A・M
「これが……“A・M”だと?」
ギルド記録庫、立入制限区域にて。
アリオス・ヴェルネは、黒革装丁の記録書をゆっくりと閉じ、重く息を吐いた。
イルナ=メルクの筆記符に刻まれていた文字列──「A・M」。
それは人名の略称か、術式のコードか、あるいは……。
だが記録庫で彼が見つけた資料は、決定的だった。
《補足記録:転写術実験記録 No.271》
対象個体名:アレクト=メルク(A.M.)
状態:術式転写対象
関係者:イルナ=メルク(妹)
備考:実験は中断、対象は行方不明。
──アレクト=メルク。イルナの兄。
10年前、記憶転写術の初期実験に関わり、記録魔術による人格断裂を起こし、以降消息不明となった男。
「……禁術に触れた兄の、記憶。妹はそれを、再び転写しようとしていた……?」
だがなぜ?
彼女は失踪した兄の記憶を転写することで、何を知ろうとしたのか。
再会のためか。真実のためか。それとも──何かを、救おうとしたのか。
アリオスは資料棚から古い記録符を抜き出す。
そこには、かつての転写実験で使用された魔術符が保管されていた。
記録保持対象:アレクト=メルク。
だがその符面には、黒くにじむような魔力焼痕が広がっており──
「……これも、“壊されて”いる」
記録は意図的に改ざん、あるいは抹消されていた。
それも、相当に高位の記録術式を使って。
「壊したのは、彼女か。それとも、別の誰かか……」
アリオスは視線を伏せる。
記録を辿る先にあるのは、兄妹の感情──そして、記録では測れない何か。
ふと、脳裏に浮かぶイルナの顔。
記録魔術に残された断片的な映像──
自室の机に座り、何かを見つめていた彼女の瞳は、怯えでも絶望でもなかった。
それは、祈りのような眼差しだった。