺しにされた。
魔女はそれを炎に巻かれながら見ていた。
両腕が十回焼け落ちても。
目玉が百回溶け落ちても。
千回、命が尽きようとも。
この憎悪が、消えることはない。
===
魔女は呪いを編み出した。
一族を末代まで呪う、呪創。それを魔女狩り共へ食らわせて、自身は遥か未開の地へ隠遁した。
彼らを皆殺しにしなかったのは、伴侶との約束があったからだ。
彼は魔女が人を殺すのを嫌がった。
――そんなことをしてしまえば、皆に嫌われてしまうよ。
困った顔をしていた、その人の面影を今ではほとんど思い出せない。
二百年の時は、それだけ記憶を風化させる。
あの時感じた憎悪も、今や欠片もなくなっていた。どうでもいいわけではない。しかし、固執しすぎるのは不毛なことだ。
その事象に、リディアは二百年の時を過ごして悟った。
そうして忘れかけていたところで、彼に会ったのだ。
===
「旦那様」
静かな声音に、彼はリディアを見つめた。
不意に押し黙った彼女を怪訝そうに見遣って、その目を逸らす。
「なんだ」
「もしその呪い。解呪出来るとすれば、どういたしますか?」
「お前は出来もしないことを言うのか」
「……仮定の話です」
旦那様はそれに少しだけ悩む素振りを見せた。
「いいや、このままで構わない」
「えっ?」
「私の代で終わらせるつもりだ。だから、このままでいい」
珍しく動揺を見せたリディアの様子に、旦那様は小さく笑んだ。
「どうした。この答えでは不満か?」
「ど、どうして……」
「生に執着はしていない。それに、私が生きていてはお前を娶った意味がなくなる」
意外な言葉に、リディアは理解が追い付かなかった。
理由を聞こうと身体を浮かせた瞬間――旦那様の顔色が曇った。
「――――ッ、グゥ」
苦痛の籠った呻き声。
いきなり身体を折ったかと思えば、彼は堪え切れない痛みに歯を食いしばった。
魔女であり、呪いの元凶であるリディアにはこれが何であるかすぐに理解できた。
彼女が彼の一族に編んだ呪いは、生涯をかけて身体を蝕んでいくもの。到底人間では耐えられない苦痛を与えて、身体の自由を奪うものだ。
文字通りの生き地獄に落とす――そんな呪いだった。
「……っ、旦那様!」
リディアはすぐさま、その身体を押し倒した。勢いをつけて馬乗りになると、両手を押さえて拘束する。
「馬鹿なことはやめてください!」
きつく左手を掴むと、握っていたものが手から零れ落ちた。
枕の下に隠していた鈍色のナイフは、きっとこの時の為に用意していたのだろう。
痛みで見開いた瞳からはぼろぼろと大粒の涙が零れてくる。
呼吸もままならないほどに息も荒れている。抑えつけた両腕はさっきから震えてばかりだ。
抵抗して押し返してくる力はそんなに強くない。今ではもう身体の力も入らないのだろう。
「落ち着いて。今からおまじないをかけます」
リディアは旦那様に一言、言い含めてから無理やりに口を塞いだ。
一瞬肩が跳ねたが、それにお構いなしでリディアは口内に舌をねじ込んでいく。
傍目から見ればただのキスに見えるが、もちろんそんなことはなく。これはしっかりと意味のある行いだった。
キスをする前に自分の舌を思い切り噛んで、血を流しておいた。
不老不死である魔女の血には様々な効能がある。リディアの場合、それは沈静だった。
そうして、それが功を奏したのか。旦那様はしばらくすると意識を手放してしまった。
良かったと安堵して、リディアは身体の上から退ける。
寝台から降りたところで、床に落ちていたナイフを回収する。
こんなものを用意していたなんて。自決するつもりだったのだろうか。
それだけ辛い呪いを与えてしまったことに、リディア罪悪感を覚えた。
旦那様の先祖がやったことは、リディアにとって許せるものではない。しかし、その末裔の彼にはまったく関係がないものだ。
それでも、この呪いは解けない。
「もし……」
リディアが呪いの元凶だと知れば、彼はどうするのだろう。
らしくもない考えにリディアは大きく息を吐くと、目を瞑った。
===
旦那様が目を覚ましたのは、次の日の早朝だった。
まだ日も登りきっていない、薄暗い時間帯。
ふと傍に目を向けると、リディアがソファに横になって寝息を立てていた。それに気づいた彼は音を立てずに身体を這わせる。
寝台の傍に立て掛けてあった支え杖を掴んで、近くにある車椅子まで行こうとするが、動かず力の入らない両足では無理だった。
「――ふぇっ」
盛大な物音とともに変な鳴き声が聞こえてきた。
それに意識を向ける前に、目を覚ましたリディアは慌ててソファから起き上がると――
「旦那様、お目覚めになられたのですか」
すぐに駆け寄ってきたリディアは、旦那様に手を貸して車椅子に座らせる。
「お身体の調子は」
「平気だ」
「そうですか。良かったです」
ほっと安堵したリディアに、旦那様は怪訝そうな眼差しを向ける。
「……一晩中ここにいたのか」
「はい。またあのようなことになられたら、心配ですから」
「気を揉まなくとも良い。しばらくは落ち着くはずだ」
そう言って、旦那様は右手のひらを開閉する。うまく動かないのか。最後には小さな溜息が聞こえてきた。
リディアはそれに気づかないふりをして、これからの予定を尋ねる。
「朝食、摂りますよね?」
「ああ」
「お任せください!」
どうしてか、人一倍張り切っているリディアに旦那様は何かを言いかけて口を噤んだ。
そんな彼の様子を知らないリディアは、自身が腹ペコなのもあって足早に食堂へと向かう。
静かな廊下を車椅子を押して移動していると、不意に旦那様が口を開いた。
「昨日のことだが」
「はい」
「あの、おまじないとやらはなんだ?」
一瞬、言葉に詰まりながら問う旦那様に、リディアはおくびもなく告げる。
「あれはただの接吻です」
「ただの……」
「おまじないというのは言葉の綾です」
一応、魔女の血についてもかいつまんで説明をする。
旦那様はそれを黙って聞いていたが、得心がいかない様子だった。
「もしかして、初めてでしたか?」
「……」
「夫婦なら、キスくらいして当然ですよ」
何も変なことはないとリディアは言うが、旦那様は尚も食い下がってきた。
「血を飲ませるだけなら、他の方法もあっただろう。わざわざ――」
「あの時は両手が塞がっていましたから」
有無を言わさない反論に、旦那様はそれきり黙り込んでしまった。
===
食堂に着くと旦那様をテーブル前に連れていき、リディアは準備にかかる。
といっても魔女の彼女には料理を作る手間など必要ない。
「今日のメニューは、木の実を練りこんだクロワッサンに、バター、イチゴとマーマレードのジャム。それとホットコーヒーです」
一瞬で目の前に現れた朝食に、旦那様は一瞥して顔を上げる。
「これの基準はなんだ?」
「基準……私が食べたいものですね」
魔法で出した料理はリディアの記憶や経験から作られる。つまりはすべてが彼女の好みで決まるのだ。
「食べられないものでもありましたか?」
「いいや」
旦那様はかぶりを振ると、黙って食事に手を付け始めた。リディアはその隣に座ると、一緒に食事を摂る。
普段ほとんど動かないからか。旦那様は少食だ。身体を動かすこともないから、腹が減らないのだという。
だから、隣で彼の三倍ほどの量をぺろりと食べてしまったリディアを見て、彼はなんとも言えない表情をしていた。
「この後はどうなさいますか?」
「庭園に行きたい」
「珍しいですね」
「気分転換だ」
付き合え、と旦那様は言った。
普段ならリディアを遠ざける彼が、傍に居ろというのだ。それに内心驚愕しながらも口元には笑みが残る。
===
屋敷の庭園は寂れた場所だった。
長らく手入れがされていないそこは、枯れ木が立ち侘しさだけが残る。
旦那様は、それをじっと見つめていた。
リディアはそんな彼の背中に声を掛ける。
「旦那様。私も貴方に聞きたいことがあります」
「なんだ?」
「死にたいと思ったことはありますか」
「……そんなもの、一度や二度ではない」
不躾な問いかけに、旦那様は意外にも答えてくれた。
リディアにとってもこれは意味のない問答だった。そんなもの、彼の身の上を考えれば自ずと知れることだ。
けれど、どうしても本人の口から答えを聞きたかった。
「私の父も、祖父も。自決して死んだ。未来の自分を見ているようだった。……とても恐ろしいと感じた。私には、あのような死に方は出来ない」
――誰にも看取られずに死にたくはない。
独白のような小さな呟きに、リディアはそっと旦那様の正面にまわった。
まっすぐに彼の目を見つめて、心の内を尋ねる。
「旦那様が私を娶った理由は、それですか」
真剣な声音で追及すると、旦那様は少し違うとかぶりを振った。
「私が独り身で死ねば築いてきた財産など、何も残らない。執着はしていないが、生きた証が欲しい」
だから娶ったのだ、と旦那様は言う。
「私が死んだら、この屋敷も土地も金もすべてくれてやる。生きるのに不自由はしない」
――そう遠くない話だ。
それから旦那様はリディアに言いつけた。
自分が死んだら好きなところに行くと良いと。この場所に残らずとも良いと。
「随分と身勝手な話ですね」
「お互い、愛情などないだろう。関係は限りなく浅い方がいい。無駄に傷つかずに済む」
それに――と旦那様は続ける。
「お前は魔女だ。嫌になったら簡単に逃げ出せる」
「そうですね。魔女ですから」
「私の願いを律義に叶える必要もない」
「……いいえ」
否定を口にしたリディアに、旦那様は驚いたように目を見開いた。
どういうことだと、彼の眼差しが語っている。
それを見据えて、リディアは告白する。
――二百年前の、昔話を。
===
「なるほど……お前は私を殺しにきたのか」
「いいえ、これはただの偶然です。私もつい先日まで忘れていたのですから」
旦那様はすべてを聞き終えても、いつもと変わりなかった。
「旦那様は良いのですか?」
「なにがだ」
「私は貴方の呪いの元凶です。殺したいほど憎いでしょう?」
「自分の妻を殺す夫がどこにいる」
素っ気なく言った一言に、リディアは思わず笑ってしまった。
――この人は、彼と同じことを言う。
愛情はないのかもしれないが、リディアにとってそれは些細なことだった。
今の一言で、彼女の気持ちは固まった。
「旦那様」
呼びかけに応える前に、リディアは身を乗り出すと彼に口づけをする。
いきなりのことに呆然としているところへ、続けて一言。
「子作りしましょう」
「っ、は?」
衝撃の発言に、旦那様は息を止めた。動揺で視線がうろうろと彷徨っている。
「わ、私の話を聞いていなかったのか」
「聞いていましたよ」
「私の代で終わらせると言っただろう」
彼の話に、リディアはそうだったと思い出した。でも旦那様の憂慮はリディアの意図する所とは相違している。
つまり問題はないということだ。
「あっ、そういうことではないのです」
リディアの否定に、旦那様はますます顔色を曇らせる。詰問が飛んでくる前に慌てて弁明をする。
「私は過去に犯した失態を挽回したいのです。ですから、それには旦那様の協力が不可欠なのです」
「……話が見えてこない」
「私が編んだ呪いは解呪出来ません。けれど、唯一抜け道があるのです」
――そう、これには抜け道が存在していた。
最果ての魔女である、彼女でしか辿り着けない回答。
「貴方の呪いを、他の者に押し付ければいい」
邪悪な笑みを浮かべた魔女の計画に、彼は戦慄を覚えた。
普段はニコニコとしているが、目の前のこれはれっきとした魔女なのだ。
「他所の他人ではダメです。一族間で継がれる呪いなので、旦那様の血が入っていなければ」
「だ、だから私に情交しろと? 魔女のお前と?」
「夫婦の関係としては何も問題はないでしょう?」
何も問題はないとリディアは宣う。
しかし、普通の倫理観を持っている旦那様はそれに良い顔はしなかった。
「自分が何を言っているのか。分かっているのか」
「はい」
「子を生贄に捧げろと?」
「私はそれでもいいのですけど……旦那様は嫌そうですね」
「当たり前だ!」
初めて怒鳴られたリディアは、呆然としてしまった。
……何がいけなかったのか。理由がわからないまま、魔女は話を続ける。
「一番手っ取り早いのがこれなのですが……仕方ないですね」
「大人しく諦めてくれ」
「いいえ。代替案を思いつきました」
血統を継いだ子供を作れないなら――
「人造人間なら、旦那様も文句はないでしょう」
「……なんだ、それは」
「人工的に人間を作り出す技術です。造るのは大変ですけど、こちらの方が人体の成熟に時間が掛からないから、旦那様の寿命を考えれば妥当ですね」
「……っ、まて。私は何も了承していな――」
「公平にいきましょう」
リディアは旦那様の言葉を遮って、宣告する。
「私は妻として、貴方の最期を看取ります。ですから、貴方も夫として私の願いを叶えてください」
理不尽ともいえる物言いに旦那様は息を呑んで、それから悟ったように項垂れた。
――娶ったつもりが、娶らされたということに。
===
あの魔女には倫理観というものが大いに欠如しているらしい。
最初に子作りをしようと言われた時は大層驚いたが、その後の方が度肝を抜かれた。
トーシュは自室の寝台に腰かけて、窓の外をぼんやりと見つめていた。
あの魔女は色々と準備があると、屋敷の中を駆け回っている。
なんでも彼女が言う人造人間とやらは、ここに居ては造れないらしい。一度彼女の住処に戻らなければならないのだという。
故にこの場所を離れなければならない。長旅になると魔女は言った。
産まれてから今まで、この場所からはほとんど出たことはない。遠出しても街に行く程度だった。だから不安もあるが、少しだけ楽しみにもしている。
小さな気持ちの変化に気づいて、トーシュは口元を緩めた。
「旦那様!」
突然自室の扉が開かれて、魔女が焦った様子で入ってきた。
なんだと振り返ると、彼女はトーシュの傍に寄ってきてまっすぐに目を見つめてくる。
「あの、私……とても大事なことを思い出したんです」
「な、なんだ?」
「旦那様のお名前、知らなくて」
しょんぼりと肩を落とした魔女の様子を見て、トーシュは思わず笑っていた。
血相を変えて入ってきたものだから、どんな用があるのかと身構えていたのに。こんなどうでもいいことだったとは。
「笑わないでください!」
「ふっ、……そういえば、私もお前の名は知らない」
「じゃあ猶更笑えないじゃないですか!?」
腹を立てた魔女はトーシュに詰め寄ると、じっと睨んできた。
恨みがましい眼差しを見つめ返して、
「トーシュだ」
「リディアです。これからも、よろしくお願いします」
差し出された手を握り締めて、トーシュはその手に口づけを落とした。
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