001話「ある日の夜…」
歴史が動きだす、その夜から……。銀河は燃える……永遠に。
「歴史は繰り返す」
そう語ったのは、古代ローマの歴史家だという。
繰り返されるのは、出来事そのものではない。
繰り返されるのは、人間の欲望。恐れ。怒り。そして、忘却だ。
かつて、一つの国が敗れた。
屈辱と貧困が人々を覆い、怒りは鬱屈となって渦巻いていた。
そんな時、「過去の栄光」を掲げる男が現れた。
絶望に、希望の仮面をかぶせた。
だがその希望は、やがて憎しみへと姿を変えた。
異なる思想は排除され、自由は静かに死んでいった。
国家の名のもとに、正義はねじ曲げられ、無数の命が失われた。
戦争が終わったとき、世界は誓った。
「二度と、同じ過ちは繰り返さない」と。
別の時代、別の土地で。
同じ言葉が叫ばれ、同じ怒りが燃え上がる。
過去の幽霊は、違う顔をして再び現れようとしている。
歴史は、決して同じ形では繰り返されない。
けれどその構図は、驚くほど似ている。
私たちは問われている。
あの過去を知っていて、なお、また繰り返すのか?と。
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『宇宙暦1934年2月1日 エンバーリン星系 フィア・エンバーリン星 中央市 安酒場「ケイオス」』
この酒場に私は、ほぼ毎晩入り浸っている。煙草の煙と安酒の匂いが染みついた木製カウンター、割れたグラス、荒くれ者どもの怒号と賭博の声。ここが今の私の居場所。いや、唯一の居場所。
「……また来たわね、准将殿。」
カウンターの奥にいるマスターが、私の姿を見るなり皮肉げに笑った。誰が准将だ。私はもう軍なんか辞めた。予備役とは名ばかりで、ただの無職。元軍人、元王国貴族、元……何もかも。
「ウォーム・ブラッドを。ダブルで」
マスターが無言で赤褐色の液体をグラスに注ぐ。その音を聞きながら、私は背筋を伸ばして、ぐいと一気に飲み干した。喉が焼けるような感覚に、一瞬だけ過去の記憶が薄れる。
それが、いい。
そう、私は忘れたいのだ。
あの血の匂い、焼け焦げた肉、艦橋に響いた断末魔……そして、最後の命令。
私が下した、あの命令。
「……地獄だったわね、エルドミアは」
誰に語るでもなく呟いた。あの戦場を思い出さない日はない。
機関砲が唸り、要塞ごとに死体の山が築かれた。突撃、後退、また突撃。無意味に命が散っていく。
私の家……フィロメーネ家も、王国の増税であっという間に没落した。
貴族一の令嬢などと持て囃された日々は、もう遠い過去。
残ったのは、美貌と呼ばれたこの体と、よく回る舌と、酒癖の悪さ。
今じゃこの程度が、私の生存戦略よ。
ドアが開く音。足音。軍靴の音だ。癖で背筋がぴんと伸びる。思わず舌打ちした。
振り向いた瞬間、私は声を失った。
「……嘘でしょ。ジョン……?」
入ってきたのは、軍服に身を包んだ20代後半の男。がっしりとした体格に、整った顎鬚。厳格な眼差し。王国軍中佐……いや王国軍少将、ジョン・スミス……私がかつて「友」と呼べた男だった。
「久しぶりだな、ベアトリーチェ」
私はグラスを置き、からからと笑った。
「どういう風の吹き回し? 私のような無職に声をかけに来るなんて。昇進祝い?」
彼は無言で私の隣に腰を下ろした。いつもの強張った顔。ああ、これは本気だ。
「……君を迎えに来た」
「やめて。冗談でも気分悪い」
「本気だ。君が必要だ、今の王国軍には」
私はわざとらしく笑った。
「私が? あんな戦場に戻るくらいなら、ここの皿洗いでもしてる方がマシよ。ジョン、わかってるでしょう? 私はあの日、自分の責任で予備役に下がったのよ。あれは逃げよ、れっきとした」
ジョンは、グラスに視線を落としたまま、静かに言った。
「君がいなかったら、あの戦いはもっと酷い地獄になっていた。逃げたとは思わない。だが……戦況は悪化している。第一エルドミア要塞が陥落した。こちらの戦線は瓦解寸前だ。ベアトリーチェ……あのときの君の判断力が、今こそ必要なんだ」
「……また艦隊戦か。宇宙で火花を散らして、何千人もが即死して。そんな戦場に戻れと? 冗談」
「王国が滅びる」
私は眉をひそめた。
「滅びればいい。あんな連中、王族も議会も私の家を搾り取っただけ。誇りも忠誠も、燃えカスも残ってない」
「だが兵士たちは、君を信じていた。君は、部下を見捨てたことがない。誰よりも冷徹に、誰よりも早く決断を下し、誰よりも多くの命を救った」
私は黙った。頭に浮かぶのは、あの時の艦橋。副官の悲鳴、パネルに映る損耗率、そして――“全艦撤退”の命令。
「……私は、自分が怖い…」
呟いたのは本音だった。
「またあの場に戻れば、私はまた命令を下す。誰が死に、誰が生きるかを決める。それが、平気な自分がいる…」
ジョンは頷いた。そして、一通の封筒を差し出した。
「任務命令書だ。だが、サインするかは君の自由だ」
私はそれを受け取らず、ただ見つめた。
「……答えはすぐには出せない」
「わかっている。だが急いでくれ。時間はない」
ジョンは立ち上がった。背を向け、最後に一言だけ残した。
「ベアトリーチェ。君の魂がまだ燃えているなら……王国は、それに賭けている」
酒場の喧騒が戻る。ジョンの姿が消えて、私は封筒を見つめ続けた。
再び、血の匂いにまみれる日々に戻るのか。
それとも、今のまま……負け犬のまま朽ち果てるか。
私はウォーム・ブラッドをもう一杯注文した。
決断は、次の一杯の後にしよう。
◇◆◇◆◇◆◇
グラスの底に沈んだ赤褐色の液体を見つめながら、私はずっと黙っていた。
店内の喧騒はいつも通りだ。誰かが賭けに負けて怒鳴っている。誰かが女に振られて泣いている。
この酒場の空気は、まるで止まった時間の中にある。
でも……
今夜、ジョン・スミスはその止まった時間に、確かに手を突っ込んできた。
「くっだらない……」
私は一人つぶやいた。
あの男の言葉が、なぜこうも胸に引っかかる?
もう軍人じゃない。もう何も背負っていない。誇りなんてとうに捨てた。
けれど……
確かに私は、あの艦橋で、誰よりも冷たく、そして誰よりも早く、決断を下してきた。
艦隊戦とは、時間との勝負。
一秒の迷いが、千人の死に繋がる。
私は迷わなかった。だからこそ、生き残った。そして、だからこそ、逃げ出した。
「……また命令を下すのか。誰が死ぬかを決めるのは、もう嫌なのに……」
ふと、ジョンが置いていった任務命令書の封筒を、私はカウンターの上で開いた。
中には、たった一枚のデータシート。
内容は極秘指定。手書き風の署名が一つ……王国軍宇宙艦隊総司令官、イ・チャンギュ元帥。
《ランドシップ計画》
戦術分析官・予備役准将 ベアトリーチェ・フィロメーネに出頭を命ず。
出頭先:王国軍宇宙艦隊総司令部総司令官執務室
任意応諾。ただし機密保持義務は有効
出頭猶予:72時間
「ランドシップ……?」
どこかで聞いたことがある。
私は思い出そうとするが、頭がアルコールで霞んでいる。
しかし、任意応諾……つまり、行かなくてもいい。
その選択肢をあえて明記してくるのが、ジョンらしい。
選ばせることで、罪を共有させる。
やり口が、昔と変わらない。
その夜、私は酒場を出た。
中央市の街は、夜でも明るい。人工照明に照らされた都市のビル群は、銀色に輝いていた。
そこを歩く私は、ただの流れ者に過ぎない。
酔いどれで、無職で、誰も頼らず、誰にも頼られない。
それが、気楽で、自由で、でも……
「ジョンのやつ……うまくやるな、本当に……」
私は無意識に、駅のほうへ足を向けていた。
総司令部へ行くには、定期航路のシャトルが早い。
明朝出航の便に間に合えば、期限には余裕で間に合う。
私はまだ、サインしていない。
命令書はポケットに入ったまま。
だが、体は勝手に動いている。
何を期待しているのか?
また艦隊の艦橋に立ち、何百隻もの艦を指揮し、戦場に身を投じることに?
「……それとも、何かを終わらせに行くのかもしれない…」
私は、かつて乗っていた艦の名を思い出した。
軽巡洋艦ヲキカン。
王国の栄光とともに出撃し、血と業火の中をくぐり抜けてきた軽巡。
その艦橋に、もう一度立つ覚悟は……まだない。
でも、確認はしておきたかった。
私の中にまだ、何か燃えているものがあるのかどうか。
◇◆◇◆◇◆◇
人工照明に照らされた中央市の駅前広場には、昼間以上の喧騒が広がっていた。酔っ払いの笑い声や音楽ではない。怒号。演説。怒りと嘆き。
「戦争推進は国家反逆と同じだ! 国王と議会に死を!」
「この期に及んで降伏など愚かだ! 武器を持ってでも戦え!」
「講和こそ民を救う道だ! 戦火を止めろ、対話を始めろ!」
戦争推進派、無条件降伏派、和平講和派の三つの勢力が、広場を三方向に分けて激しく対立していた。
旗が翻り、シュプレヒコールが飛び交い、演説者たちが簡易ステージから絶叫している。
中央には、機動警察と王国軍の合同部隊が展開し、暴動に備えて鎮圧体制を取っていた。
私が近づいた瞬間、一発の銃声が響いた。
パンッ!
広場の片隅で、誰かが拳銃を撃った。誰かに向けたのか、威嚇だったのか、わからない。
人々が一斉に叫び、駆け出す。催涙ガス弾が発射され、白煙が広がった。
「手を上げろ! 地面に伏せろ! 国家治安法違反の現行犯だ!」
武装警察が群衆の中に突入し、棍棒を振るいながらデモ参加者を押さえつけていく。
片方では推進派が降伏派に殴りかかり、別の場所では和平派と推進派が激しく言い争っている。
広場の地面には、誰かが投げたモロトフが破裂し、小さな火の粉が舞った。
「無駄な犠牲を出して何になる!」
ふと聞こえたその声は、遠くの演説ステージの上からだった。
見覚えのある顔。かつての部下だった男が、和平派の代表としてマイクを握っていた。
だが、その言葉は群衆の怒声にかき消される。
誰も、誰の声も聞いていない。ただ叫び、ただ怒り、ただ恐れている。
私の靴が血と涙と破片の混ざった舗道を踏む。
かつては貴族の令嬢だった女が、今やただの通行人として暴動の中をすり抜けていく。
私は何も言わず、何も見ないふりをして、駅の階段を駆け上がった。
背後では、怒号とサイレンと、もう一発の銃声が響いていた。
◇◆◇◆◇◆◇
翌日、中央宇宙港ターミナル
「グランドリア星系行きシャトルは、間もなく出発いたします」
私は最後の一人としてシャトルに乗り込んだ。
通路の端の、窓際の席。
シートに沈み込みながら、封筒から命令書を取り出す。
指先でなぞり、ふっと息を吐く。
「さらなる地獄の入口か。……まあ、見届けてやる、ジョン」
封筒を破り捨て、私は窓の外を見る。
ステーションが小さくなり、やがてグレイアの青白い輪郭が宙に溶けていく。
過去に背を向けた私が、再びそれに向かう。
それは赦しではなく、復讐かもしれない。
あるいは……まだ終わっていなかった私自身への決着か。
まだ分からない。
ただ、心のどこかで思った。
私は戦場に戻る。もう一度だけ……自分の意志で。
to be continued…
ここはこうした方がいいなどのアドバイス、誤字脱字があればぜひ感想欄に。
用語解説:
《エンバーリン星系》:グランドリア王国を構成する星系の一つ。
《フィア・エンバーリン星》: エンバーリン星系の第四惑星。
《グランドリア王国 》: 議会制民主主義の国。 この国では、王が名目上の指導者であり、実際の政権運営は議会と選挙で選ばれた政府が担っている。国民が直接的に政治に関与し、自由と平等の原則に基づいている。近年、帝国との戦争で没落する貴族が増加しているが、貴族階級は依然として強い影響力を持っており、王国の外交方針や軍事行動にはしばしば議会の対立が影響を与える。市民権と民主主義を尊重しつつも、王制という伝統的な要素を融合させている。多民族国家。
《ベアトリーチェ・フィロメーネ》:本作の主人公。王国軍の女性士官。
《ウォーム・ブラッド》:密造酒。
《エルドミア》:帝国との戦争の戦場。
《フィロメーネ家》: ベアトリーチェの出身家。元名門貴族(→フィロメーネ侯爵家)。
《ジョン・スミス》: ベアトリーチェの旧友。
《イ・チャンギュ》:上司。
《ランドシップ計画》: ベアトリーチェが過去に立案した計画。内容は、従来の艦の装甲を増した装甲艦を製造し、それを中心とした艦隊(→装甲艦隊)を編成して前線に投入するという計画。
《グランドリア星系》: 王都星系。王都星がある王国の星系。
《軽巡洋艦ヲキカン》: ベアトリーチェがかつて乗っていた艦。




