伯爵の夫は、追いかける
「……つまり、マリニャンは」
生きている。
事の真相を聞いて、私は前のめりになっていた体を椅子の背もたれに預けた。
「そう、さっきから言ってますが?」
「……あんなのを見て、葬式みたいに悲しんでいる屋敷全体の雰囲気からして、そう思わないほうがどうかしている」
大きく息を吸って、吐く。
体の中に溜まったわだかまりを捨て去るように。
汗が出ていたわけでもないし頭痛がするわけでもないが、こめかみを押さえながら力を抜くと、ヨモギが机の上に置いた三つの薬が目に入る。
仮死状態になる薬で、マリニャンを眠らせた。余った薬で、ダーナ嬢をマリニャンの代わりに人身御供として吊り上げておいた。それだけではマリニャンでないとすぐにバレるから、変装させたうえで姿形を惑わす薬で見る相手の視界を狂わせた。おまけに真っ暗闇にしておけば、初見でそれがマリニャンではないなんて気づくわけがないだろう。
おまけに首を吊っているなんて衝撃の状況だ。
誰が瞬時にそれがマリニャンであるなんて気づけるのか。
私だって気づける自身はない。
……視界を共有する薬も、使ったのだろうか。
「いや、それは間違ってないですからね」
「……?」
あっさりとしたものである。
おまけに、その不幸はいまだ邸内から出ていない。
誰もが口を閉ざす。誰も信じたくないからということもあるのだろう。どこまでも忠義に厚い従者たちだ。
そんなことを思っていた私の耳に、ヨモギから間違っていないと、何を言われたのかと驚いた。
「……ああ。葬式みたいだってことか。だけどもそれは起きなかったことだろう?」
「今のまま行けば、姉さんはきっと不幸になる」
「……ああ」
ヨモギの真剣な表情に、私は居住まいを正した。
ヨモギがなんでこんなことをしたのか。それを考えてみる。
マリニャンを、一度殺すことにした。
それは、報復という意味が強いのだろう。
恐らくこれから彼は、邸内にはしっかりと発表するのかもしれない。
だけども、そうしたから、なんだ、というわけだ。
マリニャンの死体と思わしきダーナ嬢を見たのは、マリアベルとアルヴィスという執事。
マリニャンを苦しめた二人に自分たちが犯した罪を思い知らせるには、とても効果的であったのだろう。
で。だからといって、それがマリニャンの今を取り巻く状況に打開策となったわけではない。
「姉さんに、誰も寄り添わなかった」
「……」
「僕も、あなたも、だ。殿下」
「……」
言葉を、失う。
マリニャンのことを大事に想っているのは私もヨモギも一緒だ。
そう言われて、本当にマリニャンのことを考えていたのか、と問われると、答えをすぐに出せない。
なぜなら私は、ここに来るまでに、一度思い至っていた。
<ランページ不可侵法の撤廃を成立させ、そしてマリニャンを狙うあらゆる男達の誰よりも先に、父上からの王命という絶対令を使って、マリニャンとの婚姻を強制的に成立させた>
<これがいいことなのか悪いことなのか>
<私からしてみればいいことだ。最終目標として、これからの通過点として、私の目標であった>
<マリニャンが私のことをどう思っているか。と聞かれたら……>
<マリニャン。……待っていてくれ>
<と、思うしかない>
つまりは、私は、自分の都合だけを考えていたのだ。
マリニャンがどれだけ苦しんでいたのかなんて考えているようで考えていなかった。
「……だから、君は、私からマリニャンを遠ざけた」
「殿下が失敗したと考えて、僕が姉さんを幸せにするつもりでもありましたよ」
「だけど君は、それをしなかった」
「姉さんが、僕に言ったから。僕では、姉さんを幸せにできないと気づいたから」
何を言われたのか。
それは聞くべきではないと思った。
「マオ姉とミサオ姉には伝えたけど、姉さんは、疲れているんだ。どこか遠くに飛び立って、休ませてあげたい」
「……私がその止まり木になれれば、よかったのだけれどね」
疲れている。
それは確かにそうだろう。
今まで常に動き続けてきた。様々なことがあった。
それであれば、少しくらい休ませてあげるべきである。
「……帰ってくる、のかな?」
「さあ?」
「君はもう知ってると思うけども。私は彼女が戻ってきてくれないと困るのだけども」
「そりゃそうでしょうね。姉さんはもう王命によって殿下の妻だ。殿下はこのランページの婿でもある」
ヨモギに言われて、少しずつ実感する。
マリニャンの夫ということよりも、このランページという帝国の中でも異質な領土を、マリニャンと共に治めていくということを。
そして、この領土を、マリニャンだからこそ治められていたのだということに、マリニャンがいないこの状況にプレッシャーものしかかる。
「大変ですよ、これから」
「大変そうだ……」
「姉さんは療養とするので、僕たちでなんとかしないといけません」
「ふむ。……妥当かな」
そう言うと、ヨモギは一通の封筒を手渡してきた。
「これは?」
中を見る。それは地図だ。
ランページの領土が書かれた地図であり、仮想敵国【モロニック王国】へと向かう、アルト・アイゼン平原の地図でもある。
平原の端、モロニック王国寄りの何もない場所に、その地図には×印が書かれている。
「休んでもらうにはどこがいいかなって思って。モロニック王国を勧めました」
「なぜ!?」
「帝国で休めるところなんてないし、レンジスタ王国に行ったらキュア王子とエフィさんに捕まって帰ってこないでしょう?」
「……それもそうか」
「エルト殿下のとこにいってもらいます?」
「それはそれで、向こうは戦乱冷めやらぬ、だ。マリニャンとエルトなら統一できちゃうかもしれないけど、戦力過多になりそうだ」
「だから、モロニック王国。ちょうど向こうからやらかし元王子も来ているし、他にも何人か流れ着いているわけですから。こっちから流れていっても問題ないでしょう?」
「いやそうだが。……マリニャンだぞ? ランページで名が売れた彼女を、王国がほっておくと?」
「そこは姉さんたちならなんとかするでしょう」
「……するのか?」
「するでしょう」
「……するのかぁ」
「するでしょうね」
言い合っても堂々巡りな気もする。
それにもう、マリニャンはこの場にはいないのだろう。すでに王国へ向かって、今はもう、帝国と王国の間の城壁を抜けているころかもしれない。
「このバツ印は?」
「姉さん、仮死状態の薬をたっぷり飲んでるんですから、まだ寝てますよ」
「っ!」
そう言われて私はヨモギの言いたいことを理解した。
「すまない! 時間をもらう!」
「ええ。しっかり済ませてきてください」
ヨモギは、私の背を押してくれたのだ。
このまま、いつ戻ってくるか分からないマリニャンを待つのではなく、しっかりと一度別れの挨拶をしてくるようにと。
私はすぐさま執務室を飛び出した。
「姉さんを幸せにできるのはあなただけですよ、殿下」
そんな声が、背後から聞こえた気がして、より自信を持つことができた。
「マリニャン、待っていてくれ」
今度は、きっと。
きっと待ってくれている。
そう信じて。
私は馬に跨り地図を頼りに駆ける。




